ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

ハローサマー、グッドバイ(43) 一握の砂

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 港北基地に帰還したぼくたちを迎えたのは、歓呼と花束ではなく、よくない知らせだった。地下トンネルを通って基地へ戻る途中、グラスソード中尉は港北基地と連絡を取り、臼井大尉と負傷者のために医療班の待機を要請していた。その際、地上部隊の状況について、状況を知らされていたようだ。グラスソード中尉はソリストに接続していないため、内容まではわからなかったが、楽観的な状況でないことは、その険しい横顔から明らかだった。綱島駅付近の工事現場から地上に出て、数分後に基地のゲートを通ったぼくたちは、3 日ぶりにZの危険がない空間の空気を楽しんだが、そこに沈鬱な表情のグラスソード中尉が近づいてきて言ったのだ。

 「地上部隊は全滅したらしいわ」

 「やっぱり」サンキストが嘆息した。「生存者はなし?」

 「わかっている限りではね。第6 特戦群12 名、第34 中隊30 名、ハウンドの応援部隊14 名、装甲指揮車両、小隊支援車両、輸送車、どれとも連絡が取れないそうだ」

 切れ切れに入っていた通信と映像によると、地上部隊はみなとみらい大橋を渡った直後に100 体を超えるD 型に遭遇したらしかった。単体ならともかく、D 型の群れの存在など想像もしていなかった部隊は、最初の遭遇で戦力の3 割を失った。体勢を立て直した残りが応戦したものの、四方八方から押し寄せてくるD 型と、それに引き寄せられたR 型の大群に囲まれ、次第に数を減らしていった。残った数名の隊員は、港北基地へ逃げ帰る選択もできたにも関わらず、その場に留まることを選んだ。全ての車両が満足に走行できる状態ではなく、徒歩ではD 型の追跡を振り切れないと判断したのだ。

 「いずれツルミ防衛ラインまで来るかもしれませんよ」サンキストはグラスソード中尉に警告した。「ゲートの警備を強化した方がいい」

 「伝えておくわ。さて、お前らは一緒に来てもらおう。5 分ぐらい休んだらデブリーフィングに入る」グラスソード中尉は、近くにいた事務官らしい小太りの中年男性を見た。「民間人の面倒は任せていいのよね?」

 「はい。聞いてますよ」事務官は手にしたタブレットに目を走らせた。「ええと、佐分利の胡桃沢さん、おりますか?」

 胡桃沢さんが進み出た。死地を脱して緊張が解けたせいか、少し眠そうな顔をしている。

 「会社の方が迎えに来ています。話を聞きたいそうで。おい、コバ、ご案内しろ」

 若いバンド隊員が進み出て、胡桃沢さんに一礼した。胡桃沢さんはぼくと視線を合わせて頷くと、隊員について建物の方に歩いていった。

 「それから、小清水大佐、朝松監視員、ヤマブキの鳴海さん、藤田さんの4 人は仁志田が検査室にお連れします。朝松さんは、監視委員会の方でも病院を準備するとのことですが、どうされますか?」

 「その」朝松監視員は藤田を指した。「藤田の検査が終わるのを待たせてもらう。とりあえず人権監視委員会で身柄を預かるからな」

 「わかりました。では、とりあえず仁志田と一緒に医療センターへどうぞ。仁志田さん、お願いします」

 「はいはい。さて」仁志田さんはパンと手を叩いた。「まず検査よ。これだけ時間が経っても初期症状が出ないから、まあ大丈夫だと思うけど、一応規則で検査をすることになってるから。それが終わったらケガの手当と全身の検査ね。では、君たち、フォローミー」

 「ああ、ちょっと」事務官が引き留めた。「鳴海さん、それは返却していただけますか?」

 事務官の視線はぼくの頭部に向けられている。ぼくは頷いてヘッドセットサブシステムの電源を落とし、BIAC とコントローラを外した。視界の片隅に浮かんでいる仮想モニタがないと、なんだか感覚器官を1 つ失ったような気分だ。事務官が受け取ろうと手を伸ばしたが、ブラウンアイズが割り込んできた。

 「それは鳴海の所有物よ」

 「は?だって、これは......」事務官さんはヘッドセットの裏に刻印されているID を見た。「......ヘッジホッグ隊員のものでは?」

 「ヘッジホッグから鳴海に正式に譲渡されたものなの」ブラウンアイズは剣呑な視線を事務官に向けた。「谷少尉が認めたことよ。診察の間は仕方ないけど、終わったらきちんと返してあげて」

