罪と罰(5) 商品開発
「そんでどうよ、そっちのAチームは?」
「どうって言われても」武田さんの問いに私は口ごもった。「まだ、走り出してもいないので、何とも......」
五十嵐さんによってプロジェクトA発足が発表された週、Aチームのメンバーは引き継ぎに忙殺された。もちろん全ての担当業務の引き継ぎが完全に終わるはずもなかったが、とりあえずソースを追えば何とかなるぐらいまでには持って行けたはずだった。
私が担当していた業務は、そのほとんどが武田さんと村瀬さんに引き継がれることになった。村瀬さんは淡々とビジネスライクに引き継ぎを受けてくれたが、武田さんは文句たらたらだった。
「全く、あの人も無茶苦茶言ってくれるよなあ」武田さんは、引き継ぎの途中でこぼした。「ものになるかどうかもわからん新製品に、戦力の半分をつぎこもうってんだからな。どうせ1年でいなくなって、失敗したって責任を取るわけでもないだろうに。なあ?」
最後の言葉は、同意を求めているようだったが、私は素直にうなずくことはできなかった。
「......まあ、そうかもしれませんけど」
「あれ、箕輪は新製品開発に賛成なんだ?」
少し迷ったが、私は正直に答えることにした。
「必ずしも反対とは言えませんね。うちの部がピンチだというのは間違いないみたいですし」
回りくどい表現になってしまったのは、武田さんの心情も配慮してのことだったが、あまり通じてくれなかったようだ。
「ふーん、そっか。箕輪、新製品なんて、本当にうまくいくと思ってるのか?」
「それは......やってみないと」
「俺は別に箕輪がリーダーだからどうのこうの言ってるんじゃないんだぞ」武田さんは弁解するように言った。「ただ、五十嵐さんのやり方は強引すぎると思うだろ?もうちょっとこの課のことを理解してから、どういう戦略がいいのか考えるべきじゃないか」
「戦略というと?」
「まあそれはわからないけどな。ただ、もうちょっとみんなでじっくり時間をかけて相談して、じっくり方針を決めるべきじゃないかってこったよ」
私はうなずいた。確かに五十嵐さんのやり方は独断的ではある。もっとも、数ヶ月で何らかの成果を出すつもりなら、武田さんが言ったような悠長なやり方ではダメなんだろうな、とは思ったが、口には出さなかった。
「ま、いいや」私から積極的な反応を引き出せないことに落胆したのか、武田さんは矛を収めた。「どうせ、コンサルなんてただのハッタリ屋だ。いわゆるビッグマウスだよ」
そうかな、と私は内心首をかしげた。五十嵐さんは確かに大きな事を口にしているが、ただのハッタリ屋ではない気がする。それなりの実行力を持っている人だ。
「そのうちイヤでも方向転換するわな」武田さんはそう言うと、引き継ぎ内容の方に注意を向けたので、私も気持ちを切り替えて説明に戻った。
武田さんがビッグマウス、と表現したのは当たっていなくもない。Aチームのメンバーのほとんどが引き継ぎを終えた金曜日、プロジェクトAのミーティングが行われたのだが、その席で五十嵐さんはこうぶち上げた。
「俺はね、本気でこの業界を変えようと考えてるんだ。年功序列や慣習なんかに縛られない、実力本位の業界にしたい。具体的に言うなら、実力があるエンジニアが高い給与をもらえるってことだな」
もはや一人称が"俺"になってしまった五十嵐さんの言葉に、たまたま一番近くに座っていた藤崎クミが疑問を呈した。
「うちは一応、成果主義なんですけど......それって実力本位ってことじゃないんですか?」
「本気でそう思ってるのか?」五十嵐さんは鼻で笑った。「じゃあ訊くけどな、君を評価するのは誰だ?」
「武田さんですよ。その上が課長で」
「で、藤崎さんは、武田さんがFlashやPHPを理解していると思うのか?」
クミは可愛らしく首を傾げて考え込んだ。クミは新卒採用の3年目で、大学ではFlashとPHPを勉強してきたとのことだった。性格はかなり生意気だが、ルックスとプロポーションは同性の私から見ても抜群でうらやましくなる。守屋などは「Webシステム開発部の紅一点」などと、私やカスミさんを無視した失礼な表現をするぐらいだ。年齢と性別のためか、上の人から伝票整理みたいな雑用を押しつけられることが多く、そのたびに文句を言っているが、それでも手を抜かずにきっちり丁寧にこなすから立派だ。
「理解してないでしょうねえ」
「理解していないのに、正しい評価ができるのか?」五十嵐さんはたたみかけた。「ベテランの大工さんが、1年目のパイロットの評価をできるとは思わないだろう?」
「確かにそうですねえ」
「いずれそういうことも変えて行くつもりだ」力強い声で、五十嵐さんは断言した。
3バカトリオは素直に感嘆したようだが、彼らより少しだけ会社組織というものを知っている私は、そんなことできるのかな、と疑問を感じずにはいられなかった。何十年も続いてきた人事制度を、外様のコンサルがひっくり返せるとは思えなかったからだ。
