鼠と竜のゲーム(24) King of Solitude
「座ってくれ」
久しぶりに見た城之内は、野崎の予想に反して、落ち込んだり、ふてくされたりしてはいなかった。ミーティングルームの椅子に、身体を投げ出すように座ると、以前にも増して挑戦的な視線をぶつけてきた。
対談の翌週の月曜日だった。野崎にとっては、予想以上に収穫の多かった対談だったが、別の立場の同僚たちは、それぞれに異なる結果を受け止めることになった。
対談の翌朝に急遽行われた臨時役員会議において、野崎は事情を詳しく説明した。記者会見を開くことになった経緯については、即答しなくてもよかったのではないか、という意見も出たものの、野崎の決定が最善であったことは誰もが認めざるをえなかった。同席していたソリューション本部の担当取締役は、責任回避の言い分をひねり出すのに多忙だったし、和田広報課長は記者会見のことで頭がいっぱいのようだった。
その機会を利用して野崎が提案したのは、城之内を<LIBPACK>シリーズの保守担当主任から外すことだった。対外的にも、この責任を取らせるべきスケープゴートが必要だったので、これには全員が諸手を挙げて賛成した。野崎としては、城之内本人に面と向かって宣告してやりたかったのだが、あいにく城之内は、対談から戻ったその足で早退し、その日は体調不良を理由に有給休暇を消化していたため、その機会は後日に譲らざるを得なかった。
役員会議の数日後、野崎は副社長室に呼ばれた。ソファに腰を下ろした野崎は、一枚の辞令原簿を見せられた。受令者の氏名は、城之内だった。
「銀行オンラインシステム統合準備室の室長、ですか」
「昨日、あいつの父親と会ってきた」副社長は手ずから淹れた、高級なブルーマウンテンを野崎に勧めながら言った。「一応、経緯は説明してきたが、本人から聞いた話と違うと戸惑っていたよ」
「どうせ、自分の都合のいいように脚色して話したんでしょうな」野崎は吐き捨てるように言った。「納得してもらえたんですか?」
「あの人は、親バカではあるかもしれんが、ビジネスマンとして、銀行マンとして無能なわけじゃないからな。実際のところ、何があったかは、だいたい察してはいたんだろう。特に異を唱えなかったよ。もちろん、息子が失業したり、不幸な目に遭うのは好まないだろうが、今回のことで、うちに対して何か言うつもりはないそうだ」
「それはよかったですな。条件は何もなしですか?」
「ひとつだけある。記者会見で息子の名前を出さないでほしい、ということだけだった。和田くんには、そのことを伝えてある。もちろん誰も処罰しない、では世間が納得しないだろうから、主任1名を処罰、個人名は明かせない、という方向で発表になる」
「そうですか。まあ、私にとってはどうでもいいことですが」野崎は冷淡に答えた。「それで、そのオンラインシステム統合準備室は、どれぐらいの規模になるんですか?」
「ああ、それだがな」副社長はさりげない口調で言った。「実業務は、五堂トラストと中央YDF銀行との合併が正式に発表になってからということになる。だから、当面は、室長ひとりで、部下はなしだ。場所も12階の書類倉庫の空きスペースにデスクを置くことになる」
その声があまりにも平板だったので、野崎は逆に違和感をおぼえて、副社長の顔を覗き込んだ。副社長は真面目な表情ではあったが、その唇の端が何か――たとえば笑いとか――をこらえているように震えている。
「とりあえず今年いっぱいは、仕事らしい仕事はないから、予算もつかない。準備室はソリューションデベロップメントDivisionの直轄部門になる。君に任せるからな」
「いっそ、副社長直轄にして、ご自分で面倒を見られたらいかがですか?」
「冗談だろう」副社長は目を細めた。「私はこう見えても短気なんだ。あいつを我慢できるとは思えないな」
「で、私に押しつけるわけですね、またもや」野崎は苦笑した。「追い出し部屋だとか、言い出さないといいんですが」
