いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

納期は踏み倒されるためにある

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■納期と約束

 相手と交わした約束を守ることで、信頼を築いていく。仕事をする上ですごく重要な事です。納期とは、「いついつまでに品物を納めますよ!」という約束です。ITに限らず、業務をする上での必達事項の一つです。

 この納期に間に合わせるため、多くの人が奔走しています。納期が押してしまうIT業界名物の”デスマーチ”が発生する。本来であれば、納期を意識して頑張っていれば、納期前は平然としていられるはずです。しかし現実は全く逆です。そこに私は不自然さを感じます。

■約束と不平等条約

 納期という約束が、実質的に不平等条約になっていないでしょうか。全てのプロジェクトがそうだとは思いませんが、明らかに不平等条約で成り立っている納期もあると思います。予算やら都合やら、明らかに条件が厳しすぎるプロジェクトです。

 求められる結果に対して、条件が過剰に厳しい。当たり前ですが、条件が厳しすぎれば納期という目標は達成できません。頑張っても達成できない納期が多いのは、この不平等条約の条件が厳しいからに他なりません。

■不平等条約と現実的結果

 ここから、かなり非現実的な話をします。このような不平等な条件での納期がまかり通るからいろいろおかしくなるのです。この状況を打開するために、清々しく納期を破ってみてはどうだろう。破ると言っても、尻尾を巻いて逃げたり、言い訳することではありません。できないことはできないと明言して、あきらめるべき時はきちんとあきらめることです。

 立場や権力でごり押ししても、条件が揃っていなければ納期には間に合いません。間に合ったとしても、粗悪な品質の納品物が納められます。不平等条約を押し通すと、なんらか不利益という現実的結果が返ってきます。

 できないものを無茶してやろうとするから何かがおかしくなる。小難しいビジネス概念を持ち出して無茶を突き通すより、理不尽な納期を堂々と拒める世の中の方が、まっとうな結果がでるのかもしれません。

■現実的結果と納期

 なぜ、納期を破るという非現実的な話を出したかというと、そうでもしないと条件について考えないと思うからです。変に間に合ってしまうと、次はもっと厳しい条件でも大丈夫だと勘違いしてしまいます。どこかで現実というペナルティーがないと、歯止めが利きません。

 誰しもやりたいと意識して納期を踏み倒す人はいないでしょう。ただ、条件の厳しさがエスカレートしていったらどうでしょう。無理に納期を守り続けていても、いずれ守りきれなくなります。その時がきたら、なんらかのごまかしに走らざるを得なくなります。

 現代のビジネスでは、納期を早く、安く済ますことが正義のように語られます。無茶せずにできるラインまでなら、この考え方は正義だと思います。コンスタントに守れる条件でこそ、納期の意味があります。納期を語られるうえで、コンスタントに守れる条件も考えられるようになって欲しい。そう願って止みません。

Comment(1)

コメント

真っ赤なレモン

強く同意します。
エスカレートしてはいけないことには、どこかで防衛ラインを引き、その防衛ラインはありとあらゆる手段を用いて守るのが正義。
納期、製品・サービスの価格、人件費(給料)などは、適正なラインを越えてダンピングするとエスカレートする。

物理的に無理であることを理屈で説明しよう。
時間が足りない、人が足りない、設備が足りない、予算が足りない、頭脳が足りない、といった不足を説明する。
そこまで説明できれば、対案も提示可能。
もしも納期が絶対であれば、人を何人増やせば対応できる、とか。
もしも予算が絶対であれば、時間をこれだけ伸ばせば対応できる、とか。

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