ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

イノウーの憂鬱 (1) 新規開発案件

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 「ちょっと待ってくれ」ぼくは画面を見ながらヘッドセットに言った。「じゃあ、それぞれのhtml ファイル内でjQuery 使いたかったらどうするの?」
 「スクリプトをってことですか?」笠掛マリが画面の中から答えた。「そういうやり方は普通しないっすよ」
 「え、そうなの? じゃ、どうやって......」
 「もちろん外出しですよ。JavaScript をhtml 内に書くって、フロントじゃあまり、ってか、ほぼやらないです。あ、もちろんcss もですよ。イノウーさん、ベタベタ書いてますけど」
 「......でも、トライアンドエラーをやりにくくない?」
 「うーん」マリはペットボトルに手を伸ばしながら唸った。「考え方の違いですかね。ベンダーにもよりますけど、サイト構築をちゃんとやるときは、まず全体のコンセプト決めのフェーズで、デザインやカラーを決めますから。個々のページのデザイン担当が、勝手に変えるなんてありえないです。変更するときは、全体を見直します」
 「つまりbuild しなおすってこと?」
 マリは「はい」と頷きながらペットボトルに口をつけた。
 「なるほど、勉強になるなあ」
 ぼくが感心すると、マリは、とんでもない、と言うように手を振った。
 「バックエンドの構築できる方がすごいですよ。こっちこそ勉強になってます」
 「お互い、育ってきた文化が違うってことだね」ぼくは笑った。「で、話は戻るけど、css はいいとして、webpack でバンドルしちゃうと、jQuery の$ はhtml 内じゃ使えないってことだよね」
 「そうですね。バンドルファイルのローカル変数になりますから」
 「でも、業務システムだと入力項目が多いから、html 内での必須チェックなんかは必要になってくるよ。事前に全部決めて、外出しするってのも、ちょっと難しいし。そういうときはwebpack を使わない方がいいってことになる?」
 「グローバル変数として$ を定義することもできますよ。もう一度、webpack.config.js 開けますか」
 ぼくはエディタでファイルを開いた。マリがチャット画面に入力してくれる定義を見ていると、不意に通話要求がポップアップした。グループに切り替えると、画面が二分割され、木名瀬さんとマリの顔が映った。
 「二人ともおつかれさま」木名瀬さんは落ち着いた声で挨拶した。「今、何やってたんですか」
 「笠掛さんにwebpack 教えてもらってました」
 ぼくとマリは、半日交替で、互いに持っている知識を教え合っていた。ぼくは過去のシステム構築の経験から、DB やWeb フレームワークのノウハウを。マリはフロントエンドのテクニックを。
 木名瀬さんは頷いた。会社で見るよりもフレームの太いメガネをかけている。自宅だからか、化粧も控えめだ。
 「新しい組織になった途端に、具体的な方針も仕事も未定のままテレワークになってしまって退屈だったでしょうが、ひとつ仕事ができました」
 「というと、つまり......」
 「開発業務です」木名瀬さんは微笑んだ。「勉強の成果を活かすときが来たってわけです。明日、出勤してもらえますか」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 久しぶりに乗った京急線の車内は、朝8 時過ぎという時間にしては、一か月前には想像できなかったほどガラガラだった。二週間前に緊急事態宣言が発令され、不要不急の外出の自粛と、テレワーク勤務や時差出勤が推奨されたため、朝の通勤電車から人が減り続けている。たまに乗ってくる人は、ほぼ例外なくマスクをして、先客と距離を取れる場所を見つけて座っていた。
 マーズ・エージェンシー株式会社では、4 月の初旬から、可能な職種の社員に限り、試験的にテレワーク勤務を開始していた。発足したばかりのシステム開発室のメンバーは、斉木室長を除いた全員がテレワーク勤務の対象となっていて、前回ぼくが出社したのは、緊急事態宣言発令の前日だった。外出も控えめにしていたから、電車に乗ること自体が二週間ぶりだ。主業務が営業活動の業務二課のままなら、こうはならなかったに違いない。
