筆者は1970年生まれ。先輩から、情報技術者を目指す若い方へ生きてゆくためのコラムです。

ルック・アジアにシフトしよう

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 よく、専門家が「欧米では……」「アメリカでは……」と言って、欧米がこうしているから、我々もそうするべきだ、という論調が多いです。でも、ギリシャ発のユーロ圏の大騒ぎを見ていても、欧米に学ぶことは少ないような気がします。日本発で、日本独自のアイデアを出し、アジアに学び、アジアマネーを呼び込む、そうした方が良さそうに思います。

■ルック・アメリカ型思考を卒業しよう

 1980年代、大学在学中から、第2外国語に中国語を選択した従兄は、いま上海で工場を構えて、順調良く(それでも厳しいらしい)事業を展開しているそうです。東南アジアにお客さんを抱えていて、LPガス消費量の見込める地域にガス設備を輸出するには、日本で組み立てるよりも、中国の方が都合がよいのでしょう。約30年先を見越した従兄のスキルビルドには、ある種の才能があるようです。ひらめきといいますか。中国が発展すると見込んで仕込んだ学問ならば、すごい先見性だと思います。

 ともすれば、うっかり忘れているかもしれないのですが、わたしたち日本人はアジア人でして、決して欧米人とイコールではないのです。近代化のために欧米を模倣する時代は終わりを告げ、これからはアジアと共に生き、アジアのために働き、アジアのために独自のアイデアを出す。そうして、アジア人マネーを日本の市場に取り込む。どうやら、それしか生き残る道はないようです。

■もう、追いつき、追い越したのだから

 ものづくりは、いまや中国一極集中です。世界の工場と呼ばれるまでに、経済が発展しました。情報技術は、ハードウェア機器はほとんど台湾、マレーシアなどですね。図面を日本で製図して、ものづくりそのものはアジアにやらせる。こうなると、アメリカばかりをお手本にする時代はすでに終わりを告げ、日本独自のアイデア、知恵、そして独創性が求められます。つまり、日本国の独創性を輸出する時代になったとも言えます。

 かつて日本人は、欧米に、追いつけと願い、追いつき、ついに追い越した。その先にあるものは、単純労働ではなく、オリジナリティあふれる、ものづくりのアイデアを創造することです。ものづくりは彼ら世界の工場たちに任せて、日本人に求められていることは、知財を作り出すこと。そのことが重要です。そして、中国の人たちが大もうけして、日本への旅行で、どんどん家電製品などにお金を投下してもらう。日本への投資で、どんどん不動産を買ってもらう。こんな経済のあり方があっても、この際いいんじゃないでしょうか。

■いまや日本製品は、世界の「高級舶来品」

 かつて、日本人が、フランス製やドイツ製などの「高級舶来品」を自慢して、そのデザインや機器の性能に学んだように、いま中国人たちが、日本製品を「高級舶来品」として信頼して買ってもらい、日本はおだやかな速度で潤っていく。低成長時代とは、こういうことを言うのでしょうね。知財を持っている人間が得をする。知財を持たない者は淘汰される。日本に生きる限り、知財で勝負、知恵で勝負しないといけなくなってきました。

 いま、台湾などの人たちが、たとえば菓子のパッケージに、あやふやな日本語を書いて、かっこいいデザインエレメンツにしている(柳沢有紀夫『日本語でどづぞ』中経文庫)ように、いま、日本は憧れの的なわけです。誤字だらけの「ふんだらかんだら」な日本語を載せていて、パッケージのデザインエレメンツにしているわけです。なぜって、格好いいから。

■ルック・アジア型にシフトしよう

 バブル期の日本だって、欧米にあこがれていて、「ふんだらかんだら」な、今考えると、爆笑モノの英語を商品のパッケージにあしらっていたそうです。なので、今や日本は、世界のお手本となるべき存在であり、製品には欧米をしのぐ独創性が求められますね。製品と言っても、何もコンピュータだけではなく、半導体からアニメ・マンガまでを含めてです。たとえば、フィリピンで、昔のアニメ『超電磁マシーン ボルテスV(ファイブ)』が、約30年後の現在、もてはやされているように。

 僕たちは、明治維新以来、ずっと欧米の方ばかり向いてきました。しかし、もう独自技術を蓄えている日本が、欧米に学ぶことは少ないでしょう。経済もしかりです。何でもかんでも自由にすればいいというものでもない。何でもかんでも欧米の言うなりになる必要もない。いかに、アジアの模範となるべき技術を売り出すか。「戦略的互恵関係」というのは、そういう意味も含んでいるのだと思います。

 (と、言いつつ、この年で中国語講座だけは勘弁な……)

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