ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

魔女の刻 (2) 予兆

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 この業界の実情を知らない人が、プログラマへ抱いているイメージはどんなものだろう。私の専業主婦の友人によれば、ロジカルで理知的で、数字に強く、スーパーの買い物でさえ綿密に立案した事前計画に基づいて実行する人々、だそうだ。IT 企業イコールブラック企業、の定義が成立しつつある現在だが、個々のプログラマについては必要以上に誤解が多い。
 そんなプログラマが、予兆とか前兆という論理的でも科学的でもない言葉を、意外なほど体験している、と聞けば、私の友人などは眉をひそめるだろう。だが、多少の経験を積み重ねてきたプログラマなら、上司や営業から案件の概要を聞いた時点で、開発が成功裏に終わって楽しく祝杯を上げられるのか、身も心もボロボロになるまで消耗した挙げ句にエンドユーザから罵声を浴びせられることになるのか、おおよそ予想がつくものだ。くぬぎ市の案件を初めて聞かされたとき、私は少なくとも幸福な結末を想像することができなかった。後から考えると、その予兆はあちこちに現れていたのかもしれない。ただ、私も同僚も誰も気付かなかっただけのことだ。


 私の名前は川嶋ミナコ。33 歳バツイチのシングルマザー。横浜市内にオフィスを構えるサードアイシステム株式会社に勤務している。
 サードアイは開発部と営業部の2 部門構成で、現在の従業員数は17 名。主にK自動車および関連企業の業務システム開発を主業務としているが、ここ最近は利益の出る受託開発はほとんど受注できていない。顧客となる各企業がコスト削減の名の下に、システム関連への投資を抑制するようになっているためだ。景気が好調のときは、担当者が受注を決め、課長印をもらえば受注決定だったのだが、近頃では部長、ときには本部長クラスまでの決裁が必要となり、しかも事前にかなり細かい審査が入るようになってしまった。私のただ一人の同期である営業の黒野は、毎日、朝早くから夜遅くまで顧客詣でを続けていたが、取ってくるのは1 人月以下の小さな案件ばかり。開発部のメンバー全員を稼働させるほどの作業量もなく、半数以上が手持ち無沙汰な状態が続いていた。
 それでも、うちの会社などはまだマシな方だ。開発部のリーダーである東海林さんの指導で、コードレビューやリファクタリング、新技術の導入などを積極的に続けていたおかげで、納品するシステムの質には高い評価を得ているからだ。うちは2 次請け、3 次請けがほとんどだが、エンドユーザから「サードアイで」と指名されることもあるらしい。もっとも、これは黒野が酒の席で自慢げに披露した話だから、真偽のほどは定かではないが。
 とはいえ、K自動車関連受注の減少傾向に歯止めがかからないことは、うちの会社の経営陣と営業部に、少なからぬ危機感を喚起したらしい。向上心が取り柄の黒野は、少しずつだがK自動車関連企業以外の分野への営業活動を開始していた。これまでのルートセールスと違い、飛び込み営業を行うには苦労もあったのだろうが、持ち前のずうずうしさと、何度門前払いにあっても諦めない粘り強さを生かして、各方面へ触手を伸ばし続けた。その努力が実を結んだのは、昨年の1 月のことだった。
 年明け早々に、私は応接室に呼ばれた。応接室と名が付いているが、来客用ばかりではなく、あまり大声を出せない打ち合わせなどを行うこともある狭い部屋だ。4 つあるソファの3 つは、田嶋社長、東海林さん、黒野が埋めていた。
 「実は久しぶりに新しい案件を受注したんだ」私が腰を下ろすのを待ちきれずに社長が切り出した。「かなり大きな規模になる」
 「どこだかわかるか?」社長の言葉を遮るように、黒野が身を乗り出した。
 「さあ」私は苦笑してソファに座り直した。「大きいというとK自動車?」
 「違う」
 「その関連企業?」
 「違う」
 「わかった、降参。早く教えて」
 「くぬぎ市再生プロジェクトだ」黒野はドヤ顔を向けた。「すごいだろ」
