筆者は1970年生まれ。先輩から、情報技術者を目指す若い方へ生きてゆくためのコラムです。

改良せよ! はじめての機械設計(4)

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 こうして、カムの形状を変えてダイヤフラムの形状を小さくし、面間寸法(左右の配管の広がり具合)をジャスト1メートルに抑えた新型切替弁が、いよいよ実戦配備されることになった。試作機は3台。緑色に塗装されたそれは、現場へと運ばれるのだった。

 苦節3年。1日に3回はダメ出しされていたので、最低でも1年で290回、3年で870回はダメ出しされてでき上がった機体である。ここまでダメ出しをされて、なおダメなはずはないだろう……。

【新型切替弁、需要家へ試験納入】

 かまぼこ工場、立杭焼(たちくいやき、別名:丹波焼)窯元、食品工場に納められた試作機は、順調に動き始めた。ただ、配管をつなぐ時に、下へ降りる配管と、左右の配管の奥行きが微妙に違うため、工事の人にはずいぶん苦労をかけた。

 また、ブザー付き切替弁のブザーも完成し(シーケンス回路)、配電盤屋さんから納品された。これはうまくいった。リミットスイッチを、遙かに小型化したのに、パフォーマンスはそのまま維持された。カムの形状が特殊なのは、このリミットスイッチを押す用に考えたからだった。リミットスイッチひとつ取っても、様々な先端形状があるのだ。僕は、リミットスイッチの上から押すタイプをやめ、左右に倒れる形を選んだのだった。これは正解だった。

【兵庫医大へ……】

 もう、心底疲れ果てた僕は、兵庫医大へ少しだけ行くことにした。病名、神経症。3年間で、通算870回は「ダメ、ダメ」と言われてきたからだ。もうこんな職場こりごりだ。いくら給与が良くても、畑違いすぎる。僕はやはり、情報技術を活かした職場が向いている。機械設計なんてしたことがなかったから……。

 その後、1カ月だけダウンし、翌月からは前述のDTP職種に就くわけだけれども、さすがにあれだけダメダメ言われたことは、後にも先にもあの会社だけだった。身内に厳しく、他人に甘い職場。僕のいとこ(社長の次男)も辞め、社長の三男も行方不明になった今、果たして社長の方針は正しかったのだろうか……。

【約5年間の耐用期間を無事に終えて……】

 心配していたダイアフラムの破れや機器の破損などは報告されず、僕は違う会社のデスクで胸をなで下ろしていた。知らずに入社したのだが、印刷会社と元いたLPG機器メーカーがダイアリーを納品するなど取り引きがあったとは、入社するまで知らずにいた。世の中狭いものだ、と感じざるを得なかった。

 どんなところにも、プロジェクトがある。彼らが「地上の星」ならば、僕はさしずめ「地底の星」だろうか。ともあれ、プロジェクトは成功した。こうして面間寸法ジャスト1メートル、28%の軽量化、動作音の静粛化が図られた新型切替弁が出来上がったのだ。

 それからその機械は、スナップ・リバース機構なるものを積んだ、銀色に塗られた新型機に置き換えられた。「ダメー」の部長さんが最後までこだわっていた「こんなスナップ式のボールペンみたいな切替弁」……僕には実現不可能だったが、後進の人たちが、おそらくうまくやってくれたのだろう……。

ご参考:カグラ ベーパーテック LR (現行機種)

【CADの前にいるだけでは分からない 現場を知ること】

 もうCADで図面描いたからそれでOK、ではなく、溶接工、組立工、営業、取引先、工場、納入先企業など、さまざまな面での意思疎通が必要。現場を知って、初めて成功する。それが機械設計の奥深い面だ。

 (次回は、ふつうのコラムに戻ります)

Comment(2)

コメント

組長

稲造さま

こんにちは。組長です。

>果たして社長の方針は正しかったのだろうか……。
間違ってたんでしょうかね……。以前いた現場でもボスが厳しくて大変でしたが、ダメ出しは常識の範囲でしたねぇ。厳しいのと「ダメ、ダメ」言うのってやっぱり違いますよね。

どうもこんばんは。

MCPなどの受験費用をめぐって、母親に「姉なんだからしっかりしろ」「そんなお金のおねだりはできへん」と物は飛び交うは、罵声は浴びせ合うは、シュレッダーダストをぶっかけるは、湯飲みが飛んでくるわで、もう大変な一日でした。

兵庫に連れてきた責任もあるのだから、MCP費用ぐらい支弁してくれたっていいはずです。現に、父方の親戚はポケットマネーからすんなり出してくれました。大阪はケチです。しぶちんです。大阪は、腹ふくれてナンボ、物を買ってナンボ、の土地柄なので、情報技術というものに投資する、という思想が全くないのです。

ではー。

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