いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

そのレビュー、魔女裁判になってませんか?

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■とある現場でのレビュー

 特に珍しい光景ではないと思う。ただ、指定のドキュメントを指定の時間に仕上げるよう、指示が出ていた。忙しい中、指定のドキュメントを仕上げて、指定された時間にミーティングスペースで提出をする。

 仕上げたドキュメントは自分用、レビューアー用を印刷してある。レビューアーのマネージャーが席に着き、印刷したドキュメントを渡す。不機嫌そうにドキュメントに目を通して暫く沈黙の時間が続く。そして、ドキュメントにチェクを記入して、怒涛の追及が始まる。

 怒涛の追及といっても、ドキュメントの内容に触れられることはあまりない。体裁や誤字脱字、図の配置がどうのという話が中心だ。 一つ一つ、修正点をメモしていく。そして、レビューが終わった時には、とりあえず疲れている。ドキュメントを直すより、まず喫煙室に行って一息つきたい心境になる。

■レビューというより魔女裁判

 この手のレビューでお決まりなのが、ドキュメントがきちんと書けていない事への非難です。いや、実際はきちんと書けていても非難されます。正しい内容を書いたとしても、レビューする人が理解できるかどうかは別問題です。また、正しい判断基準がなくても、いくらでもジャッジメントは下せます。

 なので、正確に情報を把握していなかったり、ドキュメントを書く技術もない人がレビューを行うと、ビューが魔女裁判になります。書いてある内容も理解できない、技術もないとなれば、どうしても判断基準が気分的なものに偏ってしまいます。

■そもそもレビューって何だ

 これが私がレビューに持つイメージです。とは言っても、きちんと進行しているプロジェクトより、炎上プロジェクトで仕事をすることが多かっです。もっと違った形でレビューをしている現場も多いのかもしれません。また、レビューする人がお客様だったりすることもあるかもしれません。

 ただ、どのような状況であれ、レビューに正当性がなければ、ドキュメントの品質は上がりません。ここが、レビューが効果的なものになるか、ただの魔女裁判になるかの違いだと考えています。間違いを指摘して「だからだめなんだ」と力説するだけでは何も解決しません。相手を納得させられるか。それが一番大事ではないでしょうか。

■ドキュメントはあくまでも人の書くもの

 経験論ですが、ドキュメントを書かせると、心境がモロに出ます。凹んでる人にドキュメントを書かせると、顕著に間違いが増えます。だからと言って、やる気があってポジティブな状態でドキュメントを書けばいいものが書けるかと言えばそうでもない。やはり、技術や正確な情報が無いとまともなドキュメントは書けません。

 自分がマネージャであれ、客であれ、人に判断を下す行為の重さは変わらない。そして、非難という罪深さも変わらない。レビューの際に、相手を納得させるだけの基盤がないと返り討ちにあいます。けっこう真剣勝負です。また、立場でねじ伏せて押し通したとしても、品質の劣化という反撃を受けます。

 結局、魔女裁判では不利益しか生じません。誰かのレビューをすることがあれば、冷静に振り返ろう。もし、プロジェクトが炎上しているなら、あなたのレビューが魔女裁判になっているかもしれません。

Comment(2)

コメント

真っ赤なレモン

釣られないぞ。ツッこまないぞ(笑)

アラファイブ

レビューする側の人間が「峻厳な裁定者」になってしまうとそうだと思います。

でもレビューする側の人間って(すごい経験者の暇なあまり収支に責任を持たなくても良い管理職がごろごろしていた昔と違い)今はむしろ教えを乞う側なんですよね。
でも「峻厳な裁定者」なのでそれは出来なくなってしまう。

もういっそのことレビュアは格下の人間(複数)とした方が良いかと思います。格下なら教えを乞うても問題ないですし(立場的にも心情的にも)、言うだけなら格下でも言えるとか有るでしょうし。

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