 事務官は反論しようとしたが、ブラウンアイズの表情を見て躊躇った。仁志田さんが苦笑しながら手を振った。

 「そう怖い顔で睨まないで。可愛い顔が台無しよ。私が預かってちゃんとナルミンに返すから」

 「あたしの可愛い顔はどうでもいいから、責任持ってね」

 そう言うと、ブラウンアイズはぼくの右手をぎゅっと握ってから背を向けた。他の4 人の隊員も、代わる代わるぼくと握手してから、グラスソード中尉について格納庫の方へ消えていった。

 「じゃあ行こうか」仁志田さんは別の方向へ歩き出した。

 「あの」ぼくは歩きながら訊いた。「鼻のことなんですが」

 「鼻?」仁志田さんはぼくの顔をじろじろ眺めた。「別に曲がってないけど」

 「ほら、例の嗅覚麻痺処置です。そろそろ効き目が切れる頃じゃないかと思うんですが、まだ何の匂いもしなくて」

 「ああ」仁志田さんは面白そうに笑った。「あれはウソ」

 「はあ?」

 「心理的に暗示をかけただけ。診察が終わったら解除してあげるから」

 「え、じゃあ、嗅覚はずっと正常だったってことですか?」ぼくは空気の匂いを嗅いでみたが、やはり何も感じない。「あの鼻に突っ込んだのは、マイクロマシンのレセプター?」

 「そういうこと」

 「心理的に暗示って、いったいいつの間に、どうやって......」

 「それは企業秘密だから」

 仁志田さんは秘密めかして唇に人差し指を当てたが、だいたい見当はついた。何枚もの書類の朗読を延々と聴かされたときだろう。

 「それならそうと言ってくれればいいのに。レセプターもそうですが、人の身体に何か入れたりするときは、同意を取るべきじゃないんですか?」

 「言ったら暗示にならないでしょ」仁志田さんは歩きながら、悪びれずに言った。「それに同意なら取ってるわよ」

 「権利放棄の書類の中に紛れ込ませてあったんでしょ?」ぼくは谷少尉の言葉を思い出しながら応じた。「そりゃちゃんと読まなかったぼくが悪いのかもしれませんが。拒否反応が出たかもしれないのに......」

 「いや、そういう意味じゃなくてさ」仁志田さんはぼくの顔をちらりと見た。「ナルミンが基地に入った瞬間に同意したことになってんのよ。ナルミンの会社に、そういう条件で人を出してもらったんだからさ。定期人間ドックの結果データも提供してもらってるしね」

 思わず足を止めた。後ろにいた小清水大佐と藤田がぶつかりそうになったが、ぼくはほとんど注意を払わなかった。

 「うちの会社?」

 「ほら足を止めないで。てっきり承知してるもんだと思ってたわ。危険手当だって払われてるんだからね」

 ぼくは謝って歩みを再開した。会社に戻ったら、太田係長に問い質さなければ。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 ぼくと朝松監視員、小清水大佐、藤田は医療センターに連れていかれ、ソラニュウム・ウィルス感染検査を受けた後、1 時間ほどかけて、全身の検査とケガの手当を受けた。ぼくの手は全治7 日、左の肋骨にはヒビが入っていて、動かさなければ全治一カ月と診断された。

 小清水大佐は、やはり全治7 日と診断された手の傷を手当てした後、その足で査問会に直行となった。ハウンドへの不当な利益供与および収賄、作戦行動妨害などを追及されることになるらしい。藤田はZに噛まれた肩の手当を受けた後、人権監視委員会と警察によって取り調べを受けることになり、朝松監視員に連れられて基地を離れた。この3 人とは、その後会っていない。

 検査結果を待っている間、ぼくは臼井大尉の状態を仁志田さんに訊いた。臼井大尉は基地内で簡易検査を受けた後、都内の脳神経専門病院へと移送されて精密検査を受けているという。結果がわかるのは数日後のことになる。