「ま、それはともかく、今日は君たちにこれを用意した」
そういいながら五十嵐さんが会議用テーブルの下から、魔法のように取り出したのは、3台の真新しいタブレット端末だった。
「おおお!」
「すげえ!」
守屋と木下が目を輝かせ、足立も身を乗り出した。
テーブルの上に、iPadとiPad mini、Nexus7 が並べられた。
「開発用に購入した」五十嵐さんは笑いながら言った。「今日は間に合わなかったけど、来週にはiPhoneも届くから」
「うちの課のものですか?」木下が訊いた。
「そうだよ。会社の外への持ち出しは禁止だが、社内では自由に使ってもらって構わない。まあ自由にといっても、Wi-Fiしか使えないから、ここのファイアウォールの制限内で、ということだな」
こともなげな口調だが、私は改めて五十嵐さんの行動力に驚かされていた。うちの会社の経理は、何かを購入したいと思っても、相見積もりを取れだの、値下げ交渉を最低3回しろだの、スペックを下げろだのと、1円でもコストを下げるためには、納期や利便性をとことんまで犠牲にするのだ。メンバーのPCのHDDが壊れて交換が必要、というような緊急性を要する場合でさえ、手配までに5営業日はかかる。ましてや、新しい機器を購入するとなれば、稟議を上げては差し戻され、修正しては差し戻されの繰り返しで、そのプロセスに1ヵ月近くを費やすのが常だった。なのに五十嵐さんは、方針を決めてから一週間も経たないうちに、新品のタブレット端末を入手したのだ。
ひょっとして、自腹を切って購入したのか、とも思ったが、裏側に規程通りの資産番号を示すテプラが貼ってあることから、その可能性はないとわかった。おそらく新しいもの好きの瀬川部長の力添えがあったのだろうが、それにしてもあり得ないほど迅速だ。
「じゃ、セットアップ頼むよ」五十嵐さんは、3台のタブレットを、守屋、木下、足立の前に押しやった。「ネットワークとか何もやってないから」
3バカトリオが戸惑ったように顔を見合わせているので、私は口を挟んだ。
「そういう設定は、総務部のインフラ担当に頼むんですが」
「うん、その規程は知ってる」五十嵐さんはニッコリ笑った。「でも、ここはあえて自分たちだけでやってみてくれ。あっちに任せてると、いつになるかわかったもんじゃないし。君たちの勉強にもなるしな」
それもそうか、と3バカトリオを見やると、もうすっかり自分たちでやる気になっていて、誰がどのタブレットを担当するかをジャンケンで決めている。クミやマサルも、うらやましそうに横から覗き込んでいた。
「さて箕輪さんには、まずやってほしいことがある」五十嵐さんは歓声をあげている若者たちを横目に、私に声をかけた。「知ってるかもしれないけど、iOSのアプリケーションを開発するには、というか、開発したものをiOSのデバイスにインストールするのは、Developer Program に登録する必要があるんだ。まずは、その一連の手続きを頼む。意外に面倒だからな」
「わかりました」何かの記事で見た記憶がある。「確か、クレジットカードが必要じゃなかったでしたっけ」
「うん、よく知ってるな。その通り。Webシステム開発部用の法人カードを瀬川部長にお願いしてある。たぶん、それも明日か明後日には届くと思う」
「はい」
「それが終わったら、とにかくHello Worldでも何でもいいから、簡単なアプリケーションを作って、それぞれのデバイスにインストールしてみてくれ。まずはそれが第一歩となるわけだな」
「少し調べてみたんですが、Flex4が基本になるんですよね。私はFlex3しか経験がないんで、ちょっと時間がかかるかもしれませんけど」
「それはそのうち慣れるから心配いらない」五十嵐さんは安心させるように微笑んだ。「とにかく踏み出さないとな。コーディングルールなんかは後で決めていけばいいから、とにかく動くものを頼む」
「やってみます。他のメンバーには何をさせるんですか?」
私の言葉に、残りの5人が新しいオモチャから、こちらに注意を向け直してきた。
「アプリの仕様を考えてもらう」五十嵐さんは5人の方を見た。「もちろん箕輪さんに音頭を取ってもらうが、大学生に近いのは君たちの方だからな。君たちも就職活動ではいろいろ苦労しただろうから、こういう機能があったらいいな、みたいな意見は出やすいだろう」
「こいつらに任せておくと、なんか荒唐無稽な案ばかり出そうで怖いですけど」
「あー、ひどい」クミが憤慨したような顔で言った。
「箕輪さんが言った、"こいつら"ってのは、こいつらのことだよ」と足立が、守屋と木下を顎で示した。「藤崎さんのことじゃないから」
「おい」
「何、自分だけ除外してるんだよ」
五十嵐さんは苦笑した。
