バーコード
■そう言えば最近見なくなった
最近電車に乗っていて思うことがある。バーコードを見なくなった。そういえば子どものころは、もっといっぱいいたように思う。確かにネタとしてやり玉に上がりやすいので、気にする人は別の方法で解消するようになったのだろう。
ただ、私はアレはアレでありだと思う。最近、何事においてもスタイリッシュさが過剰に求められてはいないだろうか。そう、スタイリッシュでなければ……、スタイリッシュであることが強要される。なんと生きづらい世の中なのだろうか。
絶望した! スタイリッシュ過ぎる世の中に絶望した!!
■スタイリッシュの行き着く先
スタイリッシュの代表格といったら何だろうか。パリのファッションショー、ミスなんちゃらかんちゃら。そんなスタイリッシュの代表格といえるパリコレに最近ついていけなくなってきた。また、紅白歌合戦を見ても毎回衣装…… というより、トランスフォーマーみたいなのが出場している。エンジニアライフのクリスマスパーティーにもサンタクロースの格好をした珍獣が出没するらしい。
スタイリッシュなことは確かにいいことだ。しかし、行き過ぎたスタイリッシュは常人には理解できない領域まで達してしまう。それが崇高という方向に向かえばいいのだが、残念ながら珍妙という方向に向かうことが多い。…… 残念すぎる。そして、これが僕たちの望むスタイリッシュなんだろうか?
絶望した! 行き過ぎたスタイリッシュに絶望した!!
■スタイリッシュを行き過ぎさせない衝撃緩和材
このスタイリッシュさを行き過ぎさせないための衝撃緩和材。それが、コラムのテーマに挙げたバーコードだ。確かに、バーコードを生成する手間暇が効果を上げているかというと、疑問は残る。しかし、ああいうヘア・スタイルの存在が認められる寛容さ。これは大事だと思う。
確かにスタイリッシュではない。しかし、非常に人間味に溢れていると思う。もし、BCH(バーコード・ヘッド)なナイス・ガイがハリウッドの映画にでも出たら、世間的な見方も変わるかもしれない。型破りに対する寛容さが欠けるから、個性が認められにくい世の中になるんだ……。
絶望した! 個性が認められない世の中に絶望した!!
■そしてIT業界の閉塞感の原因
日本のIT業界に漂う閉塞感というは、「こうでなくてはいけない」とか「こうあるべきだ」に押しつぶされているのではないだろうか。例えば型破りなコードの書き方が出回ったりしたら、まさにBCH(バーコード・ヘッド)を見るような目で珍妙だと蔑まれる。今まではこうだと。これは正しい方法ではないと風化しかけた実績を押し出して、全力で叩かれてしまう。
しかし、珍妙だと蔑むがゆえ、新しい方法が生まれない。そして取り入れられない。取り入れろとまで言わない。ただ、その珍妙なメソッドを材料に他の考え方を模索はできるはずだ。実際、世界の芸術は型破りを繰り返すことで発展してきたのだ。
一見珍妙、不合理でもその中に学ぶべき要素はある。否定からは何も生まれないのだ。
今回、なぜに題名がバーコードなのか。それは、こちらの企画で、テーマに対してライブでコラムを書くという無茶振りが来たからだ。しかも所要時間30分だ。そんなことで、最後に一言。これだけは言わせて欲しい。
絶望した! 無茶ぶりが激しい某美人(一応)編集者に絶望した!!