ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

人形つかい(16) つかの間の休息

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 「疲労の後の休息ほど、楽しいものはない」と言ったのはサー・ウォルター・スコットという詩人だ。石川啄木や幸田露伴やカントも同様に「労働の後の休息は最高!」という意味の言葉を残している。残念なのは彼らがみなプログラマではなかったことだ。彼らがエースシステムの下請けとして酷使された後でも、同じ言葉を口にできるなら、ぼくは心から尊敬する。

 東海林さんの言葉は、ほとんど正しかった。ほとんど、というのは、ぼくたちは12月31日の午後と、1月1日だけは休みを取ることに決めたからだ。その代わり、12月28日から30日までは、文字通り不眠不休に近いペースで実装をこなさざるを得なかったのだが。

 36時間あまりとはいえ正月休みが取れたのは、ひとえに新規機能の残数が決定したためといえた。その残数に基づいて東海林さんが開発メンバー全員のスケジューリングをやり直した結果、ギリギリではあるがリミットまでに間に合うという線を引くことができたのだった。これはたとえば誰かが風邪をひくとか、予想外にデバッグが長引いただけでも、たちまち崩れてしまう危険をはらんでいた。だが幸いにして、予定通りに全員が実装を完了した。

 おかげでぼくは、彼女と2人で紅白を見て、彼女が作ってくれた年越しそばを食べ、川崎大師に初詣に行くという、ごくごく普通のカップルらしい年末年始を過ごすことができた。クリスマスを一緒に過ごせなかったことで少し不機嫌だった彼女の顔にも、楽しそうな笑みが終始浮かんでいた。

 初詣の後はラゾーナ川崎を少しぶらついただけで、早々にマンションに引き上げた。去年の正月は初詣の後、夜まであちこちを遊び歩いたものだが、今年は正月特有の下らないバラエティ番組を見て、のんびり過ごした。体力に自信がなかったこともあるが、翌日からのハードな実装生活に備えて、頭をできるだけ空っぽにしておきたかったのだ。

 1月2日早朝、東海林さんとぼくは、エースシステムではなく、自社で実装を再開した。エースシステムは3日まで正月休みで、開発室への出入りもできなくなるため、ぼくたちはソース一式を持ち帰っている。ライズの人たちも同じことをしているはずだった。

 途中、社長と黒野さんが差し入れを持ってきてくれた以外は人の出入りもなく、ぼくたちは黙々とキーボードと格闘し続けた。このあたりでは、ファミレスを除き、3日までは休業というお店が多く、東海林さんもぼくも、あらかじめコンビニで適当に食料を買い込んであった。大量のチョコレートや濃いめのコーヒーなど、カフェインの摂取準備も怠りない。栄養ドリンクも箱買いした。

 幸いなことに、総合テストは1月10日まで再開されないはずだった。エースシステムの仕事始めは1月4日だが、K自動車は1月10日から業務が動き出す。工場のラインの関係で、通常の祝日が稼働日になっている代わりに、GWや年末年始などの大型連休は前後の土日を含めて、本当に長くなっているのだ。総合テストはK自動車港北工場内で行われているので、早くても10日からしか実施されない。修正が上がってくるとしても、11日からになるわけだ。

 これはつまり、10日までは未実装機能数に変化がないということを意味している。東海林さんは7日までに新規追加機能の実装を終え、その後11日――初号デモの前日――までに修正分を消化するようにスケジューリングしていた。

 静かな環境で集中できたことと、1月2日、1月3日の2日間で、実装はかなり進んだ。その間に消費したチョコレートの量を考えると胸が悪くなりそうだ。大部分はブドウ糖として脳の栄養になったと考えたい。

 1月4日、仕事始め。東海林さんとぼくは、エースシステムには午後から入ることにしてあった。年始の社長の挨拶や、「あけましておめでとうございます。今年もよろしく」などの恒例の行事を済ませると、再び実装を続ける。機能は未完成でもいいが、エースシステムのバージョン管理システムにチェックインさせるために、コンパイルだけは通しておく必要があるので、どうしても実装が終わらない場所はコメントアウトしてしのいだ。

 昼食を早めに済ませた後、ぼくたちはエースシステムに入った。ライズの人たちは午前中に来ている。その中には復帰した石川さんの姿もあった。

 「ご迷惑をおかけしました」石川さんはまだ顔色が悪かったが、まずまず元気な声でそう挨拶した。「いずれお礼させていただきます」

 「いえいえ。仕事ですから」

 東海林さんと石川さんは、早速、打ち合わせに入った。その間、ぼくは実装してきた分のソースをUSBメモリから読み込み、こちらの環境にインポートする作業を行った。それが終わると、ユニットテストが完了した分を報告するために、橋本さんのデスクへと向かう。