「そんなことを言ったら、自分の無能を認めることになるだろうから、あいつは絶対に言わんよ」
「わかりました。本当は奴と縁を切りたかったんですがね」
「そういう日も遠くないかもしれんぞ」
「どういうことですか?」
副社長の謎めいた言葉に、野崎は顔をしかめて問い返したが、答えは得られなかった。
その後、いくつかの事務的な事項を決めた後、野崎は副社長室を辞去した。翌日から野崎は、ソリューションデベロップメントDivisionの組織の組み直しに着手し、社内で調整を繰り返した結果、おおよそ満足すべき成果を得ることができた。
その週に野崎が行った最後の仕事は、城之内にメールを送り、月曜日は必ず出社するように命じることだった。城之内から了承の短いメールを受信し、野崎は安心してゆっくりと週末を過ごすことができた。
そして、週明けの今日、午後遅くになってから、城之内を呼び出したのだった。
「体調はいいのか?」
野崎としては、本題に入る前に雰囲気を解きほぐそうとしただけだったのだが、城之内は嫌みと受け取ったようで、すごい目つきで睨んだだけだった。そっちがその気なら、と野崎は前置きを省略することにした。
「すでに聞いているかもしれないが、これが明日からの配属先だ」
野崎は事務的な口調で告げて辞令を渡した。誰かから内示されていたらしい城之内は、辞令には見向きもしなかった。
「オレがこうなって満足ですか」
「さあな。とにかく......」
「とりあえず今回は負けましたがね」城之内は野崎の言葉を遮った。「父の銀行のシステム統合が本格的にスタートすれば、オレの部署が、この会社で一番重要な仕事をやることになるんですよ。そのときになって、仲間に入れてくれと言ってきても遅いですからね。最終的にはオレみたいな人間が勝つようにできてるんですよ。勝ち組ってのは、そういうことです」
本格的に呆れはてた野崎は、異星人か地底人を相手に会話をしているような空しさに襲われた。
「君みたいな人間ってどういう意味だ?生半可なスキルで実装部分に手を出して大コケさせて、下請けに責任を押しつけるような人間のことか?」
城之内の顔に、さっと怒りが走った。が、すぐにそれは消え、薄ら笑いがとって変わった。
「元々、オレにはああいう細かい仕事は向いてないって、何度も言ったじゃないですか。そういう部署に配属した会社にも、責任があるんじゃないですか?そもそも保守なんて、それしか能がない奴にやらせとけばいいのに。オレみたいな経営的な視点から物事を見られる人間には、新しいプロジェクトの指揮なんかがふさわしいんですよ」
「銀行オンラインシステム統合とかな」野崎は皮肉な口調で言わずにはいられなかった。「今度は、コネクション解放を書くのを忘れないようにな」
「大丈夫ですよ。実装なんてコマイ仕事は、下請けにやらせますからね」
「わかっていると思うが、銀行のオンラインシステムが落ちたら、その影響度は地方自治体の図書館とはわけが違うぞ」
「わかってますよ。責任ある仕事じゃないですか。やっとオレの能力を存分に発揮できるってわけですよ。オレがこの会社に入ってから、初めてのまともな人事だと思いますね」
真面目にそう考えているのだろうか?野崎は、まじまじと城之内の得意げな顔を見つめてしまった。自分が左遷させられた、ということをわかっていないのか、あえて前向きに考えているのか、どちらなのだろう。
「......まあいい。具体的な仕事の内容は、来週にでも指示する。それまではオンラインシステムの仕様書でも読んでいてくれ」
「<LIBPACK>の方の引き継ぎは......」
「それは誰も必要としていない」野崎は城之内を遮った。「君はもう<LIBPACK>に関わらなくていい。未来の花形部署のために尽力してくれ」
