ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

イノウーの憂鬱 (2) 転職

»

 ぼくの名前は井上ヨシオ。29 才、独身。横浜市に本社を持つマーズ・エージェンシー株式会社に勤務している。
 社会人になってからは、同じ横浜市内のサードアイというシステム会社に勤務していたのだが、大学時代に仲が良かった先輩の誘いで、6 ヵ月ほど前に、現在の会社の前身であるマーズネット株式会社に転職してきた。
 マーズネットは、IT 業界のピラミッド構造の中間に位置する、いわゆる仲介業者で、システム開発の受注が主業務ではあるが、求められるスキルはむしろ営業的なそれが多い。ぼくに向いている仕事だとは思えなかったので、最初はお断りしようと考えていた。だが、先輩の誘いは思いのほか強引で、なかなか諦めてくれなかった。翌月の異動で課長に昇進することが決まっているのだが、信頼できる部下が欲しい、という理由だった。
 「お前なら信頼できるんだ」菅井先輩は、居酒屋で高い日本酒を勧めながら、ぼくを説得しようとした。「俺を助けると思って、うちに来てくれないか」
 「そんなに人材に乏しいんですか?」
 ぼくは冗談めかして言ったが、菅井先輩は意外に深刻な顔で頷いた。
 「俺の前任、つまり今の課長は、無能だが人当たりだけはいい奴なんだわ。どこにでも一人ぐらいいるだろ、そういう奴」
 「少なくともうちの会社にはいませんね」ぼくはサードアイの上司や、同僚の顔を思い浮かべながら答えた。
 「それは幸運だな。ともかく、そいつが異動になって、俺が後に入るわけだが、そいつの部下たちからはよく思われてないんだ。ま、俺は仕事ができる男だから、そいつが嫉妬して、あることないこと吹聴したんだろうけどな。一人ぐらい味方になってくれる部下が欲しいんだよ」
 「プログラマですよ、ぼくは」差し出される酒を断りながら、ぼくは菅井先輩に思い出させた。「マーズネットみたいな大手に行っても、使えるとはちょっと思えないんですけどね」
 「お前は柔軟性も順応性もあるから、仕事なんかすぐ憶えるさ。それに、こう言っちゃなんだが、こっちの方も今よりアップするぞ」
 菅井先輩は親指と人差し指で輪を作ってみせた。確かにサードアイは、給料の遅配などはないものの、給与は同業他社と比較しても高いとは言えず、昇給の見込みも少ない。
 「でも、先輩の一存で入社なんかできるんですか?」
 「もちろん入社試験と面接はあるが、形だけのものだから大丈夫。根回しはするから、必ず採用される。課長職に人事権はないんだが、中途採用の枠があって押さえてある。名前さえ書けりゃ通る、とは言わんが、普通の一般常識があれば問題ない。なあ、頼むよ。前向きに考えてみてくれないか」
 菅井先輩は同じサークルで、ぼくが入部したときの部長で、リーダーシップがあり面倒見のいい人だ。大学在学中には映画をおごってもらったり、金欠のときには食料を供給してくれたり、ちょっとした誤解から当時の彼女と気まずくなったときに骨を折ってくれるなど、感謝してもしきれないぐらい世話になった。卒業後は年賀状で近況を伝え合うぐらいだったが、母校の学祭のときに顔を合わせたときなど、喜んで飲みに連れていってくれた。いつか何かで力になれることがあれば、と思っていたので、むげに断るのは義理を欠くようで気が引けた。そこまで頼ってくれるのであれば、期待に応えてあげたい気もする。数日、迷った挙げ句、ぼくはサードアイでの上司、東海林さんに相談してみることにした。
 東海林さんが、やめておけ、と言ってくれたら、この話はキッパリと断っただろうし、そう言ってくれることを期待してもいた。だが、案に相違して、東海林さんは少し考えた後、そう悪い話でもないと思う、と言った。
 「むしろいい経験になるんじゃないか。イノウーは、この業界でやっていくつもりなんだろ?」
 ぼくは頷いた。
 「だったら、少し上流の会社の業務を実地で体験できるのは、貴重な機会だぞ。普通なら、立場が違うマーズネットみたいな会社に、うちの人間が入社することなんて、こっちが望んだとしても、まず不可能だからな。いわゆる元請けの立場から、システム構築に携われるなら、それはイノウーの貴重な財産になる、と俺は思うね」
 その言葉を少し意外に感じたことを憶えている。ぼくの知る限り、SIer と呼ばれる大企業の社員に対する東海林さんの評価は、最も好意的なものでも「必要悪」だったからだ。
 「もちろんイノウーのことを必要としていない、ってわけじゃない」東海林さんは優しく言ってくれた。「重要な戦力だと思ってる。それはみんなそうだ。だけど、ずっと一つの井戸の中ばかりにいるより、違う業種や文化に触れた人間の方が、いざというときつぶしが利く。全員にそんな機会があるわけじゃないし、機会がやってきても掴めない場合もある。お前はまだ若い。掴めるチャンスは手遅れにならないうちに掴んでおいて損はないぞ」