 17 時少し前、そろそろ空腹を感じ始めた頃、仁志田さんが検査結果を持って待合室に戻ってきた。

 「おめでとう。Z因子陰性ね」そう言うと仁志田さんは陰性の証明書を手渡した。「ミルウォーキー・カクテルの後遺症もなし。さて、少し早いけど食堂が混む前に夕食を食べてきてもらおうかな。その後、うちの内部調査官による事情聴取と、ハウンドによる事情聴取が待ってるから。おっと、その前に、嗅覚麻痺の暗示を解かないとね。せっかくの食事が......」

 仁志田さんの声は、基地内に響き渡ったサイレンで遮られた。続いて、緊迫した女性の声が天井のスピーカーから流れ始めた。

 『Z警報、Z警報。総員、第一種警戒態勢。繰り返す、総員、第一種警戒態勢。ツルミ防衛ラインにZの群れが接近中との報告あり。全戦闘要員はただちに所属部隊に集合、指揮官の指示を待て。これは演習ではない。繰り返す。これは演習ではない』

 仁志田さんは、顔をしかめたものの、それほど動揺した様子も見せず、首にかけているスマートフォンを掴んだ。

 「はい、仁志田。ああ、サンキスト......え、うん、ここにいるよ......わかった。じゃ、連れて行くから」

 通話を終えた仁志田さんは、ぼくに立つように合図した。

 「サンキストたちが呼んでる。格納庫に行くわよ」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 港北基地内は慌ただしくバンド隊員たちが行き交っていた。パニックとはほど遠い、秩序のある慌ただしさだったが、緊迫感は伝わってくる。ぼくは仁志田さんの後について格納庫に向かいながら、自分に何の用があるのかと考えていた。

 格納庫には、サンキストやブラウンアイズなど、オペレーションMM に参加したバンド隊員の生き残りが揃っていた。食事や着替えなどは済ませたらしく、みなさっぱりした顔をしている。20 人ほどのバンド隊員たちに囲まれるように立っていて、あれこれ質問に答えていた。みなとみらいの状況などを共有しているのだろう。

 ぼくと仁志田さんに気付くと、ブラウンアイズが囲みから抜けて駆け寄ってきた。

 「どうなってるんだ?」ぼくは訊いた。「Zの群れって」

 「ただの群れじゃないの」ブラウンアイズは緊張した顔で言った。「D 型らしいわ」

 「D 型?でも......」

 「どうも、地上部隊の生き残りが連れてきたらしいわ。うちの隊員じゃないわよ。あっちのね」

 ブラウンアイズが視線を投げた先には、キーレンバッハ氏とカトーと呼ばれたHISS の男がいた。キーレンバッハ氏は、JSPKF の士官から何か問い質されているようで、暑さのせいだけではない汗を浮かべている。カトーの方は平然とした顔で、短く受け答えしていた。

 グラスソード中尉が急ぎ足で入ってきた。

 「状況がはっきりしたわ。輸送車が綱島街道を向かってくる。運転席に1 人を確認した。ドローンで偵察したところ、タイヤがパンクしているようで速度はのろい。そのため、振り切れずにD 型が追ってきているようね。後、数分でゲートに到着する」

 作業服を着た2 人の隊員が、キャスター付きのスタンドに載せた大型モニタを運んできた。

 「映像、出ます」

 モニタが明るくなり、空中からのライブ映像が映し出された。使用しているカメラの仕様のせいか、指揮車両の中で見た映像より、やや解像度が低くブロックノイズも多い。場所は、綱島街道、綱島駅と大倉山駅の中間ぐらいだろう。画面の中央に、ヤマブキでも使っているハイブリッド仕様の2t 系ウォークスルーヴァンが映っている。車体は複雑な迷彩で塗装されていたが、右側面の広い範囲が焦げていた。何かが至近距離で爆発したようだ。グラスソード中尉の言ったように、ドライバーズシートには人影が見える。顔立ちまでは判別できないが、HISS のデジタル迷彩を着ているようだ。

 「ああ、くそ」誰かが吐き捨てた。「走ってやがるな。D 型だ。間違いなく。初めて見たぜ」

 輸送車はフラフラと蛇行しながらも、綱島街道をゲートに向かって進んできている。その後方50 メートルほどを、多数のD 型が追尾していた。

 「ETA 出ました。後、6 分19 秒です」

 「ゲートを開けるんですか?」隊員の一人が大声で質問した。

 「検討中だ」答えたのは、白髪交じりで角張った顔の男性隊員で、集まった中では一番階級が上のようだ。「様子を見て決めることになるだろう」

 「あの、白木少佐」サンキストが手を挙げた。

 「なんだ、サンキスト」

 「開けない方がいいと思いますぜ。D 型がなだれこんできたら、手がつけられません」

 「運転しているのが、うちの隊員なら迷わずそうするんだがな」白木少佐はちらりとキーレンバッハ氏の方を見た。「相手は民間人だ。見殺しにはできん。スナイパーライフルは?」

