ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

飛田ショウマの憂鬱 (10)

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 3 月5 日、10:45。

 ノンレム睡眠状態にあった飛田は、3 月1 日からの4 日間で蓄積した疲労とストレスを分解している真っ最中だった。夢の中でもデバッグしているんじゃないんですか、と野見山などにからかわれるほどプログラミングジャンキーの飛田だが、ここ数日間はその摂取量がいささか過剰だったのだ。

 八十田建設の見積書管理システムは、予定通り、2 月末日にカットオーバーしたが、実稼働した初日から早速、いくつかのバグや仕様洩れが発覚し、また主なエンドユーザたる営業マンからの改善要望も多く上がっていた。致命的な問題こそなかったが、早急な対応が求められる項目がいくつもあり、顧客からも、首藤課長と長谷部からも、遅くとも翌日の業務開始までに対応完了、と指示があった。日中はシステムの再起動ができないため、飛田と野見山は、データの不整合が発生するたびにSQL 文を手動で実行して辻褄を合わせたり、臨時の監視プログラムを書いて営業マンが使用するタブレットからの入力をインターセプトしたりと、場当たり的な対応に追われた。業務終了時刻の21 時を過ぎた後、ようやくプログラムの修正に取りかかれる。ときには、深夜2 時や3 時までかかって修正とテストを終え、本番環境にデプロイした後、仮眠室で短い睡眠をむさぼる、という日が続いた。

 4 日になると、ようやくアプリケーションの動作も落ち着いてきて、即応体制を解くことができた。飛田と野見山は、開発メンバーと相談した結果、5 日の土曜日は休みを取ることにした。4 日間で、夜間バッチも含めて一通りの機能は実行され、大きな問題は潰せた自信があり、次に何か問題が発生するとしたら、月初の締め処理関連のバッチだろうと思われたからだ。もしかしたら、操作ミスなどでデータベースを直接修正する必要が出てくるかもしれないが、それは土曜日に出勤予定の開発メンバーでも対応可能だ。

 それでも飛田は、一応、午後には会社に電話をして状況を確認するつもりでいたから、アラームを正午にセットしてあった。けたたましい音で叩き起こされた飛田は、寝ぼけ眼でサイドテーブルの目覚まし時計を叩いた。音が鳴り止まないのでベッドの上に半身を起こした飛田は、スマートフォンが不協和音と振動による自己主張を続けていることを知る。表示された発信者を見た途端に眠気は吹っ飛んだ。会社の外線番号だった。

 「はい」

 『飛田か』長谷部の声だった。『トラブル発生だ。すぐ来てくれ』

 「何があった?」ベッドから抜け出しながら飛田は訊いた。

 『見積書作成が動かないんだ』微塵の余裕も感じられない声だ。『初期化失敗のエラーが出る。営業所から連絡があって、こっちでも試してみたが同じ現象だ』

 「初期化で? そんな部分は、最近触ってないんだがな。昨日の業務終了までは正常に動作していたぞ」

 『現にエラーになってるんだ』

 「今日は石黒と清水が出てるはずだな。何かわからないのか」

 『2 人ともお手上げだよ』長谷部は舌打ちした。『全く、使えん奴らだ』

 「とにかく行く。1 時間ちょっとかかるぞ。あと、野見山にも電話しておいてくれ」

 『わかった。急いで頼む』

 スマートフォンを放り出した飛田は、急いで洗面所に向かった。キッチンを横切るとき、ティファールの電気ケトルのスイッチを入れる。朝食を取っている時間はなさそうだが、着替えをしながらお茶を飲むぐらいは許されるだろう。

 そう言えば、と飛田は顔を洗いながら考えた。長谷部と話すのは、ずいぶん久しぶりな気がする。テスト方針の件で意見が食い違ったときから、長谷部は以前のように気安く話しかけて来ないようになった。指示や連絡はメールで伝えてくるし、ランチに行こうと声をかけてくることもない。交わした数少ない会話は、最小限の業務関係だけだ。飛田の方から懐柔を試みるのも何か違う気がする。結局、カットオーバーまで2人の間は、ぎくしゃくしたままだった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 11:50。

