いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

綺麗事 VS 正論

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駅前ミュージシャンと音楽業界

CDが売れなくなって久しい。ヒットチャートを見ても、やたらとアイドルばかりが目立つ。未だに十年前のアーティストが現役で歌ってて、新しい才能というのが出にくい世の中になったのだろうか。このままいったら、日本から商業的な音楽というのが消滅してしまうのでは?なんて想像すら膨らんでしまう。

では、世の中で音楽をやる人が減ったのか。音楽のレベルが著しく下がったのか。というと、むしろ逆だと思う。仕事の帰りに駅で歌ってる人をよく見かけるが、路上で音楽やってる人のレベルはどんどん上がってると感じる。以前、といっても十年前くらいだが、駅前で歌ってる人と言えば、長渕剛や尾崎豊の真似事をしてる自己満足っぽい人が多かった。最近では、きちんと音楽している人が増えた。

たまに路上で音楽やってる人の話を聞いてみると、思ったよりしっかりしている。音楽の勉強をしっかりしていたり、何を表現したいか明確だ。こういう路肩アーティストが増えれば、自己満足で歌う人にとっては居心地が悪いだろう。自己満足でがなりたてるような歌では、彼らに太刀打ちはできない。実際、上手い人だと人が集まって、CDが売れていたりする。

音楽業界が衰退していく反面、音楽をやっている人のレベルはむしろ上がっている。路上という厳しい市場で鍛えられたアーティストが着実に育っている。音楽業界は衰退しているのではなく、チャンスを掴むことができなくなったというのが正しい。素晴らしい資質は溢れているのに、それをピックアップして育てることができていない。

経営の正論と成果

話は戻って、私たちの仕事のやり方だ。仕事というのは基本的に利益の追求だ。目的に対して真摯に向き合い、結果を出すための手段を論理的に追求。クールな思考と熱いハートで、会社の成長をもって社会に貢献する。・・・というのが一応の触れ込みだが、実現できているのをあまり見たことがない。むしろ逆かもしれない。

「業務改善で効率よく仕事を進める」とか「計画に則って確実に成果を出す」という言い分はよく聞くが、なんか頭がおかしい。言っていること自体は正論だ。仕事をする上で疑う余地は無い。だが、業務改善という割に鉄壁の現行踏襲を貫かれたり、計画に則る以前に計画が破綻していたりと、根本が崩れているケースが多い。個人的な経験からすると、正論を押し付ける人ほどこういう傾向は強い。

これに関しては、色々と思うところや意見等あるだろう。私としては、能力が低いままで正論を追求するとこうなると考えている。正論というのは非常に重い。実行するには能力や意思の力が必要だし、自分を律することができなければ暴走してしまう。それを常識のように語ったところで、実行できる人は限られると思う。

確かに、正論をみんなで実行できれば世の中は良くなると思う。会社だってまともに運営されるだろう。しかしそれは、みんなが正論を実行する能力を備えていなければできない。なので理想論で終わる。みんなが正論を実行する能力が無いならどうする?これに対しての答が無いから、こんな暴走した世の中になっているのではないだろうか。

だったら綺麗事を追求すればいいじゃない

会社で実行できない正論をどう対処すればいいのだろうか。だったら、個人で実行できる綺麗事を追求してはどうだろうか。辞書で調べてみると、綺麗事というのは、実情にそぐわない体裁ばかりを整えた事柄だそうだ。正論の反対の意味になる。どちらかといえば、会社で言ってる正論の方がむしろ綺麗事の意味に一致する。

会社で言われる正論が綺麗事なら、その正論の逆が綺麗事になる。結局、綺麗事と言いながら正論を実行すればいいことになる。言葉にすると複雑だ。反対の反対はその反対のような話だ、話を整理できない人と議論をすると破綻しやすい。なので、綺麗事vs正論の話は、頭の悪そうな人とはしないことにしている。

基本は正論を貫けばいい。だが、ちょっとした条件の変化があるだけで正論というのは覆る。なので、条件が整理できる人でなければ正論は追求できないはずだ。しかしどうだろう。身の回りで条件を整理して話のできる人がどれだけいるだろうか。なかなか難しいと思う。正論云々いう前に、条件を整理できる知能を磨くことの方が大事じゃないだろうか。

「そんなにうまいこと行く訳がないだろう」とツッコミを入れたい方も多いだろう。そういう人にとって私の言葉は綺麗事だ。だが、私はこれが正しいと思うのでそれを追求する。客観的に見れば、私は綺麗事を追求している訳だ。・・・どうだろう。反対の反対だからそのまた反対は反対だ。みたいな話を書いている訳だが、書いている私もしんどくなってきた。