 さらに数日悩んだ後、ぼくはサードアイを去ることを決め、東海林さんに報告した。東海林さんは、笑顔でぼくの肩をつかむと、いつでも戻って来い、と言ってくれた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 菅井先輩の言葉は正しかった。世の中の就職や転職に苦労している人々に罪悪感を憶えるほど、ぼくの転職手続きはスムーズに進行した。入社試験、三回の面接、採用通知、入社前健康診断、各種必要書類の提出などなど。引っ越しをする必要すらなかった。マーズネット株式会社は、新高島駅近くのビルに本社があり、横浜駅からも遠くない。サードアイには横浜駅で乗り換えていたので、通勤経路を少し変更するだけだ。そうした諸々の手続きと、サードアイでの引き継ぎなど、慌ただしい数週間が通り過ぎた去年の10月、ぼくはマーズネットの社員になった。
 ぼくの最初の所属は人事課だった。新しく入社する人間は、新卒でも中途でも、必ず人事課付になる。ここで経験に応じて、2 週間から3 週間ほどの研修を経た後、正式な配属の辞令が出る、と聞かされた。新卒採用の場合、社会人教育に加えて、適正や本人の希望などを考慮した上で配属が決まるため、直前まで行き先が不明となるが、ぼくのような数少ない中途採用の場合は、入社時に配属先が決まっていることがほとんどだ。ぼくは、菅井先輩のいるパートナーマネジメント部マネジメント三課のはずだった。菅井先輩は、一足先にマネジメント三課の課長として管理業務を始めていて、研修中にも何度か、一緒に飲みながら課の業務などをレクチャーしてくれていた。入社した後、社員集会で、中途入社社員として紹介されたとき、わざわざプレゼンターを買って出た菅井先輩は「彼は大学時代、イノウーと呼ばれていました。前の会社でもイノウーと呼ばれていました。この会社でもイノウーと呼ばれることを希望しています」と、ぼくの意見を聞きもせずに宣言した。ぼくが「イノウー」と呼称されている理由がこれだ。
 ところが、研修期間が終わりに近付き、数日後には辞令が交付される、というとき、事態が急変した。菅井先輩の母親が脳卒中で緊急搬送されたのだった。幸い、手術は成功し、命には別状がなかったものの、菅井先輩は急ぎ帰省し、その後、何日も会社を休むことになった。その間に、ぼくの研修期間は終了したが、辞令の交付は延期となった。受け入れ先部署の準備ができていないのだから無理もない。ぼくは人事課付のまま、パートナー会社と呼ばれる下請け会社や、一次請け、二次請け企業の資料に目を通しているように言われ、組織図や担当者、過去の受注履歴などを読む退屈な日々を過ごさざるを得なかった。
  2 週間後、菅井先輩はようやく出社したが、業務への復帰ではなく、報告と休職願いのためだった。母親は四肢に障害が残り、日常生活がかなりのレベルで困難になっていた。要介護2 と認定され、行政の支援も受けられるが、24 時間ではないので、誰かのサポートは必須だ。父親は早くに亡くなっていて、母親は一人暮らしだった。兄弟はなく、同居してくれる親族もいないため、その誰かは必然的に菅井先輩にならざるを得ない。
菅井先輩は一年間の休職を申し出て認められた。その日と翌日で、慌ただしく引き継ぎを済ませ、菅井先輩は再び、鳥取の実家に戻っていった。短期間での引き継ぎに忙殺されていたため、ぼくは菅井先輩と言葉を交わすことはできなかったが、その後、LINE やメールで何度も謝ってくれた。目処が付いたら復帰する、とも言ってくれたが、それが困難であることは、どちらも承知の上だった。
 数日後、辞令が交付された。ぼくの新所属は、予定されていたパートナーマネジメント部マネジメント三課ではなく、ソリューション業務本部業務二課だった。マネジメント三課には、菅井先輩が言うところの「無能だが人当たりだけはいい」人が課長として復帰していて、ぼくの受入を拒否したためだ。「話が違う」と人事にごねるようなことはしなかったが、実行してもムダだっただろう。雇用契約書に、配属先が明記されているわけではないのだから。
 配属を拒否して退職を選ぶこともできたが、とりあえず一年間は、新しい環境に身を置いてみることに決めた。辞めるのはいつでもできる。一年が経過して、菅井先輩が戻ってこないことが確定した時点で、今後のキャリアプランを再考すればいい。もしサードアイに出戻りする場合でも、マーズネットで得た何かしらの経験と知識はムダにはならないだろう。幸い、業務二課の課長や同僚に、耐えられないほどの悪人はいないようだった。
 業務二課の主業務は、システム開発の顧客となる企業との窓口だった。もちろん、最初から担当を持たせてもらえるはずもなく、係長の斉木さんの部下としてOJT が始まった。慣れない管理業務だったが、新しい仕事を憶えることは、意外に新鮮な体験だった。
 翌月、二度目の環境変化が生じた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 二度目の変化は、ぼくだけではなく、マーズネット全体に及ぶものだった。日本でも有数の大手SIer である、エースシステムエンジニアリング株式会社とマーズネット株式会社の事業統合が発表されたのだ。