 飛田がシステム開発課に入っていくと、野見山、石黒、清水、そして電話中の長谷部が一斉に顔を上げ、揃って安堵の表情を浮かべた。長谷部は受話器に向かって頭を下げながら、何やら謝罪の言葉を並べ立てている。ジャケットをハンガーにかけていると、野見山が寄ってきた。

 「おつかれさまです」

 「おつかれ。早いな」

 「さっき来たところです。出かける予定だったんですけど」

 「あれは」飛田は通話中の長谷部の方を見た。「八十田建設か?」

 「ええ。といっても、トラブルのことじゃなくて。さっき町田営業所から、急ぎの見積を出さなければならないから、資材マスタをCSV で送ってくれと連絡があって。長谷部さんが送ったんですけど、テスト環境のデータだったんです。営業マンの人が気付かずに、Excel で作った見積書をお客さんに出してしまったようなんです。すぐ本番環境のデータを送り直したんですが。お怒りの電話がかかってきて、今、お詫び中というわけです。あ、飛田さんのPC 起動しておきましたよ」

 「ありがとう」飛田は自席に座ってログインした。「で、見積書作成画面がエラーになるという話だったが、何かわかったのか?」

 野見山は首を横に振った。

 「プログラムは正常です。initialize メソッドなんて、最後に手を入れたのは、1 月28 日になってました。昨日まで正常に動作していたのに、今日、いきなりバグが出てくるなんてあり得ないですよ」

 飛田はブラウザを立ち上げると、見積書管理システムの本番環境にシステム用のユーザでログインした。見積書作成画面は、エンドユーザの使用率が最も高い機能で、画面上部に並ぶメニューの先頭にある。クリックすると既存の見積の検索画面が表示されるはずだが、共通のエラー画面に遷移してしまった。画面には素っ気なく「初期化処理が失敗しました」と表示されているだけだ。

 「確かにエラーになるな」飛田はEclipse を起動しながら言った。「一応訊くが、昨日の業務終了後から今朝までの間に、誰かが何か触って本番環境に反映した、なんてことはないだろうな?」

 「ないですね。本番環境のクラスファイルの更新日時は確認しました」

 「じゃあ、本番環境のエラーログは?」

 「見たんですが......」野見山は躊躇いながら答えた。「......例外が出てないんです」

 飛田は顔をしかめた。

 「出てないわけないだろう」

 「INFO レベルのログは、ちゃんと吐かれてるんですが、同じ時間のERROR レベルログが出てないんです」

 飛田はLogViewer 画面を開いた。本番サーバへの直接アクセスが許可されなかったので、カットオーバー直前に作ったものだ。エラーログは、error.log ファイルとして作成されていたが、ファイルサイズが0 バイトになっている。作成日時は、今日の10:27 だ。

 電話を終えた長谷部が、急ぎ足で飛田のデスクにやってきた。

 「何かわかったか?」

 「まだ始めたばかりだぞ。経緯を教えてくれ」

 長谷部は早口で経緯を説明した。

 「......で、10:30 少し前にシステム課の田邊さんが再起動したんだが、結果は変わらなかった。それで、オレに連絡が来たわけだ」

 「10:27 が再起動時刻だな。今はどう対応してるんだ?」

 「旧システムのExcel に入力して、システム管理課にメールで送ってもらってる。システム管理課でマスタを参照して、金額等を出して送り返してるんだ」

 とにかくinitialize メソッドを見てみるか、と飛田がモニタに目を向けたとき、慌ただしくドアが開き、首藤課長が飛び込んできた。

 「長谷部くん」首藤課長は長谷部に詰め寄った。「重大なトラブルというのは本当か? 八十田の石岡さんから電話があったぞ」

 「あ、はい。今朝......」

 「真っ先に私に報告して欲しかったな」首藤課長は上着を脱ぎながら言った。「課のトップが聞いていません、じゃみっともないだろう」

 「すみません。対応で手が空かず。今、調査を開始した......」

 「ああ、ちょっと待て」首藤課長は手で長谷部を制した。「とにかく、状況と経緯を説明してくれ。会議室は空いてるな。全員、そこに集合だ」

 全員? 飛田と野見山が顔を見合わせたとき、首藤課長が苛々した口調で言った。

 「何してる。君たちもだ」

 飛田は呆気に取られた。

 「今、原因を調査しようとしてるんですが」

 「まず報告が先だ」

 優先順位を完全に間違えている、と飛田は呆れた。

 「えーと、課長」長谷部が控えめに反論した。「まずは、障害の復旧が先ではないかと思うのですが......」

 「何を言ってる。こういうときこそ、管理者が的確に状況を把握し、対応方針を決める必要があるんだよ。間違った決断を下して、これ以上顧客に迷惑をかけるわけにはいかんからな。開発基準にも、障害発生時には、速やかに状況を管理者に報告し指示を仰ぐこと、とあるだろう」