 そう言われても、何がすごいのか、私には今ひとつピンと来ていなかった。
 「くぬぎ市って、あそこでしょ、厚木の先の山の中にある。なんとか言うIT 音痴の市長が、図書館とか学校とかでいろいろやらかして話題になった」
 「そこだ。去年、新しい市長になって、再生プロジェクトがスタートしたんだ。それぐらい知ってるだろうな」
 「興味はないけど、まあ話ぐらいは」私は記憶を呼び起こした。「市長が辞めて、新しい市長が発表したんだっけ」
 「詳しい経緯はまた説明するけど、簡単に言えばそういうことだ。行政、図書館、学校情報なんかのICTシステムを再構築することが決まって、県内から40 以上のIT ベンダーが参加する。うちもその一翼を担うってわけだ」
 「よかったね。おめでとう。でも、よく自治体の仕事なんか取れたね。元請けは?」
 「元請けというか......」黒野は珍しく言い渋った。「うちは、川崎の東風エンジニアリングから請け負った」
 「つまり、その上がいるの?」
 「いるんだ」社長が答えた。「東風エンジニアリングの上に、大森ヒューマンリソース。その上にディーズシステム開発。その上がBR ワークス」
 私は思わず笑った。
 「どこまで行くんですか」
 「安心しろ。その上で終わりだ」
 「つまり一次請けですね。Q-LIC なんですか?」
 「いや」今度は東海林さんが口を開いた。「Q-LIC はもうくぬぎ市からの撤退が決まってる。市政アドバイザリとしての契約が残っているだけだからな」
 「じゃ、どこなんですか」
 「エースシステム横浜だ」
 「エースですか?」私は少し驚いた。「あそこは大手企業しか相手にしないんだと思ってました」
 「規模は桁違いだが、事情はうちと同じだよ」社長が嘆息した。「K自動車関連の発注の絶対数が減ってきてるんだ。だから自治体の財源に目をつけたわけだ。原資は税金だからな」
 「元をたどればQ-LIC だって同じだぜ」黒野が鼻を鳴らした。「メインだったレンタル事業は、ネット配信の普及のおかげで先細りだ。本の販売はもっとひどい。文字の本は読まれなくなってるからな。いくらカフェを併設して、店内をお洒落な空間にしたところで、長居する客が増えただけ。そこで新しい収入源として自治体に目をつけたわけだ。正確には税金にな。まあ、結果的に失敗したんだが」
 「それにしてもエースですか」私は苦い顔をしている東海林さんを見た。「もう縁が切れたと思ったら」
 数年前、エースシステムが受注したK自動車のワークフローシステムのリニューアルに、うちの会社は下請けとして参加し、東海林さんと細川くんが常駐していた。詳しいことは知らないが、SQL も書けないプロマネが乱発する無謀な仕様に振り回されたらしい。カットオーバー後も、1 年ほど機能追加やバグフィックスに駆り出されていたが、いつの間にか声がかからなくなっていた。開発部のメンバーは誰も残念に思わなかったが、黒野は金払いのいい元請けとのコネクションを維持し続けてきたようだ。
 「客は客だ」黒野は東海林さんの顔色を窺いつつ言った。「それにエースの人間と直接関わることはないと思うよ」
 「うちからは3 名を送り込む」社長が続けた。「呼ばれたから想像はついてると思うが、川嶋くんもメンバーだ。リーダーは東海林。もう一人は細川だ」
 「場所や期間は?」私は思いついた質問を黒野に投げた。「言語や、システムの規模とか、そういった詳細はどうなってるの?」
 「詳しいことは」黒野がスマートフォンでスケジュールを確認した。「来週の月曜日、全ベンダー向けに説明があるから、そこでわかる。東海林さんと行くが、川嶋も同行してくれ。細川も連れて行く」
 「全ベンダーってことは、40 社が一度に集まるってことですよね。4 人も行って座る場所はあるの?」
 「同じ日に何回かやるみたいだな。うちは10 時からだ。参加人数を訊かれたから、4 人と答えたが、何も言われなかったから大丈夫なんじゃないか」
 「まあ何といっても説明会の場所はエースシステム横浜だ」東海林さんが付け加えた。「うちと違って100 人ぐらい余裕で収納できる大会議室がある。きっと今頃、席次表ができてるよ」
