学校に部活動いらねーんじゃね?
■部活という弊害
高校生の頃から「部活やってたら馬鹿になるんじゃね?」と疑問に思っていた。そして最近答えが出た。馬鹿になるかどうかは人次第だ。だが、部活には弊害が多すぎる。得るものより失うものの方が多い。
そもそも、存在理由がよく分からない。学校は授業で十分教育の義務を果たしている。就業後に教師と生徒を拘束して、学校の名誉のために酷使する。冷静に考えるとすさまじいブラックっぷりだ。
ちなみに私は中学のころ、剣道部に属していた。中高一貫教育の学校だったので、部員もそのままエスカレータ式に高校に入ってくる。そして同じ剣道部に入った。そしたら、中学の頃の剣道部のメンバーが、高校に入ってから勝つことしか考えなくなったのをハッキリ覚えている。そこに疑問を感じて剣道部を辞めた。そして町の道場に通うようになった。(ちなみに私は剣道二段もってます。得意な武器はヌンチャクです)
■パワハラの起源
まず、部活が無くなった方がいいという理由。それは、顧問の腐りっぷりだ。自分の学校はまだマシな方だったが、他校は凄かった。試合で負けた部員を面の上から踏みつけて蹴り飛ばしてた。今思えば、パワハラ以外の何物でもない。今でも、一線を超えてしまった顧問が、セクハラ、パワハラでたまに新聞に載る。他の部活をやってる人に話を聞くと、程度に差こそあれ珍しい話でもないようだ。
部活のメリットとして、上下関係の礼儀が身につくというのをよく聞く。とんでもない。一年早く生まれたというだけの理由で、後輩を小間使いしたり、軽はずみにしごくのが礼儀だろうか。上に立つ以上、責任が伴う事を全く教えていない。人に指示を出す時、理由を説明する事も教えない。そもそも、顧問も権力を振りかざして好き放題やっていた。教育的な効果はむしろマイナスと考える。
高校からこんなことやってたら、そりゃ社会に出てからパワハラやらセクハラをやるだろう。労働に対する価値観が歪んでも不思議は無い。違和感すら感じることもないので、直そうという気すら起きない。思えば恐ろしいものだ。
■そして燃え尽きる
例えば、部活で剣道をやってた人が今も剣道を続けていることは少ない。他の部活も同じだ。高校の頃、スポーツをやってた人は大勢いるが、社会人になっても続けてる人は皆無だ。部活で、身体を動かすことが楽しいと思えたなら、大学でも続けるし、社会人になっても続けたいと思うはずだ。
中学、高校と勝つ事ばかり強いられて酷使されてきたら、普通なら燃え尽きる。当たり前だ。部活動という世界は、学校を卒業したその後を想定していない。短期的な結果を出すことに終始している。これって、現代の日本人の働き方そのままだ。
部活をやることで、目の前の結果に対する瞬発力はつくと思う。だが、長期的なプランを練る訓練が致命的に欠ける。部活では、十年レベルの長期プランで成果を出す人を見ることができない。長期プランを若い時期に身につけられないのは、大きな損失だ。
■そこで解決案だ
いっそ、学校から部活を無くして、社会人や定年退職した人も参加できるグローバルなものにしたらどうだろう。学校という管轄を離れるので、教師の負担も減る。授業に集中できるし、労働の負担も減るので、教育の質の向上も望める。学生も社会人や地域と触れ合う機会ができて、いろいろな事を学べる。
この方法が、IT業界の技術者不足を解消する手段にも繋がるのだ。高校のパソコン研究同好会に社会人が参加したら、面白い事が起こると思う。勉強会でよくやるLTを学生にも聞かせたい。また、学生に通用するくらいのLTを目指せばハリが出ると思う。現役を退役して爺さんになっても、学生に挑み続けられる場があれば、いつまでも学び続ける動機付けもできる。
現代の教育は学生を隔離している。そして大人は子供の幻滅するような働き方ばっかりしている。むしろ部活が必要なのは大人だ。会社以外の人との交流、違う世代との交流を補うのに部活動のようなものは有効だ。実際、勉強会に参加するとそれを強く感じる。そして、勉強会の、あの訳の分からない楽しさを学生に伝えたいものだ。
コメント
仲澤@失業者
「大人こそ部活」・・・激しく同意します。
そう言えば、アルビン・トフラーさんは著書「第三の波」の中で
学校では3つのことしか教えない、それは、
「時間の厳守」「権力への服従」「単純な繰り返し作業への慣性」
であると書いてましたね。産業革命時代に、農民の子供を
工場労働者にするには、この「隠されたカリキュラム」が必要だったとか。
「何かを学ぶために同じ場所同じ時刻に全員が集まる必要は無い」
とも書いてました。
もっとも、スポーツをするには何人か集まらなければなりませんが。
yas
なんか穿った物の見方ですね?
