子どもに「なんのために勉強するの?」と聞かれたら、なんて答えますか?
■あー、この質問、うちの親答えられなかったなぁ
ツイッターを見ていたら、タイトルのような見出しの問答があった。で、このツイートをしている人の話では、「『なんのために勉強するの?』という質問をされている時点で、もう親子関係は破綻していると見た方が良い」とのことだ。すごく納得がいった。
私が子どものころ、親に同じ質問をしたことがある。そのときの返答は……、というより、ブチ切れられた。勉強することが前提なので、質問が出ることすら想定外だったのだろう。そんな家の雰囲気がとても居心地悪かった。そんな親に対して白けきって、勉強なんて真面目に取り組んだことはなかった。
■返答の裏付け
一般的な人なら、いい大学へ行って、いい会社に行って、たくさん給料もらうためだ。といったところだろうか。これが最も無難な回答ではないかと思う。実例も多いし、同じ意見の人も多い。そして、多くの人がそれを目指していた。
ただこのご時世、本気でそんなことを考えていたら、この先は生き残れないと思う。考え方が悪いのではない。それ以外のデータがないからだ。例外事項が起こったときの選択肢がないので、即手詰まりとなる。同じ回答でも、多くの選択肢から選んだものと、それだけしか選べなかったとでは、結びつく結果が全然違ってくる。
■意外とこういうケースは多いんじゃないでしょうか
分かりやすいところで言うと、「なぜドキュメントをExcel方眼紙で書くんですか?」とか、「何でバージョン管理システム使わないんですか?」など、新人から些細な日常業務に突っ込みが入ることがあると思う。こういう質問に対して、「以前から決まってるフォーマットだから」とか、「今で十分管理できてるから」という返答をしてはいないだろうか。
些細な質問でも考えずに返答すると、意外と相手に伝わってしまう。今までやってきたことだから、みんながやっているからという理由で思考を放棄してはいないだろうか。斬新な打開策が欲しいなら、こういうところに糸口が転がってるように思う。
また、些細な質問に対して思考停止していると舐められやすい。そして、仕事の効率も悪くなる。知らない人というのは、意外と核心を突いてくるので侮れない。
■私ならどう答えるか
むしろ答えない。逆に「勉強以外にやりたいことあるの?」と聞く。私自身、勉強に意義を見出していなかったので、勉強する理由は語れない。以前、新人君の質問に対して質問のカウンターを返したことがある。思うよりいろいろな意見が出て、新人君の考え方がよく理解できた。意外とよく考えていた。
返答すら思い付かない質問であれば、逆に相手に聞くのもありだと思う。答えを急がず、コミュニケーションをとるのだ。相手から得た情報を組み立てていくと、納得のいく返答が導き出しやすい。得にサポートの業務などでは、この聞き出すことを非常に重要視する。
権力や圧力より、納得の方が強く人を動かす。定石な答えだけでは人を納得させるのは難しい。だからと言って、なんでもかんでも自分で考えなくても大丈夫だ。自分で答えることばかり考えず、聞くのもありだと思う。
コメント
イジュ
楽をするために。
ardbeg32
「以前からこうだから」は仕事でもサイテーの返事(なぜそうなのかを理解していないという意味で)ですが、
「何故大学行かねばならないのか」でグレてた甥っ子には
「大学まで行っておけばとりあえずつぶしが利くから」
「他にやりたいことがあるなら行くのは無駄だけど、それにしたって高確率でそのやりたいことを実現できる(実現する決意がある)ならともかく、ただなんとなくだったら失敗するのが落ちだから、そうなった時の保険として大学行くんじゃないの?」
「そもそも高卒で将来自分がこうなる(したい)ってイメージあるの?」
って言ったら、そういう消極的な選択肢もあるんだねって納得してました。
あ、あと
「もしこれをやりたいって言って大学行かないのは君の人生だから君が決めればいいけど、もし夢破れても絶対に人のせいにするなよ。それはおじさんとの約束」
とも言った覚えが。
仲澤@失業者
自分も聞いたことがあるのですが(いつだったかは忘れた)、
父の回答「飯食うため」
母の回答「おもしろかろう。じゃなきゃ、やめとき」
でした。どちらも正解だと思います。
じじいになった今ではどちららかというと聞かれるほうなのですが、
私の回答「学ぶことに興味がなくなった時点があんたの人生の頂点」
と答えることにしてますです(笑)。
EarlGrey
「選択肢をより多く残しておくため」と答えています。
とりあえずつぶしが利くから、と似てるかもしれません。
当然ながら、選択肢を残す必要がない場合、
(たとえば音楽家を志すとか、スポーツで生きていくとか)
通り一遍の勉強をする必要はない、と答えています。
まあ、その場合も「その道の勉強」をすることになるわけで。
結局のところ、勉強からは逃れられんのですけどね。