 「そっか、常駐してたんですね」私はからかうように言った。「気まずかったりしませんか? エースの人とは、かなりやり合ったんでしょ」
 「別にケンカをしたわけじゃない」東海林さんは苦笑した。「エースはSE も大勢いるし、異動もあるだろうから、知ってる人に会うことはないだろうよ」
 東海林さんの予想は二重に外れた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 確かに広い会議室だった。ここまで広いと、会議室というよりイベント会場か何かに見える。会議用テーブルは壁際に畳まれていて、室内にはパイプ椅子が等間隔に並んでいた。
 定刻の10 分前に私たちが到着したときには、すでにほとんどの参加ベンダーが集まっていたが、座っているのは10 名に満たなかった。会議室の入り口で、2 人のエース社員が受付をしていたのだが、その列が一向に進まないためだ。
 「すいません、もう一度、会社名をお願いします」
 エースシステムのID カードを首からかけた若い男性社員が悠長に繰り返していた。ベンダーの営業マンらしい中年男性が社名を答え、男性社員は手にしたプリントアウトを指で辿って探している。
 「タカミ製作所さん」その社員はプリントアウト上で指を何度も上下に滑らせながら確認した。「正式には、株式会社ですか? それとも、カッコ株?」
 「株式会社ですよ」ベンダーの営業マンは辛抱強く繰り返した。「さっきも言いましたけどね」
 「えーと」エース社員は、後ろに溜まっている待ち行列のことなど気にも留めずに、またリストを探していった。「あ、これか。住所をお願いできますか」
 「は?」
 「御社の住所ですよ。正確を期す必要があるので」
 ベンダーの営業マンが横浜市から始まる住所を答えている間、隣では別のエース社員が、別のベンダーに社員証を要求していた。
 「社員証がどうして必要なんですか」若いエンジニアらしい男性が訊いている。
 「あなたが名乗った通りの会社にお勤めであることを証明するためですよ」
 エンジニアはカバンからホルダーに入った社員証を出して、目の前に掲げたが、エース社員はちらりと見ただけで首を横に振った。
 「ああ、顔写真入りの社員証じゃないと困るんですけどね」
 「え、それならそうとあらかじめ言っておいてもらわないと......」
 「だってねえ」エース社員は薄笑いを浮かべた。「今どき、写真もない社員証なんて想像もできないじゃないですか。何か身分を証明するものあります?」
 ベンダーのエンジニアはエース社員を睨み付けたが、諦めてカバンの中をゴソゴソと探し始めた。その様子を見ながら、私は東海林さんに囁いた。
 「手際悪いですね」
 「そうだな」東海林さんも小声で答えた。「要領の悪いやつらだ。受付システムぐらい用意しておけばいいのに」
 「業者を待たせることなんか気にしてないんですよ」細川くんが参加した。「プログラマなんて、彼らにしてみれば下々の仕事なんですから」
 細川くんは、誰か知った顔がいないか探しているのか、あるいは、知った顔に見つからないようにするためか、さっきからキョロキョロと周囲を見回していた。
 「誰か知ってる人いた?」
 「それほどエースに知り合いがいるわけじゃないですよ。前に一緒に仕事してた人は転職しましたし。上級SE の高杉さんぐらいですね」
 「ウワサの上級SE か。どんな人?」
 「やり手のビジネスウーマンって感じです。それとも女帝の方がふさわしいかも」
 「高杉さんなら」黒野が口を挟んだ。「もうすぐ役員になるという話だね」
 「この仕事には関わってるんですか?」
 「くぬぎ市の案件はエース横浜が総力を上げて取りにいったらしいから、関わってないことはないだろうね。でも、高杉さんは横浜にいるより、四谷のヘッドクォーターか海外に行っている方が多いみたいだから、現場で直接指揮を執る、ということはないんじゃないかな」
 細川くんが何か答えようとしたとき、背後から鋭い女性の声が響き渡り、2 人のエース社員は、文字通り飛び上がった。
 「一体、これは何事!?」
 噂をすれば影か、と思いながら声の方を見たが、そこに立っていたのは、私と同年代の女性だった。160 センチほどの細すぎる身体の上に、鋭角的なネコ顔。ややブラウンのアップヘアはきれいにセットされている。メガネの奧から2 人の部下を睨む双眸には、知性と底知れぬパワーが感じられた。
