今、話題の人工知能(AI)などで人気のPython。初心者に優しいとか言われていますが、全然優しくない! という事を、つらつら、愚痴っていきます

106.成果主義は不幸の始まり

»

初回:2020/11/04

1.トヨタさんも成果主義

 「トヨタ式人づくり」など人材育成には定評のあるトヨタさんがついに成果主義を拡大するとのこと。

 《参考資料》
  https://news.infoseek.co.jp/article/toyokeizai_20201025_384033
  トヨタの成果主義拡大「6.5万人評価」の試練 新賃金制度では定昇がゼロになるケースも
  東洋経済オンライン / 2020年10月25日 7時20分

 「トヨタで働く人たちの雇用は何としても守り抜く。そのために、もっともっと競争力をつけなければならない」とのことですが、D評価で昇給ゼロとなる新システムで、雇用は守るが給料は減らすという事なんでしょうか?

 確かに、企業としては競争力の強化が要求されるでしょうが、競争力の強化手段が優秀な人に、より多くの賃金を支払う事で達成できるのか?という所が引っ掛かります。(私がって付けないとまたツッコミが)

P子「いつもの平等主義?」(※1

 ちょっと違うのは、成果主義って成果が出ないと評価されないって事だと思います。年2回のボーナスや年1回の昇給昇格を考えると、それより長いスパンで成果を上げるような仕事は、報われないことになります。時代の流れが速くなっているとはいえ、本当にそれでよいのでしょうか?

P子「当然、考慮されてると思うわよ」

 それと、能力と成果の関係性も微妙です。例えばプログラミングの世界で能力が高いって開発スピードが速いって事でしょうか?それとも誰も作れないプログラムを組むことが出来るって事でしょうか?
 前者の場合、早いだけで再利用できないクラスとかコピペで作っただけの意味不明なコードだったり、コメントが異常に少なく内容が理解できないとか。後者の場合は、誰も作れないプログラムなんて誰もメンテできません。

P子「でもそういうスーパーSEも必要でしょ?」

 それも、一理あります。

 でも、野球で例えるとすごいピッチャーがいてもバッターが不甲斐なければ得点することが出来ず、チームとして勝てない(成果が出ない)ことがあります。ピッチャーなら色々な指標がありますが、これが初めてのプロジェクトの場合、成績の比較基準がありません。場合によっては、一人のプログラマーの技量が高かったのか、それをサポートしたテストチームの成果なのか、ドキュメントをきちんとまとめた人たちにどう報いるのかなど難しいと思います。

2.個人の成績とチームの成績

 例えば、色々な評価基準があったとして点数を付けたとします。判りやすくするため、学校の成績で考えてみましょう。国語、社会、数学、理科、英語が、60,60,60,60,60=300点のAさん、0,0,100,100,0=200点のBさんとどちらを評価するのか?もっと言えばどちらがより成果を出せるのか?
 企業というものは、社員が複数いますし課題もある程度的を絞ることが出来ます。あるプロジェクトでは、数学、理科が100,100 のBさん系統の人を複数集めたチームが効果的でしょうし、ある部署では、平均60点のAさんを集めたチームでないと上手く仕事が回らないケースもあるでしょう。その場合、どのように評価するのでしょうか?

 これは分かりやすい例ですが、人格や部下の面倒見やコミュニケーション能力、折衝能力、その他いろいろな要素があって、それらはレーダーチャートみたいな平面ではなく、もっと立体的に凸凹しているイメージです。それらを比較するっていうのは難しいと思います。

P子「あれ、3次元でいいの?」

 さすがP子さん。その凸凹の立体形状で、時空も絡んできます。つまり、持っていく場所によってその形状は変化し、時間が経過すればさらに変化する。社会の規則や流れでも変化する。