学校での部活が楽しくなかったのは単に自分の環境がイマイチであったからに過ぎなく、すべからく全ての部活を否定する理由には到底なり得ないと思うのですが?
パワハラだとか顧問が腐ってるとか全部自分だけの事例だよ、共感する人間もいると思うが、好きでも嫌でも選んだのは自分でしょ?それを他人が悪いからこう変えれば良いなんてよく言うとおもいますね。
大人が部活?んなもん昔からあるでしょ?ゴルフだって、着付けやお作法など、それこそパチンコなどの趣味も突き詰めて行けば、自己啓発に関わる物は部活みたいなもんじゃない?
ちょっと見識が狭いんじゃないかな?こうしたコラムを担当するなら子供じみた内容は避けようよ、って突っ込んでるのも大人気ないか?
fujihara
元々はなんらかの存在意義があったのだと思いますが、いまや、中高生には、放課後や土日祝日の居場所がありません。
それこそ、塾に行くか、習い事をするか、部活をするか、「大人から禁止されている」ところに行くか、さもなければ、室内にこもって携帯電話かゲーム機かタブレットかPCか、、、
十代の若者、といえば、身体を動かしたい時期なのに、部活か「本気のクラブチーム」に所属するか「習い事」でもなければ、何人かで集まって身体を動かす場所も機会もない、という。
部活は、それを用意できない大人の「言い訳」だと思っています。
Ris
部活だけに限った話ではないですが
子供の多くは将来ビジネスマンになるのに
子供の間に触れ合える大人は親族かビジネスマンの経験が無い教師ばかり
という話を聞いたときに「ああ、そういえばそうだな」と思った覚えがあります。
人生の価値がビジネス的に価値があることとイコールだとは思わないので
どんな教育をするかは教育に携わる人間が判断することなのでしょう。
その中で部活が人生の価値創出に効果的だといわれれば、
否定するのは難しいですね。社会学者さんの世界の話になってしまいますので。
でも、ビジネス的価値の高い学生がほしいのなら
もっとビジネスマンの側から働きかけるべきなのかもしれませんね。
入学試験の練習が出来る補助教育施設(私塾)がはやってるくらいだし、
ホウレンソウ、スケジューリング、資料作成やプレゼンテーションを教えるような
青少年向けのビジネス教室みたいなのが出来たら意外とはやるかも?
(…まぁもうあるのかもしれませんが)
育野
ほぼ全面的に同意です.
「ほぼ」の理由は,社会人・学生を問わずに参加できる同好会やクラブが現状でもあるから(少なくとも私の近所には).
私の場合,幸いにもおかしな指導者に当たらなかったので
全員参加だった中学でも自由参加だった高校でも楽しく部活動をやれました.
しかし,経験者かもしれないが専門家ではない教員が担当するため
指導者の質が保証されないのに参加を強制するのはよろしくない,と思います.
成長期は,身体的には故障しやすく技術的には吸収が速く基礎となる大事な時期.
なので両方に正しい知識を持った指導者を外から呼んでくる位はしてほしい.
世代間交流の場となる「大人の部活動」構想にはさまざまなメリットがありそうですが,
最大の障害は現役社会人世代の労働時間でしょう.
定時に帰るのが当たり前,という社会でなければ実現は不可能です.
またあやしげな「労働改革」案が復活してますし…….
IT業界についてだけなら,勉強会なんかの時に近所の学校クラブに無料招待状でも出せば良さそう.まあその位はもうやってるんでしょうけど.
ardbeg32
体育会系ではAnubis様の事例をよく聞きますが、文系はどうでしょうか?(あ、体育会系文系と呼ばれる吹奏楽は別ですよ)。
私は高校時代、吹奏楽とアングラ系の文化部に所属していましたが、後輩の中に中学当時部活をしてなくて、先輩に対する敬語の使い方も周りへの気遣いもさっぱりという子がいました。本人的にも、中学の時部活やっておけばと言ってましたし。所謂「違う世代との交流」の一つの機会なんじゃないですかね?
んで、もう50に手が届く今になっても、その当時のメンバーとは交流がありますし、一概に学校に部活は必要ないとはいえないと思いますよ(レアケースではなく)。
Anubis
> 仲澤 様
アルビン・トフラーさんは著書「第三の波」ですか。良さそうですね。
頂いたコメントに凄く頷けました。
> yasさん
> うしたコラムを担当するなら子供じみた内容は避けようよ、って突っ込んでるのも大人気ないか?