 私と細川くんの無言の問いに答えて、黒野が囁いた。
 「白川さんだよ。今回のPL だね」
 白川さんは立ちすくんでいる部下たちに近付くと、音速で飛ぶ戦闘機でも撃墜できそうな視線で、彼らを刺し貫いた。
 「あんたら何やってんの。5 分前には全員、着席させとけって言ったでしょう」
 「は、はい」片方が直立不動で答えた。「総務から来訪者の確認は厳格にやるようにと指示があったので」
 「ったく」白川さんは舌打ちした。「少しは頭を使いなさい。肩の上に乗ってるのはカボチャか何か? すぐに全員、入室させて。帰りに出席を取ればいいでしょう」
 「はあ......」
 「急いで。これ以上時間をムダにしたら、前歯を全部へし折るからね」
 顔面を蒼白に急変させた2 人は、急いで会議室のドアを全開にして、廊下で順番を待っていたベンダー担当者たちの背中を押すように入れ始めた。
 「席は決まってません! お急ぎください!」
 会議室に入りながら、細川くんが囁いた。
 「前例があるんですかね」
 「何が?」
 「前歯です」
 「さあね」私は別のドアへ大股で歩いて行く白川さんを見た。「あの人も上級SE なのかな」
 「白川さんは、まだ違うよ」黒野が言った。「目指してるのは間違いないと思うけど。少し前に体調崩して何ヶ月か休職していたらしくて、実績を作るために、この業務に志願したって聞いたな」
 私たちは右端に空いていた4 つの椅子を確保した。椅子の上には説明資料だろう、ダブルクリップで留められた20 ページほどのプリントアウトが置かれている。表紙には太字の赤いゴシック体で「社外秘」の文字。タイトルは「くぬぎ市ICTシステム再構築プロジェクト(Kunugi-city ICT System Reconstructing Project) に関するシステム構築について」だった。
 全員が席に着くまで5 分ほどを要した。前方の広いホワイトボードの前に立った白川さんは、私たちの顔を脳裏に刻み込むようにゆっくりと見渡すと、口を開いた。
 「はじめまして。エースシステム横浜、パブリックサービス事業部の白川と申します。弊社が請け負ったくぬぎ市ICT システム再構築プロジェクトに関するシステム構築のプロジェクトリーダーです。時間がないので早速説明を始めますが、その前に注意点を1 つ。この部屋にいる間は、携帯電話、スマートフォン、その他のモバイル端末の使用を禁止します。説明を呼び出し音やバイブ音で妨げるなどもってのほかです。そのような事態になった場合、直ちに退席していただきますし、二度と弊社の受付を通ることは許されません。よろしいですね」
 白川さんが室内を視線で掃射した。冗談を言っているのではない、と気付いた何人かが慌ててスマートフォンを取り出していた。私の隣で細川くんも、自分のスマートフォンをシャットダウンしている。
 「では、お手元の資料を開いてください」
 私はページをめくった。「プロジェクトの経緯」とタイトルが印刷されている。
 「おそらくほとんどの方々は、くぬぎ市再生プロジェクトについて、かなり詳しいことまでご存じだとは思いますが、改めて私の方から概要を説明しておきます」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 くぬぎ市は、10 年ほど前に市町村合併によって誕生した、神奈川県で一番新しい市だ。現在の人口は28,000 人。交通の便も悪く、特筆すべき観光資源や産業があるわけではないため、若い労働力人口は横浜市や川崎市に流出し、そのまま定着してしまうのが常だった。人口減少に歯止めがかからない典型的な地方都市だ。
