地方エンジニアが感じる地方・中小企業での悩み

イメージの要因は「自身」ただ1つ

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 「わたしは固めな内容で書いていますけど、実際は変で怪しいダメ人間ですよ?

 ……いきなりですが、冒頭の一文を、そのまま受け取られる方は少ないと思います。そのまま受け取られた方はかなり心優しい方に違いありません。わたしがいままでに書いたコラムから、違ったイメージを持たれている方が多いのではないか、と思っています。

 このように現実世界でもネットの世界でも、人には何かしらのイメージが付きまといます。厳しいけど仕事のできる人、部下に優しい人、いうことは立派な人……、持たれるイメージはさまざまです。その持たれるイメージが、当の本人を的確に表現できているかはさておき。

 ここでいうイメージは、かなり後々まで尾をひくものです。最初に悪いイメージを持たれてしまうと、挽回することはなかなか難しいものだと思います。

 さて、そのイメージは何から導かれたものなのでしょう。

 実際に会うことができている場合、これはほぼ間違いなく見た目が影響しています。見た目の印象は他の何よりも強烈な情報であるために、優先されてしまうでしょう。それと並ぶかどうか、という位置には話し方が来るのだと思います。視覚と聴覚からの影響はとても大きいものです。

 「見た目は小綺麗にしているけど、話す際にこちらの目をみないな」とか、「だらしない格好の割にしっかりとした受け答えをするな」、など、最初の印象に「視覚」と「聴覚」がもたらす影響は非常に強いと思われます。わたしだけかもしれませんが、正直名刺をもらう程度では相手のことが印象に残ることがありません。その人が見た目どのような人で、どのようなことを口にしたか、その部分が印象として残ります。

 一部ネット上でよく見かける「※ただしイケメンに限る」というのは、かなりの部分で真実です。特にろくに会話もしていない状態であれば、見た目以外で判断する要素がなく、自分の好みの容姿に近ければ近いほどいい印象を持つのは、どうしてもしかたがないところでしょう。

 このあたり、非常に悩まれている方は多いところかと思います。改善策としても、「明るく思われるような服装にする」ですとか、「笑顔を心がける」ですとか、あることはあるのですが、どうしても「相手側の受け取り方」が絡んでくるので難しいことが多いですね。自分を変えることよりも、相手を変えることの方がものすごく難しいです。

 個人的にはどのような方法を用いたとしても、一朝一夕でイメージが変わるようなことはないと考えています。それこそ年単位で、長い時間をかけなければいままでのイメージを覆すことは相当難しいのではないかと思います。ただ諦めたらそこで試合終了なのもご承知のとおりですので、めげずに続けることがベターなのだと思います。

 では現実世界ではなく、ネットの世界では何が大きい影響を与えているのでしょう。

 これはもう単純で、その人が残した文章や文字です。取引先とのメールやIMでの発言、個人的に行っているblog、SNSなどがそれにあたります。なかには写真を載せている方もいるでしょうが、それはほとんど印象に残ることはないと思われます。それ以前に、たとえ写真を載せていたところでそこまで見ること自体が稀なのではないでしょうか。

 その人がblogに書いた記事、コメントとして残したもの、掲示板などで書き込んだもの、Twitterでつぶやいたもの。多種多様な文章から、その人のイメージは形作られていきます。

 それら目にする何かしらの材料を基に、人は相手のイメージを作り上げます。そこには当然発信側の思惑は関連しません。受け手側の感覚です。このあたりは現実世界と同じですが、ネットの世界ではこの傾向がさらに顕著だと思います。

 よく「実際に会ってみるとイメージが違った」ということが多々あると思いますが、文章のみによって作られたイメージは、なかなかその当人を表すことは少ないです。それは文章表現の難しさが大きく影響しています。

 わたしも表現のほとんどがネット上の「文章のみ」という形ですので、実際のわたしのイメージと皆さんがわたしの文章を見て思うイメージとは(恐らく!)異なっているでしょう(あまり異なっていなかったらそれは微妙な気持ちです……)。

 このコラムのように比較的固めな文章形式ですと、受け取るイメージも同様に固いものとなるでしょうし、Twitter等気楽に書き込みやすいところでは、くだけた文章も多くなりやすいのでまた異なるイメージを受けることになります。SNSやBlogも、比較的ライトな文章で記載する場面が多いと思いますね。

