ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

イノウーの憂鬱 (55) 信頼できない語り手

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 「え」ぼくは驚いて訊き返した。「もうできた?」
 「もちのろん、でっせ、だんな」マリは得意そうに答えた。「あっしを甘く見ちゃ困りまっせ。いつまでも、けなげに努力する美少女マリちゃんじゃないんすよ」
 「美少女って、誰だよ」
 「ちゃちゃっと」という言葉通り、マリは職域接種受付フォームのhtml を翌日の朝10 時には完成させた。完成といっても、前日の打ち合わせで現出した疑問点の回答は、まだ得られていないため、あくまでも現行の状態で、ということだが。
 ぼくはマリがコミットしたhtml テンプレートをざっと確認したが、必要な項目は全て揃っているし、Flask 用にid とname を振っておくことも忘れていない。PC とモバイルの両方のモードで確認したが、表示が崩れるようなこともなかった。
 「申し込みできる家族の数が未定なんですけど」マリは説明した。「本人入力エリアの下に追加ボタンを置いてあります」
 「追加した場合、id とname はどうなるの? familyName1、familyName2 みたいに増やしていくのかな」
 その場合、途中の接種者を削除したとき、id が欠番になるな、と思ったのだが、マリはそこも考えていた。
 「あ、それなんすけど、submit する前にhidden のvalue にまとめて書いちゃおうかと思って。JSON の配列で。そうすればFlask の方でfor で回せるじゃないですか。families ってhidden をform の閉じタグの直前に作ってあります」
 「なるほど」ぼくは頷いた。「Flask 側ではfamilies だけ見ればいいって事か。素敵じゃないか。あ、でも、それならいっそ、本人もその配列に入れてしまった方がいいんじゃないかな」
 「へへ」マリはピースサインを作った。「そうなってますよ。登録実行のfunction 見てみてくださいよ」
 言われた通り、js ディレクトリにあるJavaScript ファイルを開いてみたが、本人と家族が同じ配列に入るようになっていることが確認できた。システム開発室で仕事を始めた当初、マリの書くJavaScript は「動けばいい」というレベルであって、変数の命名には統一性がなく、インデントもバラバラ、var とlet とconst による宣言にも規則性がなかった。今、見ているソースは、それらの欠点が克服されていて、可読性も保守性も高いコードになっていた。バリデーションもJavaScript 内で定義されているので、Flask 側ではチェックする必要がないほどだ。
 「ほんとにきれいになったなあ」
 思わず褒めると、マリは照れたようにニヤけた。
 「やだなあ、イノウーさん。あたしが可愛いってことに、今頃気付いたんですか」
 「......」
 ぼくは内部のロジックを考えていたが、この調子なら意外に早く終わりそうだった。話を聞いたときには、土日の大部分をモニタの前で過ごす覚悟をしていたが、その見込みは嬉しい方向に外れてくれるかもしれない。
 「この分だと」マリはモニタの中から言った。「土日は仕事しなくてもいいかもしれないっすね」
 「そうかもね」ぼくは同意した。「少なくとも、どっちかは休めるんじゃないかな」
 「6 回め、行っちゃおうかな」
 「6 回め? あ、シン・エヴァ?」
 「そーです。イノウーさんも一緒にどうすか。一回ぐらい、観といた方がいいですよ。伝説の神アニメの最終章ですから」
 「映画館はちょっとなあ。アウトブレイクって映画観たことない?」
 「映画館は換気もされてるし、大声出すわけでもないし、みんなマスクしてるし、そこらのスーパー行くより、ずっと安全です。シン・エヴァも今月で上映終了なんですから、これを逃したら後悔しますよ」
 「アマプラの配信始まったら、序から一気見しようと思ってるから」
 「そのちっちゃなモニタでですか」マリは蔑んだように鼻を鳴らした。「いいですか、イノウーさん。世の中には大スクリーンで観るのがマストな映画ってものがあるんです」