 5 年前、小牟田マサヒロという元官僚の46 才の男性が市長選に立候補した。小牟田氏はくぬぎ市とは縁もゆかりもなく、神奈川県に住んだことさえなかったが、巧みな弁術と人目を惹く公約を掲げ、メディアやネットをうまく利用した選挙戦術を繰り広げた結果、高齢の現職市長を大差で破って当選した。改革派を自認する小牟田市長は「くぬぎ市をICT 先進都市として、市を活性化する」ことを公約としていたが、市長席に座ると同時に様々な改革案をぶちあげた。指定事業者制度による市立図書館の民間委託、自治体運営型通販サイトオープン、小中学校の授業へのタブレット学習システム導入などだ。また「くぬぎ市をICT 経済特区とする」と宣言し、法人税や通信費の大幅なディスカウントによってIT 企業を誘致しようとしたことも話題になった。
 その行動力と政治力は確かに特筆すべきものだった。官僚時代の人脈を駆使して、くぬぎ市をICT 経済特区として認めさせたのを皮切りに、市政アドバイザリとしてQ-LIC と契約し、行政システムのクラウド移行、市立図書館運営の民間委託、市内の学校情報支援システム構築、自治体通販サイトの立ち上げ、地元商業振興支援システムなどを次々に実現させてきた。マスコミは「地方再生の魔術師」「既得権益の破壊者」などと持ち上げ、改革派を自認する市長自身も「くぬぎ市の成功は地方再生のテンプレートになる」と、積極的にメディアへ露出した。
 その頂点は、3 年前の4 月1 日に改装工事を終えてリニューアルオープンした新市立図書館だろう。クリック・ブックスとカフェが併設され、図書館の本をカフェに持ち込んで読める、というのがアピールポイントだったらしい。ソファでコーヒーを飲みながら図書館の本を読む市民の姿が、何度もニュースで放映され、私も目にした。その背景には円形に配置された書棚を埋める本と、落ち着いた照明にセンスのいいインテリア、各所に設置されたデジタルサイネージがあった。あいにくの雨だったが、図書館前でインタビューを受ける小牟田市長の顔には、これ以上ないぐらい得意満面な笑みが浮かんでいた。翌月、4 月の30 日間だけで、リニューアル前の1 年分を遙かに超える来館人数が記録された、との発表があり、市長はその「集客」効果を高らかに誇った。くぬぎ市には、全国の自治体からの視察団が殺到し、市長自身も講演のために全国を飛び回っていた。
 ICT 先進都市宣言の方も順調な滑り出しを見せていた。まず、大手SIer 数社が、ディスカウントされた法人税と通信費に惹かれてというより、盛り上がりを続けるメディア熱に後押しされる形で、くぬぎ市内に開発拠点や研究拠点を新設し始めた。次に数社のコールセンター企業や、ネット通販企業が本社移転や拠点立ち上げを検討していると発表し、その間に、フットワークの軽いベンチャー企業が次々にオフィスを開設した。過疎に悩んでいた山間の小都市には、次第に人と資材が流入するようになり、コンビニやスーパー、ファミリーレストランなどが次々と開店し、バスの運行本数も増発された。
 だが、小牟田市長が我が世の春を謳歌できたのは、2ヵ月にも満たなかった。
 最初に綻びを見せたのは、市長ご自慢の新市立図書館だった。まず、新市立図書館のシステムが「ひどい」という評判がネット上で拡散した。書名や著者名で検索してもヒットせず、ヒットしても場所の表示がデタラメだったという。ならば、自分の足で、と探してみても、Q-LIC 独自の分類方法が、来館者を混乱させることになった。「ライ麦畑でつかまえて」が「園芸/農業」の棚にあったり、子供向けの星占いの本が「宇宙/天体」に配架されているのはまだ笑える方で、ドストエフスキーの「罪と罰」は「旅行/海外」、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」は「食品/料理」、「デザインパターン入門」は「刺繍/編み物」など、分類を基準にすると絶対に発見できない本が大多数を占めたのだ。
 使い物にならないシステムに見切りを付けた来館者は、レファレンスサービス窓口に詰めかけたが、満足な結果を入手できたのは半数に届かなかった。システム化により大幅に人件費を減らす、というコンセプトによって、新市立図書館に配属された図書館員はわずか10 名で、その半数はQ-LIC から派遣された図書館業務未経験者であったことが原因だった。
