「何のために生きるか」、重い言葉です。
もうかなり前になりますが、中学1年生のとき国語の時間に、先生が「人間は何のために生きているのか」という質問をしました。
なぜか、このシーンをはっきりと覚えているのです。それは、答えられなかったからではなく、先生が言ったことが強烈に印象に残ったからです。
「明日を生きるために、今一生懸命生きてるんだ」
当時理解できたかどうかは定かではありませんが、この言葉が記憶にしっかりと残っていてあるタイミングで頭に浮かんできます。
変な話ですが、それは大変な失敗をしでかしてしまったときです。
失敗といっても通常レベルのものではなく、例えば、以前勤めていた外資系企業で、あることを良かれと思ってごり押ししたせいで顧客に大損失を与えてしまい、社長はじめ何人かの役員をかんかんに怒らせてしまったことがありました。そのような場合です。
かなり極限状態になりますが、そんなときいつも割り切って「そうはいっても殺されるわけではない」と考えるようにしています。
そのタイミングが微妙で、限界に近づいていないと、いくらそう考えても冷や汗が出ている状態から開放されません。今だから冷静に(気楽に)分言えますが、その状況の中ではいかんともしがたく、終始落ち着きがない状態で、大声を出して走りたくなる有様です。
それが限界に近づき、殺されはしないということを受け入れることができた瞬間に、先の「明日を生きるために今を生きている」というフレーズが出てきて、だから「頑張って生きているからいいじゃないか」という気持ちになることができます。そして、恐ろしい(と自分では思っている)状況から見事に開放されるのです。
思い返すと、社会人になって責任を感じはじめたあたりから、これを自覚し出しました。
不思議なのですが、今まで何度か経験した、頭から深みに落ちていくような強烈なインパクトの「大変な失敗」は、必ずこのサイクルにはまっていきます。
客観的にうまく書けませんが、考えてそうなるわけではなく、無意識のうちに流されていくのです。
企業の人材体系を構築し、育成のPDCAを廻すための仕組みづくりをするためのコンサルテーションがわたしのビジネスですが、その仕事柄「人」について深く追求することになります。
成功体験を持つ人材は、どのような能力を持っているか、特性は、失敗体験とその克服方法は……といった具合です。
特に先述の失敗体験中の自分を分析しますが、まとまらずどうもうまくいきません。他者にはできて自分にはできない、これでコンサルタントかとみじめになる気持ちではありますが。
唯一参考になるかなと思うのは、心理学の人材に関する理論でしょうか。
■人材要件の定義
著名な心理学者、及び人材開発に関わる方々の見解によると、人材に関する要件は以下の3層に分かれるということです。
・第1層
自分が相手にこれだけのことをすれば、必ず相手もこれだけのことを返してくれると信じる感情(心理学ではベーシックトラストと呼ばれる)。就職するまでに固まり幼児期の体験で決まる、元来変えられないもの。
・第2層
思考特性や行動特性を表し、<好奇心→チャレンジ→認知>のサイクルのことである。このサイクルがうまくいかないことが続くと、チャレンジを避けるようになる。30~35のビジネスマンの最初の10年で固まり、以後変えにくい。
・第3層
経験や知識で蓄積されて行く特定分野の具体的能力、知識やノウハウなど。
この内容で考えると、本来重要なのは第2階層であり、言い換えると自分自身の中でPDCAを廻せる人材を登用したり、育成するというのがあるべき姿です。ところが、一般的には第3層だけを見て採用(調達)や評価をしているケースが多いように見えます。
好奇心やチャレンジ精神が旺盛な人は、第3層の特定分野の知識やノウハウを自分自身でキャッチアップして行く能力を持ちます。それにかかる時間だけの問題です。
ユニクロのファーストリティリングは、採用の際に自分でPDCAを廻した経験を持つ人かどうかを確認し、その経験のない人は選択基準から外れるという考え方を持っていると聞いています。
いかに第2層が優れている人を見分けるか、その能力を伸ばして行くような環境を作れるか、ということが「ビジネス目標の達成に貢献する」人材を育成するかが、企業にとって重要かということでしょう。
■自分の場合
そうすると、わたしはある程度PDCAを廻すことができると自分では思っていますが、Doのときの大きな障害で停滞してしまい、Check、およびActionの機能が働くのに時間がかかるということでしょうか。
もちろん、次のReplanも時間がかかるということになります。
突き詰めると、想定以外のことが発生し、そのインパクトが大きいときにオロオロしてパニックになる、という単に器の大きくない奴ということですか。情けないですね。
こんなに吐露すると、もしクライアントがこれを見れば、あきれられるかもしれませんね。
皆さんはどうですか。失敗したとき、どうなってどう克服するか、ぜひ教えてください。
コメント
第3バイオリン
高橋さん
コラムニストの第3バイオリンです。
失敗したときに何を思うか、どうやって克服するか。
非常に興味深く読ませていただきました。
国語の先生の言葉が素晴らしいですね。
確かに、失敗したときこそ一生懸命にならないと、その先の一歩を踏み出すことはできないかもしれません。
先日、自分の失敗をコラムにしてしまいましたが、
今日も不注意からテストで使用するデバイスを起動できない状態にするという失敗をしでかしてしまいました
(その後デバイスは何とか使える状態に復旧しました)。
私は失敗をしたとき、とにかく自分の失敗を課内のメンバーに話すようにしています。