 エースシステム横浜支社とマーズネットは、これまでも穏やかな競合と言われる関係にあった。とはいえ、一部上場の大手SIer に対して、知恵と勇気で対決し、苛烈な入札競争の末に、ドラスティックな勝利を勝ち取る、といった企業ドラマのような展開になったことはない。企業規模はエースシステムが圧倒的に上なので、正面切って敵対すれば、あっさり撃破されてしまう。だが、マーズネットは元々、ネットワーク機器の販売、保守サービスからスタートした企業なので、古くからの取引先を中心とした独自の顧客網を持っていた。その多くは中小企業で、エースシステム横浜があえて手を出すほどではない規模のシステム開発が多い。仮に県内の企業を大・中・小に分類するなら、マーズネットは小と中、エースシステム横浜は中と大をそれぞれテリトリーとしていた。
 守備範囲が重なる中規模のシステム開発で競合になることがあっても、そこは暗黙の了解によって、交互に受注していた。エースシステム側も、あからさまに同業他社を叩き潰していくような真似はできない。実装部門を持たないエースシステムが、顧客からの大規模な案件を受注できるのは、無数の仲介業者やベンダーの存在があってのことだからだ。それに、談合というほど露骨なものではないが、IT 業界にも非公式な協力関係は存在する。競合相手であっても、事情によっては手を結ぶこともしばしばだ。事実、エースシステムが受注した案件に、マーズネットが二次請け、三次請けとして参加したことが過去に何度もある。
 その穏やかな競合関係が変化したのは、ここ数年のことだ。エースシステムが、これまで見向きもしなかったような小規模な案件にまで手を伸ばすようになってきたのだ。最初は控えめに、最近ではあからさまに。大企業がIT システムへの投資を、時間もコストもかかるオンプレミスの開発から、クラウドサービス上のパッケージ製品利用へと切り替え始め、大型開発案件の絶対数が急速に減衰しつつあるためだ。エースシステムは利益を確保するため、なりふり構わず、小規模案件を取っていく必要に駆られたらしい。
 加えて、エースシステムが受注した大型案件に、マーズネットが参加することができなくなってしまった。二次請け、三次請けは、何らかの形でエースシステムの資本が入っている仲介業者に独占されるようになったためだ。表向きは、発注プロセスの厳格化により、審査が厳しくなったため、とされていたが、エースシステムが、IT 業界全体の発展よりも、自社とグループ会社を公然と優先する、いわば保護主義的傾向を強めていることは間違いなかった。
 他にもいくつかの要因が重なったらしいが、とにかく、最近ではエースシステムとの関係は、穏やかな競合から険悪な競合へと変化しつつあったようだ。主に価格競争で敗れたため、予定していた大型案件を、いくつも失注する、ということが続き、営業利益は過去最低を記録した。そして経営陣は、去年の早い時期に、これ以上エースシステムと競合し、ジリジリと体力を削がれていく状況の先に未来はない、という結論に達したのだ。社長と3 人の取締役は、必ずしも諸手を挙げて賛成したわけではなかったそうだが、専務が押し切った、と言われている。
 エースシステムとの事業統合が発表されたとき、多くの社員は驚愕し、その大半が反発した。それまで、マーズネットの将来を信じていた社員たちだ。吸収合併ではなく、全社員の給与と雇用は保障され、従来の経営方針も、部門の構成も変化がない、と説明されても、納得した社員は少なかった。毎日のように、労働組合の代表や、有志グループが経営陣と面談し、撤回を迫ったらしい。もちろん決定は覆らず、何人かは会社を去ることで抗議の意志を示した。
 事業統合は1 月1 日付けで実施され、エースシステムは、マーズネットの株式の31% を保有する筆頭株主となった。マーズネットの社員たちは、どんな変化がもたらされるのか、と不安な正月休みを過ごしたことだろう。一カ月が経過しても、エースシステムから、社外取締役が一人送り込まれてきただけで、組織にも業務内容にも大きな変化がなかったことは、多くの社員を安堵させたに違いない。変わったことといえば、次年度から社名が、マーズ・エージェンシー株式会社に変更になる、ということが発表されたぐらいだった。
 もしかすると、エースシステムとしては、もう少し大きな変化をもたらすことを考えていたのかもしれない。社名変更に合わせて、大きな組織変更が行われる、との確度の高い情報も囁かれた。だが、世界中に蔓延した新型肺炎ウィルス対応にリソースを割かれたことで、エースシステムはうちの会社に構っている余裕をなくしてしまったようだ。大規模な組織変更であれば、3 月初めには発表されるはずだが、一週間を過ぎて発表されたのは、若干の組織変更と異動だけだった。どちらも年初から予定されていたものだ。
 4 月1 日付けで社名は変更され、同時に、ぼくは経営管理部の下に新設されたシステム開発室に配属された。斉木係長が室長となり、木名瀬さんは係長待遇の室長補佐。ぼくとマリは少しだけ給与が上がった。
 システム開発室の初仕事は、エースシステムの受発注管理システムとのデータ連携処理になる予定で、4 月2 日には打ち合わせも予定されていたが、先方の都合で延期になった。理由は説明されなかったが、新型肺炎が影響していることは間違いない。いきなりヒマになってしまった新部署は、真っ先にテレワーク試行の対象となった。4 月6 日、ぼくたちはIT システム管理課が急遽用意してくれたノートPC を手に会社を出た。緊急事態宣言が発令されたのは、その翌日のことだった。

