今、話題の人工知能(AI)などで人気のPython。初心者に優しいとか言われていますが、全然優しくない! という事を、つらつら、愚痴っていきます

247.多様性を再考する

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初回:2022/3/9

 多様性=ダイバーシティとして訳されることがありますが、何となくしっくりこないと感じている方も多いと思います。

P子「あなただけなんじゃないの?」(※1

 そんなことはないと思いますよ。

1.違和感の正体

 一番有名な多様性の例と言えば、LGBTQ(性的少数者)でしょうか。それ以外で言うと、年齢、性別、人種、宗教、趣味嗜好などの多様性も含まれます。ここで多様性と言っていますが、要するに『自分は多数派なので、少数派の奴らを受け入れてやろう』という上から目線をヒシヒシと感じてしまいます。

P子「そんなことはないんじゃないの?」

 所が、そういう属性での差別や機会均等が阻害されることは『悪』なのに、仕事ができないとか、能力が低い事で賃金差別や昇給・昇格差別が起こります。

P子「いやいや、会社の常識でしょ」

 少し話を戻します。

 現在、多様性が重要視されているのは、上記のような多様な人材を活用して、今までにない製品を考えたり、組織の生産性や競争力を高めたりする経営戦略としての役割を担っています。過去の企業活動と言えば、同じ考え(例えば経営理念など)を共有して同じ仲間同士で協力して事業を展開していくという活動でした。そこにいきなり多種多様で考えの異なる人をまぜこぜにして、受け入れていく...なんて出来ないでしょう。

P子「あなたはそもそも、他人を信用してないもんね」

2.多様性の本質

 多数派だとか少数派だとか、そもそもそういうグループ自体が、どうも多様性の本質ではない気がします。どうしても自分一人でいるよりもグループに所属している方が心強いのですが、本来は個人個人皆異なります。要するに自分以外は皆違うという事です。

 多様性の本質は、自分以外の『すべて』の存在を認めるという事です。

P子「受け入れるんじゃないの?」

 受け入れようとするから無理が出たり、違和感を感じたりするのであって、自分とは違う人種、性別、考え方の違う人たちも『いるんだな』という事実を認めるという事です。無理して受け入れる必要はありません。

 『真実は、人の数だけ存在する』

 それと同じで、それぞれの人の『正義』や『真実』は、それぞれの人毎に異なっています。つまり、多かれ少なかれ、隣にいる人と自分では何かが異なるわけで、そういう存在を『認める』ことが、多様性を容認するって事だと思います。

 さて、問題は『受け入れる』事と『存在を認める』事には距離があります。受け入れられなくても存在を認めることは可能です。例えば、VBを目の敵にしている人から見れば、受け入れる事なんてできないかもしれませんが、存在を認めることは可能です。以前も少し議論が白熱しましたが、私はPythonを業務システムとして受け入れることはできませんが、業務システムとしてPythonを使用されている人も会社も認めています。

P子「あなたのPython技術力が低いだけでしょ」

 それは、事実ですが、真実ではありません。

P子「意味不明なごまかし方ね」

 いじめを受け入れることはできませんが、そういう人がいることは認めざるを得ません。だからと言って、見過ごすとか、放置するとかではなく、何らかのアクションは取るでしょう。それは、存在を認めたからこその改善活動であり、存在を否定してなかったことにすると、進歩がありません。

 多様性とは、そういう事じゃないかと思っています。

P子「不具合は、時々なかったことにしてない?」

 それは仕様です。

3.インクルージョンはしなくてよい?

 受け入れないで存在を認めるだけでは『ダイバーシティ&インクルージョン』にならないと考えるかもしれませんが、半分正解で半分不正解です。

P子「どういう事?」

 例えば、会議で自分の意見と正反対の意見があったとします。受け入れない...つまりどこまで行っても平行線で話がまとまらないのが良いのか、受け入れる...つまり自分の意見をまげて、反対意見を取り入れる、どちらも問題解決にはならないと思います。自分の意見と反対の意見の存在を認めて、そういう考えもあるんだ、なら、こうしよう...みたいな改善案を出し合って、切磋琢磨していくと、最初の自分の意見より最終的により良い意見になる可能性があります。

P子「受け入れる...って、そっくりそのまま採用する事じゃないわよ」

 まあ、真実は、人の数だけ存在しますから。

P子「なんか、ごまかしたっぽい」

4.余談...

 ちょっと話が変わりますが『真実は、人の数だけ存在する』に対して『事実は一つ』なのでしょうか?

 ある一つの事柄について、どう考えるか、感じるかはその人にとっての真実なので、人の数だけ存在するというのは判ります。同様に『正義』も人によって異なります。では、人の感情を挟まない本当に起こったこと...『事実』は、一つなのでしょうか?

 例えば相対性理論で有名な『電車の真ん中で光を出す』思考実験では、電車内のAさんは、ど真ん中で出された光は、電車の前後同時に到着しますが、ホームで見ていたBさんは、電車が走っている分、光が後方の壁に先に到着し、前方の壁に後で到着したと言います。これは、AさんもBさんもどちらも『事実』を述べています。

 つまり『事実』は観測系によって異なるので一つではない...と言えると思います。

5.閑話休題

 話を元に戻しましょう。

 多様性とは、多数派が少数派を受け入れる事ではなく、個人個人で皆違うという事を理解したうえで、受け入れる事ができれば受け入れればいいし、それが出来なければ、存在を認めるだけでもいいという事です。存在を認めるという事は、それを肯定することも否定することもできるという事で、相対的に言えば他人もあなた自身を肯定も否定もできる事です。真摯に向き合って否定されるのであれば、否定そのものを受け入れることができるかもしれません。そうやって、お互いの違いを少しづつ吸収しながら、高みを目指すのが、多様性を受け入れるという事なのではないかと思います。

ほな、さいなら

======= <<注釈>>=======

※1 P子「あなただけなんじゃないの?」
 P子とは、私があこがれているツンデレPythonの仮想女性の心の声です。

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