 長谷部は諦めたように目を閉じ、それから飛田と野見山に弱々しい笑みを見せた。

 「会議室に集合してくれ。石黒、清水もだ」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 12:15。

 「......以上です」

 長谷部が経緯を報告し終わると、首藤課長は腕組みをしたまま頷いた。長谷部の隣では、書記を命じられた石黒が、必死で裏紙に長谷部の言葉を書き留めている。

 「それで、どういう対応をするの」

 「えー、その......」長谷部は苦しそうな顔でうつむいた。「つまり、まず原因となる初期化処理部分を調査すべきだと思います」

 当たり前すぎる答えに、野見山と石黒が思わず吹き出しそうになり、慌てて真顔に戻った。

 「うん、そうだな」首藤課長は大げさに頷いた。「それは誰にやらせる?」

 「その」長谷部は首藤課長のご機嫌を伺うように、おそるおそる答えた。「飛田が適当だと思いますが......」

 首藤課長は、いかにも気に入らない、といった風に顔をしかめた。

 「まあ、長谷部くんがそう言うならそうなんだろうな。それで、その調査はどのぐらい時間がかかるの?」

 「時間ですか......」

 長谷部が答えを求めるように飛田を見たが、飛田は肩をすくめることしかできなかった。ソースを調べてもいないのに、調査に要する時間がわかるはずもない。

 「おそらく1時間もあれば......」

 「1時間か。もう少し早めにできないものかな」

 長谷部の懇願するような視線が飛田に向けられた。飛田は頷き、指を3本立てた。

 「さ、30分で何とか」

 「ふーん。まあいいか。じゃあ、それを指示して」

 「は?」

 「君がチームリーダーなんだから、君が明確な指示を出すんだよ」

 「は、はい」長谷部は飛田を見た。「飛田、初期化処理部分を調査して、エラーとなる原因を調べてくれ。30分で頼む」

 「わかった」飛田は頷いた。「やってみる」

 「野見山、石黒、清水は飛田のサポートを頼む」長谷部は首藤課長の顔を見た。「これでいいでしょうか」

 「長谷部くんがいいと思うなら、それでいいだろう」首藤課長はそう言うと、開発メンバーたちの顔を見回した。「とにかく君たちの判断で勝手に動かず、必ずチームリーダーの指示を仰ぐこと。途中経過も細かく報告すること。いいね」

 野見山が何か言いかけたが、飛田は素早く合図をして黙らせた。今はともかく、障害を復旧させることが最優先だ。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 12:30。

 「動きますね」野見山が首を傾げた。「エラー出ません」

 「テスト環境だと動く」飛田はモニタを見つめた。「でも本番だとエラーになる」

 「なんでしょうね、これは」

 「initialize メソッド自体には問題がないってことだな」飛田はソースコードをスクロールさせた。「ということは、ここから呼んでる処理のどれかが落ちてて、しかも、エラーログを吐いてないってことか」

 「ログイン情報認証、権限チェック、選択肢一覧読み込み......」initialize メソッド内で実行している処理を、野見山が順に読んだ。「一次保存中見積データチェック、直近10件の作成・編集データ一覧取得、直近で価格変更があった資材データ一覧取得、消費税マスタチェック、お知らせチェック。このどれかですね。でも、どれも最近、修正した記憶はないですけどね」