 「11 丁です」少し離れた作業台にいた隊員が報告した。「3 丁が調整中です」

 「よし、全員聞け」白木少佐は低い声で言った。「狙撃手を10 名、橋のこちら側、川沿いに配置する。遠距離から足を止めるんだ。他の部隊は、小隊ごとにゲートに向かえ。撃ち洩らしたやつがゲートを越えてきたら仕留めろ。装備の準備ができた小隊から出発。トラックでゲートまでピストン輸送する」

 「交戦規程は?」グラスソード中尉が手を挙げた。「実弾の使用はどうしますか?」

 白木少佐は顔をしかめた。

 「たった今、人権監視委員会より通達があった。D 型は現場指揮官の判断で射殺を許可、R 型は隊員の生命が危険な場合を除いて不必要な殺傷を避けよ、とのことだ。実弾の携行は許可するが、使用は小隊指揮官の許可を得ること。以上だ。装備を受領した隊からゲートへ向かえ」

 隊員たちは一斉に動き出したが、オペレーションMM 隊の5 人は動かなかった。白木少佐が訝しげな顔で近づいてきた。

 「どうした。お前たちは、グラスソード中尉の指揮下に入れと言っただろう」

 「少佐、あのハウンドの責任者を呼んでもらえますか」サンキストはキーレンバッハ氏の方を見た。「訊きたいことがあるんです」

 白木少佐はサンキストの顔をじっと見つめた後、言われた通り、キーレンバッハ氏を呼んだ。

 「何でしょう、少佐」

 「ワクチンプログラムのことです」サンキストが前置き抜きで言った。「今すぐ、提供していただきたい。多くの命が救えるかもしれません」

 キーレンバッハ氏の端正な顔が不思議そうにサンキストを見た。

 「ワクチン、とは何のことでしょうか」

 「無益な駆け引きをやっている時間はないんだよ」サンキストはいきなり口調を変えると、ハンドガンを抜いた。「ボリスはワクチンプログラムの存在を口にしていた。あんたは責任者なんだから、知ってるはずだ。どうやって発動させるんだ?」

 HISS のカトーが一歩前に出たが、ブラウンアイズがUTS-15J を突きつけて動きを封じた。サンキストは、絶句しているキーレンバッハ氏の額の高さまでハンドガンを持ち上げた。

 「10 秒以内に言わなければ、あんたの額を撃ち抜く」冷酷な宣言が、サンキストの口から発せられた。「あんたが会社にどれだけの忠誠を尽くしてるのか知らんが、それが自分の命を引き替えにするほど価値があるものなのか考えるんだな。9 ミシシッピ、8 ミシシッピ、7 ミシシッピ......」

 「何のことだかわかりません!」キーレンバッハ氏は叫んだ。「ボリスは私とは別系統から命令を受けていたようです。私は単なるテスト責任者に過ぎないんです!」

 「......5 ミシシッピ、4 ミシシッピ......」

 「本当です!」もはや絶叫に近い音量だった。「撃たないで!」

 「それは俺が聞きたい答えじゃない。2 ミシシッピ......」

 「サンキスト」白木少佐が静かに進み出ると、ハンドガンの上に手を置いた。「やめろ。この人は何も知らんようだ」

 「そうだと思ってましたが」サンキストはあっさり言うと手を下ろした。「一応、試してみるべきだと思ったんでね」

 キーレンバッハ氏は一歩後ずさると、そのまま耐えかねたように床にへたりこんだ。本物の悪魔に遭遇したような恐怖が、その顔を覆っている。ぼくは、ブラウンアイズにそっと囁いた。

 「あんなことしなくても、ソリストのソースを調べれば......」

 「それがね」ブラウンアイズも囁き返した。「あのソリストはハウンドに返還することになったの。ハードじゃなくて中身をね。あっちの法律屋が出てきて、知的財産の保全だとか何とか言ってきて。うちの法務部が折れちゃったの。元々の契約でも、ソースの著作権はハウンドが保有することになってたみたいだから。ワクチンプログラムの存在を認めさせることだけでもできれば、また違った角度から責めることも可能だったらしいけど」

