ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

夜の翼 (21) コラテラル・ダメージ

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 「ぼくに何かご用があるとのことですが」ユアンはニコニコしながら私の前に座った。「それともうちの会社にでしょうか。どちらにせよ、いい話だと嬉しいですね」
 とりあえずオペレーション車両の安全は確保できたものの、状況が好転したとは言えなかった。すでに港南台第二中学を囲むように、ディープワンズの群れが押し寄せていたし、それに呼応するように武装したインスマウス人の集団もいくつか加わっていた。港南台第二中学は、数年前に新築されたばかりで、外部の不審者の立ち入りを許さない程度にはセキュリティが強固だったが、さすがに武装集団やSPU のクリーチャーの侵入を防ぐほどではない。ディープワンズにせよ、インスマウス人にせよ、その気になれば敷地内に足を踏み入れることは容易なはずだが、どういう理由からか、今のところは周囲を取り囲むだけで満足しているようだ。とはいえ、私たちが出て行くのを、黙って見逃してくれるとまで楽観している人間は一人もいなかった。私は、おそらく奴らは何かを待っているんだろう、と推測したが、何を待っているのかはさっぱりわからない。奴らの待ち人――人間という意味ではなく――が何にせよ、それを知りたいとも思わなかった。
 ユアンを連れてこさせたのは、そんな状況に先手を打つためだ。オペレーション車両に入れるわけにはいかないので、私は校庭に椅子を持ってこさせ、ふてぶてしい態度のハウンドの社員と対面していた。
 「聞いてると思うが」私は切り出した。「今、私がここの指揮を執っている」
 「そうらしいですね」ユアンはわざとらしく手を叩いた。「昇進、おめでとうございます」
 「めでたいものか。いや、そんなことはどうでもいい。来てもらったのは、グールについての情報をもらいたいからだ」
 「なるほど。グールですか」計算高い笑みを口元に浮かべ、ユアンはウンウンと頷いた。「二つほど質問してもよろしいですか?」
 「どうぞ」
 「一つ。グールについてのどんな情報を求めていらっしゃるのか。二つ。その情報を提供することによって、ぼく、もしくは、うちの会社にどんなメリットがあるのか」
 「二つ目の質問から答えると」私はユアンの顔をじっと見つめた。「おたくが求めていたものが得られる。正確に言えば、ほぼ、得られる」
 「ほぼ、というと?」
 「市内に出没しているグールたちな」私はタブレットを見た。「現時点で確認できただけで397 体だが、そのままハウンドに引き渡してやる。まあ、多少、傷物にはなっているし、うちの乱暴者たちの手で再生不可能なレベルまでバラバラになった個体もいるから、欠品なしとはいかないけどな。ノークレームノーリターンでよければ、そちらに譲る。欲しいんだろ?」
 「言葉の使い方、間違ってませんか?」ユアンはムッとした顔で反論した。「あれは、もともとうちの商品です。スターウィズ教が勝手に消費しているだけなんですよ。損害賠償を請求したいぐらいです。それに、うちのエリアマネージャと交渉された結果、そっちで捕獲して引き渡してもらえるという話でしたが」
 「そのまま引き渡すと思うのか」
 ユアンは怪訝そうに私の顔を見た。
 「どういうことですか」
 「そっちに返す前に、DNA レベルでアポトーシス・プログラムを組み込むことになってるんだよ」私は明かした。「そんなものが売り物になるか? いつ、活動を停止するかわからん代物だぞ」
 これは私に佐藤管理官と同じ権限が与えられたことによって、参照可能になった情報だ。ハウンド側に開示する予定ではなかったのかもしれないが、私は気にしなかった。私に権限を与えたのは佐藤管理官自身だ。
 「ひどいな、それ。確かに、それじゃ商品にはならない。つまり、台場さんに情報を提供すれば、そのアポトーシス・プログラムなしでグールを返してもらえる、ということですね。どんな情報をお望みなんですか」
 「商品というからには、操作マニュアルぐらいあるんだろう」
 「ああ、なるほど」ユアンは納得したように頷いた。「欲しいのはそれですか」
 「うちの情報部の推測では、ハウンドはグールをリモートコントロールする手段を持っているはずだ、とのことだ。あるんだろう?」
 多少の駆け引きをしてくるか、とも思ったが、ユアンはあっさり頷いた。
 「あります」
 「どうして、これまで使わなかった?」私は訊いた。「そっちの手で回収することも不可能じゃなかったはずだ」