 「ロード・オブ・ザ・リングとかね」
 「ああ、まあ、そうですね。それは認めます。あたしも、あれはスクリーンで観たかったと思います。でもエヴァだって......」
 画面の隅にTeams のポップアップが浮かび上がった。マリが言葉を切って顔をしかめた。伊牟田さんからのビデオ会議要求だったからだ。
 「無視します?」
 「そういうわけにもいかないよ」ぼくはマリとの通話を切って、伊牟田さんの方に応答した。「はい、おつかれさまです」
 「遅くなってごめん」伊牟田さんは拝むような仕草で言った。「えーと、だいたいわかった」
 伊牟田さんは手元のメモを見ながら説明した。アレルギーなどの申告はフリーテキスト。家族の住所は不要だが、電話番号は当日の連絡用に個別に必須となる。同時に接種できるのは、社員本人を含めて5 名まで。ただし家族だけ、は認められないので、最初の一人は必ず社員本人になる。接種日は別々でも構わないが、会場は一箇所にする必要がある。また最初の接種日7 月15 日時点で、満18 歳になっていない人は申し込みできないように制限をかける。
 「予想の範囲内ですね」ぼくはエディタに聞いた内容を打ち込みながら言った。「送信する形式は決まったんですか?」
 「ああ、決まった。接種希望者毎に1 行のExcel ファイルになるよ。後でサンプルを共有する」
 「わかりました。これで進めます」
 「よろしく。俺は会社で待機してるから、何かあったら、いつでも連絡して」
 伊牟田さんが消えると、聞いていたマリが感想を口にした。
 「なんか、まともに仕事してますね」
 「そうだね。いいことだ」
 「どうせなら、もっと早く、こうなってくれればよかったのに」
 「過ぎたことを言っても仕方ないよ。それより、接種日の制限、JavaScript でできる?」
 「できると思いますよ。いくつか使えそうなサンプルを探してあるんで。要は満年齢を出せばいいんですよね」
 「そういうこと。じゃ、そっちは任せていいかな」
 「ラジャ。できたら連絡します。あ、エヴァの件、考えといてくださいね。横浜駅前の新しくできた映画館、DOLBY CINEMA らしいですよ」
 「それはIMAX と違うの?」
 「よくわからないんですけど」マリは肩をすくめた。「なんか絵も音もすごいらしいっす」
 「じゃ、その違いを1k バイト以内のテキストでまとめておいてよ」
 通話を終えたぼくはロジックの実装を開始したが、5 分もしないうちに、別の人間から連絡が入った。今度は総務課のシノッチだ。
 「職域接種の受付フォームって、イノウーさんとこでやってるんですよね」シノッチは焦った口調で言った。「ちょっとお願いがあるんですけど」
 「何でしょう?」
 「社員の氏名ってJINKYU から取るんですよね」
 「そうするつもりですが」
 「違ってたら申しわけないんですけど、JINKYU から取れる情報って、本名ではないんじゃなかったでしたっけ」
 「本名ではないってどういう......」言いかけたぼくは、シノッチの言いたいことに気付いた。「ああ、旧姓ってことですか」
 JINKYU のAPI で取得できる社員の氏名は「通称名」ということになっている。たとえば木名瀬さんは離婚しているので、現在の姓は「大島」だが、社員の間では「木名瀬」で通っているし、各種申請システム上で表示される名前も「木名瀬」のままだ。JINKYU 上、「通称名」として登録されている姓が「木名瀬」だからだ。API 経由でJINKYU データを利用する各システムは、どれも本名を必要としないので、利便性を考慮しての仕様だ。
 「エースシステムに提出するリストには」シノッチは言った。「旧姓じゃなくて戸籍上の名前が必要なんですよ。接種会場で身分証明書と照合するので」
 「じゃ、フォームの画面上に注意書きでも入れておきますか。旧姓の人は本名に修正してください、とか」
 そう提案したが、シノッチは首を横に振った。
 「それだと間違える可能性があるので、最初から本名で出せ、とのことで。上の方から言われてしまって」
 「そう言われてもJINKYU のデータ参照はAPI でやるしかないんですけどね」
 「何とかなりませんか」シノッチは懇願するように頭を下げた。「お願いします」