 ここまでいろいろ書きましたが、現実世界もネットの世界でも共通している点は、

 「あなたの行動があなたのイメージを作り出している

 という点です。「何もしていないのに……」ということはほぼありえないのです。本当に何もしていなければ、相手の記憶に残ることはありません。相手に何らかのイメージを持たれている以上は、あなたが何か行動した結果が大きく影響しているのだと思います。

 自分が見られているイメージが気になるのはよくあることです。そのような際には一度、自分の今までを(文章等も含めて)見直してみると、意外な再発見ができるかも知れませんね。

Comment(13)

コメント

セロ

ネット上ですと、リアクションがあることがありがたかったりします。
現実と比べた場合に、受け手の数の違いもあるとは思いますが、
悪い第一印象を持たれた時に何も言わずに去っていく方もいますしね。

他人のイメージが自己評価と違った場合、どう行動するか。
「俺はこうなんだ!」と自己の道を突っ走るか。
相手の意見をくんで自己の成長の糧とするか。
何にしろ、「この人は人の話を聞かない人だ」なんて思われたら誰も相手にしてくれなくなりますよね。

こんにちは。

このコラム読んで「お前はオレか!?」状態でしたw(いや、私のほうがずっと底は浅いですけども。すみません、失礼な発言です。)
ここ数日同じようなことを考えてました。ネット上で流れていく文章ってその人の「外見」だなぁ...と。

「誤解」されていると思ったとき、それは読み手の問題ではなく、自身の行動が「誤解させている」と思うことは大切だと思います。
ひとつの文章に対して100人の読み手がいた場合、そこからイメージされる自身というのは100通りある。
そこに自身が介入することはできない...と、考えてます。

誤解されたと読み手に責任を押し付けるのではなく、自分の普段の言動を振り返れるようになれたらなぁ...と思うのですがなかなか難しいです(苦笑)

三年寝太郎

プログラムは、思った通りには動かない。書いた通りに動く。
と、新人の頃に先輩に言われました。もう20年近く前の話ですが。

それと同じ様なものですかね。

思い込みがあると間違えに気が付くのも時間がかかります。
自分では気が付かないことも多い。

誰かに指摘してもらえればいいですが、
今の世の中、指摘されないことの方が多い。
些細な失敗さえもしたくない人や、空気を読むのに必死な人が
多くなるのもわかる気がする。

人それぞれ、その人なりの思い込みはあるもの。
それを指摘しあえれば、間違いを繰り返さずにすんで、
もっと速く成長できるのかも。

でも、今はそういう人間関係もなかなかに希薄。
かといって、過度なに濃密な関係は、思い込みから圧力になるケースも多々あり。

相手の為を思ったアドバイス。
その結果が全体のためになれば、それは自分のためにもなる。
そう思えば、出来ることなのかもしれませんが、
出来ない人が多いということは、そう思わない人のほうが多い。
ということか。

ダレゴリラ

初めまして。

大変興味深く読ませていただきました。
というのも最近似たようなことを真逆の立場から考えていましたので。

最近読んだ本の中に「盗人と呼ばれれば、彼は盗む」という言葉がありました。
これを見て、周りが作るイメージ像に当人が引きずられることってあるような気がしました。
確かに、周りが抱く人へのイメージは、その当人が原因になっていることは間違いありません。イメージを与える側の当事者としては肝に銘じておかなければならないことだなぁと思う一方、イメージを抱く側の当事者としてはあまりイメージにとらわれず、本質を見ることを心掛けようと思っています。
どちら側の当事者意識も持ち合わせていたいと思う今日この頃です。

駄文失礼いたしました。

Ahf

みなさんコメントありがとうございます。

>何にしろ、「この人は人の話を聞かない人だ」なんて思われたら誰も
>相手にしてくれなくなりますよね。
(セロさん)

そうですよね。現実、ネット問わずに話を聞かない方というのはスルーされていく事になります。真摯に相手の意見を受け止め、自分の成長の糧とするのがやはり求められることなのだと思います。

>ひとつの文章に対して100人の読み手がいた場合、そこからイメージされる
>自身というのは100通りある。
(nightRavenさん)

受け止められ方は本当に一人一人で異なりますよね。自分が思い描いているイメージのように受け止められない事は、私は多々あります。その都度反省です。
そうしないと自分は成長できないと思いますから。