 会社に着き、やはり人の少ないエレベータで10 階に上がった。廊下をすれ違うマスク姿の社員が目礼してくる。ID カードでオフィスエリアに入り、出勤の打刻を行った後、そばに設置してある消毒用のハンドジェルを手の平にたっぷり出した。手と指を念入りに消毒しながらシステム開発室に向かう。元は会議室だったが、システム開発室誕生のとき、オフィスルームに改装されたスペースだ。将来的な人員増加に備えて面積が広めに取ってあるので、今は贅沢に間隔を空けてデスクを配置してある。本来ならドアは閉じられるが、窓を開けられない部屋なので、換気のために開放されたままだ。
 木名瀬さんがすでに出社していて、自分のデスク周りをウェットティッシュで拭いていた。ぼくに気付くと顔を上げ、マスク越しに「おはようございます」と言った。
 「おはようございます」ぼくは自席に座りながら挨拶を返した。「早いですね」
 「保育園の受付時間が決まってるので」木名瀬さんは、ぼくに近付こうとはせず、エアダスターとウェットティッシュを指した。「デスクが埃まみれです。掃除しておいた方がいいですよ」
 確かにキーボードに、うっすらと埃が積もっている。エアダスターで吹き飛ばしながら、ぼくは木名瀬さんに訊いた。
 「ご主人はまだ帰国できないんですか?」
 「ええ」木名瀬さんの顔が少し曇った。「目処が立たないみたいで。ネットで連絡は取れているんですけど」
 木名瀬さんのご主人は、大手商社のビジネスマンで、去年から海外に出張している。年末には一時帰国したらしいが、正月休み明けには、すぐに出張先に戻っていった。4 月にはまた帰国する予定だったらしいが、国際便がほとんど運休となり、現地の出国も日本への入国も困難になってしまった。緊急事態宣言発令によって、帰国はさらに延期になるだろう、とのことだ。
 9 時数分前に、マリが飛び込んできた。マスクの奥で息を弾ませている。
 「おはようございます!」マリは元気よく、叫ぶように挨拶した。「木名瀬さん、イノウーさん、久しぶりですねえ」
 「おはようございます」木名瀬さんが笑った。「毎日、Teams で顔は合わせてるじゃない」
 「いや、やっぱ、生身で顔合わせるのは違いますよ」マリも自分のデスクの掃除を始めた。「いつまで続くんですかね、こんな状態。ゴールデンウィーク明けに、これまで通りって、どう考えても無理じゃないですか。公園に行っても嫌な顔されるし、海も行けないし、行きたかったパン屋さんは休業だし、マスクは相変わらずないし。少なくとも、うちの近所のフィットケアにはないです。木名瀬さんのとこはどうですか?」
 「朝一での販売が中止になってからは、タイミングがいいと、あるみたいですけど」
 「ま、テレワークばっかだと、あまり外出ないから、使い回しでも何とかなりますけどね。あ、イノウーさん、あたしやりますよ」
 ぼくの手から、置いたままになっていたマグカップを取ると、マリは自分と木名瀬さんのカップをまとめてトレイに載せ、元気に給湯室の方へ歩いていった。身体を動かせるのが嬉しくて仕方がないようだ。ぼくは苦笑しながら自席に座ると、PC を起動した。
 メールをチェックした後、グループウェアで届いている通知を確認した。テレワーク用のノートPC では閉域SIM 以外の接続が許可されていないので、通信状態によってはリモートデスクトップ画面がフリーズすることがある。有線接続だとやはり快適だ。
 マリが戻ってきた。トレイに載せた3 つのカップから紅茶の香りが漂っている。木名瀬さんの好みのアールグレイらしい。マリは手を伸ばして、木名瀬さんにカップを渡し、ぼくのカップをデスクの端に置いた。
 「二人とも朝は食べたんですか」
 木名瀬さんが訊き、ぼくとマリは揃ってかぶりを振った。木名瀬さんは「やっぱり」と呟きながら、カバンから小さな紙袋を2 つ出して、デスク越しにぼくたちに渡した。
 「私はあなたたちのお母さんではないんですよ。朝食はきちんと食べてきてください。会議中にお腹が鳴ったらどうするんですか」
 ぼくは礼を言って紙袋を開けた。ソーセージと炒めたキャベツを挟んだコッペパンが、ラップに包まれていた。ニンジンとセロリのスティックも付いている。
 「今日の会議って、何人参加するんですか?」