 「順に追っていくしかないか」

 飛田は、2人の後ろに背後霊のように立っている長谷部を見た。

 「デバッグ環境から、本番データベースにアクセスしたいんだが」

 「え、できないのか? うちでも本番環境で現象を確認していたじゃないか」

 「あれはブラウザで本番サーバに接続してるからだ。そうじゃなくて、俺のPC から直接、本番データベースに繋ぎたいんだよ」

 「......たぶんすぐには無理だと思う」長谷部は消え入りそうな声で答えた。「あっちの部長の許可がいるらしいから......」

 「わかった」飛田は野見山を見た。「仕方がない。initialize メソッド内の各処理の前後に、トレースログを入れてデプロイしよう」

 「了解です。今、開いてるんで、こっちで入れます」

 野見山が忙しく手を動かし始めるのを見ながら、飛田は再び長谷部に言った。

 「一度、本番環境を再起動するぞ」

 「再起動か......」長谷部は逡巡した。「一応、先方に聞いてみる」

 「どうせ動かないんだから、構わないだろう」

 「いや、でも、一応。後で問題になるかもしれんからな」

 そう言うと長谷部は自分の席に戻って受話器を取り上げた。飛田の視界の端で、手持ち無沙汰で座っていた石黒と清水が、長谷部の方を盗み見しながら、何やら小声で囁き交わしている。おそらく長谷部のリーダーシップについて彼らなりの評価をしているのだろう。

 長谷部が電話を終えたのは、野見山がソースを修正し終えるのと、ほぼ同時だった。

 「再起動、やって大丈夫だ」

 「ソース修正できました。warファイルも作成してあります」

 飛田はwarファイルを本番サーバに転送すると、Tomcat マネージャを開いて、アプリケーションを再起動させた。

 「起動しました」野見山が言った。「もう一度、やってみます」

 野見山がログインし、見積書作成画面を開く間、飛田と長谷部はLogViewer 画面を穴が空くほど見つめた。

 TRACE 20XX-03-05 12:31:14,302 start login authentication.
 TRACE 20XX-03-05 12:31:15,525 end login authentication.
 TRACE 20XX-03-05 12:31:15,611 start check authority.
 TRACE 20XX-03-05 12:31:17,041 end check authority.
 TRACE 20XX-03-05 12:31:17,066 start select items.
 TRACE 20XX-03-05 12:31:18,441 end select items.
 TRACE 20XX-03-05 12:31:18,516 start select saved datas.
 TRACE 20XX-03-05 12:31:18,670 end select saved datas.
 TRACE 20XX-03-05 12:31:18,784 start select recent 10datas.
 TRACE 20XX-03-05 12:31:20,117 end select recent 10datas.
 TRACE 20XX-03-05 12:31:20,234 start select recent changed master.

 「エラー画面になりました」

 「ここだ」飛田はログの最後を指した。「資材データの読み込みが完了してない」

 飛田は資材データ読み込みロジックのソースを開き、スクロールしていった。野見山も席を立って後ろから覗き込む。例外処理部分が表示されたとき、2人は揃って罵り声を上げた。

 「Exception をキャッチしてるくせに、何もやってないですね。これ、誰が......」

 「後にしろ」

 飛田はcatch ブロックの中に、エラーログの出力を追加して保存した。war ファイルを作成し、再度デプロイ処理を行う。長谷部もアプリケーションが再起動されたことには気付いたはずだが、何も言わなかった。

 「野見山、もう一度」

 野見山が自分の席に戻り、再びログイン処理から繰り返す。飛田はLogViewer 画面を操作し、表示をトレースログではなく、エラーログに切り替えた。

 「行きます」

 たちまちエラーログに例外が吐き出された。

 「これだ。参照コードの比較でNull Pointer になってる。おかしいな。参照コードがNull になるはずがないんだが」

 「Not Null 制約付けてませんよ」野見山が思い出したように言った。「メンテナンス画面で一時保存する場合があるからって」

 「ここでチェックしてるのは、一時保存じゃなくて、基幹システムからインポートしてるデータだろう。Null のはずがない」

 言いながら飛田は、SQL コンソールを開いた。ブラウザでSQL を実行するために作成した画面だ。資材マスタで参照コードがNull のレコードを検索する。結果は、3 秒後に出た。

 「え!」野見山が驚きの声を発した。「2,247 件?」

 「原因はこっちじゃない」飛田は唸った。「夜間バッチのインポート処理だ」

 「え、どういうことだ?」

 長谷部が焦ったように訊いたが、飛田はそれを無視して、LogViewer 画面に切り替えた。夜間バッチのログは別のディレクトリに出力されている。参照すると、こちらはしっかりエラーログが残っていた。エラー発生時刻は、今日の02:31:44。