P子「でも、やっぱり能力差ってあるのよね」

 そうですね。

 実はここで思い出したことがあります。『秋田君』です。

P子「誰それ?」

3.『秋田君』の事例

 もう、数十年も前の話なのですが、中学時代のテニス部の同級生のお話です。テニスの上手下手でいうと、試合さえすれば決着が付きます。そういう意味では『秋田君』は部員10名程度の5番手くらいです。でも、ほんとにまじめだったんで、クラブの部長を選出する際、全員一致(正確には秋田君を除く)で彼が部長に選ばれました。昔風のいじめとかではなく、みんなで納得して彼しかいない...みたいな感じで決まりました。筋トレとかランニングとかの地味できつい練習も彼が主導して行ったので、みんな文句も言わず(いや言いながらでも)練習に励んでいました。

 つまり、単純な能力で判断すべきか?ということです。

 テニスの場合、団体戦というのがあります。チームとしての勝ち負けですが、上手な選手が勝ち星を取ることになります。『秋田君』は勝ったり負けたり、いや負け越しの方が多い気がします。例えばこの成果を給与に反映させる場合、勝利に貢献した強い選手を優遇すべきか、試合には負けたが普段の練習をリードし強い選手が勝てる要因の基礎を作った『秋田君』を優遇すべきか。試合前に選手登録から漏れて球拾いを多く行って代表選手の練習時間の確保に協力した選手を切り捨ててよいのか?

 例えば、代表選手は6名選ばれるとして、最初は6位と7位でほとんど差がなかったとして、代表選手は練習を優先されることで、より多くの練習を上手なメンバーと行う事で上達も早く、7位との差が開く一方かもしれません。実は同じだけ練習させれば、6位と7位が入れ替わっていた可能性も十分にあります。

 成果主義は使い方を誤ると、内部に亀裂を生じさせ、メンバー内のヒエラルキーを固定化してしまう可能性があります。

 やっぱり個人的には成果主義は好きになれません。

4.じゃあどうするの?

 理想を言えば、みんなが協力して成果を上げるのだから、みんなで分け合えばよいと思います。とはいうものの、やっぱり能力差って結構ありますし、みんなが真剣に頑張るとも限りません。手抜きする人や要領や口先だけの人もいるので、そういう人達と同じ給与というのも、それまた確執を生むことになります。

 立候補、およびメンバー募集型プロジェクトが良いと考えています。

 これはプロジェクトの成果と給与を提示しリーダー(誰でも可)が立候補しメンバーを募集して集めるというものです。取り分はリーダーが決めるのですが、優秀なメンバーに集まってもらうためにはそれなりの報酬を約束しないといけないでしょうし、嫌なプロジェクトや嫌なリーダーの元で働く必要もないため、能力があっても人格がないリーダーにはメンバーも集まらないでしょうし大きなプロジェクトも実行できなくなります。
 社内で競争原理を働かせるなら、これくらいのことが必要だと思います。

P子「事務職はどうするの」

 AIとかアウトソーシングでいいんじゃないですか?

P子「急にざっくりね」

 その辺は企業の競争力には余り関係なさそうなので、ざっくりです。

P子「関係者に怒られるわよ」

 まあ、事実は素直に認めて、今後の人生を考えたほうが良いかもしれませんね。

P子「最近、キャラ変わった?」

 色々と思う所がありまして。

 さて、私の基本理念としてキャピタリズムハラスメント反対を推進しているのですが、プロジェクト人員募集方式を採用したとして、メンバーからあふれた場合も一定の給与を支払います。理想的には1年間何もしなくても給料が出ている状態がベストです。

P子「さすがに一般企業じゃ無理じゃない?」

 でも、本当に全く仕事をしないケースも想定できますが、プロジェクトに参加していない期間は独自に勉強したりプロジェクトに無償で参加させてもらったり(経験値を高めるため)色々とやることが考えられます。例えば産休で休みの間でも給料が支払われる仕組みになりますし、他社のプロジェクトに参加して給与をもらったりなんてもことも出来るかもしれません。

5.能力の多次元評価

 国語、社会、数学、理科、英語が、60,60,60,60,60=300点のAさん、0,0,100,100,0=200点のBさんの話に戻します。会社で実際に役に立つ人材がどちらなのか、一概には決められないという事は、大学の入学試験についてもいえるのではないのでしょうか?

