いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

見える化より言えるか

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見える化以前の問題

 見える化というのが問題解決の方法として有効だというのはよく聞く。見える化することによって問題が浮き彫りになり、何を対応すれば良いか明確になるからだ。しかし、現実はそんな一般論に収まらない。見える化することで、致命的な打撃を受けていることが明確になることもある。

 まず一つめの「言えるか」。これは、見える化によって浮き彫りになった問題を、正直に「言えるか?」ということだ。致命的なミスが発覚して、それが自分のせいだったら。また、不正をしているのを発見してしまったら。もう、プロジェクトの成功が絶望的なのが明らかになったら。なかなか言えるものではない。

 せっかく見える化しても、都合よく事実をねじ曲げたら意味がない。お金をかけたんだから、次のビジネスチャンスに繋がるヒントが得られると安易に想像してはいけない。そういうものは、自分たちの積み重ねてきた負債を解消してからでないと見えてこない。

 都合の悪い現実を受け入れる勇気。これが無ければ見える化しても何もよくならない。都合の悪い報告でも正直にできる環境を作ること。これが見える化をする前に必要でないかと思う。そうしないと、見えるだけ見えて、見なかったことにされかねない。

見えるようにするまでの問題

 さて、いよいよ見える化にとりかかろう!・・・というところで、何を見える化したいか説明できるだろうか。しっかり要件定義しろということだ。これが二つめの「言えるか」だ。要件定義もできていないのに見える化しても、見えたものが何なのか認識できない。

 見える化する上で、見たいものと見えたものが一致することが重要だ。見たいものがはっきりしなかったら、見せる側も見せようがない。どういう切り口で分析するかで見え方も大きく違ってくる。何が見たいかはっきりしておかないと、見当違いな結果が報告されてしまう。

 「○○の資料を作って」とか「○○をドキュメントにまとめておいて」という指示をするときに、なぜそれを作るのか、何に使うか説明できるだろうか。目的もなく作ったドキュメントは役に立たない。作るだけ徒労だ。納得も得られないのでモチベーションも保てない。作るだけ損をする。

 説明ができないというのは損失が大きい。どのくらい損失が大きいかは、説明できるようにならないと理解できない。辿り着いた人しか分からない境地なので、その境地に辿り着くしかない。見える化の前に、何を見える化したいか目的と理由を説明できるようにしよう。

見えるようにした後の問題

 見える化をすることでいろいろな問題が浮き彫りになる。そうすると、いろいろな人がいろいろな意見を言う。個人で取り組んだとしても、いろいろな要素がからんで様々な見解が浮かぶ。三つめの「言えるか」は、結論を言えるかだ。

 映画やドラマの感想なら、べつにまとまっていなくてもいい。それぞれの感性の赴くままに想像を巡らせてくれ。だが、何かの行動をともなう場合はご勘弁願いたい。見るだけ見て感性の赴くままに感想を述べられても、それをどう結果に結びつけるか、動く側がえらく苦労する。

 結論がまとまらなければ、次の行動がブレる。三人が別々の見解で動けば、それぞれが別々の方向へ行ってしまう。個人の中でいろいろな見解をもったとしたら、場合分けして整理しないと考えがまとまらない。結論をまとめるということは、方向をまとめるということだ。

 見た後の結論が説明できないということは、見たことに対して結果が得られていないことになる。ただし、得られた結果に対して相手が納得いくかどうかは別問題だ。ここを混同すると、事実は捻じ曲げられる。都合の悪い事実でもキッチリまとめて報告すればいい。どう思うか、どうするかは次の問題だ。

見える化で結果を得るための条件

 「言えるか」というのは、「言えるか?」と「言える化」を掛けた私の造語だ。言えるかどうかという精神的な条件と、説明できるだけの論理性。この二つの条件をクリアして、言葉で表現できること。これが「言えるか」だ。これは、見える化を行う前にクリアしておく条件だと考えている。

 ただ、理論的に説明できるというのが、心地よい返答をすること、無難な返答をすること、都合のよい返答をすることと勘違いしている人は多い。理論的かどうかは、このような条件とは全く別の次元の話だ。見える化の目的でこのようなものを求めるのであれば、データを分析するのではなく、ドラマや映画でも見て寝ていて頂けると助かる。

 見える化の目的は、事実を正しく把握することだ。そこに対人関係の都合やら心地よさを求めてはいけない。見えたものは見えたものと受け取ればいい。都合が悪いものが明らかになったら、適切に対応して良い結果に繋げればいいのだ。見える化で得た現在の状況にいちいち動揺してはいけない。あくまで結果を得るためのワンステップに過ぎないのだから。

 普段から筋道を立てて説明をする習慣がなければ、能力的に見える化はできない。どんなに便利なツールを使おうと、どれだけ高度な手法を取り入れようと、元々の知性と冷静さが無ければ時間だけ無駄に食い潰すだけだ。ITを活用して見える化もいいが、そのまえにアナログな人間依存な泥臭い「言えるか」に取り組んでみてはいかがだろうか。

Comment(1)

コメント

天狗の高下駄

周りのレベルに合わせて発言してよ(何一人でマジになってんの)
理屈何て後回しで良いんだよ(こいつうざい)
そこまではっきり言う必要あるんですか(何この人恐い)

「言えるか」においては、周囲の認識不足による上記のような謗りを受ける覚悟がいる。(ってか、私は言われ続けてきた)

でもよく言われることだけど、言わずに後悔するならいって後悔する方がましだと思っているので、このスタイルはやめない。

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