 「Connection Refused だ」飛田はエラー箇所に目を走らせた。

 「ネットワークの疎通が切れたんですかね」野見山が首を傾げた。「でも、これって全件一気に読み込んで、順次更新ですよね......あー、そっか!」

 「全件テストで、トランザクション領域が溢れそうになったから、篠崎さんが100件ずつの読み込み、コミットに変更した」飛田はソースをスクロールした。「ちゃんと進行状況をログに出してくれてる。これによると、4,300 件まで成功してるな。そこでConnection が切れた」

 「それで」野見山が勢い込んで続けた。「fetch が失敗してコケた! でも、なんでいままで平気だったのに今日に限って。データが急増したわけでもないですし、夜間だから他からの接続はないし」

 「何かの原因でデータ量が異常に増加したか」飛田は考えながら言った。「トラフィックが急上昇したか、ハードの不具合か」

 「あ!」長谷部が小さく叫んだ。

 今度は飛田も野見山も、長谷部を無視しなかった。

 「何だ?」

 「そういえば」長谷部はスマートフォンを出して、震える手で操作した。「昨日の夜から上流ネットワークの機器交換をやると言っていた。ネットワークの瞬断が何度か発生するかもしれないと......」

 飛田は嘆息した。

 「それだ」さすがに声に苛立ちが混じった。「そういう情報はきちんと共有しろよ」

 「すまん」長谷部はうなだれた。「まさか、こっちのシステムに影響があるとは思わなかった」

 「まあいい。とにかく原因はわかった。例外が発生したのに、ロールバック処理をしていなかったから、資材マスタが中途半端な状態で残った。見積書作成画面で、それを読み込むとき、エラーが発生したんだな」

 「せめてロールバック処理が入ってれば」野見山が悔しそうに言った。「最新状態が反映されていないだけで、資材マスタそのものは無事だったのに。でも、このエラーは、八十田建設のシステム管理課にメールされてるはずですよね。朝一で確認しなかったんですかね」

 「例外処理がないから、バッチコントローラは、そのまま後続の処理を実行したんだろうな」飛田は言いながら、ログを確認した。「実行してる。これで最後まで処理が進めば、バッチ正常終了メールが飛ぶ。正常終了メールを確認したら、それ以上、他のメールなんか見なかったんだろうな。エラーメールが来ていることに気付かなかったか、気付いたとしても、週明けにうちに確認すればいい、ぐらいに思ったんだ。何しろ、正常終了メールが来てるんだから、バッチ処理が失敗していると考える理由はない」

 「それで」長谷部が力のない声で訊いた。「どうすればいいんだ?」

 「夜間バッチ処理をもう一度、実行すればいい。こういう場合のために、管理メニューに再実行機能を入れてある。本来なら、エラーメールを確認して、すぐに再実行してもらえば、10:00 には間に合ったはずなんだがな」

 「エラーメールのチェックって」野見山が長谷部に言った。「システム担当者の運用ルールとして提示してあったはずですけど、説明しなかったんですか?」

 「そんなことはない。運用ルールは先方に送ってある」長谷部の強気な口調は、すぐに弱まった。「口頭で説明はしていないが」

 「とにかく、すぐ連絡して、夜間バッチを再実行してもらえ。ネットワーク機器交換は、もう終わってるんだろう?」

 「わかった。すぐに連絡する」

 長谷部は電話に飛びついた。ようやく朗報を連絡できるためか、その横顔に少し明るさが戻ってきていた。

 「あー」SVN エクスプローラで、ソースの変更履歴を見ていた野見山が唸った。「最終変更者は篠崎さんです。でも、篠崎さんが例外処理を省くなんて、初歩的なミスしますかね」

 飛田は同意して頷いたが、犯人捜しにはそれほど興味がなかったので、コメントは差し控えた。そのとき2 人の後ろから声がかけられた。

 「あの」

 振り向くと、石黒が立っていた。飛田に呼びかけておきながら、注意は電話中の長谷部とそれを見守っている首藤課長に向けられているようだった。

 「どうした?」野見山が訊いた。

 石黒はもう一度、長谷部と首藤課長の様子を確認すると、2 人から見えないようにしゃがみこんだ。

 「実は、そのバッチクラスの例外なんですけど」石黒は囁いた。「長谷部さんの指示で篠崎さんが消したんです」

 飛田と野見山は顔を見合わせた。飛田は小声で訊いた。

 「どういうことだ?」

 「元々の例外処理には、ERROR レベルのログ出力が入ってました。ERROR レベルのログだと、向こうのシステム課にメールされますよね。最後の方で、篠崎さんが連続して異常処理をテストしていたら、メールがバンバン飛んでしまって、長谷部さんに苦情が来たらしいんです。で、長谷部さんが篠崎さんに例外処理を消すように言ったんです。後で戻しておくから、って」

