「すごいぞ!ラピュタは本当にあったんだ!」
「いや、そんなもんねーぞ!」
またまたあべっかんさんの書き出しをパクりたくなったのでパクった。ジブリの名台詞で綴るコラム Part2です。さすがにちょっと息切れしてきたが、気合で書いてみた。このセリフでコラムを書いて欲しいという要求を出すのは止めません。だが、その一言で止まるのは、多分、私の息の根だ。
■そもそもラピュタとは
ラピュタとは、『天空の城ラピュタ』(てんくうのしろラピュタ)という、スタジオジブリ制作の宮崎駿監督の長編アニメーション作品に出てくる、巨大な空中都市の名前だ。ガリバー旅行記にでていたのを元にアニメーションがか書かれたらしい。
ラピュタは空中に浮かぶ巨大都市で、高度な文明が栄えていたそうだ。そこには、現代の文明でも実現できないような高度な技術が存在している。そして、人々がいなくなった今も、空中を彷徨っているとのことだ・・。
個人的に言わせていただくと、大ヒットしたがため、一般にも受け入れられるようになったのだと思う。ヒットしてなかったら、オタク向け聖典みたいな扱いを受け続けているのだろうと思った。
とりあえず、ラピュタは実在しないのはお分かり頂けたと思う。こんなに力説する必要も無いくらいの常識だ。そもそも、そんなものが浮かんでたら、とうに発見されて世の中の常識を覆している。
■それでもラピュタは本当にあったんだ
いつだったか、天空の城ラピュタがテレビで放映された時、主人公のキメ台詞「バルス!」でツイッターのサーバが落ちたという事件があった。バルスで落ちたのが、天空の城ではなく、ツイッターのサーバだったのが印象的だ。
実在しない存在が実在するサーバに影響を与える。いや、考え方の視点を変えれば、実在するサーバに影響を与えた時点で実在すると言えるのではないだろうか。ちょっと哲学的な話になるかもしれないが、実在しないものは実在するものに影響を及ぼせないはずだ。影響を及ぼした段階で実在しないという定義が崩れる。
ただ、現実世界にラピュタは存在しない。では、どこにラピュタはあるのだろうか。それは、僕たちの心の中にラピュタはあるんだ。現代社会に汚れきった心の片隅で、僕たちを見守るように浮かんでいるに違いない・・・。
■エンジニアにはラピュタが見えるはずだ
私はこう思う。エンジニアはそんなラピュタのようなものを見て仕事をしているのではないかと。例えば、C言語のポインタなんてどうだろう。現実には存在しない。しかし、プログラムの実行速度に多大な影響を与える。
では、ポインタとは何処にあるのだろうか。それは、概念としてプログラマの心の中に存在している。普通の人では認識できない、そういうものを相手に仕事をしているのだ。ポインタの話を普通の人にしたら、意味のわからないファンタジーみたいに聞こえてしまう。分かる人にしか認識できないのだ。
このように、現実に大きな影響を与える概念というのはいろいろある。目に見えるもの、手で触れられるものだけが実在ではない。考えてみると、プログラムというのは機械を動かすための言語だ。捉え方によっては、言葉で物が動いているとも言える。
■目に見えるものが全てじゃない
プログラムの実在とは何なのか。これを突き詰めても複雑な言葉遊びになるだけだ。私が思うのは、世の中の事象の大半は、むしろ目に見えないようなもので動いているのではないだろうか。ということだ。
現代人は「唯物論」を起点にものを考える傾向が強い。確かに、動く対象は物質だが、動く原因や根拠、仕組みは物質ではない。唯物論的なものの見方って、案外視野が狭いのかとも思う。
エンジニアは普通の人には認識できないものと向き合って仕事をしている。そう考えると、科学的な反面、非常に哲学的な面もある人種ではないかと思う。普段向き合っている技術も、見る側面を変えると、全く違ったものに見えてくるものだ。
コメント
夢夢
>非常に哲学的な面もある人種ではないかと思う。
俺もそう思う。
開発業務をしているとイデア界を感じてしまう。