ちなみに「お前はオレか!?」状態、ちょっと嬉しいですよw

>誰かに指摘してもらえればいいですが、
>今の世の中、指摘されないことの方が多い。
(三年寝太郎さん)

あぁ、これはここ数年で強く感じています。世代の違い等に限らず、場の空気として誰かに対して指摘をすることが躊躇われている感じがある気がしますね。
後半に言われた、「過度なに濃密な関係は、思い込みから圧力になるケースも多々あり」というのが原因の一つなのかも知れませんが・・・。
時代の流れ、とかでかたづけたくはない問題と思っています。

>確かに、周りが抱く人へのイメージは、その当人が原因になっていることは
>間違いありません。イメージを与える側の当事者としては肝に銘じて
>おかなければならないことだなぁと思う一方、イメージを抱く側の当事者と
>してはあまりイメージにとらわれず、本質を見ることを心掛けよう
>と思っています。
(ダレゴリラさん)

そうですね。言われる通りだと思います。イメージを与える側・イメージを抱く側、どちらか片方だけということはありえません。与える側であり抱く側でありますから、両方の意識は必要ですね。
私も改めて気をつけなければ、と思えました。

三年寝太郎

>時代の流れ、とかでかたづけたくはない問題と思っています。

その気持ちはわかります。
ただ、やはり時代の流れなのかもしれません。
少なくとも自分には何が原因なのか自分なりに結論が出てないので、そういうしかないのかなという感じですけど。

弱さは誰もが持っています。
勝ち組、負け組みの二元論は、それが表面化するかどうかを言ってるに過ぎないと思います。
自己責任を極端に主張する人がいますが、そういう人は自分がたまたま運が良かっただけかもしれないなどとは間違えても考えないのかもしれません。
また、不愉快なことに、自己責任という言葉をズルく利用して、単に、保身からそう言ってるだけの人も明らかにいますね。


少し話がそれるかもしれませんが(もしかしたら繋がってるかもしれない)

最近気になっていることを、、、

私は都内に住んでいるのですが、通勤時の電車でここ2,3年で大きく変わったなと思うことがあります。
些細なことなのですが、電車が揺れたり急停車してよろめいたとき、人にぶつかって迷惑をかけてしまった経験のある方は多いと思いますが、その際、「すみません!」「ごめんなさい!」「失礼!」など、一言あるのが以前は当たり前でした。
しかし、最近はそれが無いケースが結構多いんです。。
悪いのはゆれた電車。ということなんだと思いますが。・・・

さらには、姿勢を少し変え時などに靴や腕等が少しぶつかってしまったときなど、自分がアクションした結果、人にぶつかった場合は、自分の行動が切っ掛けだからという意識が働いて、お詫びするのが普通でした。
それが今は、ほぼ皆無です。

そして、そういうコミュニケーションは、いろんな意味で拙いんじゃないのか?

と思いながらも、恐ろしいことにその状況に慣れてしまっている自分が居る。。。
私自身も、ほんの少し当たったぐらいではそういうコミュニケーションをしなくなっている。

見ず知らずの相手とのコミュニケーションは、世代を重ねる毎に、時間の経過と供にどんどん希薄になっていますが、このままいったら、どうなっちゃうんだろうな??
電車の中で、いきなり切れて殴りかかったりするやつが居るのもなんか判る気がするな。
などと、考えても仕方の無いことまで考えて心配てしまいます。

閉塞感が生み出したものなのか?
行き過ぎた個人主義、それに便乗した自己責任追求が、自分は悪くない、誤ったら負け、といった保身的な態度を取らせているのか?
ある意味、リアルなコミュニケーションさえも、ネット掲示板のスレ化しているということなのかもしれない。

いろんな要因が重なってのことなのかもしれませんが、なにか、今までとは違うスキームに世の中が変化している様に感じます。

そんなことを思うのも、私自身が古いタイプの人間だからかもしれないのですが。

未だ新型に感染しないのもそのせいかw
地球の重力に魂を縛られてるのかなww

友ぞう

こんにちは、友ぞうです。

このネット上では特に書いた文章が自分のイメージを決めるというのは
身にしみてわかります。
直接会って話ができれば理解してもらえるらだろうに、
文章ではうまく伝えきれずになんだか違う風に理解されてるな・・・
とよく感じます。

また、書くときも本当はものすごく感情的に揺れ動いた部分を
抑えて書かないと思わぬとことろに飛び火したりして。
ある意味必死に空気を読もうとしたりして。
無用な(本当は無用じゃないんですけど)争いを避けよう、
という気持ちがコミュニケーションを希薄にしているのかもしれません。