「はいはい。わかりましたよ。あんなの、もう興味ないんで、オレとしちゃあどうでもいいんですけどね。ああ、そういえば、あの西尾って女のことですがね」
「西尾くんがどうかしたか」
「これは親切心から言うんですが、あの女には気をつけた方がいいですよ」城之内は、野崎が嫌いなニタニタ笑いを浮かべた。「ソースを流出させたのは、絶対、あの女に決まってますから。もちろん、ご存じですよね、野崎さんは」
「何のことかわからんな」野崎は冷たく応じた。
「あ、そういう態度なんですね。ま、いいでしょう。ところで、オレの新しい部屋はどこなんですか?まだ教えてもらってないんですよ」
野崎は銀行オンラインシステム統合準備室に予定されている場所を伝えた。それを聞いた城之内は、戸惑ったように言った。
「12階?でも、あそこは倉庫だったんじゃ......」
「他に場所がないんだ。なに、心配はいらんだろう。いずれ、この会社で一番重要な仕事をやる部署になるんだ。そのときには、ふさわしい部屋が用意されるだろうさ」
城之内の顔に、初めて不安の色が浮かんだ。それを見て、野崎は上長としての義務だけで言った。
「これは親切心から言うんだが、何でもかんでも自分を中心に物事を考えるのは、そろそろやめにした方がいいぞ。今回の事件で、君に対する評価はかなり下がっている。君の父親が誰だろうと、もう関係がなくなってきているんだ。もし君に、エンジニアの心意気みたいなものが、小指の先ほどでも残っているなら、自分の技術力で存在価値を示したらどうだ。父親の威光なんてものじゃなくて。このままでは、君は裸の王様のまま、年齢を重ねていくことになるぞ」
城之内の顔が真っ赤になった。己を恥じる心が呼び覚まされたのか、単に侮辱されたと思ったのか。いずれにせよ、城之内は何も答えなかった。野崎は小さくため息をついた。
「もう戻っていいぞ。デスクの移動があるだろう」
「デスク移動?」城之内は低い声で言った。「そんなの、いつも業者に頼むじゃないですか」
「まだ予算が付いてない部署だからな」野崎は肩をすくめた。「自分でやってもらうしかないんだ。今から取りかかれば、今日中に終わるだろう。電話とネットは来週になるがな」
城之内は憤然と立ち上がると、残ったプライドをかき集め、挨拶もなしに出ていった。叩きつけるようにドアを閉めたのが、精一杯の抵抗だった。その音に紛れて「くそったれ」という言葉が耳に届き、野崎はニヤリとしないではいられなかった。プライベートな場であれば、爆笑していたかもしれない。
「勝ち組か」野崎は独りごちた。「お前がこれから先も勝ち組でいるのはちょっと大変だと思うがな」
野崎の頬が緩んでいたのは、短い時間だった。すぐに顔を引き締めて、内線電話に手を伸ばす。次に会う人間との会話は、これほど不快なものではないと思いたかった。
「座ってくれ」
西尾ミドリは少し不安そうな顔で、先ほどまで城之内が座っていた椅子に静かに腰を下ろした。
「いくつか伝えておきたいことがあってな」
ミドリの不安を和らげようと、野崎は穏やかな口調で告げたが、ミドリの方は心落ち着く心境ではなさそうで、斜め下の方に視線を固定させたままだった。
「何でしょう?」
「明日一番に人事発令があるはずだが、城之内主任は明日付で異動になる」
ミドリは驚いた様子を見せなかった。
「そうですか」
「驚かないんだな」
「社内でウワサになってますから」ミドリは言葉少なに答えた。
「......全く、100ギガビット・イーサネット並だな、うちのウワサネットワークは」野崎は呆れて苦笑した。「まあいいか。それで、保守担当主任を君にお願いしたいんだが、引き受けてくれるか?」
ようやくミドリは顔を上げて、野崎と視線を合わせた。
「私でよろしいんですか?」
「君しかいないだろう。実質的に、君がやっていたようなものだしな」
「いえ、そういう実務的なことではなくて......」
「なんだ?」
ミドリは黙り込み、また目を逸らしてしまった。野崎はため息をつくと、椅子にもたれた。
