罪と罰(18) 第1開発課の新規案件
11月第1週の月曜日。
Webシステム開発部全体の定例部会は、毎月最初の週の月曜日の午後に実施されることが決まった。それ以外の週の部会は、各課の課長、副課長が出席し、情報を共有するにとどまる。10月第2週までは、これまで通り毎週全員参加での部会を行っていたが、同じWebシステム開発部内でも、第1開発課と第2開発課はやっていることが全く違うので、毎週全員が集合する意味は、もはやあまりないということになったからだ。
それを提案したのは五十嵐さんだったが、私の予想に反して、武田さんたちは異を唱えようとしなかった。たぶん、第2開発課のメンバーが報告している、<ハーモニー>関連の報告や、新しいプロジェクト関係の話を耳にしたくなかったのだろう。
この頃になると、第2開発課は、もはや第4開発部と呼んでも違和感がないぐらい独立した部署になっていて、社内から向けられる視線の質も変化しつつあった。まだ利益は出ていないものの、<ハーモニー>が一定の成果を上げたことで、これまで「コスト食いつぶし課」とか「タブレットだの大学だの言葉だけは目新しいが成果が出てない」などと、どこか冷ややかな目を向けていた社員の態度が、10月になってからは目に見えて変わってきたのだ。「あんなのはビギナーズラックだろ」という声も根強く残ってはいるものの、特に若手社員の間からは、第2開発課に異動したいという希望も寄せられているそうだ。CUIベースの地味な業務システムの保守・運用で現状維持を続けるより、新しいことにチャレンジしたいと考えるのは自然だからだ。
逆に肩身が狭い思いをしているのは、武田さんたちだった。第2開発課が評価されればされるほど、相対的に第1開発課のメンバーの評価は下がっている。今まで何をやってたんだ、というわけだ。
第1開発課の人たちは、そうした声には無関心を装って仕事を続けていたが、カスミさんを除いては、内心は焦燥感で一杯だったに違いない。武田さんなどは常に苛々していて、ちょっとしたことで声を荒げたりするなど、どうしても態度に表れてしまう。元々、繊細な神経の持ち主ではなく、オレオレ系で仕事を進めていく人なのだが、さすがに先行きに不安を感じているのだろう。
だから、この日の部会で、営業の岩田さんから受注見込みの報告があったときには、ギラギラする目で熱心に聞いていた。
報告の対象となった顧客は、先月の初めに瀬川部長から話があったKSR電機だった。K自動車のグループ会社で主にLEDや液晶などの部品を製造している。岩田さんはCS開発部にいた頃から、この会社へのアプローチを続けていて、ようやくその成果が実りつつあったのだ。
「......そういうわけで、KSR電機さんでは、いろんなレガシーシステムをなるはやでWebシステムに切り替えようとしているようです。早ければ年内にも。今、話したAS/400もその対象で、この在庫管理システムが、KSR電機さんのAS/400で稼働している最後のシステムということになるんですね。これをWebアプリケーションに移行して、とっととAS/400を除却してしまいたい。それでAS/400とWebシステムの両方のスキルを持つ、うちに声がかかったわけです」
私はカスミさんとの会話を思い出した。CS開発部が担当しているいくつかのシステムは、AS/400ではないからすぐに影響はないかもしれないが、思ったより時間がなくなっているのは確かなようだった。
「そのシステムの規模はどれぐらい?」五十嵐さんが訊いた。
「まあ、小さくもないですが、大きくはないです」岩田さんは少し残念そうに言った。「もう一個、大きな調達システムの移行の話もあったんですが、そっちは6月ぐらいに他社に持っていかれてしまって。それが取れてたら、たぶん100人月規模の開発になったんでしょうけど」
「具体的に画面数とかデータ量は?」
「似たような画面が、だいたい20画面程度らしいです。実は、すでにASから移行を完了している基幹システムの方で、在庫管理の登録や検索などの主業務は行っているんです。ただ、この在庫管理システムは、KSRさんが生産中止にした何種類かの製品の管理だけで、その在庫がなくなったら、このシステムもお役ご免になるそうなんですな。本来は在庫がはけるのを待って、ASを廃棄にしようと思っていたらしいんですが、なかなか減少しないので......」
「移行に踏み切った、と」少々回りくどい岩田さんの言葉を断ち切るように、五十嵐さんが残りの言葉を引き取った。
「まあ、そういうことですね。経理からも、早く除却しろとせっつかれているようで」
「競合は?」
「小さいベンダーがいくつか。大手、準大手では、今のところいません。遠からずなくなるシステムなんで、KSRさんもあまりお金をかけたくないということですし、長期間の保守で元を取る、ということもできませんから。まあ、あそこは社内開発メインなんで、それは元々期待できませんが」
