君には触らせないっ!
■ある、若かりし日の出来事
私が働いていた現場での話だ。そこにはすごく知識豊富なインフラエンジニアの方がいた。尊敬してるかどうかは微妙だが、一応、私は勝手に師匠とよんでいた。まぁ、どこの現場でもよくあると思うが、その方、サーバには絶対に触れさせてくれなかった。
当時、ケチな人だと思っていたが、最近、その気持ちが分かるようになってきた。分からない人が触るとトラブルになるという理由もある。それとは別に、人には触らせたくないという思いが出てくるのを感じる。たぶん、これはコードを書いてる人でも同じではないかと思う。独占欲に似た気持ちだ。
■納得と疑問
自分の持てる限りの技術を投入したサーバは、いうなれば自分の娘みたいなものだ。多大な労力をかけたり、知恵を絞ったりと、思い入れもひとしおだろう。大事なサーバを、軽い気持ちで弄られるのは、心穏やかではいられないだろう。
自分の技術をつぎ込んだサーバを、安易に人に触らせたくない。という気持ちはよくわかる。私もそうだ。しかし、これでいいのかという疑問も残る。触る人が、自分より未熟な人だとしたら、触らなければ何かを覚えることはない。もし逆に、自分よりスキルの高い人なら、逆により優れたものへと進歩していくかもしれない。
■触らせることで何かが変わる(かも)
自分の成果物や知識を公開すると、駆け引きに負けて不利になるとか、話がややこしい方向に向かうとか。そういうことがあるなら、現場の仕事のやり方がずれているということになるので、ここではそういうケースは考えないこととする。
自分の成果物を人に触らせたくないと思う裏には、執着とか、ミスを指摘されたくないという自己保全もあるのではないかと思う。例えば、十分で作ったExcelのドキュメントなどであれば、別に誰が触っても何とも思わないはずだ。
もし、成果物への執着を断ち切れたり、ミスを指摘されても受け入れる心構えがあるなら、自分の成果物を触らせることに抵抗がなくなるはずだ。そういう心境の変化が、成果物になんらか影響をあたえると考える
■触らせたくないから一歩先を行く
成果物に触らせたくないと思う段階を一歩こるとしたら。成果物に対する知識を今より増やすとか、より理解を深めるというアプローチがあると思う。誰かが弄ってぐちゃぐちゃにしてもすぐに元通りに戻せたり、触り方を適切に伝えて触らせることができるレベルになれば、触らせることへの抵抗は減る。それが、触らせたくないから一歩先を行った状態だと考える。
自分しか触らない前提でシステムを構築すると、やはり触らせたくないという気持ちが強く生じる。逆に、人が触ることを前提にシステムを構築すると、むしろ人に見せたくなる。心境的なものはさておいて、最終的な結果はどうなるだろうか。コードで例えるなら、前者は可読性の低いコード、後者は可読性の高いコードになっていくと思う。
可読性の低いコードしか書けないより、可読性の高いコードが書ける方がスキルとしては高い。触られたくないと思うのなら、コードなら可読性が低い、システムなら完成度が低いのだろう。常に誰かが見るという前提でコードを書いたり、システムを構築するのは、とても大事ではないだろうか。