「わかった。触れずにすませればそれに越したことはないと思っていたが、君にはどうしても、あの開発室を引き継いでもらいたいから、ざっくばらんに話すことにしようか。君が言っているのは、例のソースファイルをサードアイに送ったことだな?」
今度はミドリがため息をついた。
「やっぱりご存じだったんですね」
「確信があるわけではなかったけどな」野崎は肩をすくめた。「先日の対談のとき、サードアイ側からソースを突きつけられるまでは、そもそも本当に流出ソースなんてものがあったのかどうかさえ、定かじゃなかったからな」
ミドリは黙ってうなずいた。
「ただ、例の個人情報流出が報道された翌日、サードアイの社長から連絡があってな。証拠のソースを入手したようなことを匂わせてきたんだ。もちろんハッタリの可能性もあったわけだが、無視することもできなかった」
「うちのDiv長としてですよね」
「そうだ」野崎は少し声を落とした。「まあ、本音を言うなら、サードアイがうまくやってくれれば、城之内を何とかするきっかけになるな、とは思っていたよ。もっとも、それほど期待していたわけじゃないから、とりあえずはDiv長として、いくつか手を打った」
「たとえば?」
「君に頼んだ、納品物一覧の調査とかな」
「あれですか。何のためかと思ってました。ソースが流出している可能性を確かめるためだったんですか」
「そうだ。ファイブスターの担当者に聞いたんだが、どうも、城之内は納品用DVDのイメージを、そのままサーバに置いて、FTPでアクセスできるようにしていたみたいだからな。納品用DVDにソースが含まれていないことを確認したかったんだ。DVDにソースが含まれていないなら、サードアイが入手できるはずがないからな」
「納品物一覧にソース一式が入っていたんですから、流出の可能性ありと判断されたわけですね」
「君もそう思ったんだろう?」野崎は責める口調にならないように気をつけて訊いた。「だからソースをサードアイに送っても、入手先をごまかせると思った」
「......違うんですか?」
「違う。君が見せてくれた納品物一覧は、城之内が作ったものだろう。あれは最終版じゃなかったんだ。実際は検査部の最終チェック段階で、ソース一式はしっかり除外されていたんだよ」
ミドリは何かの啓示でも受けたかのように、細い目を見開いた。
「そうだったんですか......じゃあ、私が送ったものが唯一にして最初で最後の流出ソースだったんですね」
「そういうことになるな」
少し沈黙した後、ミドリの鋭角的な顔のラインが、春の陽だまりのようにほころんだように見えた。
「うちの納品チェック機能が、思ったよりまともに機能していることがわかって嬉しいですね」
「全くだな」野崎もうなずいた。「城之内は頭からバカにしてたようだけどな」
「それを知ってもなお、私を主任にするんですか?」ミドリは挑むように訊いた。「また同じことをやるかもしれませんよ」
「ああ。その心配はしてない」
「へえ。なぜですか?」
「それは、君が重度のプログラミングジャンキーだからだよ」
「はあ?」ミドリはきょとんとした顔になった。「なんですか、それ?」
「西尾くん、君はな」野崎はミドリの顔を見ながら言った。「人生のあらゆる局面にプログラミングを適用して生きているような人間なんだよ。休憩中でもM&M'Sでクイックソートをしてる。エレベータホールで待たされれば、エレベータアルゴリズムを真剣に考え込む。夢の中でも幸せそうにリファクタリングをしている。数字はゼロからカウントするし、KとMとGの単位に換算しないと落ち着かない。100%に満たないコードカバレッジは、花粉症で詰まった鼻のような不快感をもたらす。イケメンの韓流スターより、ユニットテストがオールグリーンになるのを見ている方が何万倍も幸せだ。スパゲティコードを連想するからパスタは積極的に食べない。自分の化粧のノリよりSQLの実行計画の方が気になる。ラブソングのリフレインを聴くと第1正規形に修正したくなる。プロ野球選手の契約更改のニュースを聞くたびに、Design by Contractでトレーニングメニューを組んでいるのかと疑問に感じる。Writing Robust Java Code を世界で一番美しい文章だと......」
