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自己投資は博打だ

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自己投資の「投資」の意味を調べると、「利益を得る目的で事業などに資金を出すこと。比喩的に、将来の利益のために多額の金銭を投入すること。」だそうです。ここでよく考えて欲しいのですが、あくまで「金銭を投入すること。」です。言葉の意味としては、お金を出すまでが投資です。結果を得られるかどうかは言葉の意味に含まれていません。

これを、結果をえるまでを自己投資と勘違いして話をする人をたまに見かけます。個人的には、自己投資というなら損害覚悟で金を払えと考えています。自己投資した分を回収しよう考えるのは、発想としては間違えていません。ただ、それは自己投資ではなく買い物です。自己投資の結果が得られずに感情的になる人はこれを間違えています。

払った金額に対して、過剰な成果を求めるのなら投資に意味はありません。未来に対してのアプローチなので保証はありません。不確実なものにお金を払うので、お金のインとアウトだけみれば博打と変わりません。何を思ってお金を払うかで投資なのか博打なのかが分かれます。

しかし、あえて言いたい。博打でいいです。失敗しないと人は学ばないので、大いに失敗すればいいと思います。博打だろうと投資だろうと、どちらでもいいです。どちらにせよ、損する覚悟があるかどうかが大事です。そう考えると、投資して確実に回収なんて発想を断ち切るために、あえて博打と考えてもいいかと思います。

こちらが払ったものと、こちらが得たもの、この二つを数値化すると納得がいくかもしれません。ただ、そういう結果を書き表した時点で、その人の視野はそこまでです。本当の結果は最後まで分かりません。数値化や見える化に対して、見えた時点で思考をやめる。そういう人は一定数います。教科書通りの正論を実行するだけで成果が得られるほど世の中は甘くないです。

と、正論から離れた見解から考えて書いてみました。一つの見解なので、正しいかどうかという視点では見ていません。これをどう感じるかは、それぞれだと思います。

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