 「やっぱり、あの人は何も知らなかったってことか」

 マーカーのことは知ってたのだろうが、ワクチンのことまでは知らされていなかったらしい。

 「もういいだろう」白木少佐が言った。「早くゲートに行け」

 「了解」サンキストは仲間を振り返った。「お前ら、準備は?」

 ブラウンアイズ、テンプル、レインバード、リーフが順に頷いたのを確認した後、サンキストはぼくに視線を向けた。

 「え?」

 「鳴海」サンキストは苛立たしそうに言った。「早く準備しろ。仁志田さん、ヘッドセットは?」

 「はい」仁志田さんがヘッドセットサブシステムと、コントローラを差し出した。「急速充電済みよ」

 ぼくは反射的に受け取りながら、わけがわからないままブラウンアイズの顔を見た。

 「ひょっとして、ぼくも行くの?」

 「当たり前でしょう。あたしたちのコミュニケーションシステムは、まだソリストになってるんだから」

 ブラウンアイズはそう言うと近くの床に顎をしゃくった。台車に乗せられたソリストのケースが、いつの間にかそこにあった。バッテリーは、一回り大型の製品に交換されているが、ノートPC やラズベリーパイは元のままだ。32 インチのワイドモニタが接続されていた。

 「フライボーイ3 も用意した」リーフが、みなとみらいで失った2 機と同型のドローンを差し出した。「ソリストへの登録を頼むぜ」

 「ナルミン」新しいドラグノフを手にしたレインバードが近づいてきた。「例の狙撃支援プログラム、こいつのスコープシステムにインストールしておいて」

 ぼくの手からヘッドセットがひったくられた。ブラウンアイズの手がぼくの頭を押さえ付け、BIAC を装着しヘッドセットをかぶせた。スイッチが入ると同時に、仮想モニタがいくつか開いた。

 「準備は?」サンキストが再度訊いた。

 「大丈夫」ブラウンアイズが、ぼくの背を荒々しく叩いた。「今回はゲートのこっち側からの一方的な殲滅戦になるわよ。Zと顔を合わせるようなことにはならないわよ。あんたは後方で座っていてくれればいいから」

 同じようなセリフを、谷少尉からも聞いた気がする。ぼくは諦めて頷いた。JSPKF は質の悪い詐欺師の集団だ。

 「行くぞ」サンキストが叫んだ。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 ぼくたちが鶴見川でグラスソード中尉と合流したとき、輸送車が肉眼でも確認できるぐらいまでゲートに接近していた。サンキストがフライボーイ3 を飛ばし、正面で速度を合わせてホバリングさせた。カメラが捉えたドライバーは、顔の半分が乾きかけた血で染まっている。首筋を手で押さえているのは、おそらく噛まれたためだろう。

 ゲートに集まった5 個小隊の士官たちは急いで相談し、最先任のグラスソード中尉が10 秒で決断を下した。2 名のスナイパーが輸送車に照準を合わせ、グラスソード中尉の命令で徹甲弾を連射した。右の前輪が車軸から吹っ飛び、輸送車は横転した。火花を散らしながら慣性で道路を滑り、ゲートにぶつかって停止する。少し待っても、ドライバーは脱出しなかった。

 続いてD 型の群れが突撃してきた。追いかけてきた獲物が停止しているのを見つけると一斉に襲いかかったが、すぐにこちら側の生者に気付いて、ゲートに体当たりしてくる。スナイパーたちは冷静に狙いを定めて発砲し、たちまち数体のD 型が道路に叩きつけられて動かなくなった。

 押し寄せてくるD 型は、次々にゲートに突撃し、よじのぼろうと無防備な姿をさらしたところを、正確な射撃で狙撃された。1 時間あまりで数十体が道路に転がり、このままなら夕食には帰れるかな、と思い始めたとき、状況が変わった。数百体のR 型が到着したのだ。

