あべし -「お前はもう死んでいる」と言われる前に
お前はもう死んでいる、と言われたら
皆さんは「あべし」をご存じでしょうか。
「あべしんぞう」や「あべしんのすけ」や「あべしずえ」の略称ではありません。「あべっかん」の本名でもありません。「ひでぶ」と同じです。説明はHorusさんのコラムを見てください。
北斗の拳ではその前に「お前はもう死んでいる」と、余命0宣告をうけます。そう言われてしまってからでは、「あべし」か「ひでぶ」くらいの遺言(?)しか残せません。一瞬のうちに走馬灯のように過去のことを思い出すのでしょうか? 自分が死ぬとわかったとき、私ははたしてどう思うのでしょうか?
震災で生き方が変わった人も多い
私は長い間、(ときにはデスマーチもあったものの)基本的にはのほほ~んと流されるままに生きてきました。気楽なサラリーマン生活を送ってきました。
そんな私ですが最近になって、サラリーマン以外の、人生山あり谷ありの起業家の話を聞く機会が多くなりました。
起業家の中には、東日本大震災で肉親や親しい人を失ったという人が何人もいました。身近な人の突然の死に直面して、自分も近いうちに死ぬかもしれない、自分の人生はこれで終わってしまっていいのか? と考えるようになったそうです。生き残った自分は生きているうちにやりたいことにチャレンジしてみよう。そう思って起業に踏み切った。そういう人が多いのです。
人は締め切り前にならないと行動しない
人というものは(少なくとも私は)、締め切り前にならないとなかなか行動しないものです。人生はまだ長い。たっぷりある。と思っていると、のほほんとムダに月日をすごしてしまいます。
身近に「死」を感じることで、締め切り効果が発動して、「人生で思い残すことがないように何かやらなきゃ」とやっと思うようになるようです。
でも、そうとわかっているなら、締め切りが近いと思って今のうちから悔いがないようにやりたいことをやっておきたい。私はそう思うようになりました。いつか「お前はもう死んでいる」と言われたら、「あべし」ではなくて「くいなし」と言えるようにしたい、と。
あべしっかんでした。
※後悔がないように、あべっかんの遊び心のあるコラムの開発秘話を公開しました。
「ふざけたコラムの書き方勉強会」も8/10に実施します。悔いがないように参加してくださいw。