 早速、ホットドッグをもぐもぐやりながら、マリが訊いた。木名瀬さんはカップを片手に、PC の画面を見ながら答えた。
 「かなり大勢になると思います。各課の課長プラス一名ぐらいでしょうか」
 「テレワーク用PC の管理ツール作成ですよね」ぼくもラップを開きながら言った。「どうして課長レベルまで出てくるんですか」
 「どこも自分の部署で一台でも多く確保しようと必死なんですよ」木名瀬さんは無人のマネージャ席に視線を投げた。「とにかく斉木さんによればそういう話です」
 木名瀬さんが召喚呪文を唱えたかのように、斉木室長がぶらぶらと入ってきた。マスクを片耳からぶら下げ、紙コップのコーヒーをすすっている。ぼくたちが出社していることに気付くと、慌ててマスクをかけ直した。
 「あ、来てたんだ。おつかれさま」
 ぼくたちは口々に挨拶を返した。斉木室長が座ると、すかさず木名瀬さんが訊いた。
 「今日の会議のゴールはどこになるんでしょうか」
 「ゴール?」
 「どんな事項が決定したら終わりになるのか、ということです」木名瀬さんは言い直し、付け加えた。「娘を保育園に預けてあるので、できるだけ早く帰りたいんです」
 「ああ、そういうことか。うん、まあ、各部門の要求をまんべんなく満たすツールとは何ぞや、ってことが決まればいいんだろうね、きっと」
 「つまり」ぼくは訊いた。「項目とか権限とかってことですか」
 「そこまで細かいとこまで行くかねえ」斉木室長は他人事のような顔でコーヒーをすすった。「要求分析ってことでしょ。まずは各部の要望をヒアリングするところまでかなあ。いったん持ち帰って、うちで仕様をまとめて、それをたたき台にして、また議論して、最終的な仕様を決めるって段取りだろうね」
 「ちょっと待ってください」マリが声を上げた。「じゃ、また後日、打ち合わせですか? 出勤して?」
 「そうなるだろうね」斉木室長は時計を見た。「そろそろ時間だから会議室行ってよっか」
 斉木室長はカップをゴミ箱に放り込むと、さっさと開発室を出ていった。ぼくたちは顔を見合わせ、後を追った。マリが何か言いたげに木名瀬さんを見たが、返ってきた反応は小さな頷きだけだった。
 ぼくたちは開発室を出ると、互いに適度な距離を保って第一カンファレンスに向かった。社内で一番大きな会議室だ。すれ違った何人かの社員は、揃って同じ反応を示した。どうしてこの四人が一緒にいるのか、と考え、次に4 月1 日付で新設されたシステム開発室の存在を思い出して納得した表情になる。例年なら、新年度最初の平日には全社集会が午前中かけて実施され、組織変更も説明されるらしいのだが、今年度は新型肺炎の影響で中止となった。社長挨拶の動画が配信されただけで、各部長からの部門方針などはドキュメントで配付された。システム開発室のメンバー紹介も載っていたはずだが、誰も真剣に読まなかったらしい。ぼくだって、他部門の方針など見出しを読んだぐらいだ。
 第一カンファレンスに入ると、開始時刻の10 分前にもかかわらず、数人の社員がすでにいた。ジロリと無遠慮な視線を向けてきたのは、広報部マーケティング課の茅森課長だ。40 代後半だが、頭髪はかなり薄い。
 マスクではっきり見えないが、どうも茅森課長の目には敵意に近い色が見えた。観察している、というより、睨んでいるようだ。システム開発室は、まだ何の実績も刻んでいないので、ぼくたちの開発スキルを疑っているのだろうか。ぼくが訝しく感じながら「システム開発室」とプレートの置かれた席の一つに座ったとき、ポケットの中でスマートフォンが震動した。LINE の着信だ。開いてみると「なんかこっち睨んでる人いるんですけど」と、マリがトークしてきている。互いの席が2 メートルとはいかないまでも、囁き声が届かない程度の間隔を空けて配置されているので、LINE を送ってきたのだろう。ぼくは、ゴリラが肩をすくめているスタンプを返した。
 やがて出席者の人数が揃い、会議が開始された。司会は同じ経営管理部総務課の矢野課長だ。矢野課長は庶務課の課長も兼務している。
 「えー」矢野課長はくぐもった声で口火を切った。「大変な状況の中、お集まりいただいてありがとうございます。本日はテレワーク用ノートPC 申請のシステム化について、各部署の要望などをヒアリングする場を設けさせていただきました。すでに連絡させていただいていることと重複しますが、現状認識を一致させるために、状況を説明します」