「ふーん」五十嵐さんは顎を指で支えて、考え込んだ。
「でも、営業としては、できるなら取りたい案件ではあります。これをキッカケにして、少しでも食い込めれば、と思ってるので。あそこのWebシステムは基本、社内開発なのはわかっていますが、CSの方で売上がなくなるわけなので」
「利益が出なくても?」
「赤になるのは困りますが」岩田さんは肩をすくめた。「まあ、原価ギリギリでもしょうがないかな、と思ってます」
「移行のリミットは?」
「できれば今月中と言われたんですが、まあ、それは無理でしょうから、ギリギリ年内だそうです。仕事納めの12月27日が検収日ってことですかね」
「なるほど。どうしたもんかなあ」
第2開発課では、あまり手を出したくない案件ではある。メンバーが次の製品の企画に熱中しているときだ。将来的にはともかく、今はそっちで実績を作りたいところだ。
しかし、第1開発課にお任せしてしまうのも不安だ。これまで、Webアプリケーションを、武田さんたちが一から構築した例はない。要求分析や設計や武田さんたちがやっても、実装は若手メンバーがやっていたのだから。手を出したはいいが、結局、投げ出してしまった、というのでは、顧客に迷惑きわまりないし、うちの評判にも関わる。
おそらく私と同じようなことを考えていたであろう五十嵐さんが、珍しく迷う表情を浮かべながら、全員の顔を見回したとき、武田さんが勢いよく挙手した。
「こっちで引き受けますよ」武田さんは身を乗り出した。「ぜひ、やらせてください!」
五十嵐さんはすぐに答えず、武田さんの顔を見つめた。
「第2開発課の方は、いろいろ忙しいでしょう?新製品とかで」武田さんは言い募った。「こっちは幸いなことに、それほど急ぎの業務があるわけでもないですし。年内というのであれば、充分に間に合わせられると思います」
私は中村課長の方を見た。私以外の部員も、そのほとんどが同じ方向を見ている。この件の決定権は、中村課長にある。渋い顔の中村課長は、それでも、小さくうなずいた。
「よし、いいだろう」同じように中村課長を見ていた五十嵐さんは、武田さんに視線を戻した。「じゃあ、この件は、第1開発課の方でやってもらおうか。ただ、全くの新規案件ということだから、第2開発課からも少しヘルプを出させてもらおう。第1開発課だけで、設計から実装まで全部こなすのは大変だろうからな。そういうことでいいな?」
五十嵐さんの言うことには、何かと反発する武田さんも、このときはおとなしくうなずいた。きっと、本音では、第1開発課だけで全部やりたいのだろうが、それ以上に、この仕事をしっかり終わらせて実績を作りたいのだろう。
「いいかな、箕輪さん」
「はい、わかりました」私もうなずいた。「武田さん、何名ぐらい必要ですか?」
「そうだな......じゃあ、2人ほど頼めるか。人選は任せる」
「わかりました。ただし、そっちにベッタリ貼り付けるわけにはいかないので、1日2人づつで8時間、合計で週に40時間ぐらいでいいですか?」
「ああ、充分だと思う」
「じゃあ、すぐに見積を作ります」岩田さんが嬉しそうに言った。「といっても、KSRさんの言い値に近い見積になってしまいそうですけど。武田さん、後で、ちょっと打ち合わせの時間ください」
「了解」
武田さんは嬉しそうな顔で答えた。久保さんや村瀬さんも同じように生き返ったように笑っている。
私もちょっと嬉しかった。第2開発課として、武田さんたちと仕事を分離できたことはいいことだと思っているが、別に第1開発課を潰すつもりはないし、可能な部分は協力していけるにこしたことはないからだ。誰を貸し出すかな、と考えながらも、この件がキッカケに、また一緒に飲み会に行けるぐらいに交流が復活するといいな、と思っていた。第2開発課発足以来、そういう行事とはすっかり無縁になってしまっている。うちのメンバーだけで飲みに行くことはたまにあるが、話題といえば、五十嵐さん――そして時には私――への賞賛か、武田さんたちの悪口ばかりで、私としては少々うんざりしてきているのだ。
ふと五十嵐さんに目をやった私は、そこに険しい色を見出して、少し不審に思った。見た目は微笑んでいるような表情だが、しばらく一緒に仕事をしてきた私は、いわゆる「目が笑っていない」ときが何となくわかるようになってきていた。このときの五十嵐さんの目は、全く笑っていなかった。
岩田さんが武田さんの協力を得て作った見積は、中村課長と五十嵐さんの承認を得た上で、KSR電機に提出され、その数日後には、形だけの入札が行われた結果、受注の連絡が来た。武田さんは早速、岩田さんと一緒に先方へ挨拶に出向いた。