 「......わかりました。ちょっと方法を探ってみます」
 通話を終えたぼくは、以前にダウンロードしたJINKYU のAPI 仕様を開いた。本名で取得するようなオプションでもないかと思ったのだ。だが、一通り眺めてみても、そんなオプションはないようだった。
 木名瀬さんが何か知らないか、と通話しかけて、ぼくは手を止めた。以前、ノートPC の申請フォームを作っていたとき、木名瀬さん経由で茅森課長からJINKYU の裏技を教えてもらったことを思い出したのだ。SQL 文を実行して結果をJSON で受け取る方法だったはずだ。SQL が書けるなら本名のカラム名さえわかれば取得できる。カラム名はDB 定義書を見ればわかる。
 勢い込んで、過去のソースを探したが、その方法でも本名を取得することはできないとわかった。API は全て実テーブルではなく、View からデータを取得していて、View にも本名のカラムは含まれていなかったからだ。
 斉木室長に報連相すべくTeams を開いたが、ステータスは「取り込み中」だった。木名瀬さんは、と見ると、こちらは「連絡不可」だ。そういえば、今日の午前中はエミリちゃんを病院に連れていくとか言っていた気がする。
 仕方がないので、このプロジェクト用のグループに、状況を書き込んでおいた。斉木室長か木名瀬さんが見て連絡をくれることを狙ったのだ。だが、5 分後に連絡してきたのは、全く期待していなかった人物だった。
 「それってさあ」伊牟田さんは訊いた。「どうすれば解決できるの?」
 「え、その......」ぼくは理解してもらえるのか疑問に感じながら答えた。「JINKYU のデータベースに直接接続させてもらうのが一番なんですけど......」
 「なに?」
 「いえ、以前、何かのときに聞いたんですが、直接接続は不可ってことだったんですよね。ファイアウォールだったか何だかで」
 「ふーん、そうなんだ。じゃあ二番は?」
 「二番?」
 「だからさ」伊牟田さんは落ち着いた口調で訊いた。「DB 接続が一番なら二番は何ってこと」
 「あ、そういうことですか」ぼくは少し考えた。「とりあえず最新の社員データを社員ID と本名だけでいいんで、CSV か何かでダウンロードしてもらえたら何とかなりますけど」
 「JINKYU って人事課だよね。今は戸室さんか。連絡するからイノウーも一緒に参加してくれる?」
 「ぼくもですか」
 「俺だとわからないこともあるかもしんないからさ。じゃ、ちょっと待ってて。一回、電話してみてから、改めてビデオ会議の案内送るからさ」
 ビデオ通話は切れた。戸室課長の呼び出しに手間取ったのか、15 分ほど経過した後、メールで会議案内が届いた。すぐに接続すると、ほぼ同時に人事課の戸室課長が入ってきた。
 「じゃ、イノウー」伊牟田さんが言った。「さっきの説明して」
 ぼくはJINKYU のダウンロードについて説明を繰り返した。JINKYU の通常メニューにはダウンロード機能はないが、人事部門だけが使える管理者メニューには存在していると聞いたことがある。
 「ああ、ダメダメ、そんなの」戸室課長はにべもなく拒絶した。「人事だって何でもできるわけじゃないんだよ。JINKYU のサーバは違うサブネットになってて、直接コピーできないからね」
 「そうですか......」
 IT システム管理課にいた頃から、戸室課長が融通が利かない人だということはわかっている。これは戸室課長だけではなく、マーズ・エージェンシーの管理職全体に共通する風潮だ。現状維持で支障がない場合は動くべからず、というガイドラインでもあるのかもしれない。ぼくはもう一押ししてみるべきか迷ったが、先に伊牟田さんが言い出した。
 「あー、ちょっといいかな、トムさん」
 トムさん? 戸惑ったが、戸室課長はすぐに答えた。
 「なんですか」
 「トムさんさあ、ダメダメとかちょっと冷たくないかなあ。コピーする方法はあるんでしょ?」
 「そりゃあ、ないことはないですがね......」
 「それ、教えてよ」伊牟田さんはニコニコしながら言った。「やる、やらないは別としてさ。教えてくれるぐらいならよくない?」
 「しょうがないなあ」戸室課長は苦笑した。「ここだけの話にしといてくださいよ」