 「実戦形式で性能評価をするチャンスだとでも思ったんじゃないですかね。いずれにせよ、コントロールはムリだったんですよ。私を含めた4 人の担当者の認証キーがなければ、稼働しないシステムですから。ご存じの通り、私はネットから切り離された環境にいましたからね」
 「ネット環境は提供する」
 「とはいっても、他の担当者はそれぞれ違う国にいるので、まず連絡を取って、協議してみないとね。24 時間ほど待ってもらえれば......」
 「30 分だ」私は遮った。「30 分だけ時間をやる。それを過ぎたら、この取引は無効だ」
 「30 分じゃせいぜいミーティングの段取り付けるぐらいですよ。それにいいんですか? グールに対応中の戦力を対ディープワンズに充てたいんでしょう? こっちが協力しないとなったら、おたくの部隊や、市民に犠牲が増えますよ」
 「もう対グールの部隊は引き上げさせたから、損害は出ない。市民の被害はコラテラル・ダメージだ。後始末は大変だろうが、私の知ったことじゃない」
 「......」
 「言っておくがな」私は冷徹な口調を作った。「交渉は私が指揮権を持っているうちに、私としておいた方がいいぞ。佐藤に指揮権が戻ったら、君の指を一本ずつ切断しながら交渉するかもしれんからな」
 ユアンの表情は変わらなかったが、指輪のはまった両手がギュッと握りしめられた。
 「それどころか、君がハウンドを裏切って、グール情報をこっちに売ったと情報を流すぐらいやりかねない。そんなことになったら、君は生きていけるかな。国際的軍需企業から追われることになったら、そんな高価な時計をはめるような生活とは、永遠におさらばになるんじゃないか?」
 「わかった」ユアンは両手を挙げた。「わかりましたよ。担当者と連絡を取って、グールを引き上げさせればいいんですね。すぐやりますから、私のスマホを返してもらえますか」
 「まだ話は途中だ」
 「え、というと?」
 「グールをここに集結させて」私はタブレットに表示した周辺地図を見せた。「ディープワンズを背後から攻撃させてもらいたい」
 「そんなことしたら、グールたちが虐殺されるだけじゃ......」
 「DNA 半分は人間でも、その知性はもうないんだろう」私は指摘した。「ディープワンズの力は、恐怖心を喚起することだ。口からプロトンビームを出すわけじゃない。グールでも戦える。別にティープワンズを倒せ、と言っているんじゃない。注意を少しでも引きつけてくれればいいんだ。できるか? できない、というなら、この話はここで終わりだ。当初の予定通り、捕獲した後引き渡すことにする。その場合、商品の品質は保証できんがね」
 少し考えた後、ユアンは条件を了承した。私は待機していた警備部の職員に、ユアンのスマートフォンを返却するように命じ、コマンド2 へ連れて行かせた。コマンド2 にはハーミアが戻っている。ユアンには、ハーミアの指揮のもとでグールの群れをコントロールしてもらうことになる。
 『苅田タケトですが』私がオペレーション車両に戻ると、オペレータが報告してきた。『意識を回復しません。未成年なので薬物投与も難しく......』
 「構わないから覚醒させろ」
 『いや、でも......』
 「たたき起こして連れてこい、と言ったんだぞ。何を使おうと構わん。急げ。インスマウス人の方は?」
 『拘束しています。すでに意識は回復。今のところ、おとなしくしています』
 「モニタに出してくれ」
 映像が切り替わった。椅子に座り、後ろ手で拘束されたインスマウス人が、穏やかな表情で私を見つめている。
 「落ち着いたようだな」
 『謝罪する』インスマウス人は答えた。『声に抵抗できなかった』
 「声、というのは、ディープワンズの指令のことか。なぜタケトと逃げようとした?」
 『そう命令されたからだ。あの子供をここから連れ出し、母親の元に連れて行けと。理由はわからないが、そのためなら死ねと命令された』
 「そうか。また聞きたいことがあるかもしれない。頼むからおとなしくしていてくれ」通信を切ろうとして、私は思いついて訊いた。「そういえばあんたの名前は?」
 『名前?』
 「固有名詞だよ。あるんだろう?」
 『昔、ホーヴァスという名だったことがある』
 「わかった、ホーヴァス。あんたを殺さないですむよう祈ってるよ」
 通話を終えた私は、オペレータにソード・フォース部隊の集結状況を確認した。
 『第5、第7 の各小隊は、正門の北200 メートルで待機中。第3、第8、第9 はディープワンズを避けて南側駐車場へ通じる市道を移動中。第4、第6小隊は戦闘中で連絡が取れません』
 「ホレイショー、補給は終わったか」
 『今、終わった』
 「第1 小隊は何人残ってる?」
 第1 小隊は、小隊長を兼ねたホレイショーの第1 分隊が5 名、残りの3 分隊の合計が9 名だった。最も損害が大きかった第2 分隊は、ハーミア以外、全員KIA(戦死)だった。