「いや、最初は荒唐無稽でいいんだ。むしろ、現実的な水準でまとまってもつまらないからな。実現可能かどうかは、後から考えればいいんだ。でなきゃ、差別化なんてできやしないからな」
3バカトリオは、私にドヤ顔を向けた。私も負けじと顔をしかめてみせた。
「じゃあ、箕輪さんは、早速、Developer Programの方にかかってくれ。Apple IDは新しく作ってな」
「前にiPod買った時のがありますけど。あ、パスワード忘れちゃったかな......」
「いや、それは使わない方がいい。支払いとか面倒だから。あとアカウント情報に日本語が入ってるとエラーになったりするから、全部英語で登録した方がいいな」
「......わかりました。とにかくやってみます」
「うん。それから」五十嵐さんは残りの5人の方を向いた。「君たちは、現時点で、就活アプリにどんなものがあるのか、AndroidとiOSと両方で調査をしてみてくれ。とりあえずは、互いに相談しないで各自でやってみるようにな」
「なぜですか?」クミが訊いた。
「調べ方にもいろいろあるからな。多方面からアプローチした方が、幅広く情報が得られる。ぶつけるのは後でできるしな」
5人はうなずいた。五十嵐さんは立ち上がった。
「よし、じゃあ、今日はここまで。次は火曜日に。そのとき、全員に報告をしてもらうからな」
このスピード感も、これまでのうちの雰囲気とは異なる。たとえば中村課長あたりが仕切っていれば、「じゃあ再来週に」となるところだ。
守屋、木下、足立も同じ思いらしく、オフィスエリアに戻りながらも、アプリの調査方法について熱い議論を交わしている。いつもの、だらだらした無益な論争とは雲泥の差だ。
私自身、ここ何年もなかったような興奮を感じている。全く未知な開発内容だから苦労することも多いに違いないが、ワクワクする思いを抑えきれない。
「あれー、レイコさん」並んで歩いていたクミがからかうように言った。「何か楽しそうですねえ」
気付かないうちに表情に出ていたらしい。私は苦笑した。
「まあね。やっぱり新しいことやるのは面白いし」
「ですよねー」クミも乗ってきた。「正直なとこ、同じことばっかりやってて、そろそろ飽きが出てきたんですよ、アタシも」
私はうなずいた。クミの得意分野はPHPとFlashだが、一定以上の規模の開発には、たいていJavaが使われる。これまで大規模システムの開発には参加したことがないはずだ。Javaも勉強しているようではあるが、実戦経験がないので磨きをかけるには至ってない。
「クミちゃんも期待してるんだね」
「ま、五十嵐さんが、ただの大口叩き野郎だって可能性もありますけどねー」
武田さんとややニュアンスは違うが、クミも五十嵐さんが口だけのハッタリをかましているかもしれないことを懸念しているのだろう。武田さんの場合は、むしろそれを期待しているかのような雰囲気だったが。
その認識はWebシステム開発部内の共通認識であるらしい。おやつの時間になってカスミさんと給湯室に入ったとき、私はミーティングのことを簡単に話した。カスミさんはタブレットにはそれほど関心がないようだったが、評価制度を何とかしたい、という五十嵐さんの言葉には興味を示した。
「へえ、そりゃまた、大きく出たわね」カスミさんは大きなティーポットに勢いよく熱湯を注ぎながら言った。「でも、そう簡単に変わるとは思えないけどね」
むしろ変わってほしくはない、というのが本音だろう。カスミさんは勤続年数が長いので、それなりの年俸をもらっているはずだが、それに見合ったスキルを持っているか、と言われたらNoと言わざると得ない。VB6で止まっている上にWeb技術はほとんどわからないのだから、公平に比較すれば、3バカトリオの方がずっと高いスキルを持っている。「公正な評価制度」など、カスミさんにとっては迷惑以外の何物でもないに違いない。
「どうせ口だけよ」カスミさんはそう結論づけて、ポットをトレイに載せた。「新製品開発だって、うまくいくかどうか。ね」
私は、その言葉が聞こえなかったふりをした。
(続く)
この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術・製品の優位性などを主張するものではありません。
コメント
abc
公正な評価。
社会にでればそれがどれだけ幸運なことか気が付きます。
ふつう、評価者も暇じゃないので、どこぞの馬の骨の評価に大量の時間を割けない。
だから自分に目を向けてもらうために皆あの手この手でアピールする。
公正な評価とは、つまり権力者に可愛がられているってことなんですよね。
できないやつが、だらだらと残業代を貪り、出来る人は安月給。
仕事はそこそこでも上司に取り入るのがうまい人はどんどん上に行く。
それが現状。
wwJww
ここまで見る限り、地雷源は五十嵐さんではなく武田さんな気がしてならない。
匿名
いいものを作れば売れると思っているのかなー?