 戸室課長は意味もないのに小声になって、その方法を説明した。サーバルームにはJINKYU の保守用に直接接続しているPC が用意されている。ベンダーが修正モジュールを持ち込んだりするので、そのPC にはメディアロックもかかっていない。ダウンロードしたCSV ファイルをUSB メモリにコピーすることも可能だ。
 「ふうん。それって、今、マシン室行って、グサッってやってもらうわけにはいかないの?」
 「いきませんよ。USB に個人情報をコピーするのは、稟議が必要だってことぐらい、伊牟田さんだって知ってるでしょう」
 「とりあえず稟議だけ出したらどうかなあ」
 「そんな稟議、通るまでに1 週間はかかりますよ。それに大石部長は今日、休みです。フォームは月曜日にはオープンさせないといけないんでしょ? どっちみち間に合いませんよ」
 「そっか、まあ、そうかもね」伊牟田さんは頷いた。「ちなみに最終決裁って誰だっけ」
 「社長ですよ」
 「とりあえずやっちゃって」伊牟田さんは笑いながら言った。「後で許可もらうってのはどうかな、トムさん」
 「ちょっとちょっと」戸室課長も笑った。「冗談でしょ」
 「やっぱダメか。ね、それってさ、口頭でも許可があれば、今すぐできる? 許可を取れるかどうかは、いったん置いといて、やるとなったら、すぐできるものなの?」
 「そうですねえ。IT システム管理課の誰かにサーバルーム入れてもらって、ログインだけしてもらえば。でも、さっき言った通り稟議通らないと、IT システムの方だって動きようがないですよ」
 「よし、もういい」
 いきなり別の声が割り込んだ。聞き覚えのある声だ、と思ったら、なんと大竹社長が伊牟田さんを押しのけるように分割ウィンドウに出現したのだった。
 「え?」戸室課長は表情を凝固させた。「社長?」
 「戸室くん」大竹社長は厳しい声で言った。「今、職域接種以上に優先される業務などないことぐらいわかっているはずだろう」
 「し、しかし」戸室課長は必死に抗弁した。「情報システム管理規程で決まっていることですし......」
 「規程を破れとは言っていない。だが例外ルールとして、上位承認者が病気などで出勤できないなど、正規ルートで承認できない場合、緊急措置として、さらに上の承認者に口頭で許可を得ることで進めることは認められているだろうが。私が会社にいることは知ってるはずだな。なぜ、私に口頭承認を求めない?」
 「あの、それは......」
 「わかっている」大竹社長の口調が少し柔らかいものに変わった。「君のせいばかりではない。口頭承認は認められていても、実際にやる人間はほとんどおらん。スキップされた承認者はいい気がしないからな。次の評価に、その感情が入るかもしれんと思えば、わざわざ自分が目をつけられるような行動を取るはずもない。そういう組織風土を目の当たりにしながら、是正しようともしなかった私にも責任がある」
 「......」
 「だが、私が社長に就任するにあたって、部課長には言ったはずだ。この時勢、優先度を考えて臨機応変にプロセスを進めることも重要だ、とな。その言葉の意味をもう少し真剣に捉えてもらいたかったな」
 「申しわけありません」
 「まあいい。とにかく職域接種は優先だ。JINKYU の件は聞いた。この通話で私が許可するので、システム開発室の要望に即応してもらいたい。では」
 大竹社長が画面の外に消えていくと、入れ替わりに伊牟田さんがカメラを覗き込んだ。
 「ま、トムさん」伊牟田さんは陽気な口調で告げた。「そういうわけだから、よろしく頼むわ」
 「よろしく頼むわ?」戸室課長の顔には怒りが刻まれていた。「私を引っかけるような真似しといて、よく言えますね」
 「まあまあ、そう怒んないでよ」ヘラヘラ笑いながら、伊牟田さんは柳に風と受け流した。「後はイノウーとよろしくやっといてよ。じゃあ」
 伊牟田さんがビデオ会議から抜けていった後も、戸室課長は厳しい表情を崩さなかった。驚きだった。社内の人脈を大切にしている伊牟田さんが、よりによって人事課長の敵意を自分に向けられるような真似をするとは。大竹社長の力を借りたのが伊牟田さんらしいといえばらしいが。
 「あれほど口が達者だが、信用できない人間も珍しいな」戸室課長は吐き捨てた。「信頼できない語り手、というやつだな。イノウー、君には失望したよ。よりによって、伊牟田さんなんかを頼るとはな」