「ちょっと、ちょっと待ってくださいよ!」とうとうミドリが大声で、野崎の長広舌を遮った。「それ、どう考えても誉めてるわけじゃないですよね?」
野崎は黙ってミドリの顔を見た。ミドリも負けじと睨み返す。2人の視線によるコリジョンが発生した1秒後、耐えきれずに吹きだしたのはミドリが先だった。
野崎も笑い出した。それを見たミドリは、さらに顔一杯の笑顔を見せた。野崎が久しぶりに聞いたミドリの笑い声だった。野崎の胸に、一抹の鈍い後悔が突き刺さった。城之内のお守りを押しつけたばかりに、こんな笑顔を封印させてしまっていたんだな。
「ひどいですよ、野崎さん」ミドリは楽しそうに抗議した。「人を何だと思ってるんですか」
「まあ、今のは、半分ぐらい冗談だが――」
「半分......」
「――そういう人間が<LIBPACK>シリーズには必要なんだよ。<LIBPACK>シリーズには、アルファバージョンの時から関わってきたんだから、コードの隅から隅まで知ってるよな。だから、城之内が、<LIBPACK>をズタズタにするのを見ていられなかったんだろ」
「......」
「T市立図書館向けカスタマイズは、ちょうど親御さんが入院したために君が長期休暇を取っていた隙に、城之内が勝手に進めてしまったんだよな。復帰してソースをチェックして問題に気付いたときには、すでに納品されて、本番稼働していた。君は問題箇所を修正すべきと進言したが、あいつは自分の面子を優先して、それを却下した」
こういったことが判明したのは、つい先ほどのことだった。城之内が主任の職を解かれたため、その管理下にあったファイルの管理権限が、一時的に野崎に移ったためだ。
「あの馬鹿者は、そういった報告や進言、エンドユーザからの苦情なんかを全部自分のところで握りつぶしてやがったからな。発覚していないだけで、潜在的な問題点はまだまだあるだろう。そういうのを君に片付けてもらいたいんだ」
「はあ、なるほど」
「もう1つ、ユーザへの信頼回復のために、<LIBPACK>シリーズの開発体制が少し変更になる」野崎は微笑んだ。「第1と第2を統合して、ソリューション事業本部の直轄部門となり、部門責任者のポストが用意される。責任者の上は副社長、下は主任だ」
「責任者には誰がなるんですか?」
野崎は右手で作ったサムアップポーズを、自分の胸に向けた。それを見たミドリは、また声を上げて笑った。
「要するに、自分がまた開発の現場に戻りたいだけじゃないんですか?」
「まあ、そういう理由があることは否定しないよ。主任を引き受けてくれるか?」
「まあ、仕方がないですね。やります」ミドリは簡潔に答えた。「野崎さんが上にいるのなら、管理業務はお任せしていいんですよね。何しろ私はプログラミングジャンキーなので、コードにだけ集中したいんですよ」
「そう言うと思ったよ。もちろん、予算だの評価だの目標だのといった散文的なことで君をわずらわせようとは思ってないから、安心してコードの世界に頭まで浸かってくれたまえよ」
「ありがとうございます。安心しました。あ、そういえば」ミドリは少し表情を改めた。「管理で思い出しましたが、野崎さんに1つ謝らなければならないことがありました。先日、失礼なことを言ってしまいました。すみませんでした」
ミドリが何のことを言っているのか、すぐにわかった。「野崎さんも、管理職になられてしまったんですね」という言葉のことだ。
「今になってわかりました。私がソースを持ち出した記録を消すために、全てのリポジトリを削除してくれたんですね」
