勉強会お花畑論--勉強会の翌日の絶望と戦え--
■お花畑と荒地の物語
休日や定時後に、IT系の勉強会に足を運んで先端の知識に触れたり、業界の一線で活躍するエンジニアの話を聞く。それはとてもエキサイティングで、楽しい時間だ。
関数型プログラミング、テスト駆動開発、ペアプログラミング、アジャイル!!!
心躍るキーワード、希望に溢れる未来を見つめて切磋琢磨するコミュニティ仲間たち。なんて幸せなのだろう。この空間に身を置く僕らの意識は、どこまでも高まっていく。
試しにライトニングトークにチャレンジしてみる。5分間のプレゼンだ。僕は職場での体験談を交えながら、すこし冗談めかしたプレゼンを披露してみる。みんな笑顔で僕の話を聞いてくれる。
懇親会で名刺交換をする。ニコニコな会社とか、海鮮丼が美味しい会社とか、Twitterで話題になっている会社の人たちと仲良くなれる。最高だ。僕はなんて幸せな業界で仕事をしているのだろう。
僕の意識は、どこまでもどこまでも高まっていく。
そして僕は帰宅し、翌日、いつものように会社に出勤する。昨夜の勉強会の余韻をちょっぴり残し、高まった意識を胸に収めて。
そこで僕は途方に暮れる。
レガシーコード、Excel方眼紙、画面ハードコピーのエビデンス、プログラマは全員オフショア先にしかいない!!
なんだこのうず高く積まれたクソの山は。昨日語り合った仲間たちと同じような人々は、どうしてここにはいないんだ……。
■勉強会後遺症
以上のエピソードは、完全な創作である。しかし、IT系勉強会の参加者の多くは、このエピソードのような気持ちを経験したことがあるのではないだろうか。あるいは、勉強会で高いレベルのエンジニア達に圧倒され、自分がひどく矮小でつまらないエンジニアであるかのように落ち込んだことが。
これが勉強会後遺症。ほとんどの人が、一度は経験するはしかのようなものだ。
僕たちは、現実の中で生活し、仕事をしている。勉強会で触れた理想的なお花畑のような世界と、現実。これらの折り合いをつけていかなければならない。
■勉強会後遺症を克服するたったひとつの冴えたやりかた
勉強会後遺症を克服する最も確実が方法がある。それは自分の職場をお花畑にすることだ。関数型言語でコードを書き、アジャイルな手法でプロジェクトを駆動させ、会社に利益をもたらすのだ。
しかしそれは不可能だろう。自分の職場をお花畑に変えるには、自分ひとりではあまりにも非力だ。なんの力も無いに等しい。
まずは仲間を増やそう。
■勉強会のフィードバックはそれを受け取る人が必要
勉強会で新しい技術や知見を得る。それを職場にフィードバックするためには、そのフィードバックを受け止めてくれる人が必要だ。
所属するチームのリーダーであったり、相談しやすい同僚だったり、まずは身近な人を巻き込むのだ。彼らを勉強会に連れ出すことができれば大成功だが、そこまでは無理でも、話を聞いてもらえる関係を築くことができれば、それが第一歩といっていい。
そういう仲間が一人もいない職場はどうしたらいいか? そこでは戦うだけ時間の無駄だから、見切りをつけて転職しよう。貴重な時間の浪費にしかならない。
このとき、仲間にするのはできるだけ近い人がいい。違う部署より同じ部署。違うチームより同じチームの方が、フィードバックを実践しやすいからだ。
僕にもかつて、同じ会社で勉強会仲間がいた。しかし彼とは部署が異なっていた。彼が所属する部署は、わりと自由な風土を持っていたので、勉強会のフィードバックを実践しやすい環境にあるように見えた。一方、僕が所属していた部署は、実に厳格なリーダーの率いる部署で、彼の意図にそぐわない意見はほとんど聞き入れてもらえなかった。同じ職場に仲間がいたにもかかわらず、部署が違ったためにその思いを共有しきれず、結局僕はその会社を辞める決断をすることになる。
仲間が近い方がいいというのはそういうことだ。
■勉強会がお花畑で無くなる日
仲間ができれば、その輪を拡げていく。あるいは転職して「自分にとってのお花畑」へ直接乗り込んでもいい。自分の足元に花を植え、それを育てる。あるいは花が咲いている職場へ行く。やがて、勉強会がお花畑で無くなる日がくる。
僕は転職することで、勉強会がお花畑では無くなった。
今の職場の同僚には、僕と同じくらい積極的に社外活動をしている仲間がいる。僕以上に、それらに貢献している仲間もいる。
そうすると、勉強会に対する意識が変わる。
今まで勉強会は、何かを得るために参加するところだった。勉強会で得た物を、咀嚼し、吸収し、自分自身や、職場にフィードバックする。そういう存在だった。
お花畑ではない勉強会は、僕にとって何かを与える場になった。僕が得たものを、逆にお返ししたい。考え方が、真逆になった。
何が言いたいかというと、勉強会は決してお花畑ではなく、自分の足元の地面と地続きの場所であるということ。今の自分の足元が荒地であっても、耕すか、場所を移すかすれば、花が咲いている場所に立つことができるということ。
理想と現実は、それぞれ折り合いをつけて生きて行かなければいけないが、限りなく現実を理想に近づけることはできる。ただ忘れてはいけないのは、花が咲いている場所にもレガシーコードはあるし、しんどいことはある。けれど、荒地よりは100倍マシなはずだ。
勉強会の翌日の職場で発症する後遺症に負けないでほしい。自らの行動によって後遺症を克服することは可能なんだ。