有料アプリにするのか課金にするのかしらなけど、プロモーション費用とか考えているのだろうか?
結果を短期間に出すためにはここの費用も数百万円単位で必要
アプリ評価&レビューを大量に付けてくれるサービスを使うって言うなら本物w
DumbObj
現時点では、アプリビジネスじゃなくて、大学向けに就活支援システムを販売して、大学からその対価をもらおうとしてる話じゃないかな? 大学生向けじゃなくて、大学向け。
笑うコン猿タント
「1年で黒字化する」ための手段が「新規アプリ開発」という点で無謀でしょ。
製品を開発して出荷するまでなら1年でも可能だけど、それが普及して大ヒットして黒字化するとしても次年度以降。下手すると何年も赤字垂れ流しを覚悟しないとできないのが、製品開発というもの。中長期ならともかく、「初年度で黒字化必須」と言われたら、新規での独自製品開発なんて有り得ない。
>私は改めて五十嵐さんの行動力に驚かされていた。うちの会社の経理は、~
これは行動力じゃなくて政治力じゃないだろうか。
社内規定があるなら、どんなに行動力があっても、その期間を短縮するのは不可能。短縮するには決められたルールをねじ曲げて無視するための政治力が必要になるが、あくまで部外者であるコンサルタントが、どうやったら社内規定を変更して貰えるのだろう?
会社上層部が裏で何か暗躍しているような、きな臭さを感じる。
>大学生向けじゃなくて、大学向け。
それは無理だと思う。通常は大学がそんな金を出してくれるわけないし、仮に出すとしても出して貰うためには実績必須。たとえば「就活中の全学生の15%が、既にその製品を使ってて、類似製品の中でシェアNo1」とかの。そのレベルまで行くには、早くても2~3年はかかるんじゃないかな。それも、あくまでうまく言った場合の話。非常に楽観的な予測でしかない。
DumbObj
この話がうまくいくかどうかは別として、就活支援システムにお金を出してる大学はすごくたくさんありますよ。普通に検索すればいろいろ出てきます。
あと、新しいシステムの導入判断に、他大学での実績を重視するところもありますが、そうでないところもかなりあります。この辺の内容は、話の展開によっては出てくるかもしれませんね。
X
就活支援システムは検索するとけっこうありますよね。
大学にも予算があって、就職活動には時期があって、ですが五十嵐さんはそこまで
もちろん考慮してつくりながら営業もして間に合わせるつもりなんでしょうね。
どんな風にこのへん五十嵐さんが計算したのか興味深いです。
地理的には近いんですからまた東海林が無双で登場しないかなあと期待してます(笑)。
MUR
コメント欄を見てるとシステム業界のお先の暗さを感じますね…
ひなた
業界の先行きが暗いっていうのは同意ですねえ
※でも否定だけして代案も出せない人が見受けられますし。
.
この手のアプリって、普通はそれなりの時間をかけて無料のモニターを実施して、ユーザーからのフィードバックを募るもんなんじゃないかな?
オレンジ
ベテランと若手の意識の違いがあらわになってきましたねー。
しかしこの企画は市場調査したのかな?
匿名
いつも↓で陰口みたいなことつぶやいて喜んでるtwitterな人達も、
五十嵐氏みたいにはっきりモノを言えばいいのにね。
X
まったくです。
前にも書いたことがあるけどtwitterでつぶやいてドヤ顔してるほうが
よほどみっともないと思います。
同じアホなら踊らにゃそんそん。