 橋本さんの顔を見たとき、ぼくは少し驚いた。たっぷり休みを取ったばかりの人間の顔には見えない。もともと余分な肉などついていない人だが、減量に苦しむボクサーのように痩せこけてみえる。血色も良くなく、目の下には隈ができていて、メイクなしでもゾンビ映画に出演できそうだった。年始の挨拶をした後、ぼくは思わず小声で訊かずにはいられなかった。

 「橋本さん、身体の調子でも悪いんじゃないですか?」

 橋本さんは力なく笑った。

 「すみません。ずっと家に帰っていないもので」

 「え……休みじゃなかったんですか?」

 「ええ」橋本さんは崩れるように腰を下ろした。「テストを終えておくように、高杉から厳命されていたので」

 「じゃ、ずっと仕事してたんですか?」

 「ずっとというか……」視線がカレンダーにさまよったかと思うと、定まらないままふらふらと揺れている。「……元旦の午前中だけは帰りましたが」

 ――上には上がいたか。

 見たことはないが、エースシステム社内には、シャワーやベッドなどの簡易宿泊設備が整っていると聞いたことがある。ビジネスホテル並みとまではいかないが、カプセルホテルやネットカフェの個室よりは広いらしい。うちの会社にはそんな設備はもちろんないが、だからといって、うらやましいとは思わない。東海林さんとぼくは、深夜に帰宅し早朝に出社していたとはいえ、とりあえず毎日自分の家に帰っていたのだから、橋本さんよりはマシだったのかもしれない。

 ぼくは1日半の正月休みを取ったことを、少し後ろめたく感じながら、完了分の報告を行った。

 「わかりました。確認しておきます」橋本さんは、完了報告書とテスト結果を丁寧にファイリングした。「残りの実装はどうでしょう?」

 「新規分は7日中に全て完了予定です」ぼくは安心させた。「今のところは順調です」

 橋本さんは頷いた。ぼくは開発室へ戻ろうとして、ふと訊いてみた。

 「そういえば高杉さんは出社されてますか?」

 「高杉は社長と一緒に挨拶回りに出ているはずです」橋本さんは無表情だった。「今日はたぶん戻りませんね」

 「そうですか。失礼します」

 開発室に戻りながら、橋本さんと自分の立場を比べてみた。おそらく年齢は橋本さんの方が下でも、年収はぼくよりもずっといいにちがいない。会社の将来性にしても、うちとは比較にならないぐらい安定しているだろう。実務でプログラミング技術を維持しておく必要もないようだし、上級SEになることができれば、世間の水準から見ても裕福な生活を送れるのは間違いない。

 それでも、橋本さんと立場を交換したいと、これっぽっちも思わないのはなぜだろう。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 エースシステム社内には、まだ正月気分が残っているようで、今日と明日ぐらいはウォーミングアップだとでもいうような、どこかのんびりした雰囲気が漂っていたが、「承認くん」開発プロジェクト開発室だけは、最初から張り詰めた空気で満たされていた。

 冬休み返上の成果は、翌日の進捗表に正確に反映された。先月27日、零号デモの直後は、未実装機能数:25(新規:19、修正:6)だったのが、5日の朝には、15(新規:9、修正:6)と大きく減少していた。これには橋本さんが4日中に確認しきれなかった分は含まれていないから、実数はもっと多いはずだった。

 続く3日間、ぼくたちは休憩時間を極端なまでに切り詰め、疲労で目がかすみコードがぼやけてくるまでモニターを睨み、椅子と身体が一体化しそうなほどの長時間同じ姿勢で座り続けた。ぼくたちのコミュニケーション能力は、ほとんどエスパーの領域に達していて、互いに数語を交わすだけで、あるいは設計書の一部を指でトントンと叩くだけで、必要な情報を交換することができるまでになっている。どんなプロジェクトマネージャーでも羨ましがるチームだっただろう。

 また、石川さんが復帰して、活発な情報交換が再開したことも、実装の効率化に大きく寄与した。うちとライズさんの間で、重複したコードを極力排除し、部品化を積極的に行うことで、かなりコーディング量を減らすことができたのではないかと思う。

 東海林さんがライズさんの実装を指揮していた体制は、石川さんの復帰後もそのまま継続された。これは石川さん自身が言い出したことで、自身の体調がまだまだ万全ではないことや、有効に稼働している体制を変更することによって生じる遅延を怖れたことが理由だった。体制図上は2社であっても、もはや実質的には1社であると言ってもよかった。

