EPR的トラベリング~クラウド時代の新しい旅行とは?
■EPRパラドックス
「アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックス(EPRパラドックス)」と呼ばれる思考実験をご存知だろうか。量子論におけるこのパラドックスは、「情報の伝達において、距離という概念を一切考慮する必要がない」という可能性を示している。
まず、スピンの状態が常に対となる2つの電子を仮定する。例えば電子Aに上向きのスピンが観測された場合には、電子Bでは常に下向きのスピンが観測される、といった具合に。
次にこれらA、Bの電子をそれぞれ、数光年はかかる距離を取って観測してみる。この時、電子Aに下向きのスピンが観測されたとしたら、数光年先にある電子Bは常にスピンの状態が対になるわけだから、距離を超越して上向きのスピン状態であることが確認できる。つまり、「電子Bのスピン状態」という情報が、電子Aの観測者に向けて瞬時に伝達されたことになる。
これが、EPRパラドックスである。
わたしたちが生活する現代において、遠距離間の通信はたいていの場合電波によって行われる。そのため、その速度は決して光速を超えることはないが、少なくとも地球上で通信を行う限りにおいて、もはやわたしたちは「互いの距離」という観点を考慮する必要がない。
わたしは先日、盆休みを利用した旅行において、この「距離を考慮しない情報伝達」という通信の特性を生かした、大変面白い体験をした。これを、「EPR的トラベリング」と名付けてご紹介しつつ、「クラウド時代の新しい旅行」というものを考えてみたいと思う。
■まるで隣にいる友人との会話のように
旅行の醍醐味の1つに、気のおけない家族や友人とのおしゃべり、というものがある。
わたしも今回の旅行中、妻とさまざまな会話を楽しんだ。その土地の名物料理や普段の生活圏から離れた場所にある風景、さまざまなイベントは会話に適度なエッセンスを加えてくれるものだ。
出発の際、新幹線に乗車する直前の新大阪駅の構内において、わたしはある重要な問題に直面していた。時刻は午前9時半。
朝食を新幹線の車中で取ろうと考えていたわたしは、その際にビールを飲むかどうかで頭を悩ませていた。
「うーん。朝っぱらからビールを飲むのは気が引けるし、迷うなー」
「朝からいいのか? というドキドキ感が酒をうまくするんだよ」
わたしはその言葉に後押しされ、売店でカツサンドとビールを購入した。それを見た知人がこんなことを言う。
「君がビールを飲むという事実よりも、この期に及んでまだロング缶に手を出さないという選択にビックリだよ!!」
旅行という日常を離れる開放感に適度に刺激された、楽しげな会話である。
しかしこの会話相手は、ともに旅をする妻ではない。旅行の各行程における、Twitterでのわたしのつぶやきに応じてくれた、あるフォロワーさんとのやり取りである。この会話に刺激を受けたわたしは、帰りの新幹線では迷うことなくロング缶に手を伸ばすことになる。
旅先での食事においても、ありふれたやり取りというものはある。
自分が注文した料理よりも、同席する別の人が頼んだ料理の方がおいしそうに見えてしまうという状況。
わたしが今回の旅行の目的地である甲府で食べた昼食は、「おざら」という料理だった。甲府名物の「ほうとう」を「ざるうどん」風にアレンジしたものらしい。
わたしが「おざら」に舌鼓を打っているとき、別の知人は「ステーキ御膳」を食べていた。
ううむ。実においしそうだ。
実はこの知人は、そのとき伊勢を旅行中であった。甲府で「おざら」を食べているわたしと、伊勢で「ステーキ御膳」を食べている知人が、距離を超越して、「ああ、あの人の注文した料理もおいしそうだな」という旅先での食事時にありがちな状況を作り出していたのだ。
これもTwitterを使った出来事である。
Twitterやブログという「新しいコミュニケーションツール」と、「いつでもどこでもアクセス可能な端末という組み合わせ」が、旅行における定番のやり取りの「距離」という概念を超越させたのである。
■旅行の「思い出の記録」も時空を超える?