必要なのは路上アーティストたちの素直さ

こういう言葉遊びに奔走しているのが今の日本のビジネスマンだと思う。自分の正当性を訴えるのに必死だ。非常に無駄が多いし疲れる。一方、冒頭に書いた路上アーティストたちは非常にシンプルだ。自分のスキルを高めて聴いている人と向き合う。それだけだ。エンジニアとして、見習うべき姿勢だと思う。本来なら、自分のスキルを高めて現場で通じるか真摯に向き合う。それで十分じゃないだろうか。

何が綺麗事で何が正論か。これを追求したいならそれも結構だ。しかし、条件を整理できるだけの知能はあるだろうか?非常にシンプルな話だ。うだうだ言ってる前に行動しろということだ。行動することで、スキルを磨くなり、知能を高めるなり、成長すればいい。それに尽きる。いきなり無茶な正論に向き合うより、ずっと楽しく実践できるはずだ。

路上アーティストは路上で歌うなと言われても歌う。たまに警察に止められている。だったら、やることが分かってるのだから、彼らの歌うスペースを前もって作ってやればいいと思う。案外、新しい流れが生まれて、日本が音楽で世界的に躍進できるかもしれないぞ。洋楽が世界で通用しているのは、奴らの国では道端で音楽やるのが普通だからだ。奴らはうだうだと能書きを並べずに、ただ音楽と向き合っている。

エンジニアなら技術で勝負だ。いちいち経営のことなど考えなくてもいいわ!となれば、きっと日本も技術大国として返り咲くのではないだろうか。それぞれの立場の人がやるべきことをやれば、結果は自ずと出るはずだ。最後に一言。技術を軸に真っ当な仕事をしたいなら、きちんと新人を育てよう。これは正論だろうか、綺麗事だろうか。いや、どちらでもなく「やるべき事」だろう。

正論とか綺麗事とかどうでもいい。やるべき事に向き合おう。

Comment(11)

コメント

匿名 (中身を読んでいない方)

つまりエクセルでも作成可能なドキュメントについて、生産性の高さを理由により適したツールを使うべきだという正論に対するアンチテーゼですね

Anubis

> 匿名 (中身を読んでいない方) さん
独り言ですか?コラムの内容と繋がってないので、何を言いたいかさっぱり分からん。コメントになってない。論理的な資質に欠ける。


無理して”アンチテーゼ”なんて横文字を使う前に、きちんと会話できるようになってから出直してください。


・・・せっかくだから、"エクセルでも作成可能なドキュメントについて、生産性の高さを理由により適したツールを使うべきだ"みたいなコラムでも書いてみようか。

ksiroi

そこでアウフヘーベンですよ
おっ○いコラムの出番じゃないですかねー?

そろそろ「エクセルでは出来ないことが増えてきた件について」をピックアップして欲しいなー
昔は本当に何でもエクセルで出来たけど、ここ3~4年で状況がガラッと変わってきている気がするんだ
考察とか聞かせてもらえないだろうか

匿名

コメントいただけたことにはちょっとくらい感謝してもいいと思いますよ

Anubis

> ksiroi さん

> おっ○いコラムの出番じゃないですかねー?
すまん。あれ、グーグルの猥褻基準に引っかかって公開停止になったw


> そろそろ「エクセルでは出来ないことが増えてきた件について」をピックアップして欲しいなー
ちょっとネタを考えておきます。ただ、すでに一ヶ月分くらいコラム書き溜めてますので。

匿名 (中身を読んでいない方)

これはいい皮肉wアンチテーゼにもなっているようだ。


筆者は以前仕様書をエクセルで作成する方を否定しておられたが、それは正論であるという論旨では?対して綺麗事はワードのレイアウト機能が使えないのならばエクセルで作成すればよいという意味になり、このコラムの結論はエクセルでもワードでもいいから仕様書の作成に向き合ってほしいということになる。そしておそらく美麗なレイアウトを誇る仕様書が出来上がる・・・保守性も再利用性もないエクセル形式の仕様書が。


ワードを使えない人の視点では、正論をワードによる仕様書作成、綺麗事をエクセルによる仕様書作成に言い換えられるのではないだろうか。


-以下引用-
正論というのは非常に重い。実行するには能力や意思の力が必要だし、自分を律することができなければ暴走してしまう。それを常識のように語ったところで、実行できる人は限られると思う。確かに、正論をみんなで実行できれば世の中は良くなると思う。会社だってまともに運営されるだろう。しかしそれは、みんなが正論を実行する能力を備えていなければできない。なので理想論で終わる。みんなが正論を実行する能力が無いならどうする?これに対しての答が無いから、こんな暴走した世の中になっているのではないだろうか。


会社で実行できない正論をどう対処すればいいのだろうか。だったら、個人で実行できる綺麗事を追求してはどうだろうか。辞書で調べてみると、綺麗事というのは、実情にそぐわない体裁ばかりを整えた事柄だそうだ。正論の反対の意味になる。どちらかといえば、会社で言ってる正論の方がむしろ綺麗事の意味に一致する。
-中略-
正論とか綺麗事とかどうでもいい。やるべき事に向き合おう。

Anubis

> 匿名さん

> コメントいただけたことにはちょっとくらい感謝してもいいと思いますよ

それは言う通りだと思います。ただ、返信を付けてもらったことにはどう思うのでしょうかね?


