いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

シェル芸人たち -- 現代に蘇ったサムライ --

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刀をシェルに持ち替えたサムライたち

 みなさんは「シェル芸」という言葉を聞いたことがあるだろうか。シェル芸とは、シェルのコマンドを駆使して、要求された演算処理をワンライナーで瞬時に処理する技術体系の総称である。現在、幾つかの流派のようなものがあるようだ。この「シェル芸」を使うIT技術者は「シェル芸人」と呼ばれている。

 「シェル芸人」という一見コミカルな呼称だが、一節によると、コマンドラインだけで物理的にサーバを破壊することすら可能らしい。Twitterの140文字制限でバイナリを直書きしてコミュニケーションんを取ったり、即興で暗号化の解析をして遊ぶ等、一般的な常識を逸脱した技術力を誇る。

 Unix系のツールさえ使えればどんなところでも己の技術を発揮できる。己の技を極限に研ぎ澄まし、いかなる困難にも立ち向かっていく。信じるものは、ツールの性能ではなく、あくまで鍛え上げた自分自身。シェル芸人とは、まさに現代に蘇った、Unixを使うサムライだ。

 シェル芸人たちには、現代人が忘れてしまった「魂」が今も息づいている。かつてのサムライ達が剣の道を追い求めたように、彼らはコマンドラインという一本の道を、ただ黙々と追求し続ける。彼らは、刀をシェルに持ち替えた現代のサムライだ。

私達が受け継ぐことを忘れた魂がそこにあった

 二ヶ月に一度、シェル芸人たちは普段から鍛え上げた技を確かめるために「シェル芸勉強会」を開き、東京、大阪(サテライト)、福岡(サテライト)に集う。通常、IT勉強会といえばお昼から夕方18:00までということが多いが、かれらは朝から集う。そして、朝の部で発表を行い、昼から実践の部を行う。

 シェル芸人たちは、己を鍛えるだけでなく優しさを忘れていない。実践の部では、グループ分けをするのだが、数々の修羅場をくぐり抜けた練達と、駆け出しの者とをバランスよく組ませる。出題される過酷なミッション (問題) に対して、共に助け合い挑んでいくのだ。

 このミッションの難易度がちょっとおかしい。単体のコマンドに対する知識が並大抵ではない。しかも彼らは、それらの知識を巧みに組み合わせ、凄まじい発想力をいかんなく発揮する。これは単なる知識では太刀打ちができない。シェル芸人たちは実践を通じて身につけた考える力、知恵を駆使して問題に臨んでいる。その姿勢には感服せざるを得ない。

 彼らの強さは、ただの技術力だけではない。己を鍛え上げる過程で学んだ魂の強さだ。困難なミッションに挫けない精神的な強さ。お互いを支え合う優しさ。あらゆる発想を駆使する柔軟さ。未熟な者を見捨てない寛容さ。シェル芸を学ぶことで、私達の忘れてしまった魂を呼び戻せるのかもしれない。

技術に真摯に向き合うということ

 彼らに課せられるミッション (勉強会で出題される問題) は過酷だ。私もコマンドラインツールの扱いには多少の覚えはあったので、「シェル芸勉強会」に挑んだことがある。初回参加時には十題中一問も手が出なかった。IT系の勉強会でこんなにも打ちのめされたのは、後にも先にもこの「シェル芸勉強会」以外にない。

 それでいて、今もなお私はシェル芸というのに魅せられ続けている。シェル芸は打ちのめされてからが本番だ。シェル芸人たちはそのことを知っている。それ故か、お互いにマサカリを投げるような野蛮なことはしない。彼らが投げかけるのは、マサカリではなく問題提起だ。

 未だに私は彼らに追いつけない。そして、些細なことでマサカリを投げあう自分の器の小ささを知った。シェル芸人たちに巡りあうことで、僅かばかりかもしれないが、自分を変えられた気がする。プロジェクトで多少評価されようと、舞い上がることがなくなり、冷静に事故を見つめることができるようになった。おかげで、己を見失わずに済んでいる。

 エンジニアとして技術に真摯に向き合う事は大事だ。結果や成果にばかり目がいって、考えることがおろそかになっていないだろうか。目新しいものばかり追い求めて、本質が抜けていないだろうか。私がシェル芸勉強会で学んだのは、単なるコマンドラインの操作だけではない。エンジニアとしてどうあるかという、アイデンティティーを学んだ。

君も現代に生きるサムライになりたくないか

 人が生きるとはどういうことだろうか。これから人工知能が発達していけば、やがてそういうことが問われるようになっていくだろう。どんなに人工知能が発達しようと、はっきり言えることがある。魂は人にしか持てない。

 世の中が平和になったので、かつてのサムライたちは刀を持たなくなった。同じように、人工知能が発達すれば、シェル芸人たちはコマンドを叩く必要がなくなるのかもしれない。だが、人として生きる以上、何らかの困難に立ち向かい続けるだろう。そして、その時代にふさわしい何かを手に挑み続けるだろう。

 何かに挑み続けること。これこそが人が人として生きている証だと思う。どんなに人工知能が発達しようと、これは変わることがない。多くのお金を得るにしても、素敵な異性の心を射止めるにしても、何かに挑むことは避けられない。挑んだ末に成し遂げてこそ、お金や異性が輝いて見えるものだ。

 12月も終わりだ。そろそろお正月の休みに何をするか気になる頃だろう。人生に与えられた時間は思うより短い。仕事以外に自由に使える時間は更に少ない。そんな与えられた貴重な時間に、己を見つめてはみないか。

-- Software Design 2017年1月号 --
第1特集
[新春bash書き初め]シェル30本ノック問題を解いて基本&応用力を鍛える
2016年12月17日発売。B5判/184ページ 定価(本体1,220円+税)

たかがシェルと思うなかれ。シェル芸人の魂を感じろ。そして、己の技術力で挑め。そして君もこの本を手に、現代を駆け抜けるサムライになろう。

Comment(2)

コメント

余計なお世話

:s/一脱/逸脱/

さらに

s/コミュニケーションんを/コミュニケーションを/

余談ですが、「プログラムを新たに書いたりせず、コマンドライン一発で片づけてしまう」という雰囲気からは、「シェル芸人」というより「シェル職人」という感じですね。まあ、「あえてシェルスクリプトを書かずに無理くり一行スクリプトでやっつけることに喜びを感じる」ということに関するユーモアを含めた呼び方かなとも思いますが。

さらに余談ですが、私は「シェル芸」という言葉を知りませんでした。そういうのは(記事中にもあるように)「ワンライナー」としか呼んでなかったし、それをやる人のことは「一行野郎」と呼ぶと思ってた。

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