 「優先だと言われたので」ぼくは小さく頭を下げておいた。「それで、JINKYU のデータの件はお願いできますね」
 「ああ。社員ID と本名のCSV があればいいんだな」
 戸室課長は、言葉少なく、すぐにJINKYU からのデータをダウンロードして、システム開発室が参照できるサーバに置く、と約束すると、ぼくの視線を避けるように消えていった。
 とにかく、これで本名と旧姓の問題は何とかなりそうだ。JINKYU からのデータをもらったら、社員ID で本名を引けるような辞書データを作ってしまえばいい。長期間動作するシステムなら、辞書の鮮度管理が必要になるが、この受付フォームの寿命は数日間だ。今日、明日で新入社員や中途入社が発生するとは思えない。
 Teams に問題解決した旨を書き込んだぼくは、内部ロジックのコーディングを再開したが、その平穏な時間は長くは続かなかった。今度は夏目課長からビデオ通話が入ったのだ。
 「ちょっと気になったのですけどね」夏目課長は前置きもなく言った。「今、やってる受付フォームって、希望者だけが入力するのよね」
 「はい」夏目課長の質問の意図が読めず、ぼくは素直に頷いた。「そうなってます」
 「接種を希望しない人から、希望しない、という言質を取るべきじゃないか、と思うんだけど」
 「......意味がわからないんですが」
 「つまりね」夏目課長はゆっくりと説明した。「申し込みしなかった人が、受けたくないから受けないのか、それとも受けようとしたけど何かの都合で申し込みし損ねたのかがわからないでしょう?」
 「ああ、なるほど」後者に属する社員から、クレームが来るかもしれない、と言いたいらしい。
 「だから、全社員に受付フォームにログインしてもらって、希望しない人はその意思表示にチェックしてもらうとか、すべきじゃないかしらね」
 「どうせ全社員に通知はするんですから、そのとき、未入力の場合は接種を希望しないとみなします、とか入れておけばいいんじゃないですか?」
 「あのねえ」夏目課長は苛立ったように眉をしかめた。「エースシステムにリストを送るわけよね。全社員から接種についての意思表示を取った、と言えた方がいいじゃない。うちがしっかり社員を統率してる、っていう保証になるでしょう」
 実質的な意味があるとは思えない。もしエースシステム側が、接種希望者のみのデータを受け取るつもりでいたとしたら、希望しない社員のデータを除外する一手間をかけさせることにもなる。ぼくがデータを受け取る側の立場だったら、不要な行をわざわざ入れてくる送信者の神経を疑うに違いない。
 夏目課長の魂胆は見え透いている。データは総務課経由でエースシステム側に送ることになるが、その際、夏目課長は自分がデータ収集に協力した、または主導した、と何らかの方法で知らせるつもりなのだろう。エースシステム様宛のデータだから丁寧に漏れがないようにデータを集めました、などとドヤ顔でアピールしている姿が目に浮かぶようだ。
 吐き気をこらえながらも、何と反論しようかと考えた末、ぼくは斉木室長の言葉と先ほどの一幕を思い出した。実装以外のことは伊牟田さんに任せてしまって構わないんだった。
 「わかりました」ぼくは言葉を続けようとしていた夏目課長を遮った。「ですが、ぼくには決定権がありません。このプロジェクトのリーダーは伊牟田さんなので。そっちを通してもらえますか」
 「何言ってるのよ」夏目課長は短く笑った。「実質的なリーダーはイノウーくんでしょう」
 「申しわけないですが。あ、そうだ。夏目課長のお手を煩わせるのも気が引けるので、すぐに伊牟田さんから連絡してもらうように伝えます。このプロジェクトの件で即応体制にいるので、それほどお待たせすることはないはずです。それでは」
 夏目課長が何か言いかけたが、ぼくは気にせずビデオ会議を退出した。すぐに伊牟田さんを呼び出すと、予想通り、すぐに応答があった。
 「うん、わかった」ぼくが手短に説明すると、伊牟田さんは頷いた。「俺から夏目さんに話しておくから」
 その返事を聞いて、ぼくは満ち足りた思いで通話を切った。信頼できない語り手であろうがなかろうが、伊牟田さんが夏目課長と話をし、説得することを、ぼくはほとんど確信していた。