 その後も、不透明な選書問題が発覚したり、クリック・ブックスのスペース確保のために、隣接していた史跡展示棟が撤去されていたことが明らかになったり、ゲートシステムの誤動作で無実の小学生が本の持ち去りの疑いをかけられたりと、様々な悪評が噴出し続けた。くぬぎ市再生の象徴でもあった新市立図書館についての報道は、ネットで具体的な資料や映像が頻出するようになると、一転して批判的な方向に傾いていった。何名かのブロガーが好意的な記事を公開したが焼け石に水で、後に彼らはQ-LIC が出資するネットメディア企業から報酬を得ていたことが明らかになった。
 決定的だったのは、翌年の5 月に市議会で公表された収支報告書だった。市の財政負担軽減のために民間委託したにもかかわらず、図書館の運営費は赤字であることが明らかになったのだ。Q-LIC に支払う巨額な委託費と、過剰な設備投資が原因だった。また市長が声高に勝利宣言した集客効果についても疑問符がつけられた。市外からの来訪者は確かに増加していたが、それで地元の商業や観光施設が潤ったわけではなかった。お金が落ちていった先はクリック・ブックスとカフェであり、地元の食堂やスーパーなどではなかったからだ。
 学校教育支援システムにも多数の批判の声が上がっていた。あたかも無償配布されたように宣伝された8 インチタブレットが、実は24,500 円で購入を強制させられていたこと、計画時にはiPad で進んでいたのに導入間際になって中国製の安価なAndroid タブレットに変更になったこと、タブレット自体のパフォーマンスが最低レベルで授業中にフリーズや再起動を繰り返したことなどが、ネットニュースの取材ですっぱ抜かれた。さらに年度末になるとインストールしてあるアプリがデータごとアンインストールされ、学習の記録が完全に消滅することが報じられると「紙の教科書以下」と炎上することになった。学習ソフトそのものの使い勝手も悪く、教師は授業のたびにソフトの操作のサポートに時間を取られるようになってしまった。
 当時、くぬぎ市の図書館システム、学校教育支援システム、地元商業振興支援システムなどの開発を一手に引き受けていたのは、KUNUGIイノベーションデベロップメント株式会社、通称KID だった。KID 自体は市長の人脈につながるコンサル会社、Q-LIC 資本のWeb デザイン会社、やはりQ-LIC の子会社で通販サイトを運営しているITベンダーの合弁会社であったことが明らかになっている。KID そのものは開発要員を抱えていないため、各システムの開発は外注したのだが、短納期にも関わらず低単価で仕様が頻繁に変更になるデスマーチ型開発となり、外注先が次々に撤退、または脱落し、関わったベンダーは4 ヵ月で61 社を数えた。KID のPL として開発現場を仕切っていたエンジニアは、次から次に変化する上からの指示と下請けの管理に忙殺され、実労働時間が300 時間を超過する月が何ヶ月も続いた。その結果、各システム開発が終盤に差し掛かった頃に入院して戦線離脱となり、数ヶ月後、図書館システムと学校教育支援システムの完成を目にすることなく自ら命を絶った、という、私たちソフトウェアエンジニアにはぞっとしない話が後に残っている。KID はくぬぎ市からの入金があった直後に、Q-LIC に吸収合併される形で消滅していて、携わったエンジニアも四散しているため、各システムのメンテナンスが難航している。今回のくぬぎ市再生プロジェクトでも、その改善が重要視されているとのことだ。
 図書館システムと学校教育支援システムに先駆けて、地元商業振興支援策として市内8 つのスーパーや雑貨店、書店などに試験導入された顔認証万引き防止システム<Q-FACE>についても物言いがついた。顔認証システム自体の精度が低く、誤認識が続出していることが明らかになったからだ。配布された資料には、その失敗例として、前述のネットニュースが取材した記事が載っていた。それによれば、かねてから万引き被害に悩まされていた商店街にある文房具店の店主は、この<Q-FACE>の導入を歓迎し、市とQ-LIC が試験導入対象店舗を募集した際、真っ先に手を挙げた。導入した年の12 月、<Q-FACE>は万引き常習犯として、来店した1 人の女子中学生にアラートを上げた。初老の店主は対象の行動を注視し続け、女子生徒がボールペンを手に取った途端、有無を言わせず万引き犯としてその細い手首を掴んだ。