筆者は1970年生まれ。先輩から、情報技術者を目指す若い方へ生きてゆくためのコラムです。

「ナナゼロ世代」が「人類の進歩と調和」を語る

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 1970(昭和45)年は、日本万国博覧会 EXPO70が開幕された年でした。万博のコンセプトは「人類の進歩と調和」。この時代の雰囲気としては「建っていくぜ団地!!」「産まれるぜベイビー!!」「売れてるぜマイカー!!」……といった景気が右肩上がり、いわゆる「いざなぎ景気」の時代でして、「モーレツからビューティフルへ」や「ディスカバージャパン」といったキャッチコピーがもてはやされた時代でした。

【あれから約40年「人類の進歩と調和」は実現したのか】

 あの頃、誰しも夢に描いていた、SFのような21世紀。その青写真は「人類の進歩と調和」でした……。いざ、21世紀になってみると、むしろ「人類の頽廃(たいはい)と牽制(けんせい)」といったような有様でして、あれとこれとを混ぜて行う「硫化水素自殺」だとか、資本主義に抗い、一切の消費をしない「サイレントテロ」だとかは、当時、想像もできなかったでしょう。鉄腕アトムが生まれたはずであろう年を過ぎても、これといってSFライフらしい兆候は微塵も見えず、ただただ、通勤電車の中で、疲れ切った僕ら世代がいるだけです。

【ナナゼロ世代のこれまで】

 1970年生まれのことを、ここでは「ナナゼロ世代」と呼びましょう。いわゆる「団塊ジュニア」のことです。ナナゼロ世代は幼児期を高度経済成長期に過ごし、何でも買い与えられ「1人っ子」「鍵っ子」と呼ばれる世代でした。小学生からすでに「教育ママ」に尻を叩かれ、名門校へのアタックコースを歩まざるを得ませんでした。周囲のみんなは、友達というよりも、むしろライバルであり、ライバルを蹴落とし、蔑むテクニックを要求されました。今よりも「私立中学校」への進学熱が高く、競争に次ぐ競争でした。

 それだけ頑張って勉強したのに、20歳代に入る1990年代前半には「円高不況」「バブル崩壊」の憂き目に遭い、バブルのうま味も知らないまま、空前の「買い手市場」になり、街角には映画「就職戦線異状なし」のテーマソング『どんなときも。』が流れているような状態。会社は次々と倒産や合従連衡を繰り返します。また、人材派遣法が改正されると、それまで「正社員」と「アルバイト」しかなかった雇用環境に「派遣」の2文字が付け加わりました。そこで「正社員になるための競争」「正社員と派遣社員とのバトル」が展開され、職場は冷戦状態に。

 30歳代になると、インターネットとクライアントOSが普及し始め、産業構造の大転換を迫られてしまいます。それまでの常識が一切通用しなくなり、旧態依然とした産業は淘汰され、競争は国際間でボーダレスになり、今度は、顔も見たこともない外国人労働者と、雇用や仕事のパイを奪い合うようになりました。また、既存の商習慣も大きく変わり、店舗を持たないネットビジネスが盛んに用いられるようになりました。店舗型営業がバタバタと倒産していき、無店舗型営業が勢力を増してきました。

 そんな「ナナゼロ世代」が、もうじき40歳代を迎えようとしています。競争に次ぐ競争で疲弊した身体に、自身の老化と、かつて「モーレツ社員」や「教育ママ」だった親の介護がのしかかってきました。かつての「教育ママ」は「後期高齢者」と呼び名を変えて、子供のスネをかじり始めました。疲れも限界です。「親の子殺し」「子の親殺し」などという物騒なニュースは日常茶飯事になり、世代間のカネの奪い合いはやがて「振り込め詐欺」「オレオレ詐欺」に代表されるような事件へと発展していきました。

 ふと、気がつけば、競争に追いまくられた「ナナゼロ世代」には、定年までの残り時間があと20年程度しか残されていないことに気付き、焦ります。また、若手の台頭で、再び世代間の競争に追いまくられる「ナナゼロ世代」がいて、ゲームの攻略にも似た、それまでにない難しい「正社員雇用」のゲームが始まり、ついに「ナナゼロ世代」は世を悲観して死を選ぶか、世を悲観して子孫を残さないか、かつての「モーレツ社員」や「教育ママ」をせっせと「姥捨て山」(介護施設)に運ぶ作業か、世捨て人になって「競争を拒絶」せざるを得なくなってきているのです。……このような人生を過ごして、疲れが出ない訳がないでしょう。

【ナナゼロ世代のこれから】

 僕としては、情報技術に何らかの形で関わって行きたい反面、それに拘泥したくもない、それに振り回されたくない、という気持ちでもあります。現在、いくつかの金融機関が「農業法人への融資を拡大する」といったニュースも聞こえてきます。たまに、ラジオなどで耳にする「帰農」への動き。それは果たして「疲れ切った日本人への福音」なのか、それとも単なる「サラリーマン減らし」なのか……。政府が、それとはなしに「田舎暮らし」を勧奨する背景には、やはり「飽和した都会での人減らし」、つまりは「棄民」の意図が見え隠れしていて……そこらへんは警戒しています。

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眼鏡を外し、森の中で、これからを、よーく考えてみる図

 実際、僕のハンドルネームが「田所稲造」なので、ここはいっちょ、農業法人を建てて、文字通り「田の所で稲を造る」人間になってみても悪くはないかな、という気にも、時々ではありますが、そうさせられます。病気になりやすいから便利な都会を選ぶのか、便利な都会にいるのでストレスから病気になりやすいのか、そのどちらかは、まだ判然としませんが(苦笑)。

 (次回へ続きます)

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