 「R 型は撃つな!」指揮官たちは命じた。「D 型だけを狙え」

 それは言うほど簡単なことではなかった。目視できるZが全てD 型だった先ほどまでと違って、D 型とR 型が混在している今となっては、両者を判別するだけでも一苦労だ。スナイパーたちは慎重に相手を見定めながら発砲していたが、そろそろ陽が沈みかけていて、その効率は落ちてきていた。

 19 時を過ぎて光量が激減した頃、1 人のスナイパーが間違えてR 型を射殺してしまった。すぐに、カメラで監視していた人権監視委員会からクレームが飛び、「狙いを定めたら、発砲する前に指揮官と二者確認をすること」という勧告が伝えられた。勧告といっても、充分な強制力を持っていて、JSPKF の法務部もそれを是認した。D 型の脅威を目の当たりにした朝松監視員なら、そんな勧告を出すことはなかっただろうが、今、モニタの向こうにいるのは別の監視員だ。指揮官たちは、また相談して「聞かなかったことにしてはどうか」というような意見も真剣に検討した結果、渋々ながら勧告を受け入れることに決定した。

 まだソリストを使っているレインバードの場合は楽だった。スコープシステムが捉えた映像を、本体側のモニタに転送して、グラスソード中尉が確認すれば済む。他の隊員の場合、スコープシステムはスナイパー本人のヘッドアップディスプレイにしか連動していないので、まず目標を決め、指揮官に位置と特徴を口頭で説明し、指揮官は双眼鏡やドローンの映像で確認した上で許可を出すことになる。確認している間にD 型が移動して、せっかくのシュートチャンスを逃してしまうこともしばしばだった。

 「ブラウンアイズ」ぼくは隣で苛々しているブラウンアイズに訊いた。「他の隊員のスコープシステムって、どんな仕組み?」

 「スコープシステム自体はレインバードが持ってるのと同じ」ブラウンアイズは答えた。「レーザー照準とガンカメラ。ケーブルがヘッドセットに繋がってて、ディスプレイにデータを出す」

 「無線は?」

 「USB コネクタがある。あのスコープシステムは、ハウンドの製品で互換性があるから。でもうちの従来型のヘッドセットの方に、無線LAN で受信する機能がないから使ってないの。増設する投資計画もあったんだけど、ソリストの話が進んだから、そっちに切り替えることになって」

 「ちょっと、その銃貸してくれない?」ぼくはブラウンアイズのUTS-15J を指した。

 「は?」

 「いや、撃とうってわけじゃないから」

 ブラウンアイズは黙ってセイフティをロックすると、UTS-15J を差し出した。ぼくは受け取ってスコープシステムを調べた。防水・防塵カバーを外し、Wi-Fi ユニットを探す。わかりづらかったが、厚さ3 ミリメートルぐらいの小さなUSB デバイスが挿さっているのが見つかった。爪で引っかけて、そのデバイスを外した。

 途端に、仮想モニタにアラートがポップアップした。ブラウンアイズのUTS-15J が認識できなくなった、とメッセージが点滅する。間違いなく、これがWi-Fi ユニットだ。

 「ドラグノフって余ってない?」

 「予備があるはず。確認してくる」

 ブラウンアイズは余計なことは訊かずに、グラスソード中尉の元に走っていった。すぐにトラックからドラグノフを抱えて戻ってくる。

 「予備の1 丁よ」

 「ありがとう」

 スコープシステムの作りは、UTS-15J 用のものと似ていた。ぼくは基本仕様が同じであることを祈りながら、カバーを外して、USB コネクタを探した。コネクタ自体もキャップがはまっていたので見落としかけたが、何とか探し当てた。UTS-15J から外したWi-Fi ユニットを挿し、カバーを付けて電源を入れた。

 再び仮想モニタが開いた。認識中......のメッセージの後、火器管制マネージャが開いた。

WU-064A-300F-9955-B701 に関連付けられているデバイス[A8-8700-C002-8000-3FFF] と相違があります。適切なデバイスをリポジトリから選択し、適切なパラメータを再設定してください。この操作には、システムアドミニストレータ権限が必要です。

 不親切なメッセージだ、と思いながら、ぼくはリソースの階層の中を探した。WU-064A-300F-9955-B701 が、Wi-Fi ユニットのことだとすると、A8-8700-C002-8000-3FFF は、UTS-15J のことだろう。リソースの中から、その2 つを検索する。UTS-15J のリソースは、小隊の装備一覧らしい階層の中にあった。その階層の中から、ドラグノフのリソースを探す。

