【小説 愛しのマリナ】第九話 「え!? もう帰るの!?」
「えっ!? そうなんですか!? そういえば、昔は大人しい人だったんですよね」
「まあ、私が外から見た感想だよ。実際話したことがあるわけじゃないけどさ。毎日見掛けてると、様子を見ただけで今日はどんな感じか分かるんだよね」
「昔はどんな感じだったんですか?」
「ニコニコして、皆と一緒に仲良く仕事してた印象だなあ」
今とは正反対の人物像である。
それがどうしてこんなことになったのか、何かきっかけがあったのだろうか。
「あの人はもともと、グローバルソフト興業の社員だったんだよ」
グローバルソフト興業とは、縁天が提供する結婚情報サービスシステムの元請けであり、ブレインズ情報システムの親会社だ。
と言うことはは、荒川は今子会社に出向していることになるのだろうか。
「それがある日、子会社のブレインズ情報システムの社員になってた。名札が変わってたから分かったんだ。その辺りからかな、派遣の人やらメンバーの人に厳しく当たるようになったのは」
慶太は少し驚いた。
出向か何かで親会社から子会社にいるのか分からないが、そのあたりで荒川の何かが変わったのは確かだ。
「直接に見たわけじゃないんだけどね。名札が変わるちょっと前に、こんなことがあった」
外山が言うには荒川がプロジェクトメンバーを殴ったとかで騒ぎになったことがあったらしい。
現場でごみ回収をしていた外山が、持っていた絆創膏を差し出したときに色々聞こえて来たそうだ。
幸い、殴られた方の怪我は大したことが無かったが、このことが問題となって出向になったのだろうか。
何でそんな事態になったか、今となってはここに知る者はいないが......。
「ま、あちらさんも色々頑張って入るんだと思うよ。結果が出なくてイライラしてるだけなんじゃないのかねえ」
「だとしても、それを僕らにぶつけられちゃかなわんですよ」
「まあまあ、相手は自分を映す鏡って言うじゃない。あまりかっかしなさんな......とりあえず、しっかり謝ったほうがいいよ。仕事して行かなきゃならないんだから」
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開発フロアに戻ると、慶太はまず荒川の席に向かった。
先程の口ごたえの件を、謝ろうと思ったのだ。
荒川は自分の席に居なかった。
森本の隣に腰掛けてなにやら森本と話し込んでいる。
時折、笑い声も聴こえる。
荒川は笑顔で森本と冗談を言い合っているようだ。
近くに慶太がいることに気付いた森本は、
「あっ、大沢さん」
「おっ、戻って来た。森本君はなかなか優秀な人ですね」
何だか嫌味を込めた言い方で、慶太への当てつけのように森本を高評価した。
「ちゃんと予定通り、一週間で君の後輩は出来るって言ってるぞ」
慶太は森本の顔を見た「お前そうなのか?」という声が出そうになる。
「まあやってみないと分からないところはありますが、設計書を見ると何となくできそうかなって......」
表情を変えずに淡々と語る森本の声には、不安というものは感じられなかった。
特に不自然でも無い物言いは、荒川に特に言いくるめられたわけでもなさそうだった。
「大沢さん、後輩が出来るって言ってるんだよ。君に出来ないわけないじゃないか。頑張ってみてくれよ!」
慶太は外堀から埋められて裸城にされて行くような孤立感を感じていた。
「二人で助け合えば、最悪徹夜だって避けれると思うんだよ。だからわがまま言わないで頑張って」
謝ったうえで、再度、穏便にスケジュール延長を話すこともできない雰囲気になっていく。
「じゃ......会議あるから」
荒川は去って行った。
「おまえ、出来るのか一週間で?」
「はい......多分」
「だって、JAVAあんまりやったことないんだろ?」
「まあ、そうですけど。基本的な文法はどのプログラミング言語も一緒だし。設計書見たらそんなに難しそうな処理無いし」
森本は自信いっぱいという感じではなく、淡々と「出来る」ことを語っていた。
それが却って頼りがいがあるというか、慶太をして何かとてつもない才能のようなもの感じさせた。
慶太と森本は黙々と開発を再開した。
定時になり、一息つくと慶太は森本を見た。
森本はパソコンの蓋を閉じ帰り支度をしていた。
「えっ!? 帰るの?」
まさかこれだけスケジュールが押してるのに帰ろうとしている森本を見て、慶太は驚いた。
それに周りは黙々と作業をしていて一人「帰ります」という雰囲気ではなかった。
「用事あるんで」
そう言い残すと、森本はそそくさと帰ろうとした。
慶太は森本の上司という立場ではないが、先輩社員として同じ現場に入っている立場上、進捗だけは確認しておくべきだと思った。
「すまんが、今日はどれくらい進んだ?」
進捗管理システムを開き、森本の担当している機能の部分にスクロールさせた。
進捗率80%。
進捗率を示すバーの先端に、そう書いてある。
「おまえ、一日でそんなに進んだのか?」
森本は無言でコクリとうなずいた。
「では」
そう言い残すと、森本は帰って行った。
つづく