 「正門近くまで移動してくれ」
 『台場、ちょっといいか』福崎が割り込んだ。『ドローンでも、ソード・フォースでもいいから、あのスターウィズ教の合唱を止めた方がいいんじゃないのか。あのエーリッヒ・ツァンの音楽で、デプロイができないんだとしたら、止めればディープワンズに対してロジック攻撃ができる。このままだと、ソード・フォースは通常兵器で苦戦することになるぞ』
 「ああ、できれば、そうしたいところだがな」
 『できない理由があるのか』
 「お前、システムで不具合が出たらどうする?」
 『そりゃ不具合部分を突き止めて、修正するだろうな』
 「だよな」
 今、強引に合唱を止めるのは、不具合部分を見つける前に、システムを停止させてしまうのと同じだ。佐藤管理官の言葉通り、力業で合唱を止めても、別の場所で再開されたら同じ結果になる。スターウィズ教の信者は全国に何千人もいるのだ。世界各国の類似組織を合わせると、その数十倍にはなるだろう。次に南極あたりで合唱コンクールを開かれたら、簡単には手が出せない。アーカムのインフラに影響を及ぼしている力が、もし場所や距離に関係なく効果を発揮できるとしたら、解除方法を突き止めるチャンスは、こんな近くで歌ってくれている今しかない。
 『確かにそうだな』説明を聞いた福崎は頷いた。『でも、さっき、ソード・フォースの奴らに突撃を許してなかったか?』
 「この車が危険だったからな。リードされた状態でアディショナルタイムに突入してるのに、明日のことを考えてエースストライカーを温存するような真似はできん。今は違う」
 『だが、ずっとこのままにしておくわけにも......』
 「だから戦力を集結させているんだ。武装したインスマウス人たちの火力は思ったより強い。一撃で突破する必要がある。ドローンは撃ち落とされたら終わりだし、たとえ接近できても、スタングレネードで全員を無力化できるとは限らない。人間の手で拉致させた方が確実なんだよ」
 『捕虜にして止め方を訊くわけか。素直に話すといいんだが』
 「手はいろいろ考えている」私はタケトのことを伏せて、それだけ答えた。「そっちのPO の状況は?」
 『今のところ、手持ち無沙汰だ』
 「すぐに忙しくさせてやるから心配するな」
 福崎が鼻を鳴らして通信を切ると、私はオペレータに切り替えた。
 「周辺の敵勢力の最新情報をくれ」
 『ディープワンズ270 から290 が中学の周囲を包囲しつつあります。武装したインスマウス人は、そろそろ日が落ちて光量が減っているのと、細かく移動しているため識別が難しいですが、100 体前後だと思われます。自動車やトラックなどで、逐次、戦力が送り込まれ続けているようなので、この数はさらに増えるでしょう。武装の大半はハンドガンやサブマシンガンですが、少数ながら重火器も確認されていて......』
 オペレータの報告を遮り、ソード・フォースの回線が割り込んだ。
 『第6 小隊だ。中学校の東400 メートルの児童図書館に、逃げ遅れた小学生18 人と教師2 名が隠れている。4、5 体のディープワンズが囲み、ドアを破ろうとしているようだ』
 「ディープワンズが市民を攻撃している、ということか」私は確認した。「確かか?」
 第6 小隊が答える前に、別の通信が飛び込んだ。
 『第9 小隊です。こちらでも、同様の事象を確認。インスマウス人の集団が市民を殺傷しています』
 私は唇を噛んだ。
 『空撮ドローンでも、ディープワンズによる市民の被害を確認しました』オペレータが動揺した声で報告した。『無差別攻撃のようです』
 私は大型のモニタを見た。港南台第二中学を中心にした半径2km のマップが表示され、ソード・フォースと敵のアイコンに混じって、数十カ所に人間マークのアイコンが光っている。民間人を表すアイコンだ。近くの住民には避難命令が出されたはずだが、大規模な自然災害とは違い、自発的な行動を期待できず、理由をつけて居残っていた市民も少なくなかった。防衛管理部でも、その事実は把握していたものの、大きな被害が出るとは考えていなかった。陽動作戦に使われたグールはともかく、明確な意志を持つディープワンズと、そのコントロール下にあるインスマウス人の興味は、この中学校に、正確に言うならシュンに向けられていると考えられていたからだ。
 無言で見つめる数秒の間に、交戦状態を示すアイコンがいくつも出現した。広範囲を撮影するドローンが捉えた映像を、動画解析プログラムに組み込まれたAI が判断し、マーキングしているのだ。ソード・フォースのアイコンとは重なっていないから、敵が一般市民を襲っているのは間違いない。