 (続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。

Comment(18)

コメント

匿名

ついに「さん」づけやめてて笑ったw

h1r0

「『任務は遂行する』『部下も守る』『両方』やる覚悟と実行力ある良いリーダーだな

匿名

イノウーくんがしたたかになっていく

匿名

「伊牟田課長は柳に風~」、「大竹社長の力を借りたのが伊牟田らしい~」
ここら辺の表記がぶれてるのか、イノウーの心情が表れてるのかどっちだろw

匿名

マリぽん、ひんぬーのくせに有能になっていくなあ

匿名

伊牟田さん有能
マリカワ

しゅう

いつも週明けに投稿ありがとうございます。楽しく拝見させて頂いております。

ところで
「伊牟田課長の守護天使が、突然、勤労意欲にめざめたらしいな。
そうならないよりも、けっこうなことだて」
が思い浮かんじゃった。でも,これ滅亡フラグやん
まだまだ,本作二転三転しそうですね。

匿名

伊牟田さん恐ろしく性能の良い潤滑油になってる……
応援したくなってきた

匿名

横浜のTジョイ T4 (Dolby Cinema)はカップルシートあったっけ?(マリちゃん、ぬかったな)


tLotRトリロジーのIMAX版、国内上映はされるのか?DVD時代のSEEはすごかったですね。
イノウーはIMAXのホビットを見に行ったのかしら?(あれ、作中のカレンダーはいつだ?)


IMAX
元祖
70mmフィルム (でかい)
アスペクト比 1:1.43
始祖にして至高


IMAXデジタル
2K普及型。あえて選択する理由はない
アスペクト比 1:1.85


IMAXレーザー
デジタルの解像度 4K、音響 12ch 向上版
他社並みに概ね仕様更新、縦方向が短いスクリーンが多くIMAXだから…の積極的な選択はし辛い。それでもスクリーンはやや大きめ(サイズ非公開が多くよーわからん)


IMAXレーザー/GTテクノロジー
フラッグシップ、今ならこれ
アスペクト比 1:1.43 元祖IMAXと同じ
大阪、東京。箱も少なく気合が入ってる


Dolby Cinema
Dolby Vision, Dolby Atmos(これ前提で音響設計するとすげーっす), 箱の要求事項いくつか。
座席とかゆとりあっていいよね。
極爆上映以外なら、音・映像が上質な作品で選びたいスクリーン
(実写邦画だと必要性はあまり感じない苦笑)


IMAX制作ならIMAX GT一択(デカスクリーンがほしいときも)、それ以外ならスクリーンの選択肢が少し増えるDolby Cinema
IMAXで制作されてる作品はそう多くない…ぞ


4DXやMX4Dは作品次第でお好みでw

藤井秀明

楽を覚えると楽ばかりするようになる、って言葉がありますが、これまでの伊牟田氏はそんな感じだったんですかね。
今の動き・態度は十分に評価出来るように思えます。

・・・「信頼できない語り手」なんてタイトルを見て、てっきりまたやらかしたのかと思いましたが。

匿名

マリさんの成長がすばらしいですね!

カラム目はDB 定義書を

カラム名はDB 定義書を
でしょうか?

匿名

タイトル見て、イノウー犯人説が浮上?とか思ってしまった。なんの犯人かはわからないけど笑

匿名

ネタ枠 指輪物語を調べたら…
アニメ制作 神山健治監督 (マリが最初に見る指輪物語、これになったりしてw)
槌手王ヘルム
追補版??? (文庫で読んだ族なので存在を知らなかった)

匿名

今回の夏目さんの依頼、そこまで不必要と捨てるほどの内容でもないような・・・。

ってことは、伊牟田さんが夏目さんに対してどこまで納得した
説明をすることができるのやら。
前回は出来レースのディベートだったけど、今回は夏目さん本気だぞ・・・。

リーベルG

匿名さん(たち)、ご指摘ありがとうございました。
課長時代が長かったせいか、伊牟田と入力すると自動的に「課長」が付いてしまっていました。

> バリデーションもJavaScript 内で定義されているので、Flask 側ではチェックする必要がないほどだ

社内に悪意があるクライアントはいない・・・?これは伏線?

匿名D

夏目女史の提案は、マーズ社内で言質をとった、
というエビデンスとしてはありかもしれないけど、
エースに提供するデータには必要ないものですよね。
地雷案件を踏んでた頃と、考え方も行動も変わっていないようで。

匿名

「トムさん」呼ばわりがハマりすぎ…

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