私の職場でも、議論がかわされる姿が見られなくなったな、そういえば。
だから、同じ職場にいても印象に残らない人が確かに多い気がします。
いつのまにか入ってきて、いつのまにか辞めてるみたいな。

自分もどう見られてるのかしら。
前は「歯に絹着せぬ物言いをする人」とか「毒舌」とよく言われましたが。
今はなりを潜めてるから「印象のない人」かなあ。
それもさみしいですけど。

Ahf

三年寝太郎さん、友ぞうさんコメントありがとうございます。

>しかし、最近はそれが無いケースが結構多いんです。。
>悪いのはゆれた電車。ということなんだと思いますが。・・・
(三年寝太郎さん)

話題にあげられました電車内の例が非常にわかります。言われるように、最近はちょっとした一言、というのもかなり減ってますよね。もちろんそうでない方もいらっしゃるのですが、割合的には何も言わない人が増えているのでしょう。

ちなみに私も重力に魂を惹かれている側です。ZZまでしかわかりませんがw

>私の職場でも、議論がかわされる姿が見られなくなったな、そういえば。
>だから、同じ職場にいても印象に残らない人が確かに多い気がします。
>いつのまにか入ってきて、いつのまにか辞めてるみたいな。
(友ぞうさん)

私の会社でも「争いを避けよう」という空気は感じますね。
私はそれと議論は別、と考えているのですがどうもそうでもないようで。
あたりさわりなく過ごす事に注力して、会社の中では特に意識に残らなくてもかまわない。そういう考えの人が多くなってきたのでしょうかねぇ・・・。

ちなみに私は会社内では「変わり者」というポジションですw
肩書きを気にしない、偉くなろうとしない、そのあたりが珍しいそうで。

三年寝太郎

専門の知識の範囲でさえも未来の選択肢は幾つもあったり、それ以前に世の中がどういう方向に動いているのかすら判らないから、先のことを考えても自分の小ささを痛感するだけで、備えになるかどうかも判らない。
だったら今に集中した方が良い。ということかもしれないですね。

将来が不安でしょうがない今の世の中だから、先のことは取敢えず置いといて、以前どうしたか?をベースに今どうするか?を考えている。
あらゆるところで、ゴールを決めずに突き進んでいる感があるのは、曽言ういうことなのかも。

考えても、わからない事だらけ。
せめて、身近に居る職場の人とぐらいは、将来のことも考えてコミュニケーションとらなきゃ。とはいっても、誰も、いつまでも今の状態が続くとは思っていないから、それも難しいのか。

だから、「旅の恥は掻き捨て」見たいなことになってるのかもしれませんね。

私は最後まで見たのはZまで。ZZもほとんど判りません。
エマ・シーンのような姉がいたらなぁ。。 って思ってましたww

Ahf

三年寝太郎さんコメントありがとうございます。

ここ何年かは特に将来が不透明になってきましたよね。
そういう世の中だから、コミュニケーションにも影響が出ているというのは当たっているのかも知れません。私としてはもう少しでも、社内に限らず色々コミュニケーションの幅を広げていきたいと思っていますが・・・難しい事が多いです。

>将来が不安でしょうがない今の世の中だから、先のことは取敢えず置いといて、
>以前どうしたか?をベースに今どうするか?を考えている。

そうですねぇ、そのように考えられている方が多い気がします。
私は「とりあえずこれからの3年ほどを何とかこなせ!」という心意気で考えていくようにしていますね。そのあたりが今の自分の限界です。

個人的には、先のことを考え自分の小ささを痛感する、というのはそれほど捨てたモノでもないと思っています。何というか、自分よりも先・上にはまだまだ続きがあるというのがわかる事は、結構プラスだと思うんですよ。

妄想として、自分がトップを走るようなことになったとしたら、それこそ耐えられないでしょうねぇw

三年寝太郎

>何というか、自分よりも先・上にはまだまだ続きがあるというのがわかる事は、結構プラスだと思うんですよ。
>妄想として、自分がトップを走るようなことになったとしたら、それこそ耐えられないでしょうねぇw

そうですね。
認識できるのは大事です。
その上で、
自分の小ささを受け入れずに空威張りするか。
小ささを受け入れて縮こまって、体だけ動かすようになるか。
小ささを受け入れた上で、より大きくなるためにどう頭を使うか。
どう心を奮い立たせるか。
其の他色々。。。

