断片化する「ことば」の行方。-僕らは17文字で世界を表現する国の住人だ-
年末年始になると、文章で「挨拶」をする機会が多くなる。
クリスマスカードで伝える「メリー・クリスマス」
年賀状で伝える「明けましておめでとうございます」
最近ではこういう挨拶を、紙に書いた文章ではなくメールやTwitterなどでやりとりすることも多くなっているのではないだろうか。年末年始の挨拶文などを考えるにあたって、「短い言葉で最大限の気持ちを伝える」ということの難しさを感じることの多い時期。今回は「ことばの断片化」について考えてみようと思う。
■ことばの断片化 = 文脈の喪失
以前のコラムで、ポータブル再生デバイスによって音楽が「アルバム」というパッケージングされたコンテンツから、1曲ごとに断片化された、ということを書いた。Twitterというメディアは、わたしたちに「ことば」の断片化をもたらそうとしている。1回の投稿が140字に制限されたTwitterというメディアにおいて、毎日やり取りされる膨大な「ことば」たち。あるときは投稿者個人の思想であったり、著名な書籍の引用であったり、「ことば」の種類はさまざまであるが、ある時これらの「ことば」から時々失われているものがあることに気づいた。
ひとつ、具体例を上げて考えてみよう。
ツイートその1:「先日、課長と飲みに行った。そこで彼とオブジェクト指向についての議論になった。課長の主張はかたくなで、僕の意見はまったく聞いてもらえない。あそこまで頭の硬い人には出会ったことがない。本当にどうかしている」
ツイートその2:「でも、プロジェクトの矢面に立ち、その頑固さで上層部に対しても一歩も引かない課長の姿勢に救われたことが何度かある。なので一概に否定ばかりしてはいけないな」
この連続投稿を続けて読めば、投稿者は課長の頑固さにうんざりしつつも、課長をリスペクトしているのだな、ということを読み取ることができる。
ここで、「ツイートその1」のみが誰かにリツイートされてしまったとしよう。この投稿者をフォローしていないユーザーが、リツイートによって「ツイートその1」だけを読むことになった場合、この投稿から読み取れるのは、「課長批判」でしかない。つまり、「ことばの断片化」によって本来の意図とまったく真逆の意味が拡散してしまうことになる。
これは、「文脈」が失われてしまったということだ。
「文脈」は文章の前後関係だけで成立するわけではない。私的な「ことば」のやり取りの中には、相手の人柄、相手の居住地、相手の職業など、さまざまな背景が「文脈」を成立させる。「ことばの断片化」は、こういった背景をも置き去りにして、「そこに書かれている文字」のみを拡散させてしまう。そして背景だけでなく、その「ことば」に込められた本来の「意味」までもが、置き去りにされてしまうのである。
■意図を知りたくば原典にあたるしかない
リツイートされた「ことば」に反論する場合、相手の意図を正確に読み取れているかどうかを確認するため、まずは本人のツイートの前後の「ことば」にきちんと目を通すべきである。
わたしは学生時代、ゼミの担当教授から繰り返し指導されたことがある。それは、「論文などに引用されている文章を鵜呑みにするな。必ず引用の原典を読め」ということである。引用された文章には、引用者の意図が介在している。そしてそれは、本来の原典の執筆者の意図と異なっているかもしれない。事実、世の中には自分の都合の良いことばだけを抜き出して、執筆者の意図と違った印象を与えるような引用がなされている文章がいくつも存在している。
ネット上で行き交う「断片化されたことば」もこれとまったく同じことがいえると思う。
ふと目にした「ことば」に反射的に反応する前に、まずは原典を確認すべきである。
■ことばの断片化を恐れるな
「ことばの断片化」をいたずらに恐れる必要はなにもない。ネットというメデイアは、これまで以上に「引用されたことばの原典」を探しやすいメディアである。それになにより、わたしたち日本人は「ことばの断片」を文化として昇華させてきた国の住人である。
5・7・5の17文字で表現される俳句。5・7・5・7・7の31文字で表現される和歌。
日本人は昔から、たったこれだけの文字数で世界を表現してきた文化を持っている。日本人は漢字を操ることができる。アルファベットなどの「表音文字」とは異なり、漢字は「表意文字」と呼ばれ、文字自体が意味を持つ。つまり日本語は、短い文字数の中に多くの意味を込めることが可能な言語なのだ。
電子書籍が普及し、テキストは今後さらに断片化され、個別に拡散していく傾向が強まっていくだろう。わたしたちに求められるのは、その「断片化されたことば」からいかにして正確な意図を読み解くか、という能力である。
最後に、細川幽斎の歌を一首ご紹介して、今回のコラムを締めくくりたいと思う。
古も 今も変はらぬ 世の中に 心の種を 残す言の葉