 (続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。

Comment(8)

コメント

夢乃

先週から楽しく読ませていただいています。今後も楽しみ。

最後の方、

>斉木係長が室長となり、木名瀬さんは係長待遇の室長補佐。ぼくとマリは少しだけ給与が上がった。

の文が気になりました。斉木さんのことは前に出てきていましたが、木名瀬さんとマリが突然出てきたので。前話(1)でも、経営統合前の二人のことは触れていなかったから「なんでいきなり?」と思いました。前の方で少しでも触れられているか、名前を出した時に「xxにいた木名瀬さんが室長補佐として配属された」のように前の所属などに軽く触れられていれば、違和感はないと思うのですけれど。

たあ

夢乃さん
昨年末の『イノウーのプログラミングなクリスマス (終)』が前提になっちゃってますね。

匿名

当然、イノウーのプログラミングなクリスマスから続く話だって思ってたから、木名瀬さんとマリの存在も別に違和感はなかったですけどね。社内開発の部署にみんなで異動ってわかってたから。
それにしてもイノウーの退職理由がトラブルとかでなくてよかった。

リーベルG

夢乃さん、こんにちは。
確かに、ここから読み始めると、木名瀬さんとマリの出現は唐突だったかもしれませんね。
どこかで二人の前所属の話は少し入れておきます。

匿名

今回の話に限らずいままでの登場人物の相関図、経歴、履歴とエントリータイトルが整理されたものがあるといいですね。だれか詳しい人作りません?

匿名

事業統合ってこういう感じなのかー。
リーベルさんの実体験に基づくものなのか邪推したくなりますが、
内部目線で語られるのおもしろいです。
あと東海林さんはできた人で拝みたくなってきますね。

匿名

相関図
どうせならWikipedia...

kemista

エースシステムが出てきた時点で嫌な予感しかしないですねー
東海林さんが何らかの形で関わってくることを期待

コメントを投稿する