筆者は1970年生まれ。先輩から、情報技術者を目指す若い方へ生きてゆくためのコラムです。

多方面作戦

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 出口の見えない戦い、多方面作戦をしていると、心身共に参っちゃいますね。自分は何になりたかったのか。自分には何ができるのか。自分は何がしたいのか。まるで「詰んだ将棋」のように、回復不能地点まで行かない間に何かできないだろうか。いまのところ、それだけが気がかりです。

■物書きになれというお方がいる

 「稲造さん、いっそのこと物書きになっちゃいなさいよ」と、よく言われます。確かに、C言語よりは遙かに日本語の方が堪能なので、それはそれで近道かも知れませんね。でもねえ、最大の難点は、大学を出てないんですよ。なので、出版のコネクションがない。まあ、こつこつと文章をひねり出す作業は、さほど難しくないのですが、ただ、納期を切られると、ただの文章屋になってしまいそうで、怖いから。大量消費される文章のように、オートメーションのような、無責任なことは書けないから。本音を殺してまで、文章をひたすら生産するだけの、オートメーションな人間にはなりたくないのです。逆に言えば、本音で綴れる文章ならば、きちんと文責を持てる文章ならば、僕は幾らでも文章をつむぐでしょう。

■大学を出ろというお方もいる

 何処か、大学を出ておけと言われるお方もおられますが、あいにく授業料が払えない。借金してまで出たくはない。奨学金も借金ですからね。無利子であっても。放送大学は、働きながら出る学校で、しかも「教養学部」という曖昧な学部なので、うーん、4年間かけて、大枚はたいて、教養学士になっても、実際のところどうかなあ、44歳、放送大学卒という立場での、企業での採用メリットって、果たしてどんな感じだろう、という疑問は感じています。費用対効果という面で、他の道はあるのでしょうか。インターネット大学というのもあるにはあるのですが、企業の採用実績という点において疑問が残るので、余りメリットを感じていません。

■まずは働け、というお方もいる

 しのごの言わずに何でもいいから働け、とおっしゃられる方も多いのですが、あいにく今は、病気のデパートでして、また、親もちょくちょく病気をしますので、今は生活保護の医療扶助だけを受けている状態です。バイトした金額はそっくりそのまま市に返納しなければなりません。このノイローゼが完全に抜けるまでは、何とも名状しがたい状態が続くのでありましょう。

 前の職場はひどかった。大阪の職場は人使いがえげつない。そうして、自分の給与になるはずのお金が、いつの間にか会社の資本金になっているケース、多いですよ。従業員の方向を向かずに、経営コンサルタントの方ばかりを向いている経営者、多いですよ。自分を有利に見せるために、簡単に失敗の責任を部下になすりつけて、簡単に会社から、かなぐり捨てるケース、実際のところ、とても多いですよ。直属上司からの、「お前、向いてない」の言葉で、僕は一体、どれほどプライドが傷ついたことか。なので、おいそれとは回復し難い病気にさせられたのです。

■何で商工会議所に、というお方もいる

 これはですねえ、果てしない戦略のなかで決めたことなのですが、伏せ字ばっかりになるのでやめておきましょう。極秘事項です。大阪らしいものづくり。ヒントは「アパレル産業」と「情報技術」の融合です。言えるのは、PICマイコンによる、電子制御です。まだまだ具体案は考え中なので、具体的にどうだこうだ、というのは、具体的に申し上げられません。なので、何らかの起業のヒントが得られないかどうか、会議所通いを通じて、何らかの方向性が見出して行けたらなあ、と思っています。

 僕は、あるインキュベーターで思い知らされたのですが、レンタルオフィスの締め切りぎりぎりで、施設長の目の前で、電卓を必死に何度も叩いても、どうしても、3年先までの目論見書ひとつ、まともに書けない状態だったのです。どうしても創業2年目で人を雇うと大赤字が出る。そんな段階で、一体何ができますか。どうやって銀行から融資が得られますか。なので、1年間で、子どものお年玉程度の金額、数千円で、地元商工会議所に通うことに決めました。ただ、雇われることを諦めた訳ではないのです。あくまで社会勉強の一環なのです。

■あと20年でできること

 タイムリミットは迫る。結婚すらできないかも知れない。もう、婚期は逃したのかも知れない。なぜなら、北九州と関東出身なので、大阪の女性の心の動きがわからないから。男性を、見てくれや、保有している金銭や車両だけで判断しそうだから。何かにつけ、かしましく、ワガママな女性ばかりとお付き合いしてきたから、大阪に住めば住むほど、どんどん女性不信になってしまったようです。もちろん、素敵な性格美人の方もおられますが、年齢の差や、経済力など、エトセトラで、果たして僕を本当に選んでくれるかどうかが問題です。

 「男の想像妊娠」と失笑されるかも知れませんが、もしも僕に子どもが出来たら、長女には「由衣」、長男には「直樹」と付けたいと思っています。お前、恋人もいないうちから、何を家族計画的なことを言うのか、とおっしゃる向きもあろうかと思いますが、ある画数占いソフトで採点してみると、どれもパーフェクトなのです。次点として、90パーセント台で幸せになれるのは、「瑞稀」と「一眞」です。この名前は、主に、芸術文化やスポーツの面で、何度倒されても、一発大逆転が出来る強運だったりするのです。そうして、僕の夢だけが膨らんで行き、現実とのギャップに打ちのめされ、母親が逝かないうちに、おばあちゃんになれるようにと、プレッシャーを感じながら、自分の残り時間を気にしているのです。いまだ、何の成功もないままに。

■吉田拓郎が教えてくれた

 吉田拓郎の、襟裳岬(えりもみさき)という歌です(歌詞)。本当ですね。訳の分からんことで悩んでいるうちに、あと20年で老いぼれです。僕はそのとき、西暦2030年には、もうすでに60歳ですね。つまり還暦です。赤いちゃんちゃんこです。誰か祝ってください(笑)。ある医師によれば、僕は、こんなペースでたばこを吸っていると、せいぜい生きて70歳まで。たかが、あと30年、西暦2040年にはもう僕は死ぬらしいですから、そのぶん、時間を有意義に過ごしたいものですね。ああ、死ぬ前に、一度でいいから、リニアモーターカーに乗ってみたい。なので、たばこは止める方向で行きましょう。

 例え、生き恥を晒したとしても、まずは万事、生き抜いてこそ、ですね。

(こうして、思索と模索は続く……)

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