 私はアイコンの一つに触れ、映像を再生した。コンビニの駐車場に停められたトラックを数人のインスマウス人が囲んでいる映像だ。一人がハンドガンを運転席に向け、何か言っている。すぐに運転席のドアが開き、作業服を着た中年男性が降りてきた。運転手は両手を挙げ、何か言いかけるが、インスマウス人が無造作に発砲する。その身体はトラックに叩き付けられ、ずるずると崩れ落ちた。
 『いかん、ドアが破られた』第6 小隊長が切迫した口調で言った。『救助に向かう』
 「ダメだ」私は低い声で言った。「合流を急げ」
 『おい』第6 小隊長の声に怒気が混じった。『目の前で......』
 私はソード・フォース共通回線に切り替えた。
 「台場だ。ディープワンズとインスマウス人が市民を襲っていることが確認されたが、ソード・フォースによる対処は許可しない。繰り返すが許可しない。中学校への移動を急げ。これは命令だ」
 『てめえ、自分のとこのPO の安全だけを優先してるんじゃないだろうな』
 「そんなわけがあるか。敵の動きは、戦力を分散させる陽動に決まってるだろう。それぐらいわからないのか」
 『それは理解できますが』第9 小隊長が躊躇いがちに言った。『我々が動けば、助かる命が何人か増えるのでは』
 私はもう一度モニタを見た。道路にスクーターが転倒し、Tシャツ姿の若い男性がへたりこんでいた。インスマウス人が近付き、銃を構える。男性は悲鳴の形に口を開いたが、数発の銃弾を撃ち込まれて道路に倒れた。黒い染みがアスファルトの上に広がっていく。
 インスマウス人の一人がカメラの方を見た。偶然に目を向けた、という様子ではない。明らかにドローンの存在を認知した上で、視線を向けている。若い女のインスマウス人だ。その細い腕が上がる。ドローンに向けて銃火が閃くシーンを予想したが、インスマウス人の行動は、より挑発的なものだった。カメラに向けて中指を立てたのだ。
 「もう一度、繰り返す」私は目を閉じて告げた。「集結を急げ。市民の救助は許可しない。これは命令だ。この件に関して抗議は認めないし、進言も求めていない。以上だ」
 怒声と罵声が同時に飛び込んできたが、私は構わず通信を切った。オペレータに切り替える。
 「タケトはどうなった」
 『今、そちらに向かっているところです』
 その言葉通り、警備車両の一台がゆっくりと近付いてきているのが見えた。私はオペレーション車両を降りると、停車した警備車両に近付いた。後部ドアから降りてきたのはサチだった。ぐったりしたタケトの腕を引っ張っている。
 「ほら、降りて」
 タケトは自分の足で立ってはいたが、おぼつかない足取りだった。私が誰なのかも理解していない顔だ。
 「記憶が少し曖昧になってるみたいです」サチが囁いた。「かなり強い薬を使ったみたいで」
 「おい」私はタケトを地面に座らせると、スマートフォンのライトで顔を照らした。「お前の名前は? 名前は言えるか?」
 タケトは眠そうに顔を上げると、ボソボソと自分の氏名を口にした。
 「一応、自己認識はあるみたいだな」
 「どうする気ですか?」
 サチの言葉には、非難の粒子が含まれていた。タケトに対して好意を持っているはずはないが、まだ中学生だという意識が先に立つのだろう。
 「オペレータ」私はヘッドセットに呼びかけた。「苅田タケトの母親の携帯の番号はわかるか?」
 『わかります』
 「私のスマホから発信してくれ」
 『ビデオ通話にしますか?』
 「いや、音声だけでいい」
 タケトの母親、苅田ルミは、呼び出し音を2 分近く鳴らした後、ようやく応答した。
 『どなたでしょうか』
 「苅田ルミさんですか」
 『まず、そちらから名乗ってはいかがですか』
 「失礼。D と名乗っておきます。時間がないので手短に用件を言います。タケトくんを預かっています。声を聞きたいでしょうね」
 私は返事も待たず、タケトにスマートフォンを近づけた。
 「お前の名前は?」
 「タケト......」タケトはぼんやりと答えた。「苅田タケトだよ。何?」
 「お前のお母さんと繋がっている」私はスマートフォンをタケトの耳に当てた。「何か話してやれ」
 「ママ?」タケトは混乱した顔で言った。「ママなの? オレだけど、今、どこ......」
 私はスマートフォンを自分の耳に戻した。
 「わかりましたか?」
 『確かにタケトの声のようですね』
 「正真正銘のタケトくんです。彼を五体満足で返して欲しければ、こちらの要求に従っていただきたいんです」
 『そういう話であれば』ルミは驚いた様子もなく答えた。『失礼して警察に連絡させていただきます』
 「警察に連絡したら、タケトくんの命はない、とは言いませんが、不愉快な思いをすることになります。誘拐犯との交渉は、まず会話からと言うじゃないですか。話ぐらい聞いてもらえませんか」
 ルミはふうっと、ため息をついた。