 「ドラグノフって」ぼくはブラウンアイズに訊いた。「型番みたいなのって何?」

 「えーと、たぶんSVD。じゃなきゃVS 何とか」

 検索してみると、それらしいリソースファイルがヒットした。最終使用者は、レインバードのユーザID になっている。これは、セキチューの屋上でレインバードが撃ち尽くして放棄したドラグノフだろう。リソースファイルの構造を追うと、XML ファイルの中に火器の種類を示すID があった。ぼくはそのID をコピーすると、火器管制マネージャに戻って、Wi-Fi ユニットのホストデバイスを書き換えた。リロードの方法がわからなかったので、物理的に電源を入れ直す。再び、認識中......のメッセージが出た後、認識完了のアイコンが点滅した。ステータスを確認すると、レーザー照準とガンカメラの情報が取得できている。モニタへの転送も可能だ。

 「これ」ぼくはドラグノフをブラウンアイズに渡した。「ソリストに接続した。照準と映像が、こっちのモニタに転送される」

 「でも、他の隊員はソリスト使ってないのよ」

 「わかってる。スナイパーの人は、従来通り、照準操作をすればいいんだ。有線も有効になってるから。その情報を指揮官がこっちのモニタでリアルタイムで確認して、OK を出せばいい」

 理解した顔になったブラウンアイズは、たぶん衝動的にぼくの頬に唇を当てると、ドラグノフを抱えてグラスソード中尉の元に走っていった。ぼくは呆気に取られて、その後ろ姿を見送った。

 5 分後、ぼくはドラグノフの改造に忙殺されることになった。オペレーションMM 隊のUTS-15J から取り外したWi-Fi ユニットを、スナイパーたちが使っているドラグノフに組み込み、設定を変更していく。同時に、32 インチモニタの画面を分割して、それぞれの映像とデータを同時に表示できるように変更しなければならなかった。

 5 丁めのドラグノフを改造した時点で、Wi-Fi ユニットがなくなった。港北基地から持って来させる、という手もあったが、指揮官たちはこの状態で作戦を続行することに決めた。残りのスナイパーは、橋を斜め横から狙える位置に展開し、万が一ゲートを越えてきたD 型がいたときそれを撃ち倒す任務についた。5 人のスナイパーでも、効率的にD 型を倒すことができたからだ。

 21 時、ようやくD 型の突撃が途絶えた。射殺したD 型は、カウントできただけでも172 体。危ないシーンは何度かあったが、1 体もゲートを越えることを許さなかった。残ったR 型は、ドローンから大音量の音楽――偶然だろうがスターウォーズのテーマだった――を流して、綱島街道を大倉山方面へ誘導していった。作戦は成功だったが、バンド隊員たちの顔は明るいとはいえなかった。

 「あれは」サンキストがグラスソード中尉と、途中から駆けつけてきていた白木少佐に言った。「ほんの一握りです。たぶん、みなとみらい周辺には、今もD 型が誕生しつつあります。遠くない将来、そいつらが押し寄せてくるかもしれません。今回は運良く防御できましたが、この数十倍のD 型が来たらゲートも持たないでしょう」

 指揮官たちは深刻な顔で頷いた。白木少佐がサンキストの肩を叩いた。

 「全員、よくやってくれた。それから」白木少佐はぼくに微笑みかけた。「鳴海さんも。ありがとう。ビールと食い物が用意してある。2112、作戦終了。撤収」

 今回に限って言えば、ブラウンアイズの言葉は正しかった。ぼくは、ほとんど座っているだけで済んだ。帰りも、大半の隊員たちが徒歩で戻っていくのに、ぼくは軽トラックに乗る特権を得られた1 人だった。グラスソード中尉が、真っ先にぼくをトラックに乗せてくれたのだ。

 トラックの上から、ぼくは大綱橋ゲートを振り返った。臨時に配備された2 個小隊が監視哨を設置している。火器も豊富に用意されているし、すでに2 個小隊が即応部隊として基地で24 時間待機に就いているそうだ。にもかかわらず、ぼくの心から不安が消えることはなかった。

(続)

Comment(18)

コメント

jeid

なんかいつもと投稿先のカテゴリが違う?
RSSとか一覧で出てこないのなんでだろ

jeid

あ、出た
何だったんだろ…

失礼しました

aetos

なるみんは希望してかなし崩し的かわからんが、原職復帰しないで JSPKF に入っちゃう流れかな、これ。

m

ついに次回が最終章ですか!
明日、一週間待たずに続きを読めるのが嬉しいような寂しいような。

ワクチンプログラムを発動させることは出来るんでしょうか。
キーレンバッハ氏が知らなかったということは、以前ナルミンに「通常機能と異なる機能がなかったか?」って聞いてたのは、何を想定してたのかな?

