iPadとクラウド
先日、家電量販店に行き、iPad売り場を見学してきた(実際に購入もした)。
クラウドについて思案する日々の中で、「クラウド志向端末」という分野における革新的なデバイスが登場する瞬間の空気感に触れたかったからだ。そして、それは予想以上の収穫だった。
iPadが発表された当初、わたしはこの製品に否定的な感想を抱いていた。iPhoneがあるのに、あんなに大きくて持ち運びに適さないデバイスを一体誰が欲しがるのかと。一部のガジェット好きや、Apple信者以外には売れないのではないかと思った。「電子書籍端末」という売り文句もなにやらうさん臭く感じたものだ。
そして、まもなくその感想は誤りであったことに気付く。セールスフォース・ド ットコムのCEO、マーク・ベニオフなどの「クラウドの雄」がこぞってiPadを絶賛している記事を読んた。また、マーク・ベニオフ自身がある講演の壇上でiPadを操っている姿を見て、少し真剣にiPadについて考えてみることにした。
熟考の末の結論は、iPadは世界を変えるデバイスだということだった。マーク・ベニオフが絶賛するのも無理はない。iPadは、彼が推し進める「ソフトウェアの終焉」に不可欠なデバイスだったのだ。
現在のソフトウェアは、歴史の流れの中で確実に衰退期に位置している。新興国の経済発展に伴なう苛烈な価格競争と、極端に短くなった変革のサイクルの中において、従来のソフトウェアは意味を失いかけている。
企業の莫大なIT投資とそれらの維持費は企業経営を圧迫し、システム構築に要する数年という開発期間は企業変革に要求されるスピード感とアンマッチを引き起こしている。
高額なライセンス料とハードウェア、IT技術者を社内に抱え込まねばならない従来の企業システムは、もはや経営にとって足かせでしかない。 クラウドコンピューティングは、そんな従来のソフトウェアの概念を覆す福音である。
クラウドは、ネットワーク上にあるITリソースをインターネットを介して利用する。
GoogleのGmailをイメージすれば分かりやすいだろう。Gmailの利用者はメールの送受信をするために、OutlookやThunderbirdなどのメールソフトをインストールする必要はない。GoogleのWebサイトにインターネットでアクセスしてログインすれば、インターネットに接続可能な端末を保持していればどこからでも1つのアカウントでメールを利用できる。バージョンアップも、サービス提供者が自動で行ってくれる。
そういったサービスは、無料もしくは月額利用料という形で、非常に安価に提供される。インターネットという手軽なインフラを利用しているために利用者の数が多く、規模の経済が作用して1人あたりに要求される単価が非常に安く済むためだ。
こういった考え方は、企業にも浸透し始めている。会計や人事、営業支援などの定型的なソフトウェアは、クラウドで提供される。企業は、それらのシステム利用に対して月額の利用料を支払うだけでよい。高額なサーバもストレージも、メンテナンスのための技術者も不要だ。インターネットに接続する回線と、ブラウザが利用できる端末があればそれで事足りる。
ニコラス・G・カーは著書『クラウド化する世界』において、非常に面白い例えをしている。
クラウドは電気と似ている。アメリカにおいて、電気の黎明期は、工場はそれぞれ自前で発電機と電気技師を保有し、高額なランニングコストを支払って電力を利用していた。中央集権的な発電所が誕生したとき、工場の事業者は皆、否定的だったという。
「発電所が停止すれば、操業がストップする。そんな得体の知れないところの電気など、誰が利用するものか」
だが、結果は御存知のとおり。発電所が供給する電力は安定して信頼がおけ、規模の経済の作用によって非常に安価に利用できる。工場は電力を利用するために自前の発電機も、電気技師も必要としない。我々は発電所から供給される電力に対して、なんの疑いも抱いていない。
ITサービスもいずれそうなるときが来る。必要なのは、人々から抵抗感を失わせるための時間だけだ。
現実問題として、クラウドの企業利用にさまざまな壁があるのは事実だ。企業の命運を握る情報を、他社に委ねるのには抵抗がある。だが考えてみてほしい。自社で、スキルの低いIT技術者がデータを管理することと、AmazonやGoogleといった実績ある企業にデータを委ねることと、実質どちらが信頼できるか、ということを。