続く、数日の間、武田さんは久保さんを伴って、毎日打ち合わせに出かけていた。武田さんの背後の壁には、A3用紙を2枚つなげたスケジュールが貼られ、武田さん自身の手で、毎日進捗を示すグリーンのラインが書き加えられた。同時に新たに作られた「KSR案件」共有フォルダには、規程のフォーマットに入力された、要件定義のファイルが数と容量を増していった。
私は、自分の業務の合間に、その要件定義書をざっと見てみたが、特に問題は見つからなかった。あまり技術的な詳細まで決まっていない段階だからなのかもしれないが、わかりやすく現行のシステムを説明してあるし、リニューアルシステムに必要な情報も過不足なく記載されている。たとえば、第2開発課の誰か――私を含めて――が打ち合わせに行ったとして、同じレベルのものが作れるか、と問われたら、否定的な意見にならざるを得ないだろう。やはり、顧客の要求を汲み取った上でのドキュメンテーションスキルでは、武田さんに一日の長があるようだった。
第1開発課への応援としては、3バカトリオを順番に充てることにした。第2開発課のミーティングの席でそう告げたとき、3人が揃って顔をしかめたので、私は睨み付けた。
「何か文句でもあるの?」
「いやあ、別にそういうわけじゃないんですけど」と守屋。
「今さら、あっちのプロジェクトを手伝っても、あんまりメリットはないんじゃないかなあって」と木下。
「納期、厳しそうだしね」と足立。
「いっそ、こっちで全部引き受けちゃった方が、早いんじゃないですか?」と守屋。
ムッとした私が口を開く前に、五十嵐さんが割り込んだ。
「とにかく手伝ってこい」やや厳しい口調で五十嵐さんは命じた。「学べるものは何かあるはずだからな。ただし、今後の第2開発課に必要なものとそうでないものを、自分たちの目でしっかり見極めるようにな。どうでもいいものを吸収してくるなよ」
3バカトリオは、気まずそうに顔を見合わせた。
「じゃあ、最初は守屋と足立ね」私は並んでいる順に2人を指した。「ミーティングが終わったら、早速行ってきな」
「はーい」
「言っておくけどね」私は釘を刺した。「手を抜いたりしたら、これからずっとドキュメント整備ばっかりやらせるからね」
「わかってますよ」守屋が心外そうな顔で答えた。「少しは信用してくださいよ」
「ええ、ええ。あんたが書くコードと同じぐらい信用してますとも」
守屋が、どういう意味なのか考えている間に、私はミーティングの終了を宣言した。
メンバーが全員出て行った後、私は五十嵐さんに言った。
「正直なところ、うちからヘルプを出したところで、あまり変わらない気がするんですけどね」
「ほう」五十嵐さんは面白そうに訊いた。「なぜだ?」
「たぶん、武田さんのことだから、やっぱり綿密に仕様書を書き上げてから実装に入るんでしょうし、そうなると、うちからのヘルプがやることも、仕様書作成になるわけですよね。うちがやってるように、設計と実装を同時にやるってやり方を、武田さんが認めるとは思えないので」
「だから?」
「いずれ、どっちかがキレそうな気が......」
「まあ、そんなところかもしれないなあ」
五十嵐さんの他人事みたいな口調に、私は少し苛立った。
「だったら、いっそ、第2開発課が集中的に全面協力して、さっさと片付けてしまった方がいいんじゃないですか?」
「うん、そういう手もあるんだが、それぐらいならさっき、守屋が言ったように、うちで引き受けてしまった方がいいぐらいだろ。でも、今回、手を挙げたのは第1開発課だからな。それに第2は第2で、次の製品の企画を進めなきゃならんだろう」
「それはそうですが......」
「まあ、しばらく様子を見ようや」
五十嵐さんは立ち上がった。私も腰を上げたが、ふとある記憶が蘇り、それを口にした。
「五十嵐さん、シノハラさんの件があったとき、イニシアティブについて話をしてくれましたよね」
「ん?ああ、あのときか。武田をここに呼んだときだな」
「あのとき、自ら変わる努力をしようとしないエンジニアについて、何か思いきった手段を取ることにした、って仰ってましたが、それは何なのでしょう?」
「そうだな......」五十嵐さんは少し考えた。「......それを話すのは、今回のKSRさんのプロジェクトの経過を見てからにした方がいいかもしれないな」
「どういうことでしょう?」
「ま、そのうちわかる」
そう言うと、五十嵐さんはミーティングルームを出て行ってしまった。残された私は、理由のない不安が胸をよぎるのを感じていた。
(続く)
この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術・製品の優位性などを主張するものではありません。
コメント
あべC
> この頃になると、第2開発課は、もはや第4開発部と呼んでも違和感がないぐらい独立した部署になっていて
第4開発部?