 『いいでしょう。お話になりたければどうぞ。予想はつきますが』
 「話というのは、あなたが参加している合唱団のことです」
 電話に出るまでに時間がかかったのは、他の信者たちから距離を取るためらしいが、通話の背景にBGM のように例の歌が聞こえていた。
 『歌を止めろと仰るんでしょうが、その要求は呑めません』
 「いやいや」私は笑った。「違いますよ。その素敵な歌は、ずっと続けていていただきたいですね。こちらの要求はもっと簡単なことです。タケトくんを解放する代わりに、あなたに人質になってもらいたいんです。スワッピングというわけです」
 たっぷり1 分近く沈黙した後、ルミは戸惑った声で応じた。
 『交換ですか』
 「タケトくんは無傷で解放します。ご存じの通り、この周辺は今現在、少し物騒なので、武装した人間にご希望の場所まで送らせますよ」
 『それで、私はどうなるのでしょう』
 「ご心配なく。少しお話を聞かせてもらったら、お帰りいただきますよ」
 ルミは笑った。
 『それだけのはずはないでしょう』
 「ああ、そうですね。肝心なことを言い忘れていました。今後、あなたにはスターウィズ教の情報を、うちに流してもらう任務に就いてもらいたいんです。まず、手始めに、その歌の影響を打ち消す方法あたりからになるでしょうが」
 『D さんでしたか』ルミはまた笑った。『私は今、あなたが利口なのかバカなのか決めかねているところです。タケトが解放され、その後、私も解放されるのなら、私がスパイになる必要がどこにあるのでしょうか』
 「タケトくんには、ある注射をさせてもらいます」私は静かに告げた。「休眠状態にあるショゴスという生命体の細胞を、特殊なタンパク質のカプセルに封じ込めたものです。うちには、その手の細胞がたくさんあるんですよ。カプセルは丈夫だし、人体細胞と同じ分子構造を持っているので、普段は血管の壁とかに付着していて害にはなりません。ただ、定期的に投薬しないと、二週間から三週間ほどで構造を維持できなくなり、崩壊するようになっています」
 『......』
 「仮に」私は続けた。「仮にカプセルが破れることがあれば、どうなるのか知りたいでしょう。体内で無数の小さなショゴスが活動を開始します。タケトくんの血液を栄養にしてね。私も経験がありますが、ショゴスって、人間の血が大好物のようなんです。しかも、狡猾な知恵もある。おそらく、すぐにタケトくんを殺したりせず、じっくりと身体中に細胞を展開し、乗っ取ろうとするでしょう。見た目は、あなたの可愛い息子のまま、中身が少しずつショゴスに変換されていくわけです。やがて時が来れば、ショゴスは......」
 『やめてください』ルミが初めて感情のこもった声で叫んだ。『そんなこと、できるはずがありません』
 「できますよ。ご存じかどうか知りませんが、あなたの息子さんは、同級生の男子をいじめていたんですよ。私は現在、その子の保護者のような立場にあります。彼を守るためなら、何だってやります。私の話が信じられない、というのであれば、それでも結構。それなら、さっきの措置を施した後、タケトくんを解放します。夏が終わる頃には、タケトくんは別の生命体になっているでしょうから、その過程をじっくり観察なさってください。きっとスターウィズ教のみなさんは祝福してくださいますよ」
 『......悪魔ですか、あなたは』ルミは苦しそうに言った。『呪ってやる。誓って呪ってやる。大いなる顔のない神の名にかけて、お前に苦痛に満ちた死が訪れんことを』
 「それはどうも。話に乗るのであれば、30 分以内に折り返してください。30 分以内に回答がなければ、チケットは期限切れになります。言うまでもないですが、お仲間の信者さんたちには、内密に願いますよ。では」
 電話を切ると、サチが私をまじまじと見つめていた。その顔には、信じていたものに裏切られたような表情が浮かんでいる。
 「台場さん」サチは囁いた。「まさか、今みたいなこと、本当にやるわけではないでしょうね」
 「どうして?」私は無理に笑った。「やるよ。どんなことだって」
 「でも」サチは食い下がった。「この子はただ利用されただけなんですよ」
 「コラテラル・ダメージだよ。シュンや他のPO たちを守るために、必要な犠牲だ」
 「......」
 「とりあえず」私は顔を背けた。「一度、こいつをコマンド2 に戻しておいてくれ。脱水症状なんかにならないように、経口補水液か何かをやっておいてほしいね」
 サチは何か言いたそうな顔で私を見たが、思い直して警備車両にタケトを連れていった。タケトは従順に後部座席に押し込まれ、サチも乗り込む。警備車両はすぐにUターンして引き返していった。
 それを見届けた私は、耐えきれずに膝をつき、近くの地面に激しく嘔吐した。

