幸せって何だっけ
僕は、本当いうと、病気が良くなって、生活保護を脱せられるのであれば、勤め人になりたいんだよね。あるところに不採用になったからいうんじゃないけど、DTP元職として、応募時は相当自信があったんだよね。でも、近畿に住んで近畿から応募し、西白井(北総鉄道、千葉県白井市)の恩師宅に下宿して、家を見つけて、首都圏復帰する計画自体に無理があったのかもしれないね。
会社を興すには、25%の自己資金が必要なんだよね。国費を借りて事業をしようとすると、25%の自己資金がいるんだよね。だから、種銭を稼がなきゃなんないんだよね。でも、兵庫県では、産業の地盤沈下が激しく、どこにも自分に合った職業が見つからないんだよね。40歳という年齢も敬遠されているのかもしれないね。だから不採用になったいま、すごく落ち込んでいるんだよね。今は、これといって取りえもないし、最新の技術が必ずしもキャッチアップできている訳でもなし。大学卒でもなし。
黒く塗りつぶせ/矢沢永吉(歌詞)
まあ、自律神経の薬を飲み、糖尿病の治療をし、そんなに身体が丈夫ではないのであれば、いっそのこと生涯にわたって生活保護や、厚生障害年金以外にないんじゃないかと思うのです。ハロワの求人を検索していて、ため息が出ました。年齢がいくと、よほど難しい産業か、よほど体力本願な仕事か、ど田舎しかないんだよね。考えると、思わずむなしく、悲しくなりました。
社員にも社長にもなれずに、一生を終えるのか。伴侶も子どももなしに、一生を終えるのか。自動車も不動産も入手できずに、一生を終えるのか。自暴自棄になりそうなときもあります。あの分岐点で、もしも違う道を選択をしていたならば、まだ正社員でやっていけたのに……。職場が人間関係でギスギスしたところばかりで、過剰な適応努力をするあまり、精神的に追い詰められてきた経緯があって、どこの求人を見ても、ブラック企業なんじゃないかと、二の足を踏むのでありました。
幸せって何だっけ。嫁をもらって子どもを作ることか。大枚はたいて不動産を買うことか。ディーラーに行って新車を買うことか。そうではないような気がする。平凡でも、生きてさえいれば、幸せな方向。少なくとも、これ以上不幸な方向には行かないような気がする。
未来は有限です。印刷会社がつぶれて12年。糸の切れたたこのように、空をさまよい続ける。自分の明日がどこへゆくのかも分からない。上を見たらきりがない、下を見たらきりがない。そういい聞かせて、病気の療養に努めているところです。新しいことを覚える余裕などない。いまある病気を、1つ1つ解決していくしか余裕がないのです。
生活保護は、正社員として就職できないと抜けられないという苦しみ。病気があって容易に働き始められない悲しみ。老いていく悲しみ。20歳のころ、帰郷といえば言葉はきれいだが、要は母親のいうなりに、自分から「左遷」したようなもの。経営者にも従業員にもなれない悲しみ。コンピュータ業界は、首都圏を離れると圧倒的に不利なことなど……。
必要なんだよ/普天間かおり(歌詞)
それでも、辛うじてホームレスにはなっていない。それを幸せと呼ぶことにしようか。国費で病気が治せる。それを幸せと呼ぶことにしようか。国費で、少ないながらも、三食、きちんきちんとご飯が食べられることを、幸せと呼ぼうか。幸せの閾値(しきいち)を下げることで、取りあえず満足しようか。そのへんの子ども以下の現金しか持ち合わせていなくても、毎日たばこが吸えなくても、取りあえず生きていることに感謝しようか。
毎日毎日、煩悶(はんもん)で眠れない日々の中ではありますが……。午前3時。ああ、お腹が空いたなあ……。
(最後に一言。僕は絶対に「自宅警備員」ではありません!! 念のため)