女子生徒は必死に否定したが、猜疑心に凝り固まった店主は聞き入れず警察へ通報した。この事件は一部のニュースで<Q-FACE>導入の成果として報道され、店主は自分がどれだけ万引き被害に悩まされてきたかを蕩々と語っていた。しかし警察の調査の結果、女子生徒は完全に無実で、実際は<Q-FACE>の不具合により同じ中学校の男子生徒と誤認識していたことが判明したのだった。この店主は20 年間営んできた店を畳むことになり、事件のショックが尾を引いたためか、女子生徒は高校受験に失敗した。<Q-FACE>は、Q-LIC とHSSJ――ハウンド・セキュリティ・サービス・ジャパンという海外でセキュリティサービスを広く展開している会社が共同開発・販売開始したばかりのパッケージだったが、この事件以来、協力店舗の撤去が相次いだ。採算が取れなくなったためHSSJ は撤退を表明、運用を続けているQ-LIC も新規の販売を中止している。
 ICT 先進都市宣言の中核となるIT 企業の誘致も暗礁に乗り上げていた。くぬぎ市には鉄道の駅がなく、相鉄線かJR 相模線の駅からバスを利用するしかない。東名高速道路が市の北端を通過しているが、IC がないので厚木IC から片側一車線の県道を12 キロほど進む必要がある。交通の便が良いとはとても言えない立地は、やはり企業活動には不向きだったのだ。小牟田市長もそのことを承知していて、だからこそ、ロジスティックが重要となる工業系の企業ではなく、情報サービスが主業務のICT 企業の誘致を企図したのだろう。だが、前市長はどうやらICT 企業の業務をノマドスタイルのイメージだけで捉えていたふしがある。ネットさえ繋がっていれば、オフィスでも、カフェでも、図書館でも、公園でも、どこでも仕事ができる、というイメージだ。実際には情報処理サービスを主業務としていても、それを作るのは人間だし使うのも人間だ。日本には、Skype などのネット電話サービスだけで打ち合わせを完結させるスタイルは定着していないし、紙の契約書を交わす儀式も廃れていない。法人税と通信費が安いといっても、営業活動の交通費を市が負担してくるわけではないし、事業所の維持費は都内や神奈川県内と変わらないか、むしろ高くなる場合もあったため、体力のないベンダーは次々に撤退していった。今では、残っているのは2 社だそうだ。
 行政システムのクラウド移行は、市民よりも、身内である市役所職員から、不満が噴出した。クラウドサービス自体が、パフォーマンスや操作性ではなく、政治的な理由で選択されたためだ。市長が指名――市議会を通さなかったため、後に批判の種を増やすことになった――したグリーンリーブス・クラウドは、朝ドラにも出演した若手俳優が名目上のCEO になっているサービス会社で、話題性重視で選択したのではないか、と囁かれたのだ。もちろん市長は否定したが、ネットに残っている市長が誇らしげにCEO と握手している画像を見ると、そのウワサにもある程度の真実味があるのではないかと思える。元々、個人向けのストレージサービスのみを提供していたが、くぬぎ市がICT 先進都市宣言をすると同時に、法人向けインフラサービスを開始した。法人向けと言っても、新たに設備投資をしたわけではないらしく、スループットも悪いし、レイテンシもひどい、と評判が悪かった。その上、平日の昼間でも予告なしでメンテナンスモードに突入するので、行政業務の一部が数時間止まってしまうこともしばしばだった。
 くぬぎ市主導で開設された自治体運営型通販サイト<サスティナブル・ホームタウン100>は、100 の自治体参加を目標として、前市長自らが日本全国の市区町村を行脚して参加を募っていた。その口車に乗った11 の自治体が参加して開始されたが、導入費用と年間維持費を超える利益を出せた自治体は、くぬぎ市を含めて皆無だった。半数が数ヶ月以内に撤退し、一昨年の12 月までにくぬぎ市以外の全ての自治体が撤退を決定した。サイト自体も去年の5 月に閉鎖となっている。このサイトに関わった全国の自治体が使った税金は、合計で2,300 万円、対する売上は合計で68 万円だった。

