いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

Webは本当に吐き溜めなのか?

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Webが吐き溜めとというなら自らゲロとなって切り込む

未だに一部の人の間では、Webがいかがわしいもののように扱われる。新聞やら書籍など、紙の媒体やTVにどっぷり浸かってきた世代にそういう人は多くいる。実際は時代に取り残されて寂しい思いをしているのだろう。人は寂しくなると何かを叩きたくなるものだ。

ただ、言い分は一部通っている。悪意をもって情報を発信することもできるので、何も考えずに鵜呑みにしたら痛い目に遭う。実際、ネットでの架空請求にだまされる人は多い。こういうのがやたらとテレビでクローズアップされて、ネットは危ないというイメージが定着しているように思う。

多分、私のコラムも何らかの雑誌で紙媒体で発表されたらそれなりの信用は得られるのかもしれない。ネットで書いているから胡散臭さ満点なのだろうか。コメントなんかでもよく叩かれるので、薄々、胡散臭さの自覚はある。ただ、「胡散臭い!」と弾劾されたはいいが、具体的に何をすればいいか見当がつかない。

そこで、あえて胡散臭さを否定するのを止める。むしろ、胡散臭さを突き抜けて、うんこ臭いところまでたどり着いてやろうじゃないか。逆にそんな闘志に似た感情さえ芽生える。クソコメント大歓迎だ。うんこ同士、仲良くしようぜ!臭いたつ臭気で、荒れ狂うネットの荒波を突っ切ってやるぜ!!

紙は尻を拭く為に用意された

ところで、紙媒体が大好きな方々に聞きたい。エロ本好きか?エロ本は良いよな。紙に印刷された裸体にリアルな息吹を感じる。ページをめくる度に沸き起こる興奮が何にも替えがたい。Webで無機質にスクロールする画像よりも、噛みしめている感がある。そして何より、「禁断の書物」がそこに存在するという背徳感も興奮を誘う。

また、入手するときのドキドキ感もたまらない。いかがわしい書物が並べられた「禁断の地」へと自ら赴き「禁断の書物」を吟味する。快楽と罪悪は隣り合わせなのだろうか、背徳感が興奮を加速させていく。自分の部屋を結界のように固く閉ざし、そして、「禁断の書物」を紐解く。かつて神の楽園でイブが犯した「大罪」の甘さに酔いしれていく。

・・・紙媒体でも充分にいかがわしいじゃないか。「そりゃ、露骨に生身の女性の裸を載せればいかがわしいぞ!」というかもしれないが、世の中には官能小説というのもある。むしろ、中途半端なエロ本よりエロい。そんな本じゃなくて新聞読めというかもしれないが、東スポ(今まだあるのかな)のいかがわしさは、Webに引けを取らない。

媒体は何であれ、いかがわしいコンテンツは平等に存在する。良識を重んじる人が理想に描くような、真っ白に漂白されたフィールドなど存在しない。Webが吐き溜めというなら、紙もまた尻を拭うために消費される。人間には、うんこを受け止めて綺麗に拭い去ってくれる媒体というのは必要だ。

いかがわしいとはなんぞや

誹謗中傷は良くないと言っても、誹謗中傷で人は盛り上がる。昼下がりのオシャレカフェでは、マダム達がお茶を片手に誹謗中傷で話に華を咲かせる。コラムを書いても、ひりたてホカホカのクソコメントが投げられる。普段は紳士、淑女を装っていても、結局みんなうんこ大好きなようだ。自らひり出して、肥溜めに腰まで浸かって「臭い臭い」と喚く。

こういう、うんこ大好きなお友達にキッチリ教えてあげたいのが肥溜めの存在意義だ。なぜ、臭いうんこをわざわざ一カ所に集めるか理解しているだろうか。発酵させて良質の肥料にするためだ。うんこを臭い臭いと忌み嫌っても消える訳ではない。うんこは臭い。だが、発酵させて肥やしに消化させれば、美しい花を咲かせ、かぐわしい香りを放つ。

いかがわしいコンテンツというのも、存在を否定するだけでは何も解決しない。うんこというのは、尻を指で力一杯押さえても、臨界点を超えれば吹き出すものだ。うんこを出すのが罪ではない。出した後に適切に処理をしないのが罪だ。同じように、いかがわしいコンテンツも存在が罪ではない。受け手の感性が未熟だから攻撃や排除という行動に走る。

Web云々もあると思うが、お昼のワイドショーの内容も充分にいかがわしい。有名な新聞社も、真面目な新聞をかいていると思いきや、同じ会社で週刊誌にゴシップを書きまくっている。Webと同じ基準で他の媒体を見ると、同様にいかがわしいと言わざるを得ない。いかがわしいかどうかではなく、どう付き合っていくかという手段を考えた方が賢いように思う。

うんこから肥やしへ

Web媒体だろうが紙媒体だろうが、いかがわしいコンテンツなんていくらでもある。大事なのはどう取捨選択するかだ。あとは試行錯誤だろう。Webをいかがわしいと避ける人の傾向として、権威に寄りかかって試行錯誤の経験が少ない傾向がうかがえる。Webは自分から追っていかないと欲しい情報は得られないし、何も考えずに好き放題やると、カモにされて金銭的な損害が生じることもある。

ただこれはWebに限った事ではない。現実に生活をしていると、普通に騙そうとしている人はウヨウヨいる。ただそれに気付いているか気付いていないかの違いしか無い。むしろ、人を騙そうとする人の方が、媒体が紙だろうがWebだろうが最大限に活用してくる。皮肉な話だが、真面目に仕事やってるような人より、悪人の方が発想がクリエイティブだ。

媒体が紙だろうがWebだろうと関係は無い。目の前のコンテンツに向き合おう。うんこを発酵させれば肥やしになるように、コンテンツをうんこで終わらせるか肥やしに昇華させるかは受け手次第だ。大事なのは、媒体ではなく中身だ。その価値がわかるかどうかは読み手の問題だ。

Comment(2)

コメント

匿名

なるほど。
うんこだという現実をしっかり見つめ、どうやって肥やしにして役立てて行くか考えて行くことが大事だと分かりました。取り繕ったところで見た目は綺麗になっても臭いは隠せませんし。

匿名

あれ・・?タイトル変わってる

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