町工場から大企業、そして派遣社員も経験した現役派遣社員の壮絶体験

ホワイトな大手企業へ転職!その35 「まだ居たのかよ」「まだ生きてたんですか」

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涙を浮かべられても今までされたひどい仕打ちを忘れていなかったし、さっさと移動してくれ!ってのが私の気持ちであった。そして次の日から清々しい日が始まったのだ。と思ったら、休憩のときには私たちのフロアの休憩室に来ていやがった。昼休みも同様に3階のフロアの休憩室に来るのだ。4階の連中と馴染めないのだろうか。3階に来ても相手をするのは甘利だけだ。私も遠慮することはなくなったので挨拶だけしたらさっさと離れた場所に移動していたしね。そしてこの頃になると禁煙室、喫煙室の二か所の休憩室が出来たので私はタバコは吸わないのだが禁煙室で先輩や同僚と休憩をするようになった。

ちなみに杉本は非喫煙者なので禁煙室に居る。やっぱりここを離れるのが嫌だったんだろうね。自分で好き勝手にできていた職場だったし。そして数カ月後、3階には現れなくなった。4階の連中と慣れてきたのだろう。と思ったら、全く別の部署へ飛ばされたということを聞いた。4階の人たちも扱いずらかったんだろうね。前にも書いたが、いくら仕事が優秀であっても性格が悪い奴は職場では嫌われるってこと。やはり職場で大事なのはチームワーク。面接のときに課長に言われた言葉だ。チームワーク!簡単なようで難しいよね。

そして久しぶりに階段で杉本と出くわしてしまった。私の方から挨拶をしたのにコイツは「まだ居たのかよ。(ニヤニヤ)」。全然改心していなかった。そしてこの杉本の一言で私のリミッターは振り切れた。「まだ生きてたんですか(ニヤニヤ)」と、やり返してやったのだ。目を丸くして私を見つめる杉本。一度も逆らったことがなかった人間に、今までさんざん自分の八つ当たりの道具にしていた人間に、そして絶対に逆らってこないだろうと思っていた人間から、こんなこと言われたことが相当応えたのだろう。それ以来、会社で会っても杉本は私をシカとするようになった。私もそのほうが良かったしね。

そして、この杉本の移動で苦境に立たされたのが甘利である。誰も話す相手が居なくなってしまったからだ。一カ月後くらいであろうか、シフトチェンジで夜勤者⇔日勤者共に数人の入れ替えが行われた。要するに甘利が話す相手が居なくなってしまったので班の入れ替えを実施したのである。「藤田さん この班で誰も話す奴いねえから逆のシフトに回してくれよ」って甘利が直訴したことを後になって聞いた。そして甘利が私たちのシフトに来たのである。私が一番年下で入社も遅いということで私には結構話しかけてきてたね。私も聞かれたことは答えるようにはしていた。しかし、またしてもここで装置をぶっ壊してしまったのだ。人間て、向き不向きがあるんだなあって、このときに思った。

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