そうして自分自身が困っていること、抱えている問題を周りに知ってもらうことで、落ち着きを取り戻すことができます。
また、周りに話すことで、今後の対策も取りやすくなるかと思います。
もし失敗の理由が課内のシステムやプロセスにあるとしたら、課内で問題を共有する必要があります。
また、単に私個人の不注意だったとしても、同じ不注意をしないために先輩方の知恵を拝借できれば…という思いもあります。
ただ、私の場合は部署内でまだ経験が浅いほうなのでこれでいいかもしれませんが
いわゆる「ベテラン」とよばれる年代になるまでこれではいけないだろうし、
そういう年代になったらどうやっていけばいいのか、今から迷っています。
(いつまでもコラムに失敗談ばかり書くのもどうかと思っているところです)
インドリ
こんにちは高橋さん。興味深いコラムです。
何度も頷きながら読みました。
> 皆さんはどうですか。失敗したとき、どうなってどう克服するか、ぜひ教えてください。
私の場合は、「何をどう間違えたのか」、「原因は何か」、「それはどうやって解決するのか」の3点を顧客に言う事にしております。
その時は、極力客観的に述べる事にしております。
今のところ業務はこれでうまくいっています。
ただ、私もまだまだ未熟者ですので、何癖の場合の対処に困っています。
何癖を言う人は、あらゆる卑怯な手段をとりますし、始めから聞く耳を持っておりません。
ですから対話そのものが不可能です。
そういった人に対してどのように対処するのかが私の課題です。
今後そういった時の対処も書いて頂ければ幸いです。
※モンスタークレーマーがはやっているそうなので、需要があると思います。
coco
面白いコラムなので思わず筆をとりました。
私の最大の失敗は今をさかのぼる20年ほど前です。
ある大手会社に勤めていた私はある日その当時米国の副大統領、ウオルター・モンデール氏の通訳を会社の役員から頼まれました、会食の場には副大統領を始めたくさんの人々がいて、次から次へと質問が飛び、私はそれをこなしていきましたが、そのうちある言葉の意味がわかりませんでした。それが原因で突然、通訳が出来なくなり、頭が真っ白になりました。相手があまりに偉い人なのでもう一度聞くことも出来ず、私は黙ってしまいました。
それに感づいた役員が「さあ、飲もう、飲もう」と声を上げ、皆飲み会に入っていき、この失敗は大きな問題にもなりませんでした。
失敗の原因はモンデール氏が話しそうな分野での勉強が足りなかったことと、”偉い人”と考えるあまり、聞き返すことも出来なかったこと、それと自分の英語の能力がまだまだであったことです。
その後は「モンデール氏より偉いのはアメリカの大統領だけで、他の人はたいしたことはない。」と開き直って通訳に望みました。また、通訳の前には対象の人の経歴などをしらべその分野の勉強をすることに勤めました。あの失敗をしたおかげでどこでも上がることなく通訳やスピーチが出来るようになり、その後自分の仕事も順調に立ち上がりました。
いろいろな失敗を経るから、「こうしてはいけない」「こうすればよい」と言うのがわかってきますから、若いうちにはいっぱい失敗をして自分を成長させなければいけません。会社も同じで”失敗の共有”が出来ない企業は滅びていきます。
高橋秀典
第3バイオリンさん、
コメントありがとうございます。お久しぶりです。
あまり多くは無いですが、かなり前なのに驚くほど鮮明に記憶に残っている過去の出来事ってありますよね。これはその1つです。
思い起こせば、記憶している最初の大失敗は、第3バイオリンさんに似ています。
客先の主要ファイルのバックアップは週1回で、明日その日というときにプログラムのソースライブラリをぶち壊したことがありました。開発も佳境で思い切り変更が入っている期間でしたね。私はシステム管理が担当で、新しい環境に移行する準備をしていたのです。
目の前が真っ暗ではなくて、キレイな青になったと記憶しています。生汗がどっと出て、知らぬ振りをして立ち去り、どこかへ行ってしまおうと本気で考えました。
わずかに残った?理性がそれを押しとどめ、責任者のところへ行って打ち明けました。その責任者は、目を白黒させていましたが、しばらくして各リーダを集め、わけを話して協力するよう指示してくれました。
そのあと一人ひとりにお詫びに回りました。やさしくなぐさめてくれたり、怒りをあらわにしたり反応は様々ですが、そのときに感じたことがあります。もちろん、こちらが悪いのですが、はっきり言ってその時の相手の対応で、その人の中身まで見えました。言葉や態度と本当の気持ちは異なる人が多いのですが、こういうときはかなり一致します。
同時に人って面白いと興味を持ちました。エンジニアでありながら、今の仕事をするきっかけになったかもしれません。
その翌日からバックアップは毎日になりました。今では当たり前ですが。(20年前の話です)
それからもう1つ、私は年齢から言ってベテランですが、経験者ほど人に褒められなくなります。当然かもしれませんが、褒める立場であって褒めてくれる人はほとんどいません。これは私にとってかなりきついですね。
私だけではないと思いますが、褒められてやる気を出すのは新人もベテランも同じだと思います。
今迄会った何人かは、これをうまくやってくれました。間接的に伝わる方法を取るのです。しかも、あからさまではなくさりげなくです。そういうことができる人には掛け値なしに協力しようと思うし、尊敬もできますね。
高橋秀典
インドリさん、
お久しぶりです。コメントありがとうございました。
コメントされた客観的に見るというのは必須ですね!