 時空も含めた多次元的能力を、合計点数だけで評価してどこの大学に入るかを決めるなんて、ナンセンスです。例えば、Aさんが国立大学に入学出来て、Bさんは入学できない。でも大学の講義で数学系とか理科系の科目ならBさんの方が理解力もあるでしょう。

 つまり、多次元能力を最大限生かすなら、大学に所属するのではなく大学の単位ごとに履修科目を決めることが出来ればよいのです。「大学入学共通テスト」ではなく「大学共通履修科目基準判定テスト」と名称を変更し、この各科目ごとの得点で各大学ごとに履修できる科目を選べるというのでもいいですし、いっそのこと好きに履修できるようにして単位認定の試験だけきっちり行っても良いかもしれません。

 もちろん、1限目が東京で2限目が北海道、3限目が鹿児島とかの場合、物理的に移動できないわけで、これはオンライン授業でしか実現できないでしょう。つまり、大学に入学せず履修科目はオンラインで受講して単位を獲得すれば大学卒業資格が得られる...みたいな感じでしょうか?しかも、社会人になってからも自分で好きな履修科目を選ぶことが出来ても良いかもしれません。文学部卒業の社員が経理部門に配属された後で、大学で会計学を履修したりするというイメージです。

 大学は科目ごとに料金設定を行い、有名講師を招いたり授業方法を工夫してお客さん(学生や社会人)を集めることが、集客力が大学教授の成果になるでしょう。

P子「でも大学で友達作って遊ぼうって思ってる受験生も多いんじゃない?」

 そんな考えで、これからの格差社会を生き抜いていけると本気で思ってるなら、遊べばよいと思います。でも、現実を素直に認めて、今後の人生を考えたほうが良いかもしれませんね。

 話を戻すと、就職についても大学名よりどの科目を履修して単位を取得したかで多元的に判定することになるでしょうし、会社もプロジェクト制にすれば未知の能力を大学の偏差値に頼る必要もなくなるでしょう。また日本では行われていない飛び級とかもオンライン講座ならアリにすればいいでしょうし、能力の高い中学生が企業のプロジェクトに参加して高い給料をもらっても構わないでしょう。

P子「少し構想が妄想してない?しかも能力主義を推進してるし...」

 それとこれとは別です。それに少子化で大学が生き残りをかけるなら十分あり得ると思います。学生を世界中から集めることが出来るんですから。それに、アメリカの大学におけるオンラインコースなどは非常に進んでおり、日本で同様のサービスが出来ないのは技術の問題ではなく考え方の問題だと思います。

 そういう意味では、政府が進めようとしている「デジタル庁」にはものすごく期待しています。

ほな、さいなら

======= <<注釈>>=======

※1 P子「いつもの平等主義?」
 P子とは、私があこがれているツンデレPythonの仮想女性の心の声です。

Comment(12)

コメント

匿名T

凄まじく重箱の隅ですが、記事タイトルの項番との区切りがここ最近?ピリオドとアンスコで混在しているのが気になりました。
106.
105_

ちゃとらん

匿名T さん、コメントありがとうございます。


> 凄まじく重箱の隅ですが
いやいや、ものすごくきちっとされているご指摘です。


# Javaなら、コンパイルエラーですが、Pythonなら実行時エラーですね。
> しつこいわよ By P子


なぜ、こんなことになってるかというと、一旦テキストファイルを作成してそれを張り付けてるんですが、テキストファイルの途中にピリオドを入れるのが何となく嫌で(.txtが最後なので拡張子的には問題ないのですが)_ で作成していて、ファイル名をコピペする際、直し忘れたという事です。


先ほど、修正しました。


ご指摘、ありがとうございました。

M321-2

個人的に理解の追いつかないところが多いので質問させてください。


>立候補、およびメンバー募集型プロジェクトが良いと考えています。
ここで挙げられている例と成果主義との違いがわかりません。
成果と報酬を提示して仕事をしてもらうんですよね?


>手抜きする人や要領や口先だけの人もいるので、
これの対策をするということは何かを持って判断を入れるのだと思うのですが、その判断基準は成果以外の何を使うのでしょうか?


