無駄な会議の内訳
会議というのは結構お金がかかります。参加する人の時給を二千円と見積もって、参加者五人、一時間の会議で一万円。更に前準備も含めて、資料作成の時間で一人が二時間かけて作って、一人が一時間でレビューして一万三千円になります。安く見積もってこのくらいでしょうか。私の感覚では、会議一回につき一万円くらいを見積もっています。
お金で換算するといやらしいので、別のもので置き換えてみます。五人で一時間を一人で五時間に換算したとします。この計算でいけば、週一回の無駄な会議に割り当てている時間を一人に集中させると、毎日一時間の時間が確保できます。この時間で何かの訓練をしたら、相応のスキルとして身につくと思います。
会議で使用する資料を外注して作成した場合を想定してみましょう。条件が多いほど単価が上がります。また、適切に指示をしないと思った通りのものが仕上らずに追加料金も発生します。資料一つクオリティーを追求するだけで、けっこうなお金と手間がかかります。それだけの時間と手間を情報の収集や整理に充てたら、得られる結果に大きな差が出ると思います。
「仕事だからキチンとやれ」という感覚でいると、このような内訳の計算が抜けます。キチンとやるのにはコストがかかります。お金もそうだが、時間、気力も消費するし、必要なスキルも高くなります。キチンとやることは悪いことではありません。ただ、それを要求するなら相応の対価を払う必要があります。対価を払わずキチンとしろでは、無銭飲食のクレーマーと大差がありません。
話は飛ぶが、無駄な会議の内訳を分析していて、一つ気付いたことがあります。キチンとやりたがる人ほどセコい人が多くないでしょうか。これは、求めるものに対して対価を払わないのでセコくなるようです。ビジネスが行き詰まる理由も、だいたいこのセコさが原因なように思えます。いかがでしょうか。