地方エンジニアが感じる地方・中小企業での悩み

サービスレベルが下がっても良しとしよう

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 Amazon の宅配からヤマト運輸が撤退し、色々と不満が噴出しているのを多くの方が目にしていると思います。今まで当然と思っていたことが、実は当然でもなんでもなかったという、ヤマト運輸だからできていたサービスレベルという話題です。今回のように途中で担当会社が変わるのであれば、まぁそうなるよな、としか思えない事なのですが、利用者からはあまりそのような意見というのは出てきません。物を届けるということは、利用者が思っている以上に大変な事だというのが広まればよいのですが、そうなるにはまだまだ時間がかかりそうです。

 同じような事は、私達 IT 業界においても普通に発生しています。一度上げてしまったサービスレベルというのは、レベルを下げるというのが非常に難しくなります。今までできていたのに何故できないの?、と相手方から詰め寄られると、なかなかそこを説得することは難しい事なのは、多くの人が味わっているのではないでしょうか。

 提供できるサービスレベルは、色々多くの要素が絡んだ結果として決定されます。たった一つの要素が抜け落ちるだけでも、場合によっては全体のレベルを激しく落とすこともよくあることです。例えば、今までは技術力の高いメンバーをそろえていたので、開発するにしても短期で行えていたことが、メンバーの入れ替えによってこれまでの倍の時間が必要になる、なんていうことも多々あります。

 それはサービスレベルを維持できなかった方に問題がある、とは私はあまり考えません。元々のサービスレベルというのが、すべての条件がそろっていて初めて可能となるものであり、前提条件が変わってもそれを維持できるようにはあまり考えられていない代物が多いからです。

 本来であれば、前提条件が変わった以上、提供するサービスレベルも変更するのが正しい姿だと考えます。ただし問題となるのは利用者側、ユーザー側がそれを許さない空気を出しているところではないでしょうか。先のヤマト運輸の例でいえば、同レベルのサービスを、佐川急便や日本郵便を含む大手以外が実践するのは、ほぼほぼ不可能に近い事です。あれは大手だからできていたことであり、通常の企業が行うには更なる追加投資や、人材の確保などを行わなければ到底追いつくことはできません。

 私達も自分の業務に限れば、それは至極当然のことであると認識しているはずですが、こと利用者側に回るとなぜか同等レベルのサービスを求めてしまう性質があります。自分に対しては求めないのに、他人に対しては求めるというのは少々都合が良すぎるように思えてしまいますが、現実としてそれを求めている人は多々存在しています。

 恐らくですが、利用者側に対してサービスレベルを下げることを表明できるのは、極々限られた企業みでしょう。そしてそれは日本企業ではなく、海外企業でなくてはできないことではないか、と感じています。日本企業はどちらかといわなくとも、過剰なサービスをよしとしているところがありますので、そのサービスレベルを下げるのはもってのほか、と考えてしまいがちです。その考え方が根強くはびこっていることが、労働時間の増加や個々の人への負荷の増加、などにつながり結果として企業全体にゆるやかにダメージを与えていくのだと思います。

 できないことをできない、というのは非常に決断力を伴う表明です。ユーザーが離れていくことは、どうしても避けたい気持ちが強いのも理解できます。ですが、そこでできないことを無理してマンパワーで解決、と舵を切ってしまうのは完全に間違っている方針です。一時的にならまだしも、特に見通しもない状態でただただ頑張ります、という回答をしてしまうのは、もはや好転する要素を持たない下り坂を転げ落ちていくだけの状態です。それを理解して選択するのであれば、何も言うことはありませんが、それは一部の人が大好きな、リスク、そのものではないでしょうか。

 私個人が望むのは、サービスレベルを維持するにはこれだけ価格に転嫁しなくてはいけない、価格転嫁できなければレベルはここまで落とす、という事をもっと選択しやすくする世界です。そしてその状態にするには企業側だけではなく、利用者側も変わっていかなくてはなりません。理由あってサービスレベルが下がることは、私達も受け入れていくようにしなければ、巡り巡って自分たちに跳ね返ってきます。そうならないためにも、今の状態は過剰なサービスレベルかも知れない、という考え方をもってみてはいかがでしょうか。

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