納期を守るという嘘
■悪魔に心を売ってでも納期を守る
ちょうど10年前くらいにこんな記事が出ていた。どうしても守れない納期に対してどうするかという話だ。この記事を読んで思ったのだが、現在ではどう比率が変わっているのだろうか。
今読んでもこの記事の内容が通じるように思う。だとすれば、今でも現状はさして変わっていないように思う。体感的に言えば、リーマンショック以後、一段階労働環境の質がダウンしたように思う。納期や予算が絶望的な現場は増えているのかもしれない。
心といってもいろいろある。悪魔に売るのは良心だろうか?むしろ、平常心や不動心を売ったように思う。納期、納期という人は大概落ち着きが無い。何かと急かしたり、焦らせる発言が多い。
確かに、悪魔に心を売ってでもというのはしっくりくる。売った料金が、会社から貰う給料なのだろう。しかしよく考えてみよう。別にそこまでしなくても会社から給料は出る。売らなくてもいいものを悪魔に売っちゃってないだろうか。
■守る価値のない納期
ぶっちゃけ、納期が守れないのはエンジニアの技術不足だけが原因とは限らない。どうやれば実現できたかという観点から逆算すると、企業や客の方が無理難題を押し付けている。ただ、「お前の責任だ!」と強く言われるので、そう思ってしまうだけだ。
そういう観点から見て、「悪魔に心を売ってでも」と思った時点でマヌケだ。自分の頭で考える習慣に欠けている。納期が守れないということは、何かが足りないから守れないのだ。足りないものを補わずに、納期だけ守っても一時しのぎにしかならない。借金して買い物してるのと同じだ。
納期を守ることは大事だが、できないものはできない。「いや、でも信頼というのがあるだろ」と言うかもしれない。しかし、できないものをできないと言えない間柄を信頼と言えるだろうか?何か一方的な感じがする。
■守れない納期と嘘
守れない納期を守ると必ず嘘をつくことになる。簡単な話だ。実現できなかった目標を実現したと偽るのだ。それを嘘と言わずに何と言おうか。しかも、嘘をついてお金を貰うことになる。まさに「嘘つきは泥棒の始まり」といったところだ。
納期が守れないということは、単純に能力が無いか要求が高すぎるかのどちらかだ。気合いとか義務感だけで現実は覆らない。納期が守れないなら、どこかに妥協点を見出すのが現実的だろう。
「いや、できないなら残業するなり休日出勤してでもやるものだろ」と言う人もいるかもしれない。だが、こういう人は自分に嘘をつくことになる。本来の業務時間内で実現できないものを、時間外で片付ける。最終的に納期に間に合えば「できた」という認識を持つ。
この「できた」という認識がいろいろな不幸を招く。無理すればできるものを普通にできると認識してしまうので、無理するのが普通になる。無理をすることに「まずい」という危機感を感じなくなる。
危機感を感じないので、工夫したり考えたりしなくなる。「頑張ってなんとかすればいいや」と、無知化してしまう。これは考えるのが仕事のエンジニアにとっては致命的だと思う。
■嘘をつき過ぎると現実が見えなくなる
嘘というのは、事実と違うことだ。ただ、人間である以上、すべての事実を正確に見通すことは不可能だ。嘘を全くつかずに生きることは不可能だろう。そこで大事になるのは、事実を見ようとしているか、自分の都合で見ようとしているかという視点になる。嘘を避けようとしているか、していないかだ。
正しくものを見ようとするなら、いろいろなことを考えたり、自分の不利になることでも受け入れる必要がある。いろいろ大変だ。それだけ、物事を正しく見るというのは難易度が高い。正しく見た後に、妥当な行動を取るのは更に難易度が高い。
その点、ごまかすのは簡単だ。何も考えなくてもできる。最短で利益を得たいなら、確かにごまかす方が簡単だ。しかし、後から必ずツケが回ってくる。現代のビジネスは過剰にスピードを求める。もう、ごまかし抜きではついていけないのかもしれない。
単純な話で、ごまかすにも代償が伴うというだけのことだ。ごまかした分だけ、現実が見えなくなって損失を被る。それだけだ。エンジニアにとって、物事を正確に見極めることは大事だ。納期を守るためというより、ごまかさずに済むように普段から技術は磨いておきたいものだ。