誤植でないとしたら、第四部にいた不譲さんのことかな?
yamada
他社開発の調達システムと在庫管理システムの連動が待ってるのか…胃が痛くなりそうだな…
他社と自分の開発レベルの違いを心底実感しなきゃいけないタイミングが武田さん達に来るのかと思うと胸熱。
このレベルの差を感じた時に以前の様に「開発会社がクソ、客がクソ」発言をするようであれば未来はないかも。
とは言え他社が出してくるコードが必ずしもいいものかというと、現実はなぁ…
AAA
>> この頃になると、第2開発課は、もはや第4開発部と呼んでも違和感がないぐらい独立した部署になっていて
>第4開発部?
誤植でないとしたら、第四部にいた不譲さんのことかな?
"と呼んでも違和感がないぐらい独立した部署"ですよ。
不治ソフト
電子書籍、表紙か解説かどちらが原因か知りませんが高くなりましたね。
残念です。
あべC
> "と呼んでも違和感がないぐらい独立した部署"ですよ。
いやもちろんそういう意味でしょうけど、なぜ"4"なんだろうと思ったわけです。
ここの部署は第3開発部なんでしたっけ? 取引がない他社しかも架空の会社の組織図なんて覚えていないもので :-P
Kazy
コーポレートシステム開発部(CS開発部)、公共事業サービス開発部(公事開発部)、Webシステム開発部がある組織でWebシステム開発部第二開発課が独立したら4つ目になる。間違っていない。
n
まあ最初は第4?ってなりますね。
このリプレースが山場になって、ハーモニーのその後はエピローグって構成かな。
gems
近々なくなるシステムに詳細なドキュメント類はいらないのに作って進捗ぐだぐだパターンか?
DumbObj
ひっぱりますねー。
中村課長は五十嵐さんの意図をわかってるんだろうから、自分の部下を少しは成長させる手を打たないのかな?
>それを提案したのは五十嵐さんに対して、私の予想に反して、武田さんたちは異を唱えようとしなかった。
ここ、少し読みにくいです。
>あんたが書くコードと同じぐらい信用してるますとも
"してるますとも"
>K自動車のグループ会社で
Kが全角に!!!
(どうでもいいですね。職業病ですww)
あんちゃん
第五段落の
>>第2開発課の人たちは、そうした声には無関心を装って…
のところは「第1開発課の人たち」ですかね
週一連載の作品の舞台になる会社の組織図を頭で構成するって思ったより難しいですね
ミーミー
>これまで、Webアプリケーションを、武田さんたちが一から構築した例はない。
えっ?
…えっ?
今まで、何やってたんですか…
DumbObj
い、いえ、全角英数字が少し気になる、ふつーのプログラマーです。
n
>今まで、何やってたんですか…
ハーモニー部隊以外は旧システムの保守とかじゃなかったでしたっけ
ふー
中々ひっぱりますねー。次回が楽しみです。
ところで冒頭の「最初の週の月曜日」の部分ですが、
最初の週に月曜日があるとは限りません。
「(月の)最終週の月曜日」の日程もありえるということでしょうか?
こういう日程の設定方法は知らなかったので、勉強になりました。
誤記
> 第2開発課の人たちは、そうした声には無関心を装って仕事を続けていたが
第1の人たちじゃないですかね、文脈的に。
yokuyomo
>これまで、Webアプリケーションを、武田さんたちが一から構築した例はない。
の後に
>要求分析や設計や武田さんたちがやっても、実装は若手メンバーがやっていたのだから。
て書いてますよ。
通りすがり
要件定義をスムーズに引き出して、綺麗にまとめれるのも一つのスキルですが、
実現・実装イメージの無い人の頓珍漢な上流設計や為にするドキュメンテー
ション程開発を阻害する要因はありませんからね。
何が起きるか楽しみです。
武田達みたいな人種は日本式ウォーターフォールモデルに固執しがちですが、
そもそも論としてウォーターフォールモデルは要件定義~外部設計の段階で
製品の最終形がイメージ出来てなければならず、それは一部の例外的な天才を
除いては実現方式や実装をイメージ出来ない人間には設計出来ないって事と
等価なんですが、、、、
そういう人達に限って実現方式や実装方法に対して不勉強って矛盾抱えてい
ることが多いんですよね、この業界。
匿名
>要求分析や設計や武田さんたちがやっても、実装は若手メンバーがやっていたのだから。
要求分析や設計は、ですかね