 矢野課長の合図で、総務課の篠崎社員がノートPC を操作してスライドを映した。ぼくと同年代で「シノッチ」と呼ばれている。茶髪のせいか軽薄そうに見られるが、真面目な性格だ。
 スライドの内容は、昨日、木名瀬さんから共有されたものと同じだった。現行のテレワーク用ノートPC の貸し出しは、希望者が申請書を上長に提出してから、ノートPC が手元に届くまで一週間以上かかっている。マーズにはワークフローシステムがあるが、これまでテレワークを利用してきたのは、育児中や、家族の介護が必要な場合など、ごく限られた社員だけだったので、申請フォームが作成されていなかったのだ。ワークフローシステムは10 年以上前に、外部のベンダーが作成したもので、当時の担当者が退職してしまったために、ちょっとした改修にも時間がかかるようになっている上、足元を見られているのか、請求される費用も年々、高額になりつつある。クラウド型のサービスに乗り換える計画も出ているが、予算計画との兼ね合いもあって進んでいなかった。総務課としては、新たな申請フォームができるのを何週間も待つわけにはいかず、できたばかりのシステム開発室にシステム構築をやらせてみるか、ということになったようだ。
 スライドが消えると同時に、勢いよく手が上がった。茅森課長だ。
 「ちょっといいですか」茅森課長はぼくたちの方を横目で見ながら、激しい口調で言った。「そもそも、この程度のものを、新たに作る必要があるんですかね。Excel で作ってメールで回せば済む話ではないですか」
 「メールですか」シノッチは首を傾げた。「承認印とかもあるので......」
 「電子印鑑のアドインがある」
 「送信する宛先とか、メール件名とか、本文とか、いちいち毎回、入力するのはちょっと......」
 「宛先はあらかじめ別シートに書いておけばいいだろう」
 「あ、でも」シノッチは困ったような顔で言った。「全社員分書いておくのも大変ですよ。組織変更があったり、上長が長期間不在の場合もありますし」
 「それぐらいは送信者が臨機応変に判断すればいいじゃないか。VBA で自動的に決めてもいい。それぐらい、マーケ課で組める。これまでいろいろ作ってきたんだからな」
 ああ、なるほど。ぼくは茅森課長の意図がわかった気がした。共有フォルダには、Excel やAccess で作成された○○申請フォームや、○○管理システムなどが、いくつも存在している。いずれも予算や給与と直接関係のないものばかりだが、それらを作成したのは、マーケティング課、というか茅森課長だったようだ。そういえば、以前、興味本位で自家用車登録フォームのVBA 部分を見ていたとき、Author:S.KAYAMORI のコメントを見た気がする。総務課が今回の話を出したとき、茅森課長はてっきり自分に依頼が来ると思っていたのだろう。それなのに、何の実績もない新設の部署に話が行ってしまったのが気に入らないのだ。先ほど、ぼくたちを睨んでいた理由もそれに違いない。
 「メールだと送信ミスも考えられますし」シノッチは丁寧な口調で答えた。「自動といっても限界があると思いますが」
 「そういった細かい仕様は、これから決めればいいじゃないか」茅森課長は怒ったように言った。「いままでの実績があるんだ」
 ぼくは出席者の反応を確認した。何人かは頷いているが、ほとんどはどちらでもよさそうな顔だ。首を傾げている人も数人いる。その中の一人、営業二課の堀金課長が挙手した。
 「正直、メールってのはどうですかね」堀金課長は茅森課長を見ずに言った。「うちの課は、ま、営業部はみんなそうだと思うんですが、外に出てることが多いです。直行直帰とかね。連絡もメールじゃなくて、スマホでLINE の方が多くなってますしね。だいたい、うちのスマホだと、添付ファイルをダウンロードできないですよね。ビジネス何とかがかかってて。えーと、何でしたっけ」
 堀金課長が顔を向けたのは、IT システム管理課の席だった。同じ経営管理部だし、名前も似ているが、システム開発室はソフトウェアの作成を行う(ことになっている)のに対して、IT システム管理課の主業務は社内インフラの管理や外部業者との窓口、つまりハードウェアの管理で、業務範囲が異なる。