ARマーカーというものをご存知だろうか。QRコードに似たマーキングを、対応するカメラを通して表示すると、そのマーカー上にバーチャルな画像が表示される、という技術である。
今年、熱海で行われた「ラブプラス+」という恋愛シミュレーションゲームの企画において、このARマーカーを使ってゲーム内のキャラクターと記念撮影ができる、というものがあった。
自分がARマーカーの隣に立って、対応するカメラで撮影すると、自分と、ARマーカー上に立体的に表示されたキャラクターとで並んで記念写真を撮れるのである。
この技術を応用すると、この「記念写真」という旅先の定番が、またもや距離や時間を超越することが可能となる。
例えばわたしが、旅先のある地点で記念写真を撮る。そしてそれを、その場所に設置されたARマーカーと関連づけて登録しておく。
数日後、その場所を訪れた友人が同じく記念写真を撮る、その際に、わたしが数日前に記録した画像をARマーカーから呼び出して撮影すれば、わたしと友人は時間を超越して並んで記念撮影をすることができる。
また別の手段としては、例えばわたしが日光東照宮にいて、友人が奈良の東大寺にいるとする。それら両方の地点にはARマーカーが配置されていて、そこにわたしと友人の情報を登録して同時にシャッターを押せば、日光東照宮と東大寺というまったく別の場所にいながらにして、それぞれお互いが並んで記念写真を撮ることができるだろう。これは距離を超越した記念撮影ということになる。
■生活は今後EPR的になる
新しいテクノロジーは、わたしたちの「定番」に新しい楽しみ方を提供してくれるだろう。
これまで見てきたように、「時間や距離を超越する」というEPR的な進化は、今後一層加速すると思われる。わたしの通っていた大学の教授は、講義の中でアメリカとの共同研究が電子メールの登場によって圧倒的に便利になった、というエピソードを紹介してくれた。
これまで研究結果のデータや資料のやり取りを郵便で行っていた時代は、相互のやり取りに数週間から長い時で数カ月の間隔があった。しかし電子メールを使えば、大量のデータや資料を一瞬でアメリカまで送ることができると。
これもEPR的な進化の一例である。
しかし、EPR的になるべきではないものもある。最後にそのエピソードをご紹介しよう。
囲碁の楽しみ方の1つに、「郵便碁」というものがある。
お互いに1手ずつ囲碁の手を郵便でやり取りし、数年かけて1局を楽しむ、という遊び方だ。電子メールやインターネットの囲碁対局を使えば、当然1日で何局も打つことができるのだが、先日テレビで紹介されていた人は、アメリカの友人との郵便碁を電子メールで行う際に、「返信は必ず1週間以上、間隔を開けること」という制限を設けているらしい。
なんでも、1手ずつ打つ際「郵便」という手段によって生じる長い「間」が、郵便碁の醍醐味であるから、通信の手段が電子メールに変わってもその「間」を大事にしたい、というのである。
テクノロジーによって楽しみの幅が増えるものや、逆に興を削がれるものがある。
わたしたちの生活は、このEPR的進化の果てに、どうなっていくのだろうか。
コメント
一般人
「アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックス(EPRパラドックス)」
が間違っていた事は、もう何年も前に、実験的に、世界中で証明されています。
結論は、やっぱり80年前に建設された量子力学は正しかった、ということです。
湯川秀樹:場の量子論を元に、中間子の存在を予言
朝永振一郎:相対論的量子力学の発展形である量子電磁力学の建設
江崎玲於奈:量子力学で予言されたトンネル効果の実証
南部陽一郎:ゲージ場の量子論における自発的対称性の破れの発見
小林・益川:ゲージ場の量子論におけるCP対称性の破れの解明
粕谷大輔
ご指摘ありがとうございます。
EPRパラドックスは、もともとアインシュタインが「量子論の主張が正しいとすると、無限の距離を離れた二つの電子が互いに瞬時に情報交換をしていることになる。そんなことはありえるはずがない。すなわち、量子論は完全な理論ではない」という主旨で提示したものでした。
しかし、後にこのパラドックスは「ベルの不等式」によって定式化され、実験によっても証明されて現在では「EPR相関」と呼ばれています。
つまり、アインシュタインの「そんな現象はありえない!」という主張は誤りがあった事が証明されました。
これがご指摘いただいた「EPRパラドックスの誤り」ですね。
(参考URL:http://as2.c.u-tokyo.ac.jp/lecture_note/kstext04_ohp.pdf )
コラムを修正・加筆すべきかとも考えましたが、「EPRパラドックス」のくだりはコラムにおける「距離と時間を超越するコミュニケーション」というテーマのアクセントとして紹介したエピソードですので、コラムの主題には特に影響しないことから、コメントでの補足とさせていただきます。
一般人
>後にこのパラドックスは「ベルの不等式」によって定式化され、実験によっても証明されて
実験によって証明されたのは
「ベルの不等式」は成立しない
ということが証明されたのです。
粕谷大輔
追加でのコメントありがとうございます。
ご指摘のとおりです。「ベルの不等式」は成立しない、という事が実験によって証明されています。
「ベルの不等式」で定式化されたのは、「量子間の強い相関関係が有限である」という仮説でした。
後に実験によって、「ベルの不等式」は成立しないという事が実証され、「量子間の相関関係は有限を超えて成立する」ということが、「ベルの不等式の破れ」によって証明されたことになります。
「EPRパラドックス」についての流れはわたしはこのように解釈しています。
・アインシュタインが「EPRパラドックス」を用いて、「量子間の相関関係が
有限を超えて成り立つのは不自然」と主張
・アインシュタインの主張である「相関関係の有限性」は「ベルの不等式」に
よって定式化された。
・実験により「ベルの不等式」が成立しない状況が証明される。
・「量子間の有限性」を定式化した「ベルの不等式の破れ」によって
量子間の相関関係は有限を超えるほど強い遠隔相互作用があること(量子間
のもつれ)が証明された。
ということであると解釈しています。
参考1: http://nucl.phys.s.u-tokyo.ac.jp/sakai_g/epr/
参考2: http://www.qi-ching.com/QIP/Docs_Bell.html