はっきり言っておきます。大人気ないです。
意見には異論はないですが、内容はよく読まずに衝動的に否定しているだけです。
異論があるなら、読む人に納得させる努力はしよう。
20点。もっとがんばりましょう。
> fujihara さん
居場所という見方は無かったです。高校中学と、ずっとサッカーしたい人もいれば、いろんな事をやりたい人がいたり、千差万別です。そういう個人個人がやり方を選べる自由は少ないように思います。
良いコメントありがとうございました。
>Ris さん
コメントありがとうございます。
> 子供の間に触れ合える大人は親族かビジネスマンの経験が無い教師ばかり
私もああそうだなと思います。
個人的にはビジネスって暴利を貪る品の無い行為だと思っている部分があります。
ただ、ここに教育を加えてきちんとした"ルール"を身につけさせたら
違うように見えてくるのかとも思います。
>育野 さん
そうですね。コメント読んでて少し羨ましいです。
私が行ったのが、中途半端な私立の進学校だったので、高校三年生の時には
社畜予備軍みたいなのがずらっと揃っていて、浮いてました。
大人になってからも、もう一度青春にチャレンジできるような機会があればいいと思うのですが。
>ardbeg32 さん
ちなみに、剣道部辞めてからは室内楽同好会にいました。
今振り返ると、ダレてました。
ただ、部活って厳しい分、結束力は付くと思います。50に手が届く年代になっても
交流が続くくらいの関係というのは素晴らしいと思います。
>一概に学校に部活は必要ないとはいえないと思いますよ(レアケースではなく)。
ここに同意する部分もあります。
ただ、もう少しやり方はあるのではないかと思います。
ばしくし
中学・高校と野球部で野球やってきましたけど
卒業後の同窓会は一切行ってません。
が、野球自体は大好きであって
会社の野球部(同好会のようなもの)にいます。
野球というスポーツは(特に、投げる・打つという動作)、少年時代の経験で差がモロに出ますので
基本的に、高校野球経験者は草野球の世界に来るとヒーローです。
高校時代なんて
試合に出れない or 出れても9番セカンドか、9回裏ツーアウトからの代走が指定席だったのに
今や3番ショートで中心打者ですよ。160cm満たないのに。
草野球だと、ラッキーホームランでも、オーバーフェンスするとみんな喜ぶんですね。
単なるライトフライが風で伸びて入っただけでも、大歓声。
明らかに打ち損じの外野フライが、偶然フラフラ伸びてスタンドインしたら
「ドン詰まりじゃないかい。ちゃんと芯で打て。お前は芯に当てて三遊間に転がしときゃいいの。あんなのホームランとして認めん!」
って、顔真っ赤にして怒鳴られてた高校時代とは雲泥の差。
たしかに、部活の経験は、嫌なことしかありませんでしたが
今の草野球で発揮しているスキルは、間違いなく部活によって鍛えられたものだとも思います。
まあ、難しいモンですね。
Anubis
>ばしくし さん
草野球たのしそうですね。
(実は私、野球のルールを知らないです。なので、細かい言及ができません。スンマセン。)
スポーツの本来の目的は楽しくやることだと思う。
楽しみ方も、厳しくやるなり緩くやるなり、人それぞれだと思います。
ここら辺に幅がほしいと個人的に思っております。
abekkan
あまり他人読まれたくない話なので今頃コメントします。
もし部活がなかったら、暇を持て余した学生はロクなことをしません。きっと。
個人の特性にあった活動、野球のチームに入るとか、ピアノのレッスンを受けるとか、をすれば学校の部活よりも充実するかもしれません。
でも、親の負担がたいへんなのです。私の場合は4人も子どもがいるし。
学校の部活は、親にとってはコストはかからないので楽です。先生は大変だろうけど。
学校の部活は、親にとってはコストパフォーマンスは高いのです!
ということで、「学校に部活いらねえんじゃねえ」には賛同できません。4児の親としては!
Anubis
> abekkan さん
コメントありがとうございます。
ご指摘の点については、コラム内にて解決策を提示しております。
> いっそ、学校から部活を無くして、社会人や定年退職した人も参加できるグローバルなものにしたらどうだろう。
確かに無くすだけならおっしゃるとおりデメリットもあると思います。なので、部活のようなものを学校ではなく地域でやればどうだろうか。ということです。
教育に関しても、学校とは違うレイヤーの人と相談できるメリットも出てくるし、子供も多くの人と関わり合えるので、幅が出てくると思います。
ただ問題があるとすれば、親の世代の働き方でしょうか。この点に関しては、育野さんがご指摘頂いている通りだと思います。
--あともう一つ。
基本、否定的な意見も拒みません。
根拠がしっかりした意見であれば有意義だと考えています。
もし私のコラムに思うことがあれば、真っ先に意見を付けて頂いて大丈夫です。
匿名
部活動は縮小する方向へ向かうべきだと思います。
子どもは殆どビジネスマンになるのにスポーツばかりさせるのは明らかに変です。
上で子どもの居場所が無くなるというはなしがありますが悲観的に考えすぎでしょう。
部活が無くても子どもは楽しくやっていきますよ。(小学校のときそうだったでしょう?)