いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

エンジニアのイメージと現実

»

さぁ、五月病の季節がやってまいりました!

四月。新しい環境に不安と期待に胸を膨らませ、新しい世界に羽を広げた青年たち。知っているか?渡り鳥って羽を広げた時から勝負が始まるんだぜ。広げた羽をたたんだら海に落ちてしまう。広げた羽を、死ぬまで羽ばたかせるっていう過酷な世界だ。次に羽を休めることができるのは、一部の鳥たちだけだ。鳩や雀とは違うんだよ。渡り鳥というのは。

会社と大学はすごく雰囲気が違う。大学生でいる時はあくまでお客様だ。たまに授業を抜け出して、平日の遊園地を恋人と満喫したりと。ある程度の自由を満喫できた。社会人になると基本的に奴隷だ。客や上司に縛られて、やりたくもない愛想笑いで一日が終わる。残業ばっかりで、大学時代の彼女からは「最近冷たくなった」と浮気をされて凹む。

五月になると、新入社員たちも薄々現実に気づき始める。リアルな社畜を目の前にして戦慄し出すのだ。「自分はこんなのになりたかった訳じゃない!」と焦り出す。そうだよ。目の前でブヒブヒ言いながら仕事をしている社畜への道を、一歩、また一歩と歩みを進めているのだよ。大事な何かを捨てるか、鬱になるか、何かに挑むか。ここが人生のターンポイントだぜ。ヒャッハーーー!どうする?ねぇ、どうスルゥゥゥ?

と、擦り切れまくった社会人である私が生ぬるく新社会人たちを観察している訳だ。もちろん半分妬みも入っている。カワイイ同級生連れて目の前で散々いちゃつかれ、女性に縁の無い私としては、非常に嫉しかった訳だよ。そんな君たちが、顔を歪めながらブヒブヒと言っているうちに、喜んで上司の靴を喜んで舐めるような社畜になっていく様を、何度も見てきたのだよ。

新人が社畜に堕ちる理由

かなりブラックな書き出しをしてみた訳だが、現実はやっぱり厳しい。新しく何かを始める人に対する説明が不足しまくっている。潰れる人や社畜一直線な人に共通して言えるのは、自分の入った会社がどういうところなのか、適切に情報が伝わっていなかったことだ。新人を潰す会社にダメ出しするなら、伝える情報を歪め過ぎだ。

会社が歪めたイメージを伝え、学生がそれを本気で信じれば、必ずギャップは生まれる。そこから軋轢が生じて、お互いに不都合な現象が起きる。すごくシンプルな話だ。例えば、会社に入ったら、私のように人として歪みまくったようなのがたくさんいるのだと、始めからそう聞かされたらどうだろう。きっと誰も来ないだろう。

だが、現実は私より歪んだ人などいくらでもいる。会社なんてサバンナ顔負けの弱肉強食喰うか喰われるかの運命(さだめ) Oh Yeah! な世界だ。中身の人もそんな状況を放ったらかしにして、優秀な新人が来て欲しいなんて言っている。客観的に見て狂っているとしか言えない。そんなボケたこと言ってる暇があったら、残業代きちんと払え。定時で仕事が終わるようにきちんと采配しろ。

仕事ってこういうものだと高を括っているから何も良くならない。ただ、根本的なところを突き詰めれば、現実とイメージのギャップなのかと思う。実際に結果が出なくなってるのに、こういうものだというイメージを変えないのだ。逆に、仕事に対するイメージを改めれば上手くいきそうな気もする。新人を社畜に堕とすのも同じ流れだと思う。

・・・これって、何処かで見た構図だ

現実とイメージのギャップ。そう言えば、何処かでよく見てきた。そう。IT系のSIerやってた頃に見てきた、顧客の要件のアレだ。

顧客:「こんなの簡単にできるだろう♪」

営業:「ここのところ、チョイチョイですからこんなくらいでいけますよ!」

エンジニア:「ひでぶ!

結局アレも、顧客とか営業のイメージが現実と乖離しているから起きる。しわ寄せがエンジニアにのしかかって、断末魔の叫びをあげることになる。もうITが普及してどれだけ経つのか知らないが、未だにこういう事例が絶えない。ITを使えない人ほど簡単に機能を実装できると考えてしまうのが不思議だ。普通なら、自分のできないことをやるのだから難しいと見積もると思うのだが。

これがIT業界特有のものかというと、そうではないと思う。「俺が若い頃は」なノリで無茶なことばかり押し付けたり、「このくらいどうにかしろ」といきなり現場でこき使ったりと、このような事例はよく見聞きする。同じノリで客と営業が動けば、IT系でなくても似たような事例はいくらでも起きるし、起きているのを幾度となく見てきた。

これがもし、イメージと現実が一致していたらどうだろう。事態が改善するかどうかは置いておいて、何らか適切な対策は打てるのではないだろうか。なぜイメージと現実が乖離するのか。これは、人である以上ある程度避けて通れないと思う。経験しなければ現実を知ることは難しいからだ。ただ、イメージと現実の乖離を少なく留めることは可能ではないだろうか。

イメージと現実の差

情報を伝える上で、分かりやすく伝えることは重要だ。しかし、情報量が多ければどんなに分かりやすくしたとしても限界がある。また、経験しなければ理解できないことなどいくらでもある。イメージと現実の乖離を少なく留めるには、全てを理解する必要はない。ポイントを押さえて理解すればいいのだ。

逆に、根拠もなくイメージだけが膨らむと、イメージと現実が乖離しやすくなる。さらに、自分の都合の良い方向にイメージを膨らませると、さらに大きく乖離する。将来のビジョンが大事だとよく言われるが、それを実現する手段も同様に大事だ。ビジョンと手段はセットで考えるようにすると、イメージだけ暴走するのは防げそうだ。

会社のイメージとか、上司への心象など、イメージというのは大事にされていると思う。イメージは人を動かすので、大事にされる傾向が強い。しかし、人を動かしても手段がなければ目的は達成できない。新人の採用にしても、エンジニアに振るタスクにしても、イメージだけで判断されると良い結果は得られない。

とは言っても、売るためにイメージを良くしたり、良い人材を採用するためにイメージを良くするのは基本だ。就職するにしても、自分のイメージを良くするのは当然だ。これを止めたら根本的に成り立たない。だったらどうするか。現実を見る訓練、特に自分に都合の悪い事実から目を背けない訓練が必要だと思う。言い方を変えるなら、自分の非を認めるだけの精神的な成熟度というやつだ。これが低いままで社会に出る人が多いから、色々と不都合が多くなる。単純な話なのだ。

Comment(0)

コメント

コメントを投稿する