日本国内からの利用にはさらに壁がある。現在、主要なクラウド事業者はすべて海外の企業であり、情報が保有されるのも海外のデータセンターであるため、そのデータの取り扱いに対してはデータセンターが設置されている現地の法律が適用される。
すなわち、日本企業の情報が、アメリカなどの海外の法律下に置かれるのである。だが、それも時間の問題だろう。セールスフォース・ド ットコムは、日本国内に大規模なデータセンターを設置する計画を発表している。企業が利用するITシステムは、一部のオンプレミスせざるを得ない領域を除いて、いずれクラウド化されるだろう。
iPadに話を戻そう。わたしが気付いたiPadの革新性とは、「ITシステムのクラウド化における人々の抵抗感からの脱却を促進するという点において、非常に有用なデバイスである」ということだ。
モバイル端末の分野においては、すでにクラウドに対する抵抗感は薄い。携帯を用いてネットに接続し、どこからでも同様のサービスを利用するという利便性を、すでに我々は享受している。しかしモバイル端末は、その小ささゆえに複雑な仕事に使うには向いていない。
iPadのサイズは、実に計算されつくしたサイズであるといえる。
iPad上に表示されるキーパネルは、ディスプレイのサイズ的にちょうどノートPCのキーボードと同様の感覚でタイピングできる。これは、従来のPC利用者にとって、違和感なく複雑で長時間のタイピングが可能であるという事を意味する。また、iPadは、従来のPCと比べても驚くほど簡単にインターネットに接続できる。 我々はネットを意識することなく、ネット上のサービスを利用することができるだろう。
携帯に慣れ親しんだ若い人たちが、もはやPCを利用していない、ということは自明であるが、iPadは従来のPC利用者がPCを卒業するに耐える設計がなされているデバイスなのである。
「電子書籍」というキーワードも、おそらくは中高年をターゲットとするためのマーケテイング戦略なのではないかと推察する。
その日、量販店のiPad売り場を見学してそれらの考えは確信に変わった。
予想以上に、iPad売り場に群がる人の年齢層が高かったのだ。
わたしはTwitterを利用しはじめて以来、ブログが社会的な意味を失いつつあることを感じた。
Twitterの手軽さと即時性。情報が流れるスピード感は圧倒的で、ブログをだらだら書いたり読んだりする必要性を感じなくなった。
世間は、簡便性とスピード感をさらに求める方向に進むはずである。 そのためには、従来のITシステムやPCは不要なのだ。
わたしはクラウドの浸透にはあと10年かかると考えていた。 だが、iPadを見て、その10年という期間はあまりに楽観的すぎると感じた。 2、3年で、世間のITに対する価値観は激変するだろう。そしてそれは、我々のような従来のIT技術者の需要のパイが、極端に縮小することを意味する。
コメント
とも☆
こんにちは。NIFTYクラウドは国内稼働で日本の法律が適用されるであろう事から、従来よりは敷居が低いですよね。
とも☆
発電所の例えは素晴らしいですね。生活インフラを用いてクラウドを丁寧に説明されていらっしゃることに敬服します。
30年前の日本の電気供給においては、停電は月に何回かあっても、市民は不満を漏らしながらも日常茶飯事と捉えていた。
また20年前ですら電圧急変(100[V]±α)によりサーバーがダウンし、UPS導入する切欠にもなったくらい。
いまのクラウドは、まだそんな時代の最中なんでしょうね・・・。
粕谷大輔
コメントありがとうございます。
発電所の例えは『クラウド化する世界』という書籍の受け売りなのですが、非常に分かり易いよくできた例えなので引用させていただきました。
クラウドはちょうど過渡期なのだと思います。
あと数年先、それこそ国内のデータセンターなども整備され、社会インフラの一形態として認知されると、個人や企業利用を問わず、ITに対する考え方が大きく変わるのだろうな、と思っています。
非常に夢のある話である反面、従来の市場が縮小するであろうとも予想され、大変悩ましい時代だと思います。