(続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。本文中に登場する技術や製品は実在しないことがあります。
 くぬぎ市の場所については厳密に考えてないので、実際の地理的情報と矛盾があっても気にしないでください。

Comment(23)

コメント

匿名

S県T市がモチーフなのですね。
相変わらず導入が興味深く来週が待ち遠しいです。

B・B

ハウンドってあのハウンドなのかしら
にやけちゃうw

名無し

>S県T市がモチーフなのですね。

てっきり海老名と綾瀬と清川村を足して3で割ってるのかなーと思ったらこの手の図書館って結構あるんですね、知らなかった

匿名

閉塞感と絶望感しかないな・・>くぬぎ市

>「地方再生の魔術師」「既得権益の破壊者」
この部分で「・・・あぁ、H渡氏か・・」と思ったらそのあとのも完全にT市だった。
最初はすっげえ持ち上げられてましたねえ

>この手の図書館って結構あるんですね
T市が最初で、それをマスコミが上げ底で報道して、海老名市が釣れたって感じでしたね。
分類がバラバラだったのが海老名市だったかな?
結局あれ以降、図書館を民間委託する流れはなくなりましたね。図書館の目的と営利団体が相容れないのは最初からわかってたろうに・・・・

匿名

何ヶ所か「私立図書館」になってますが「市立図書館」の間違いでは?

匿名

戦火の勇気?プライベートライアン?
ギリギリの状況での物語は戦場モノと重なりますね

atlan

厚木から山の中に入るって事は北西方向だから相鉄使うって交通手段は無いのでは?
しかし東名が市の北端を通過・・・うーーん新東名(未開通)だとしても位置がわからん

匿名

T市は地方ですがかろうじて駅とICはあるので…失敗した自治体を集めて煮詰めたような感じですね

匿名

Reconstractingは
Reconstructingの間違いですかね

匿名

「くぬぎ」という名前はどこかで聞き覚えがあるなぁ、と思っていたら、「暗殺教室」ですね。笑

aoi

ひろみつ案件のごった煮みたいな市だな

匿名

CCC

Bina

海老名から愛川町役場行きのバスがあるから、相鉄が出てきても違和感がなかったよ。

東名の位置は謎。
南側ならまだ分かる。

出てきて欲しいなぁ。
あの人に。

あの

某「しーしーしー」が参入する案件が話題にならなくなったけど、別の業者が参入しています。とはいえ、都市部での図書館の建て替えがあまりない話で目立たないというのもありますが。

リーベルG

匿名さん、ご指摘ありがとうございます。

Dai

久々の間違い探し
> 合弁会社であったことがも明らかに

毎週月曜朝、楽しみです。

リーベルG

Dai さん、ありがとうございます。

育野

事件の背景には十分過ぎるほどの情報が出てきましたが,
さほど体質の変わってなさそげなエースシステムの下で
「破壊的改革」の後始末……
東海林さんがいるのでそれほどひどい目には遭わないですみそうですが,
最後に破壊工作くらうのが確定(1話)してますからねぇ.
犯人とその目的は何なのか,どう収束するのか,楽しみにしてます.

それにしても元ネタ(推定)の元市長氏はその後もアレコレご活躍ですねぇ.
この前は換字式暗号+αの文字化け生成器で情報流出対策だとか
(本当にわかってないのか知っててやってるのか)
#謎の恫喝が飛んできませんように
昔は「事実は小説より奇なり」なんていってましたが
今やネタがそのまんま転がってくる世の中,実に困ったものです.

にぃちぇ

いつも楽しみに読ませて頂いてます。

>導入費用と年間維持費を超える利益を出せた自治体は、くぬぎ市を含めて皆無だった。
>このサイトに関わった全国の自治体が使った税金は、合計で2,300 万円、対する利益は合計で68 万円だった。

利益というよりも売上でしょうか?
少なからず利益が出ているので撤退する流れは不自然な気がします。

リーベルG

にぃちぇさん、ありがとうございます。
売上ですね。

yunishio

恐れ入りますが、御用聞きとルートセールスは同じことを指していて、いわゆる得意先回りのことを言います。

mori

新しいお話始まりましたね。また毎週月曜日が楽しくなります。

「私たちソフトウェアエンジニアにはぞっとしない話」という文章に少し違和感を感じたんですが、調べてみたら「ぞっとしない=感心しない」という意味もあるんですね。

リーベルG

yunishioさん、ご指摘ありがとうございます。
私は営業の経験はないのですが、社会人1年生のときだったか就活のときだったかに、ルートセールスは決まった顧客だけ訪問する営業活動で、御用聞きは取引のない相手にも訪問する、と聞いた気がしていたのですが、改めて調べてみると、後者は「飛び込み営業」というのが正しいようですね。

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