あと、ナルミンが「買収可能な人間と思わせる」ように仕向けた会話は、どこで効力発揮するでしょうか。

最後の最後まで気が抜けません。
胡桃沢さんとカレー食べるとこまで見たかったけど、あと1回じゃ想像するしかないかな(笑)

mia

>小清水大佐は、やはり全治7日と診断された手の傷を手当てした後、その足で査問会に直行となった。
>その後方50 メートルほどを、多数のD型が追尾していた。
スペースの入れ忘れですかね

>顔立ちまでは判別できないが、HISS のデジタル迷彩を着ているようだ。
半角スペースが2つ入っているようです。


>会社に戻ったら、太田係長に問い質さなければ。
(1)で、デスクを目にするのはこれが最後みたいな言葉があったけど、太田係長に会うこともないのかな。


それにしてもブラウンアイズがかわいい。

ちゃらを

谷少尉もう1回出て来てくれないかな・・・

時計台

このままJSPKFに出向って形になりそうですね

utf

MMの生き残りが5名で、レインバードがそのままだったら、改造できるドラグノフは4丁では?

という細かい話はさておき、結末が楽しみなような寂しいような。
おも○○ブラちゃんはかわいい。

p

最終話だと…まだあと数話くらいはあると思ってたから寂しいような、でも明日すぐに読めるのはかなり嬉しいような、複雑な気分ですね。

しかし鳴海さん、窮地にそんなあっさり対応しちゃったらそりゃ(いろんな人からいろんな意味で)惚れられますよね。
JSPKFがこんな優秀な技官候補逃がすわけないんだよなぁ…。

へなちょこ

デレるブラウンアイズかわいい
あと一話、すぐに読めるのはうれしいが、もう終わってしまうと思うと悲しい。
別の話でみなとみらい掃討戦とかの後日談をぜひ!!

5丁分(MM生き残り組のUTS-15J全部)の改造を行ったなら
レインバード(改造なしソリスト組み込み済み)の分と合わせてスナイパーは6人?

あと、胡桃沢さんとかは会ってないと言ってないからやはりカレー…!

ここまで知ってしまったナルミンを返すなんて無理じゃないかなあ。
しかしツンツンしていたブラウンアイズがここまでデレるなんてねえ。
あと1回なんて。それも明日!!

Ta

終わってしまうなんて…来年から第二部ですね。新章開幕とか。

SIG

ナルミンJSPKF 入りは、少尉から大佐までのうち
ここまで唯一登場していない中佐待遇ってことでいかがでしょう。
おそらく小清水大佐は懲戒免職が避けられないので、
その後任にでも収まるか。

13 個の◇で大きく3 つのパートに区切られている今回、
注目したいのは第2 パートの末尾。
いかにもラスト・シーンといった風情漂う一幕がこんな位置に。
どんなシーンで締めるか、さすがのリーベルG さんも
かなり悩まれたのでは、と勝手ながら想像してしまいました。

ともあれ、全44話にのぼった本作も、明朝ついに完結。
最後まで、楽しみにしています。

SIG

よく見たら4 パートありました。
ラスト・シーンっぽいと思ったのは第3 パートの末尾です。

D 型の脅威を知らない監視員による無理難題という
悪条件下でもやらなきゃならないことをやって、なおかつ結果を出せる、
JSPKF はまさに、(8)で鳴海が言った通りの、プロの集団でありました。
谷少尉や、みなとみらい残留を選んだ地上部隊の隊員にも、
どうか救いの手を……。

jake

是正処置としてのツーマンチェック…
あるあるw

masaka

仮想モニタ起動したときの警告にあった後遺症とかって大丈夫なんかな・・
読み返すと、仮想モニタ起動してからずっとソリストの近くにいるけど、ソリストから離れたら失明するとかいう後遺症なのか???

mia さん、ご指摘ありがとうございました。

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