あと全体的によくわからないのは成果主義の話をしているのか能力主義の話をしているのか、ということです。
個人的にこの2つは全くの別物だと思うため、なぜ成果主義が良くないと言う話の半分以上が能力の話になっているのか理解できないのです。
(大学の話に至っては能力主義でさえ無いような気がします)


結果的にコラムを読んだ後の感想が「成果主義の何を悪いと言おうとしているのかわからない」と言う状態です。

ちゃとらん

M321-2さん、コメントありがとうございます。


確かに取っ散らかってしまいました。


出来る範囲で。


> メンバー募集型プロジェクト
成果主義を『個人の成果を判定(評価)して報酬を払う仕組み』とすれば、最大の課題は判定(評価)の仕方だと思っています。要するに公平・公正な成果を判定する方法がない(又は難しい)と考えています。であれば個人の成果を判定するのではなく予め決められた基準を元にプロジェクトの成果と報酬を規定しておき、後は各自が自分自身で納得できるかどうかで報酬を受け取る方式が良いのではないか、という事が言いたかったのです。


> >手抜きする人や要領や口先だけの人・・・の対策
これは競争原理というか自然淘汰を考えていました。
メンバー募集で、応募者が手抜き、口先だけの場合、次回以降は参加させない、募集してきても採用しないという事が出来ます。つまり手抜きする人はプロジェクトに呼んでもらえなくなるため、自己学習や能力向上の努力をするでしょう…という期待を込めています。


> 成果主義の話をしているのか能力主義の話をしているのか
成果主義:結果だけから判定する
能力主義:結果はともかく能力のあるなしで判定する。
という定義で良いのでしょうか?
300馬力のスポーツカーで、50km/h で走るのと、64馬力の軽自動車で100km/hで走る場合、能力主義ならスポーツカーを高評価し、成果主義なら軽自動車を高評価するみたいな感じでしょうか?

たぶん、話が分かりにくいのは、300馬力とか64馬力という数値、50km/h とか100km/hという数値を求めるのが難しいというところからきています。レースならスポーツカーですし、チョイノリなら軽自動車がリーズナブルだし、どちらが優れているって決めるのは難しいでしょう。
つまり、成果主義も能力主義もどちらを採用するにしても、個人の査定を行うのは難しいので、いっそのこと自由競争にしてしまえば…という感じでしょうか?


ただし、セーフティーネットの整備と、そもそも差を付け過ぎないようにしたいというのが私の思いです。

M321-2

返答ありがとうございます。


>成果主義:結果だけから判定する
>能力主義:結果はともかく能力のあるなしで判定する。
ここは相違ないと思います。


>最大の課題は判定(評価)の仕方だと思っています。
これにも同意します。


>予め決められた基準を元にプロジェクトの成果と報酬を規定しておき
成果主義を採用するからには「どのように成果を評価するのか」の取り決めが必要だと思っています。
そしてまさにその話をしているように見えます。
(参加するだけ、というのは実にシンプルな成果ですね)


>次回以降は参加させない
これはそのプロジェクトでの成果をもとに次回の採用評価に使用する、ということと受け取りました。
これも一つの成果主義ではないでしょうか(報酬が給与でないだけで)。


>個人の査定を行うのは難しいので、
前述の通りこれにも同意します。
が、そこが難しいからこそ、目に見える成果で査定しよう、というのが成果主義だと思っています。
なので、おっしゃられている内容に成果主義のデメリットが見えません。
(秋田くんの事例も私には「そういう働きをどのように成果として評価しようか」という議題に見えています)
成果主義を導入するのは難しい、なら分かるんですけど…


>セーフティーネットの整備
ベーシックインカムに繋がりそうな感じですね。

ちゃとらん

M321-2さん、コメントありがとうございます。


>>次回以降は参加させない
> これはそのプロジェクトでの成果をもとに次回の採用評価に使用する、ということと受け取りました。
>これも一つの成果主義ではないでしょうか(報酬が給与でないだけで)。
若干追加説明しますと、「採用評価に使用する」のはプロジェクトリーダーに立候補した人という意味です。プロジェクトを公募し、リーダーに手を挙げた人を採用するのは会社(プロジェクトを公募した側)ですが、その後リーダーがメンバーを選ぶという感じです。
# イメージだけなので、リーダー、メンバーともに会社が選ぶという形にはしたくなかったという感じでしょうか。