(続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。本文中に登場する技術や製品は実在しないことがあります。

Comment(13)

コメント

匿名

佐藤管理官もクリスマスの時よりずいぶん人間味が無くなってたけど
こんな逼迫した決断を下し続けなきゃいけない立場ならそうなってしまうのか

匿名56

福崎との会話にある「今、強引に~」のあたりはカギ括弧が抜けてるのではないかと思います。

匿名

本当に信者なら子供が神話生物に寄生・変質すると分かったら至上の喜びだと思う
形だけのなんちゃって信者だったからよかったけど違ったら即詰みになる危険な交渉だね

匿名D

信仰対象の眷属なら喜ぶかもしれないけど、
ショゴスじゃ喜べないんじゃないかな。
古代種族によって創造された生き物で、カミサマの創造物じゃないよね。

それにしても、台場さんの口から直接「コラテラル・ダメージ」という言葉が出ましたか。
佐藤管理官は、クリスマスのときだって、
タブレットをもった人間を多数、特攻させていましたし。
「台場はとにかくゴールまでたどり着ける人材」と
みて権限移譲していたのであれば、台場さんは見事その期待に応えています。

4分隊のうち、3分隊の稼働戦力が1分隊程度、ということは、
投入された戦力はすでに半減以下ということ。
ハーミアを怪我人のところにやれ、なんて書いてた人、息しているのかな?

匿名D

>第1 分隊が5 名、残りの3 分隊の合計が9 名だった。

あら、読み違えたか。「すでに半減以下」には変わりないってことで。

匿名

ZはグールのZ…

育野

台場さんが怖いくらいに有能過ぎる.#このリーダーがスゴイ2019(仮)でもあればノミネート間違いないレベル.ATPではリーダー研修(?)に戦闘指揮も含まれるのだろうか.
本来のキャラクターと異なる振舞いを強いられて無理してるのは最後の一文で判明したけど,佐藤管理官相当の情報持たされてしまった以上,もう元には戻れないよなぁ…….
# ちょっとマージナル・オペレーション(小説・コミック)連想した.あれはそこそこ研修期間あったはず

匿名

血管内の毒の袋。
小説「ニューロマンサー」思い出しました。

リーベルG

匿名56さん、どうも。
そこは地の文なんですが、確かにわかりづらいかもしれませんね。

risa

>「市内に出没しているグールたちな」


ここって、「市内に出没しているグールたちは」ではないですか?
なんとなく違和感があるのですが、呼びかけのように な を使用しているのでしたらすみません。

匿名

たぶんこれ佐藤さんそのまま行方不明とかになって台場さんが引き継ぐやつだ

リーベルG

risaさん、どうも。
そこは、仰る通り、呼びかけなんです。

risa

リーベルGさん


ありがとうございます。
呼びかけでしたか、お手間を取らせてしまってすみません。

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