私のコラムを読んでくだらないと思うのも自由だ。そう言う権利もあると認めているので、内容を読んだ上でコメントを承認している。それだけでも十分に誠意的だと思うのだが。


とは言え、コラムもロクに読まずに煽るようなコメントに対して感謝する理由は無い。迷惑なものは迷惑とはっきり表現させていただいているだけです。何かおかしいでしょうかね。

Anubis

> 匿名 (中身を読んでいない方) さん

本当に出直してきた。


> 筆者は以前仕様書をエクセルで作成する方を否定しておられたが、それは正論であるという論旨では?


そんな論旨ではない。それはあなたの見解だ。このコラムでエクセルについて一言も触れてない。そこからして、話が全く別の方向に展開している。


> 対して綺麗事はワードのレイアウト機能が使えないのならばエクセルで作成すればよいという意味になり


これもあなたの見解だ。否定はしないが私は知らんよ。


> このコラムの結論はエクセルでもワードでもいいから仕様書の作成に向き合ってほしいということになる。


ちょっと待て、このコラムで一言もそんなこと書いてないぞwww


> そしておそらく美麗なレイアウトを誇る仕様書が出来上がる・・・保守性も再利用性もないエクセル形式の仕様書が。


もうコレは完全にあなたの意見です。私は別のこと考えてます。


> ワードを使えない人の視点では、正論をワードによる仕様書作成、綺麗事をエクセルによる仕様書作成に言い換えられるのではないだろうか。


私は以前、仕様書をエクセルで作成する方を否定した記憶はある。だが、それが正論かどうかはどうでもいい。興味もない。そんなのは見る人によっていくらでも受け取り方は変わる。好きにしてくれとしか言えない。


このコラムで一番言いたかったのは、そういう言葉遊びに夢中になってるヒマがあったら、やるべき事に向き合おうということだ。


そこを明確に書いた部分、「こういう言葉遊びに奔走しているのが今の日本のビジネスマンだと思う。」これを引用で略さないで欲しい。意味が歪む。


意見自体は否定しない。それをきっかけにドキュメントの作り方に真摯に向き合えば、何らか得るものはあると思う。だがそれとは別に、コラムで訴えたことと真反対のことを、ここまで見事にやってのけられると流石に私も言葉を失う。

ksiroi

> すまん。あれ、グーグルの猥褻基準に引っかかって公開停止になったw
まじかwww

アンチテーゼ匿名氏はもしかして弁証法をご存知でない可能性...
エヴァエヴァしたいお年頃なのかな...

山無駄

「業務改善で効率よく仕事を進める」とか「計画に則って確実に成果を出す」は、果たして正論なのだろうか?言葉としては間違っていないけど、論にはなっていない気がする。


目的が経営成果を出すことであるなら、効率よく仕事を進めても、計画に通りに仕事をして成果をだしても、それが必ずしも経営成果というわけではない。間違った効率化もあるし、間違った計画も世の中には多く存在する。それは著者の言う通り。


正論というからには、何が目的で、何をしたくて、どういう計画をてて、何を実行するかを、きっちり道理として言わないといけない。そして、そのロジックが正しいと”思われて”、はじめて正論になるのでは。問題は、正論っぽいけど道理が見当たらない似非正論をいう声高に振りかざす輩がいるから、面倒くさいのだ。


そんな似非正論に振り回されず、自分が信じる行動に出ろ、という言い分も同意。

でも、ちゃんとした正論を考えてみるのも大切なような気がする、今日この頃。

Anuis

> 山無駄 さん

コメントありがとうございます。


コラムを書いていると、たまに言葉を追いすぎて話を見失うことがある。これじゃまずいが、コラムのネタにはなるかと思って書いたのがこのコラムです。正論を追求してみるが、なんかいつも、ベストな手段とズレを感じてしまう。ここれ辺をどう解決すればいいかなぁと思いながら書いてました。


コメントを読んでいて、客観的に説明が通ることが山無駄 さんの言う正論の条件の一つのように思いました。適切な正論を導き出して、行動に一致させれることができればベストですよね。

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