> 成果主義を導入するのは難しい、なら分かるんですけど…
おっしゃる通りです。
で、その難しい成果主義を取り入れる必要はない…的なニュアンスであり、単純な発想で成果主義を導入すると、逆に成果が出なくなるのでは…というのがデメリットのつもりでした。

kiku

アメリカのキャリア重視に似てますね
リーダーは企画し提案資料を作成し、予算を獲得できたら
マネイジメントもして、予算から各メンバーへの報酬さえ決める
メンバーは個人のキャリアと、リーダーやその取り巻きとのコネによって、おいしいプロジェクトに参加できる
ある程度キャリアが積もれば信用が発生してリーダーとして企画した際に通りやすくなる
一方キャリア形成とコネ形成に失敗したら会社からの基本給は受けられるが窓際族の社内失業者
幾ら会社がフォローしてくれても(だからこそ?)、プロジェクト参加者が稼いで会社に上納した金をただ食いつぶしてるわけで、相当図太くないとのうのうと残れないかも

ちゃとらん

kikuさん、コメントありがとうございます。


解説ありがとうございます。
さすがアメリカですね。合理的というか。
なかなか、スパッと割り切れないと人間関係がずぶずぶになってしまいますもんね。


この形式がベストとは思っていませんが、よく判らないまま個人の成果を判定して評価値を決めるより民主主義(自由主義なのかな?)ですね。

M321-2

返信ありがとうございます。


説明戴いた内容と本文を整理してみます。
理解が違う点があったら教えて下さい。


会社vsリーダー:成果主義
リーダーvsメンバー:個人依存


ということでしょうか。
成果主義が良くないと仮定しても、その対策になっていないような気がしてしまいます。
依然として成果主義が主軸ですよね。


>リーダー、メンバーともに会社が選ぶという形にはしたくなかった
今までの話から、実はこちらがちゃとらんさんの本題ではないかという気がしてきました。
全体的に大きな企業というか組織の影響力を下げたい、という意図があるように感じています。


>その難しい成果主義を取り入れる必要はない…的なニュアンスであり、単純な発想で成果主義を導入すると、逆に成果が出なくなるのでは…というのがデメリットのつもりでした。
どのようなものにも難しい点はあります。
そして単純な発想で導入すると良くないのは成果主義だけでなく殆どのものに当てはまると思います。
そう受け取ってしまうので私にはデメリットが伝わらなかったんですね、納得しました。

ちゃとらん

M321-2さん、コメントありがとうございます。


> 会社vsリーダー:成果主義
そうなんですが、リーダー側に主導権があるというイメージです。つまり、会社側が目標成果と予算を伝えて、リーダーが受けるかどうかを決める。安値なら受ける必要はないですし、値段交渉してもいいし。社内版の請負業務委託みたいになってますね。
メンバーも自分への報酬をリーダーと交渉してポジションを確保する…みたいな感じです。
成果主義より自由競争の要素が強いイメージですね。


でも、私は自由競争社会を目指しているわけでもないので、会社が勝手に個人の業績(成果)を決めるより、『まし』という感じでしょうか?


> そして単純な発想で導入すると良くないのは成果主義だけでなく殆どのものに当てはまると思います。
そうですね。これは納得です。
年功序列と成果主義とどちらが良いか、って、うまく運用できればどちらも良いし、下手な運用を行えば、どちらもダメですもんね。


もう少し考えてみます。


Mc

>そんな考えで、これからの格差社会を生き抜いていけると本気で思ってるなら、遊べばよいと思います。

格差社会を是認しているのか、そうでなくなってほしいのかよくわからなかったです。

ちゃとらん

Mcさん、コメントありがとうございます。


> 格差社会を是認しているのか、そうでなくなってほしいのかよくわからなかったです。
おっと、ご指摘通りですね。これは参りました。


基本、そうなってほしくない派です。
でも、この文章の流れで言うと『格差社会を是認している』ように見える…完全に是認してますね。


自分の中の理想郷と現実社会の厳しさがチャンポンになってしまってます。
・・・ でも、遊んでいいよと言えないところがつらいですね。

コメントを投稿する