 「それを、そのままにしてリリースしたわけか」飛田はこめかみを揉んだ。「何をやってるんだ」

 「すいません」石黒は恐縮した。「てっきりちゃんと戻したもんだと思ってました。篠崎さんも、最後に長谷部さんに念を押してたんで」

 そのとき長谷部の声の調子が変わった。お礼の言葉を並べている。もうすぐ通話が終わる、と察したのか、石黒は慌てて立ち上がった。

 「その、ぼくが言ったということは......」

 「黙ってるよ」

 石黒は一礼すると、そそくさと自分の席に戻っていった。その背中を見ながら、野見山が呟いた。

 「なんかイヤな予感がします」

 「ん?」

 「このままだと、篠崎さんのミス、ってことでまとめられちゃったりしませんかね」

 飛田が野見山の顔を見たとき、長谷部が受話器を置いた。

 「今、バッチ処理の再実行をかけてもらった」顔には安堵が浮かんでいる。「バッチってどれぐらいかかるんだ?」

 「昨日は10 分ぐらいだった。同じぐらいだろう」

 15 分後、八十田建設から電話連絡が入り、見積書作成機能が正常に動作していることが確認された。受話器を置いた長谷部がそう報告すると、張り詰めていた室内の空気が一気に弛緩した。

 「終わった」長谷部は破顔して、飛田と野見山に頭を下げた。「2人とも、助かった。ありがとう。呼び出してすまなかったな。とにかく解決してホッとしたよ」

 その人好きのする笑顔は、飛田に懐かしい気持ちを呼び起こした。営業課で活躍していたときの長谷部を。カナと楽しそうに飲んでいるときの長谷部を。友達だと思っていた頃の長谷部を。

 「長谷部くん」首藤課長が呼びかけた。「すぐ障害報告書の作成に取りかかってくれ。月曜日には八十田建設に提出するからな」

 「はい、わかりました」頷いた長谷部は、飛田に向かって言った。「すまんが、今回の障害の原因とか、簡単にまとめてメールしてくれないか。それが終わったら、今日は引き上げてもらって大丈夫だと思うから」

 「報告書は俺にも確認させてもらえるんだろうな」飛田はさりげなく訊いた。

 「ああ、もちろんだ。プログラム的な部分は、お前に確認してもらわないとな」

 「いつ見られる?」

 「そうだな、月曜日の朝一でお前が確認できるようにするよ」

 飛田は頷いて、もの問いたげな野見山に視線を移した。

 「大丈夫だとは思うが、一応、オペレーションログをモニタしていてくれ」

 そう言うと、飛田はメーラーを開いて、長谷部に言われた通り、障害についての詳細情報をまとめ始めた。とにかく、長谷部の作る報告書を確認してみよう。内容が正確であれば、少しぎくしゃくしていた長谷部との関係も、元通りに修復される。そんな気がしていた。

(続)

Comment(17)

コメント

人間不信いやっふぅぅぅーーー!!!

へなちょこ

やはり不具合対応は熱いっ!!
けど次回はドロドロになるんだろうなぁ

匿名

異常系テストって検証環境でやってたわけで、
なんで、向こうに飛ぶようになってんだ?
ってツッコミがでそうだけど、まあさもありなん。

匿名

リーダーさん、自分じゃ何も判断してないですねえ。
課長さんも、んなザマで仕事してる気分になれるのが不思議です。
どろどろになるのかな? 今まで通り、蛙の面に小便って感じじゃないでしょうか。
そして、失意の飛田にイニシアティブの魔の手が・・・!

hoge

9話目の報告書の結果からすると次週は大荒れか・・・!