 IT システム管理課の戸室課長は、後ろに座っている柴田課長代理を見たが、そこには戸惑った表情があるだけだった。ユーザ企業のシステム部門長によくあることだが、戸室課長も柴田課長代理も、社内インフラの名前や役割、年間保守料あたりは知っていても、詳細な知識はない。2、3 年で異動していくし、実業務は放っておいても部下がこなすので支障はないのだ。
 戸室課長はスマートフォンを出しかけたが、木名瀬さんが目顔で止めた。
 「ビジネスプロファイルですね」木名瀬さんは堀金課長の問いに答えた。「スマホだとダウンロードは不可になってます。クリップボードの貼り付けもできません」
 スマートフォンのことなど考えてもいなかったらしく、茅森課長は言葉に詰まったようだが、すぐに反論した。
 「営業の奴なら、もうノートPC 支給されてるだろう。新たに申請する必要などないってことじゃないか」
 この少々強引な意見に、数名が苦笑したのがわかった。
 「茅森さん、そりゃちょっと違うんじゃないかい」営業四課の鴨池課長が呆れた声で言った。「テレワークの話だろ、今日は」
 「いや、課長が言ってるのは」茅森課長の後ろに座っていた奥寺係長が弁護するように言った。「営業の人たちはノートPC を持ってるから、それを使ってテレワークすればいいのでは、ってことですよ」
 「それは無理です」
 木名瀬さんが言うと、奥寺係長はムキになったような顔で訊いた。
 「何が無理なんだ」
 「営業用のノートPC も、スマホのビジネスプロファイルと、同等のプロファイルにしてあります」木名瀬さんは冷静に答えた。「何人かの人がノートPC を客先や電車の中や飲み屋に置き忘れる、という事態が発生したためです。メールの添付ファイルを開くことはできますが、読み取り専用で書き込みができないようになってます」
 「え、そうなんだ」営業一課の宮口課長が驚いたように言った。「だからうちの課でテレワークやってる奴は、一度、システムにノートPC 返却して、またもらってたのか」
 「そうなんです」シノッチが言った。「現状、紙でもらった場合、総務の方でいちいち確認して、すでにノートPC 支給している人は、返却届を起こしてたんです。これまでは数が少なかったから、それでもよかったんですが、緊急事態宣言の解除が延期になれば、一気にテレワーク対象社員が増えると予想しています。それを処理するのはかなり大変なんですよ」
 「システムも同じ状況でね」戸室課長が続けた。「申請書が回ってきても、はい、それじゃあこれ、ってノートを渡すわけにもいかんので。権限に応じて設定を変えなきゃならんし、インストールするソフトも違うから。後で言おうと思ってたけど、セットアップにかなり工数使ってるんだ。電子化するなら、そのあたりを考慮してもらいたいね」
 木名瀬さんが咳払いした。
 「時間がないので、具体的な要件の話に移りませんか」木名瀬さんは茅森課長を見ながら言った。「どこが作るかは、要件を確認してからにしましょう。こうやって多人数が一室に集まること自体、そもそも避けるべきことですから」
 同意の声が多数あがった。茅森課長は顔を背けたが、それ以上反論しようとはしなかった。
シノッチはホッとしたように、別のスライドを映し出した。
 「とりあえず総務としては、こんな感じです」
 スライドには総務の要望が箇条書きにならんでいた。社内のシングルサインオンでログインできること。社員の増減がリアルタイムで反映されること。インストール希望ソフトが入力、または選択できること、など。
 ぼくが頭の中で、それらの要望をシステムに落とし込む方法を考えていると、木名瀬さんが挙手した。
 「さっきも言ったように、時間をムダにすることもないので、実装の担当者に実現の可否を訊いてみてはどうかと思います。システム開発室は、井上くんが担当します」
 いきなり名前を呼ばれ、ぼくは「へあ?」と変な擬音で応じてしまった。マリがプッと吹き出し、シノッチも笑いをかみ殺している。木名瀬さんの目も笑っていたが、真面目な口調を維持したまま続けた。
 「マーケ課が作成するとしたら、茅森さんが手がけるんでしょうね」
 「あ?」茅森課長は驚いたようだったが、すぐに頷いた。「ああ、そうなるだろうね」
 「では、順番に実現方法を説明していくことにしましょう。言い出しっぺなので、こちらから。井上くん、どうぞ」
 言い出しっぺではありません、などと逃げることはできそうになかった。ぼくは木名瀬さんを恨みがましく睨んだ後、改めてスライドに目を向けた。