パニック状態のときは視野狭窄になっているので、落ち着くためにも大事だと思います。
確かに言われるように、すぐに文句をつける人、否定する人がいますね。
そういう人をモンスタークレーマーというのですね!
私の経験では、そういう方は自分の存在感をアピールしたい場合が多かったように思います。
そういう方には、順番に2通りの対応の仕方をしています。
そういう傾向があり、そのままにしておくと足を引っ張られそうと感じたときは、まずその人と1対1で話します。その人の立場や利害関係を知るということと、こちらの考えを正確に理解してもらうためです。
信念を持った人なら、真摯に話せばある程度理解して何でも反対する態度を改めてくれます。
しかし、そのアプローチを取った結果として、人格的に問題があると思ったときは、その上司に当たる方に包み隠さず話します。そういう人の傾向として上に弱いというのも、共通しているようです。
ただし、ここまで来ると当面は押さえられても、続けていくときの人間関係にはかなり影響がありますので、他のメンバと強固な信頼関係を築いてしまうことが大切だと思います。
私の場合、その上司の方もおかしな人だったという経験は無いのですが、途中で異動されて心配しましたが、押さえられていた人が元のように文句を言うような状態には戻りませんでした。
その理由は、先に書いたように既に他のメンバと「ワン・チーム」になっていて、口を出せる状態ではなく、おかしなことを言い始めたら孤立するというのが明らかだったからです。
そのような方は、計算高い場合が多いので、自分の不利になると分かりきったことはしません。
また、こちらの方がかなり若い場合、上司の方に話すのは勇気が必要ですが、やはり伊達に上位におられるわけではなく、ほとんどの方は話をよく聞いてくれます。もちろん、こちらの日ごろの態度はよく観察・評価されていますし、話し方、話の内容は十分に吟味されますが。
今までは、これである程度やって来れました。参考になれば幸いです。
高橋秀典
cocoさん、
コメントありがとうございます。
すごい体験をされていますね。
このようなお話はめったに聞けないので、ありがたいです。
おっしゃる通りで、若いうちに何でも恐れず、大いに失敗して経験を積むということは大事だと思います。
同感なのですが、最近の傾向を見ていると大丈夫かなぁと感じることがあります。というのは、失敗を体験すると立ち直れない若者が結構いるのです。
立ち直れないばかりか、下手をするとそれが原因で一生を棒に振ってしまう場合もあります。
弱すぎると言えば一言で終わりですが、我々の育ってきた環境とは明らかに異なるところもあり、時代背景上一言で片付けるには少し気が引けます。
ある意味できる人は放っておいても自分で伸びていくので構いませんが、そうで無い人は昔のようにのように身体で覚えるような発想は無く、また指導しても必要性を感じず押し付けのように思うようです。
その後者の比率が圧倒的に上がってきている感じがします。
私が考えるに、その傾向は15年ほど前から起こっています。ちょうどITバブルの時期で、プロジェクトのために人を集めればお金になったという、とんでもない状況でした。
その中では、人を育成するという考えは、ほとんどなかったように思います。
その当時の若者が管理職についています。その人たちが若者を指導し・・・、そうすると年月がたつにつれて、どんどん増幅していくというアルゴリズムになっているということだと思います。
結構時間をかけて積み重ねてきているので、ちょっとやそっとでは如何ともし難い忌々しき問題です。
では、それが起こり始めたときの指導側は何をしていたんだ、ということになりますが、まさしく私の年代であり、こと人材の育成に関しては、自分の経験してきたことを正として、一方通行的なやり方をしてきたのは明らかです。
いまさら言っても遅いですが、もう少しスマートな考えでなぜ出来なかったのかと思ってしまいます。
それは、私だけでなくてIT業界全体に言えることで、まさに今日本にそのつけが廻ってきているのではないでしょうか。
書きすぎました。またコメント待っています。
よろしくお願いします。
インドリ
おはようございます。高橋さん。
教えて頂き有難うございます。
凄く参考になりました。
次回も楽しみにしております。