「まあな」野崎はうなずいた。
「野崎さん、そんなに私のことが好きだったんですか?」ミドリの瞳がイタズラっぽい光を帯びた。「奥様もお子さんもいらっしゃるのに、いけませんね」
「......戻っていいぞ。辞令は今日中に出る」
「あら照れてますね。失礼します」
ミドリは入室したときとは打って変わって軽やかに立ち上がった。ドアノブに手をかけたが、ふと振り返って訊いた。
「記者会見をやるんですよね。いつになるんですか?」
「......それも知ってるのか。まあすぐには無理だろうから、11月かそのあたりだろうな」
「野崎さんも出るんですか?」
「あれは広報部の仕事だから、おれは関係ないよ。ソリューション事業本部からは、本部長が出るしな。和田課長は想定問答集を作るのに必死らしいから、技術的な点で助言はするが、それだけだ」
「それが終わったら、この騒動もようやく終わりですね」ミドリは少し遠い目で壁を見つめた。「5月の逮捕報道からこっち、余分な気苦労が多すぎましたよ、まったく。野崎さんも、少しゆっくりできるんじゃないですか?」
「上の方も記者会見をやることで、けじめをつけたつもりになるんだろうな。本当はそんなことで終わりになるわけでもないんだが。一応、謝罪もするわけだし、世間的にも一件落着となるだろう。まあ、おれにはもう1つだけ、やることが残ってるんだが」
最後はつぶやきになったので、ミドリは気にしなかったようだ。
「終わったら、うちの部屋全員、また飲みに連れて行ってくださいよ。白木屋とか魚民じゃなくて、叙々苑あたりがいいですね」
「勘弁してくれ」野崎はわざとらしく呻いた。「Div長はそんなに高給じゃないんだぞ」
「じゃあ、私だけでもいいですよ」
「早く仕事に戻れよ」
ミドリが明るい笑い声を残して出て行くと、野崎は立ち上がって窓の外に広がる街並みを眺めた。
(続く)
この物語は事実を基にしたフィクションです。実在する団体、個人とは一切関係ありません。また司法当局の捜査方法などが、現実のそれと異なっている可能性があります。
コメント
名無しPG
前回に引き続きすっきりしました。^^
後半のやり取りにも和みましたし、まだもうちょっと何かがあるようではありますが、このまま大団円になってくれたらなーと思います。
(と言いつつ、何かどんでん返しもあるのかな?と期待も少ししてますが)
最後に一点だけ、下記の「誰」は「誰か」のほうがしっくりくる気がしたので一応。
> 誰から内示されていたらしい城之内は
AAAA
城之内の父親が、予想に反して社会人としてはマトモだったので一安心。
予想に反していなかったのは、親バカだったってとこだが……。
やはり城之内は、父親に甘やかされて育った結果、あんなろくでもないドラ息子に育ったってオチかな。
そして今タイムリーな話題である「追い出し部屋」ネタを使って来たあたりで、吹きそうになったw
にわかSE
今週も楽しく読ませていただきました。
とうとう、城之内くんの末路が決まってきましたね。
記者会見で謝罪までするようなので、
五堂テクノ主体でオンラインシステムの統合が進むかどうか。
室長たる城之内くんの命運はいかに・・・
来週も期待してます。
不治ソフト
西尾さんお咎め無しか。
なんかスッキリしないな。彼女の思惑通りみたいで。
通りがかり
野崎さん、消されちゃうよ~(;_;)
皮肉にも城之内の西尾ミドリに関する助言だけは当たりだったと・・・
nanashi
前回シリーズも今回シリーズも対照的な二人の対比が面白いです。
前回は、デスマでパートナーを見つけた人と「孤高w」なままの人と。
今回は、給料泥棒と職人プログラマーと。
お偉いさんがたも、プログラムの価値を分かる目は養ってもらいたいものです。
技術を売っているのですから、最低限でも。
どら猫ホームズ
野崎とミドリの会話は大丈夫か?
