エンジニア 35歳定年説の別解釈
最近、ちょっと気にかかっていることがあります。技術を楽しめること、技術を高め続けることが正しいというニュアンスで語るエンジニアを多く見かけます。ただ、視点がいつも一人称な人も多いです。こういう人が集まった時にどうなるのか考えてしまいます。一人称で話が閉じているので、集団になったときにどう振る舞うのか予測が付きません。
個人的な経験から言わせて頂くと、技術を楽しんで、常にスキルアップというだけの人だと、確かに仕事はできるようになれます。しかし、片手で数えられる範囲の人としか連携ができません。間に調整役を入れたり、役割がダブらないように立ち位置を調整したりと、そういう工夫が必要になります。ハイスキルでモチベーションも高い人は、勢いがある分、人とぶつかり易くなります。
仕事は決められた量しかありません。その中には、技術者としてやって楽しい仕事もあれば、つまらない仕事もあります。みんなが楽しい仕事しかやりたがらなければ、当然仕事の奪い合いが起きます。そういう理由で、モチベーションと向上心だけでは、人同士の衝突を避けるには何の役にも立ちません。その結果、物事がうまく進まなくなります。
そこで大事なのは、一歩退く度量ではないでしょうか。面白みのある仕事をある程度やったら、いつまでもそこにしがみつかずに人に、後から来る人に道を譲れということです。これをやらなかったのが今、老害と揶揄される人たちです。ああいう人になりたくなければ、どこかのタイミングで後から来る人に道を譲る必要があります。
それが、だいたい35歳かと思います。20代ほど勢いもないし、家族を持って仕事以外にやることも増えます。いつまでも一線にしがみつかず、サポートに注力する方が賢いと思います。自分のことだけ考えていればいいのは20代までです。30を越えたら人をサポートできるように方向転換して、それが実行できるようになるのが35歳くらいでしょう。
いっそ定年したくらいの気持ちでもなければ、一歩下がって人のサポートをするというのは難しいです。そういう、仕事との関わり方を見直す意味で35歳定年説という考え方を活用してはいかがでしょうか。
コメント
仲澤@失業者
なるほどですが、老害じじい側の感想としては
(1)譲ってもやりたがらない場合が多いのです。
御老公をのけて拙者ごときがしゃしゃり出られるはずもなかろうって事でしょうか。
まさかのリスクヘッジ?
シンプルにシャイでしょうか。
(2)自分が恥知らずの若僧(35歳)だったころを思い出すと、赤面するほど無知無能でした。
当時教えちゃった人たちごめんなさい。
でも、教えてると自分が成長するようなのでありがたかったです(感謝)。
てな感じ。
ところで、友人知人に同業者が一人もいないので、
冒頭の一人称的エンジニアの人物像が、あまりピンときませんでした。
申し訳ありません。
通りすがり
こういう人がいるから、日本はダメなんじゃないかなって思ってしまいました。
反面教師にして頑張ります
myu
すみませんがひとつも共感できる内容がありませんでした。
いほーSES
そもそも譲るべき人員がいない。
中小企業にはまともな社内SEすらいない。
Horus
> 仲澤さん
貴重なご意見ありがとうございます。「あー、そうなんだ。」とコメントを読んでいていろいろと考えさせられました。コラムを書くのに凄く参考になります!
> 通りすがり さん
スキルが高い人でも、「自分さえ仕事ができればいい」と考えている人と、仕事全体を見てスキルを考える人と二通りに分かれるとお思います。前者でもスキルというポイントに絞れば見習うべき点はあります。半面教師というのも良いスタンスだと思います。
> myu さん
コラムを書くうえで納得させる人をピンポイントに絞っています。そこに入らなかっただけです。それはそれでいいんじゃないですかね。
> いほーSES さん
頂いたコメントにすごく同感してしまいましたw。