この不況は、これからもう一段、深い底に向かっていきそうです。
そして、長く長く影響は続くでしょう。

個人的には、今は、心や体のしなやかさをどう保つか?が一番重要な気がします。

資格やスキルアップも重要且つ有効。
でも、
元気が一番!元気があれば何でもできる!!
って(笑)

元気があるかどうかで、人からどう見られるかもぜんぜん違ってくると思うので、
実は笑い事じゃすまないぐらい、これから先、切実な問題になるんじゃないか?
なんて思ってます。

そんな理由でここ2ヶ月ほど、整体に行って体のゆがみをとってもらったり、歯のかみ合わせの治療をはじめたりと、ちょっと人とは違った不況対策に精を出していいるところです。
数年後の厄年対策もかねてw

その効果が出始めて、ここ10年ぐらいの間では記憶にない程の体の軽さを自覚してる今日この頃。
自分で言うのもなんですが、10年ぐらい若返った感じww
体が動くって、気持ちいいものです。

Ahf

元気が一番、私も本当にそう思います。
そういった要素って、周囲の人にいいイメージを与えますよね。

三年寝太郎さんは整体ですか・・・。
私も体をひねるとバキバキいうような状態で、整体はいかないとなぁ、と
考えてはいるのですが・・・。

実はマッサージが苦手でしてw

体を揉まれるのが非常にダメなんですよね。こういう私でも整体は大丈夫ですか?

三年寝太郎

> 三年寝太郎さんは整体ですか・・・。

> 私も体をひねるとバキバキいうような状態で、整体はいかないとなぁ、と
考えてはいるのですが・・・。
> 実はマッサージが苦手でしてw

私が行ったところは、モミモミ系ではなくて、しいて言うならグリグリ系ですね。
整体の看板を掲げていましたが、
実際は中国気功とカイロプラクティックを組み合わせた、指圧に近い感じ?でした。
ちょっとイメージとは違ってましたが、行って正解でした。

以前は座った状態で背中を伸ばした姿勢を維持しているのが結構つらかったのが、ほとんど苦にならなくなったので、同僚曰く「表情が柔らかくなったと思う。」とのことです。
立ってる時も、以前はどっちか片方に重心をかけたり、何かに寄りかかったりしていたのが、最近は電車の中でも真直ぐ立ったままで1時間いてもほとんど疲れないし。
ここ2年ほどそれができない状態だになっていた事の意味を考えると、それまでの不節制や意識の低さが怖くなりました。

整体、接骨、カイロ、気功、いろいろありますが、なんにせよ、その人なりの理論や考えを持ってやってるかどうかは重要だと思います。
整体については、いろんな人が、いろんな本を出していますが、その中からいいとこ取りして融合できればいいんでしょうけど、それは不可能に近いのかもしれませんね。

体を使う仕事をしているのだから、ノウハウは頭の中に収まってるものではなくて、体に染み付いている。
言葉として表現できないものも多いだろうし、思考を明文化するのとは訳が違うのでしょうね。

それでも経験を積み重ねるなかで、気づいたことを纏めたり抽象化して、素人にも説明できるレベルかどうか。
それは、どんな仕事やってても、一定の秩序を作り出すために必要な能力だと思うので、常に勉強しているのであれば、時間とともに進歩して行くものでしょうから。
進歩の結果であれば、以前と言ってることが違っても許容出来ますし。

施術を受けながら、そんなこと考えてましたww

> 体を揉まれるのが非常にダメなんですよね。こういう私でも整体は大丈夫ですか?

敏感なんでしょうねw
実は私も苦手です。
脇腹とか絶対無理ww

整体は揉んだりするのはほとんどないと思うので、大丈夫じゃないかと思います。

基本的な考え方は、
普段の姿勢(意識も含めて)が悪いために部分的に筋肉が緊張して、本来あるべきところに骨が収まらなくなったのを、姿勢を変えて筋肉を伸ばしたり、縮めたりして、元の位置に収めることで過度に緊張している部分をなくしていく。
ということみたいです。
それと、特に呼吸とのつながりを殆どの人が言ってます。

意識して緊張状態と弛緩状態を作り出すことで体が元に戻ろうと反応するのを促すような感じなので、グリグリやモミモミやバキバキではないみたいです。

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