 (続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 みなさま、GW はどのように過ごされましたか? せっかくの連休なのに、どこかに旅行に行くどころか、外食するのも躊躇われるような日々で、退屈だった、という方も多かったのではないでしょうか。作者は全世界の医療従事者と運送業者の方々に感謝しつつ、読書と映画で時間を潰していました。
 予想されていたことですが、やはり緊急事態宣言の解除が延期となり、慣れないテレワークが当面続く、という方も多いと思います。ストレスと体重は、気付かないうちに増えていくので、意識して身体を動かすようにしましょう。
 さて、クリスマスに登場した、イノウーこと、井上くんの話です。サードアイから転職した先で、開発を行う部門に配属されたとたん、テレワーク勤務になってしまったようです。

Comment(12)

コメント

h1r0

イノウーだ
早速テレワークを話に取り入れてくるあたりさすがのリーベルGさんです

楽しんで読み続けます!

匿名

広報部部マーケティング課
部が一つ多いのでは?

ss

>茅森課長は驚いたようだたが、すぐに頷いた。
だったが

新作、楽しみにしています!

匿名

社内のシステム開発にアサインされた自分にはタイムリーな話題だ。

R.2

イノウー待ってました!
時事ネタをしっかり組み込んでくれる!
そこにシビれる!あこがれるゥ!
本シリーズも楽しませていただきます!!!

VBA侍

新システムの導入で自分の価値が蔑ろにされてしまう気がしてヘソを曲げちゃうVBA職人にはまれによくある悲哀
とはいえ、木名瀬姐さんもそういう煽るような言い方はちょっと...

buhiii

テレワークの架空記事もいいけど、実際おこっているインターネットVPNの輻輳回避とかそんなインフラの解消法をのせてほしい。架空では飯が食えんのだよ!きみたち!

さかなでこ

イノウー君、地の文ではマリのことファーストネームで呼び捨てかい。
これは裏でいろいろ進展があったとみるべきかな。
今後が楽しみです。

匿名

buhiiiさん
それをここで言ってどうする

はなたれ

ほんとに、どの作品も、何度も読み直して、楽しませていただいています。
日本のIT企業の実態が生々しく書かれた作品が現れるかと思うと、

SFや神話にIT技術を盛り込む、エキセントリックな作品を発信されたり、
本当に、いつも、ドキドキしながら、読んでいます。

美しすぎて、
目が眩みます(髭男爵)


ジョン・アービングの「ガープの世界」の中で、ガープが言ってますよね
「小説を完成させるは、長距離ランナーの完走のそれと同じだ」

あー、
作るんじゃないんだ。
完成させるんだ。
そういうことなんだ、って、
読んだ当時は思いました。


あなたの、いま、走っている作品を読むことで、

私も走っていられます

ほんとに、ありがとうございます( ´ー`)

リーベルG

匿名さん、ssさん、ご指摘ありがとうございました。

匿名

エンジニアなら自分で調べなよ。

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