jo

これ、首藤か長谷部が刺されてもおかしくないな

匿名

少し勘違いしていましたが、これが先週の障害報告書に繋がっていくんですね

文左衛門

こういう報告書って、課長レベルの決済で客先に出せるものなの?
機械器具(据え付け器具)のメーカーだったとき、少なくとも部長決裁でヒアリングされたけど。

匿名

>こういう報告書って、課長レベルの決済で客先に出せるものなの?
その課長が当事者だというのが、もうね…

匿名

プロマネの視点から見ると全ての経緯を知っていても首藤や長谷部は悪くないでしょ。ケアレスミスだけだし。
プログラマはマネージャーにマネジメントさせないよう情報を隠蔽してるから罪は重い。
IT土方でいいよねって話しになる

匿名

こういうのが湧いてくるのね。
飛田立ちサブリーダーは、顧客と直接連絡が取れるようにして欲しい、
と、最初から要望を出していた。
それを、何が何でも自分たちを通せと突っぱねたのは、首藤だ。
結果、伝書鳩程度の役割すら、満足に果たせていない。
今回の件も、プログラムがヌルポでこけていれば、その時点で異常に気がついたはず。
それを「飛田の指摘だから気にくわない」で横車を押したのは首藤だろう。
長谷部は、その指摘の是非も判断できないボンクラだしな。

匿名

人間的にどうかはさて置き、組織として考えた場合に悪いのはプログラマ達。
顧客との議事録は残っているのに、自社内のレビュー議事録は残していないとか。
だから自分の身も守れなくなってる。

効率が悪いように見えても開発ルールを守り、ドキュメントを残す。
組織として仕事をする場合は当たり前でしょ。
プログラマ達のプロジェクト内の役割と開発管理に対する意識が低すぎる。

匿名

ええ……組織として考えた場合の悪を語るなら、不適切な人材を配置した上の責任から問われるのが筋じゃないの?
このプログラマたちは無能な上司のもとなんとか顧客に成果物を届けようと努力したわけで、それを悪と判断するような会社組織はまず組織自体が悪でしょ。
もちろん組織のルールを逸脱したプログラマたちも悪いけど、それ以前に組織の悪を無視してない?
組織上の力学でプログラマたちが悪いことにされる、という主張ならわかるけど、組織として見たときにプログラマが悪いとする善悪論なら、それ以前に組織としての悪を指摘してくれないと納得できない。

匿名

エライ人が机上の空論を振りかざしまくって、
その穴埋めにプログラマが奔走した、としか見えませんが。
そもそも、会社は監督だけするつもりで、
実装は外注にするはずだったのが、
引き受けてくれる会社がひとつも無くて、
社内のプログラマに泣きついたんでしょう。
自称管理者どもは、スタートラインにも立ってませんよ。

ところで、議事録が残っている残ってないって、何の話?

fanaby

主人公補正入ってるからかもですが、飛田ちゃんて普通にいいリーダしてるよね。
ちょっと東海林さんっぽい。

こういう人は上から何か陥れられることあっても気にも留めなさそうだけど、
篠崎さん(自分が認めた人)が不当に貶められたりするのにはどう反応するのかな。
罪と罰時点では、本当に他人に関心なさそうだけど…
実は根底には他人に求めていて、それが今回(多分)裏切られるというのは相当にショックなんだろうか。
というか、飛田ちゃん何歳なんだろ…

数いる技術者の一人。

>プログラマはマネージャーにマネジメントさせないよう情報を隠蔽してるから罪は重い。
こういう首藤クローン思考者の元では真っ当な仕事はない。
なぜなら、マネージャはまともなマネジメントしていない。首藤は情報をあげている相手が派遣だから、嫌いな人間だから受け取とろうとしていない。自分の好き嫌いだけで行動してるガキ以下。長谷部はそれにぶらさがる金魚の糞。
なのでプログラマは会社のために独自に行動してる。

匿名

githubが登場しているので2008年以降の話となりそうです。
マネージャ、技術者どちらかの立場に立って話をしているようですが、問題を起こしている時点でどちらも悪いとしか言えないと。
プロマネ視点と言ってる人は開発プロジェクトの立場しか考えず、企業の管理職としての適正を考慮していないように思います。
技術者側としても部長とかに相談したのか疑問に思います、その結果上流のみという話が立ち消えになる可能性もある訳です。
所詮内部抗争でしかなくどちらの側も正しくは無いと思いますが。

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