 1月7日金曜日、16時30分。ぼくたちは高杉さんに設定されたリミットを守り、全ての新規機能の実装を終え、ユニットテストを完了した。東海林さんは、珍しく自分で橋本さんに報告に行き、戻ってきたときこう告げた。

 「今日は全員上がってOKです。また明日は1日休みとします。橋本さんの了解を取りました」

 ぼくたちは小さく歓声をあげた。

 「まだ修正分の対応があります。まだまだ気を抜けませんが、少なくとも今日、明日はゆっくり休養を取るということで」

 東海林さんは言い終わると、自らの言葉を実践するように、さっさと帰り支度を始めた。それを見て、ライズの人たちも東海林さんにならった。

 ぼくもPCをシャットダウンしながら、素早く彼女にメールを打った。今日はゆっくり寝て、明日は久しぶりにどこかをブラブラすることにしよう。

 よほど弛緩した顔をしていたのか、東海林さんが笑った。

 「デートか?」

 「まあ、たぶん」

 「若者はいいなあ」東海林さんはからかうように言った。「とりあえず、のんびりしてくれ。ああ、携帯の電源だけは入れておけよ。まあ、今日明日は何もないと思うけどな」

 「りょーかいです。東海林さんは家族サービスですか?」

 「たぶんな。アンパンマン・ミュージアムへ連れて行けと、前からせがまれてるんでな」

 「やっと実現できそうでよかったですね。それじゃあ」

 「ああ、おつかれ」

 土曜日、ぼくは彼女と鎌倉に行き、のんびりと散策を楽しんだ。幸い携帯が鳴ることもなく、おいしいものを食べ、ゆっくりと英気を養うことができた。

 東海林さんは、子供を連れてアンパンマンこどもミュージアムに行き、その後、ラーメン博物館でそれなりに楽しい時間を過ごしたそうだ。石川さんをはじめ、ライズの人たちも、それぞれの休日を満喫したようだった。

 それが、ぼくたちが1月に取れた最後の休日となった。

 (続く)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。似たような行動や言動があったとすれば偶然の一致でしかありません。また、特定の技術・製品の優位性などを主張するものではありません。

Comment(8)

コメント

ヤミ

今回もおもしろいですね><
本当に大晦日とお正月お休みとれてよかったですね・・
このままどこまでいくのかちょっとひやひやしてました^^;

u_or

高杉のようなのは実際に出禁にされたのを見たことがありますね。
クライアントのシステム部が下請けの元PGだったり元SEだったりで、設計(笑)だけしかできない馬鹿の痛い目にあっていたからでした。

その時は訝しんだシステム部がソースレビューと基本設計レビューをして、
設計バグをソースレベルからその上級SE様に突きつけて、
ソースもロジックも全く分かっていない上級SEさまが見事に出禁と。

うん、上級SEさまの提供したStrutsベースのフレームワークのActionが、static でfinalでもない変数でしかもDAOも含まれていたスレッドセーフでなかった時点で、切れていましたが。

tom

> それが、ぼくたちが1月に取れた最後の休日となった。
まだ上旬..((;゚Д゚)ガクガクブルブル

BU-SON

またまた楽しく拝読させていただいてます!

面白いです。
つかの間の、というか1月最後になるわけですね。
静かなオフィスだと開発はかどるのは、かなり同意。

最後の一文だけで、ここまで次回が楽しみに思った連載ってあまりないです。

リーベルさん、応援してます!
顔晴ってくーださい!

ベイビー

というか、主人公と東海林ってなんでこんな糞会社に
勤めてるの?
もっと待遇が良くてやりがいのある仕事ができる会社なんて
他にいくらでもあるだろ。早くやめろよ。
ほんと馬鹿じゃないのか?

Hoge3324

IT技術者は設計ができなければ生きてゆけない、実装ができなければ生きてゆく資格がない

ATM

>IT技術者は設計ができなければ生きてゆけない、実装ができなければ生きてゆく資格がない

こういう奴って、建築家は誰でも塗装や水道管・電線・電話線工事、瓦や釘の製造まで出来ると思ってるんだろうな。何という世間知らず。

傀儡廻し

「シーザーを理解するためにシーザーである必要はない」

機能・非機能要件に対する実現性さえ見通すことができればいいんじゃない。

ただ、この業界は変化が激しいから見極めが難しいけどね。

だって100%できることを最初から計画するプロジェクトなんて滅多にないんだからね!

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