ハガネ
どら猫ホームズさん>
大丈夫とはなにが?
どら猫ホームズ
>ハガネさん
例えば城之内によって会話が録音
されているのでは無いでしょうか。
どら猫ホームズ
「そういう日も遠くないかもしれんぞ」と言う謎めいた言葉
気をつけた方がいいですよ
→完全に野崎もマークされてます。
ナナシ
>どら猫ホームズさん
確かにそれはそうですね。
城之内の性格なら、今回の会話を録音しておいて、
録音内容をネタにして野崎や西尾を道連れにするくらいやりそうな気はします。
ただ、その場合ひっかかるのは城之内の捨て台詞ですね。
城之内が今回の会話を録音して交渉カードを得ていたなら、
捨て台詞は「くそったれ」じゃなくて「今に見ていろ」あたりになるんじゃないかと……
コモエスタ
城之内は後から入って先に出ています
出て行った後に彼女を呼んで話しています
あらかじめ面談予定をグループウェアに登録しているわけでも
無さそうですが、それでも盗聴しますか?
どら猫ホームズ
城之内と言うより、五堂テクノ…
城之内
城之内
育野
ソースの謎も解けたし諸悪の根源も放逐されたしでだいぶすっきりしました.
あとは巻き込まれた人たちの状況がどう収束するかと,
野崎氏のやり残したことが気になるところです.
コメントでは,今回のオフレコの会話内容を問題視するところから
盗聴の危険性の話になってますが,私は心配ないと思います.
以下長文失礼します.
城之内氏の場合
上でコモエスタさんが書いている通り,仕掛けられる機会がなく
反応を見るに,これを予想して事前に準備できているとは思えない.
というか,他社との会談の現場で真っ黒な状況証拠握られるような能力で
盗聴のようなデリケートな作業がこなせるとはとてもとても….
五堂テクノの場合
リポジトリが消えている以上会話記録は状況証拠にしかならない.
そもそも盗聴自体が,警察の犯罪捜査の場合でさえ厳しい制限のかかるほど
違法性の高い行為なわけです.
無傷ではないにせよ収束しつつある問題の,
たかが社内調査に使用する手段とは思えません.
組織的に行っていることが万が一バレたら,
今回の件の真相暴露以上のダメージになると,私は思います.
#仮にやっているとして,その膨大なデータをどうやって管理・解析するんです?
#最低でも (就業時間+α:h)*(日数)*(設置個所) のチェック時間が必要では?
nanami
盗聴云々の方は盗聴されて野崎さん窮地の展開を望んでるんでしょう
個人投資家
野崎氏とミドリの会話はちょっと脳天気すぎませんかね?
ソースは会社の資産なので、それを業務上の必要以外で社外に持ち出したことは、横領行為です。
野崎氏は上長ですから、職務上、部下のそうした行為に無頓着ではいられないはずです。
だって、氷山の一角かも知れないでしょ?
野崎氏がジレンマを感じないとしたら嘘ですよ。
城之内の人物評価は脇に置いて、客観的に評価するならミドリのやったことは上司のパワハラから来るストレスを発散するために、社の資産(クレジットカード番号などの顧客情報)を流出させたって事(むしゃくしゃしたのでやったというレベル)であり、彼女の行動はいささか情緒不安定で行動が危ないというものという評価になります。
これはお互いに知らん顔で、互いの想像ですれ違ったままの方が良いでしょう。
そのほうが余韻があるし。
ob
5年以上たっててアレなんですが
「ちょうど君が入院して長期休暇を取っていた」
について。
入院してたのは西尾さんの親御さんじゃなかったでしたっけ。
と、しらべたら第14話にそう書いてますねー(´▽`)
リーベルG
ob さん、ご指摘ありがとうございました。
確かに入院してたのは親の方ですね。