そろばんが電卓に。コンピュータにリプレイスされたものたち
「おっ、授業でそろばんをやってるよ!」
ある中学校の授業を見学に行った。1年生の1時間目の授業は珠算だった。
■そろばん
先生用の大きな算盤(そろばん)が黒板に取り付けられている。茶色い枠に目立つ黄色の玉。私の小学校にもこれがあった。算数の授業でやったぞ。しかし、授業でやった以来、私は算盤を使う機会はなかった。だって電卓があるんだもの。
電卓が普及した現在でも珠算教室は健在だ。珠算教室で鍛えられた子は暗算もよくできる。珠算チャンピオンの計算力はものすごい。初心者が書いたプログラムより速そうだ。珠算教室に通うことは計算力をつけ、頭の回転を良くするために効果がある。
しかし珠算教室に通った人以外は、私のように学校で習ったあとは二度と算盤を使うことはないだろう。昭和の前半まではは計算の主役だった算盤。商店街のオヤジも、も家計簿をつける主婦も、悪代官とグルになって皮算用をする越後屋も、みんな算盤を使っていたのに。今では珠算教室以外では見ることのない算盤。
算盤のように、コンピュータの普及によって使われなくなった過去の便利グッズっていくつもある。
■JR時刻表
電車で旅行するとき、ぶ厚い時刻表を開いて電車の時刻を調べ、黄色い蛍光ペンで時刻に色を塗ったものだった。間違えて乗り損なったり、意外な乗換え方法を見つけて嬉しくなったり、ということもあった。それもまた楽しかった。
パソコンが普及してから、「駅すぱあと」が登場した。時刻表を検索するソフトやサイトが一般的になった。駅探にNAVITIME。今では時刻表を買う人はほとんどいない。時刻表は鉄道マニアにしか見られていないのではないだろうか。
■レポート用紙
学生のころは私は実験レポートをレポート用紙に書いた。社会人になってからも、まだパソコンが1人1台なんてなかったから、実験レポートや出張報告書をレポート用紙に書いて提出していた。私の課の課長はなぜか、「ワープロで書いたレポートは読まないぞ。手書きで書け!」と言っていたっけ。
今では、レポート用紙は単なるメモ帳。レポート用紙に書いた直筆の報告書を提出する機会は全くない。読めないような汚い私の直筆が人様の目に触れることはなくなった。
■次に無くなるものは?
コンピュータの普及によってリプレイスされた過去の便利グッズはいくつもある。さて、次に無くなるのはなんだろうか? 辞書や百科事典? いやいやそんな誰でも思いつくようなことを考えていてはダメだ。意外なもの。みんなが思いもしなかったものをITで実現しなくては、次のジョブズにはなれない。
abekkanでした。(コンピュータによる合理化で、無駄なオチは廃止されました!)
コメント
仲澤@失業者
なくなったのは「そろばん」ではなくて「計算の必要性」ですね。
現在ではかつての文化的生活に必要だった色々な必要性が無用になってます。
人はコンテンツは求めますが、ハードとしてのTVがほしいわけではありません。
録画機能も同様です。
つい十数年前までは必要なものや技能だったのですが、
ユーザーはサービスを必要としているだけなので、
それを作ったプログラマと同じハードやそれに対する知識が必要なわけではありません。
従って「いわゆるパソコン」もすぐになくなるでしょうね。
かつては最も重要な技能であった、手で文字を書くという文化も
特殊な場面でたまに必要になるだけの、儀式に近いものになりつつあります。
筋肉も「あればよい」程度の必要性になってきました。
現代では高速で移動するためにそれを必要としません。
Masa
個人的になくなったと思うものといえば「レコーダー」と「辞書」です。
テープデッキとかMDプレーヤーとか使わなくなって久しいし・・・。
今現在なくなってきているものといえば「ラジオ」と「電話」かなぁ。
ネットラジオやSNSが普及してどんどん製品減ってる。
ネットラジオなんて災害のときとかアクセス集中してすぐに使えなくなるから
普通の電波ラジオも残ってほしいんですけどね。難しい感じがしますが。
abekkan
>仲澤@失業者さん
いつもコメントをありがとうございます。
筋肉も不要になる。そして頭脳だけが発達して体は退化し続ける。すると人間が想像した火星人のように、タコのような体になってしまうのでしょうか(?)(笑)
abekkan
>Masaさん
ラジオは車を運転するときは必ず聞きますが、車外では聞くことはありません。昔はみんなが使っていたものも、今では限られた人や場所でしか使われない。ユーザはまだいいのですが、提供する方はたいへんでしょうね!