筆者は1970年生まれ。先輩から、情報技術者を目指す若い方へ生きてゆくためのコラムです。

コンピュータに没頭する毎日

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 さあ、今回からいよいよ本題に入ります。もし15歳からパソコンをやってこなかったら、僕の人生はもっと変わっていたでしょう。今年はパソコンに携わって23周年の年。でも、決してパソコンしか知らない、パソコンヲタ、という訳ではないのですが……。

【漫画が上手に描けなかったから……】

 中学校時代。当時は面白いアニメーションや漫画がたくさんあり、友達の中には教育ママから、高校受験を控えて、漫画本の処分命令を受けていた人もあり、なるほど、今思えばコミックマーケットが誕生したのも無理はないなあと思います。漫画の同人誌のまねごと(今でいうコピー誌)なんかもやったりして、当時から同人要素はかなり高かったと思います。

 ただ残念なのは、立体を平面に書き表す才能に恵まれていなかったのか、重度の縦乱視だったのか、ともあれ画力がなかったのが一番のネックでした。そこはそれ、漫画が上手に描けなくても読むことはできたので、今後予想される危機的状況を前にして、のんびり、まったり漫画やアニメを見ていたのでありました。「勉強? 何ですかそれは?」といった状態がじわじわと進行していくのでありました。

【ワープロ・キャノワードとの出会い】

 当時中学1年生。町内会では「そんなもの高すぎる」と導入に反対する人が多かったのですが、Nさんという町内会長が、マンションの町内会室に導入したのが、当時最新のワープロ専用機、キヤノンの「キャノワード」でした。当時の金額で約16万円したのかな。住み込み管理人のTさんに借りて、ひとりで文章を入力しては、ローマ字タイプの練習をしていました。

 画面はモノクロでも高精細で、これといってスキャナもなく、黒だけのインクリボンだったのですが、繰り返し使われた使用済みのインクリボンで来る日も来る日も自分の小説(らしきもの)を作っては、ひとり悦に入っていました。「ローマ字でかなを入れたら漢字になるって……ワープロすげー。これって中に入っているのはコンピュータだろう? しかも、3.5インチフロッピーに記憶!! すげー!!」とひたすら感動したのでした。

 たまに「高価なインクリボン」を使わせてもらったら「カラーだ!!」と、ひとりでうひゃうひゃ喜んでいました。完全に病気ですね(苦笑)

 今から思えば、これが僕の「未知との遭遇」でした。ですので、ひたすら、国語力だけは勝手について行きましたが、肝心の数学は……数学は……。

【8ビットコンピュータ・MZ-2000との出会い】

 当時中学2年生。そんなワープロ漬けの僕を見るに見かねて、少しでも数学の勉強に目覚めるようにと、父親が甥(僕の従兄)に頼んで、シャープのMZ-2000なるコンピュータを与えてくれたのでした(無償)。漢字は高額なオプション。モノクロのCRT。そしてOSはカセットテープからFSK信号を使ってダウンロード。それからBASICなるカセットを入れて、ようやく起動、という仕組み。

 なお、父親の甥というのは当時、日本ユニバックでSEとして働いていたNさんです(後に日本ユニシスになり、その後シスコシステムズ、退社してプロケット・ネットワークス・ジャパンの日本法人社長になって、それも辞められた後は、別の業界へ行かれました)。

 僕は、プログラムの取扱説明書を読んで、その通りに打ち込むと、例えば二次関数が出るとか、簡単なゲームができるとか、そういったことに感動しました。まだファミコンもなく、任天堂は「ゲームウォッチ」と呼ばれる簡単なミニゲームを出していた時代です。今ではVisual Basicはオブジェクト指向などで敷居の高いものになってしまいましたが、当時はBASICインタプリタそのものが覚えやすく、自分で組んだプログラムがすぐに動くという点では、今よりも取っつきやすかったのではないかと思います。このMZ-2000、見方を変えれば、今でいう「関数表示ができる高機能な関数電卓」なみの性能はゆうにあったかと思います。

(つづく)

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