いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

キャリアとかぼやく前に自分のやるべきことをやれ

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キャリアなど所詮は机上の空論

 コラムニストにキャリアコンサルの方がいるのにこういうことを言うと、完全に喧嘩売ってる感じになるかもしれない。だが、そういう目的は無い。始めに断っておくが、今回のコラムはあくまで私の主観で書く。自分の周りの人から聞くキャリアの話は、行き着くところ経歴書に書ける項目を増やすことと、社内評価を上げるための手段に過ぎない。それがキャリアと言うなら、目の前の仕事をキチンとやって欲しい。

 また、キャリア目的で取得した資格をスキルとしては数えていない。目的を達した後に努力をしなくなるからだ。ついでに言うと、資格を取得するための努力しかしていないので、身につけた知識を現場で全く使えない。資格を取った人の実質的な技量の高さは、資格を取った後に何をしたかを聞けば簡単に判別が付く。

 空手で二段を持っていようと弱い奴は弱い。格闘技経験が無くても喧嘩慣れしていて強い奴もいる。どういう経緯で強かろうと、強い者は強いのだ。エンジニアでも同じだ。スキルの低い人はスキルが低い。スキルが高い人はスキルが高い。どんな肩書きで飾ろうと、その事実は覆せない。

 事実を認めずに自分を実力以上に高く見せるためにキャリアを使うなら、エンジニアという土俵から速やかに退場した方が身のためだと思う。スキルに見合わない肩書きは、自分だけでなく他人も不幸にする。誰かさんの肩書きやメンツのために働くというのは仕事として価値が無い。社会の贅肉にしかならないので潔く仕事辞めてくれ。

おまえの言うキャリアはただの逃げだ

 キャリアを熱く語る人の話をよく聞くと、単に逃げだったりすることがある。「得意分野は何々だから~」の裏を返せば、「苦手分野に関わりたくない」だ。キャリアという言葉を使うと、ここら辺を綺麗にごまかせる。キャリアに頼りすぎるとこういう弱点を逆に見透かされるので注意しよう。

 理想のキャリアを追い求めている内はいつまで経っても半人前だ。実際、大企業なんかで理想のキャリアを追い求め、実際に歩んで来た人がみんな半人前だった。計画した通りの道を歩んだという実績は確かに素晴らしい。だが、ITのスキルとは別の話だ。こういう人と関わった現場は必ず炎上してた。それでも一人前として振る舞われるので、迷惑以外の何者でもなかった。

 実際に成長したいなら、自分が望んだ成長を即す課題と、自分が望まないけど成長を即す課題。両方をクリアしていくことが必要だ。また、自分に心地よいが堕落する考え方というのもある。自分が望むものばかり選りすぐりしてたら、自分が望んだ成長を即す課題しかこなさない。伸び悩んでも、自分に心地よい堕落する考え方しかしない。

 結局、キャリアを理由に自分の趣向でしか動かないのなら、どんなに頑張っても半人前にしかなれない。理想のキャリアを追いすぎると、成長速度が鈍ってついて行けなくなった時点で腐る。自分の理想しか見ない人に現実は見えない。そういう人がプロジェクトを仕切ると必ず炎上する。

基準は何に取り組んだかだ

 すごく当たり前な話だが、どれだけ目の前の問題を解決したか、新しいものを創ったか。これがエンジニアの全てだと思う。ちなみに、どれだけ着実に作業をこなしたかが基準になるのはオペレータだ。どれだけの人間関係をクリアしたかが基準になるのは社畜だ。これはどれだけクリアしようと、実質的な利益は生まない。

 会社で働いていて、人間関係の解決を多く求められるなら、社畜として行動を徹底すればキャリアは積める。だが、エンジニアとしてのスキルとトレードオフだと考えておこう。言われたことを着実にこなすだけこなせれば、オペレータとして優秀になることはできる。それぞれに考え方があるので、あえて否定はしない。

 どういうやり方をしようと個人の裁量だ。だが、社畜としての行動に徹しているのに、エンジニアとしてキャリアを積んでいると勘違いしたり、オペレータとしての努力しかしていないのに、エンジニアとしてスキルを積んでいると勘違いをすると、非常に痛い目に遭う遭う。何をどう取り組むにしても、トレードオフだ。

 結局のところ、何を望もうとやらなければならないことはやらなければならない。選りすぐる前にやれるだけはやってみよう。自分のやるべきことを選べる人など、結局のところ一握りだ。ただ、自分のやってることが何なのかは認識しておこう。自分の求めているものと違っていないかはチェックするためにだ。

得たいものを得ろ

 私は仕事で人間関係に奔走する人は嫌いだ。だが、私が嫌いであろうと、その人にはその人の役目がある。そこは否定してはいけないだろう。私はそういう人をあえて社畜と蔑むが、それに何らかの価値を見出すのであれば、まずそれを得て欲しい。でなければ、それが何なのか考えようもないと思う。

 逆に、私のように技術にしか能の無い偏った人間になりたくないと思う人もいると思う。だったら、そうならなければいい。まず、自分の思い描くものにまずなって欲しい。とりあえず、何かを得て欲しい。何かを得れば、それを起点に何らか動ける。そして次の活路を見出して欲しい。

 目指したはいいが、思い通りにいかなかった。色々と失ってしまうこともあるかもしれない。それでもいい。次を考える材料になる。失った分、何かで取り戻して欲しい。ただ、雄弁にキャリアを語るだけで何も動けなくなる。これが一番のリスクだと思う。語るにしても、手元に何も無いので薄っぺらにしかならない。

 最近の就活生を見ていて思う。やたらと語りばかりが先行して薄っぺらい。ビジョンばかり語って中身が抜けまくっている。これは、そういう語りでばかり判断したがる先人、つまり私たちの責任だろう。相手に都合のよい返答ばかり求めてはいないだろうか。都合の悪い言葉にたいして、適切に返答できるだろうか。自分達の実力不足を次の世代に丸投げしてるようで、申し訳無い限りだ。

 だから次の世代の人には言っておきたい。キャリアとかぼやく前に動け。己の行動と結果をもって相手に示せ。それでも分からないようなジジイは思いっきりぶん殴って次に行け。私も振り上げた右手を受け止められるくらいには精進しておこうと思う。それぞれが得ようと思い描くもの、それが得られることを祈る。

Comment(1)

コメント

ブルボンちぢみ

経歴書に書ける項目「と」増やすことと→「を」ですよね?

読み終えて、ふと、キャリアという単語を学歴に置き換えても話が通るなぁ〜と感じました。
学歴さえ持って入れば仕事なんかできなくたって給料がもらえる「階級」が存在するのは歴然たる事実です。
私企業が箔付けのために高学歴の役員をやというのは一向に構いません。
しかし、役所にこれをやられて、ブタどものために血税が使われていることを考えると怒りが収まりません。

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