日本海側で唯一のソフトウェアテストシンポジウム「JaSST'12 Niigata」開催レポート(その2)――ジェットエンジンが運ぶ未来
こんにちは、第3バイオリンです。
「JaSST’12 Niigata」開催レポートの第2弾です。今回は、事例発表2件の様子をお届けします。新潟で進められたジェットエンジン開発プロジェクトのマネージャーと開発担当者による講演です。マネジメントと品質管理、それぞれの立場から見たプロジェクトの様子を聞き比べてみてください。
■事例発表「『NIIGATA SKY PROJECT』でのプロジェクト推進-短納期・分散開発での確実なジェットエンジン開発-」
産業技術総合研究所の岩田 拡也さんのセッションです。
「NIIGATA SKY PROJECT」とは、新潟市が経済産業省から研究委託を受けて、市内の企業と連携して進めている、無人飛行機用の小型ジェットエンジンの開発プロジェクトです。
岩田さんは、「なぜ新潟市でジェットエンジンを開発するのか」から説明を始めました。
これまでの航空産業は「大型化、高速化」がよしとされてきました。しかし、地上に目を向けると自動車のような、航空機よりもずっと遅い乗り物が市場を占めています。自動車は航空機と比較するとスピードは遅いものの、家からすぐに乗れるというメリットがあります。しかし、現在の航空機はそれができません。乗るためには空港まで、長距離の移動が必要になります。
それもあって、これからは従来の航空産業とは一線を画す「別の航空産業」の需要が世界全体で高まっているそうです。そのうちの1つが無人飛行機です。
岩田さんは、全国にさきかげて新潟で無人飛行機の開発を始めることで、新潟が「別の航空産業」市場に全国で一番乗りを果たす、という目標を語りました。日本で一番乗りを果たす、ということは、世界でもトップを取れる可能性がある、ということです。岩田さんは「黒船が来て驚く前に、自分たちが黒船を作る」と熱く語りました。
さらに岩田さんは、新潟における無人飛行機の需要についても語りました。新潟には佐渡島があります。佐渡島は大きな島なので、島内に製造業があります。製造したものを島外に運び出す手段は現在のところ船だけですが、精密機器部品のような小さくて軽くて高価なものを運ぶには無人航空機がもってこいなのだそうです。
さて、そうして新潟で始まったジェットエンジン開発プロジェクトですが、与えられた期間はわずか7ヶ月でした。仕様書もない状態からジェットエンジンを造るまでの期間としてはあまりに短い期間です。
岩田さんは仕様書を書けない部分は実際に試作機を造り、それで実験をして悪いところをチェックしながら改善を進める、というやり方で開発を進めていきました。完成した試作機を筑波に持ち込んだその日の午後に東日本大震災に遭い、筑波での作業も進められず通常の流通手段もすべてストップしたなかで、産業技術総合研究所が調査用に所持していたトラックでエンジンを新潟まで運び出したということもあったそうです。
ここで岩田さんは、開発したエンジンを搭載した試作飛行機のデモ映像を見せてくれました。試作飛行機の第1号はバランス制御に失敗して飛ぶことができなかったのですが、2号機はわずかですが空を飛びました。そのときに子供のように飛び上がって喜ぶプロジェクトメンバーの姿が印象的でした。
最後に岩田さんは「新潟にこのプロジェクトを持ってくることができてうれしい。もっと開発力を上げて、ゆくゆくはエンジンだけでなく無人飛行機も新潟で造りたい」と締めくくりました。
短期間でプロジェクトを成功させるためのご苦労や、突然の災害に遭遇したときに機転でそれを乗り越えたときのエピソードに胸が熱くなりました。また、ジェットエンジンの開発で新潟が一番になる! という熱い想いを感じることができました。
■事例発表「『NIIGATA SKY PROJECT』プロジェクトでのファームウェア開発の取り組み」
NECソフト新潟支社の吉田 誠さんのセッションです。
吉田さんがプロジェクトで担当されたのは、ジェットエンジンの基板上で動く制御ソフトウェアと、PCからジェットエンジンの状態をモニタリング/調整するソフトウェアの開発でした。先の岩田さんの講演にもあったとおり、短期間でソフトウェアもハードウェアも0から開発する必要がありました。
おまけに、吉田さんにはジェットエンジンの開発経験はおろか、研究開発プロジェクトの経験もありませんでした。会社で携わる業務なら顧客の要求に応えることが最大の目的となりますが、研究開発は明確な要求仕様がないので、何が正解となるのかを事前に把握することが難しいのです。これまでの業務とは勝手が違う状態で、設計とテストをどうやって実施するのか、品質指標をどうやって決めるのか、すべて手探りの状態でした。
吉田さんは、まずプロジェクトの基本方針を決めるところから始めました。まずはエンジンを動作させること、製品レベルまでは考慮しないもののとにかく安全性を重視する、という基本方針を開発計画書に盛り込み、関係者に承認をいただくことで方針がぶれないようにしました。
基本方針が固まったところで、吉田さんはチーム作りに取り掛かりました。パートナー会社から有識者を招いて専門知識の社内教育を設けました。また、変更や修正に強い設計を心がけ、テスト用にシミュレータを独自開発しました。品質指標は安全性と経験不足を考慮し、高めに設定しました。そして岩田さんと打ち合わせを繰り返して仕様を固めていきました。
そしていざ試作機を作成したものの、本番環境では思ったように動作しない、ということがありました。経験不足により、開発環境との差分を考慮しきれなかったことが原因でした。吉田さんは、早めに本番環境で試験を行うべきだったと振り返りました。
また、燃焼実験中にエンジンが火を噴いてしまう、というトラブルにも見舞われました。燃料供給量が多すぎて炎が上がったところで、燃料の吐き出しに失敗してさらに炎上してしまい、部品の一部が溶けてしまったそうです。
そのときの様子を録画していた映像を見せていただきましたが、大きな炎を上げて燃えるエンジン、周りで「危ない!」と叫ぶ声、なかなかの臨場感でした。大事故に至らなくて何よりでした。
試行錯誤の末、ついにエンジンは完成しました。吉田さんは事情があり、エンジンの完成間近でこのプロジェクトを離れることになったのですが、「東京国際航空宇宙産業展2011」で完成したエンジンが動作するのを見て、このうえなく感動されたそうです。
吉田さんは「このプロジェクトを通してジェットエンジンの技術や人脈など、多くのものを得ることができました。何より、『ものづくり』の原点と感動を体感することができました」と締めくくりました。
わたし自身も研究開発プロジェクトの経験はありませんが(興味はあります)、吉田さんの講演を聞いて研究開発プロジェクトならではの特徴や、難しさを知ることができました。また、未経験のプロジェクトに立ち向かう姿、失敗を乗り越えて新しいものを作り出す喜びと楽しさに心打たれました。
実はわたし、お恥ずかしながら岩田さんと吉田さんに講演を依頼するまでは「NIIGATA SKY PROJECT」のことをほとんど知りませんでした。しかし講演を聞いて、新潟でこのような高いスキルが求められるプロジェクトが進められていることを知り、思わず胸が熱くなりました。「JaSST’12 Niigata」で、この活動をご紹介することができて良かったと思います。
「JaSST'12 Niigata」第2回目のレポートはここまでです。次回は最終回、最後の事例発表1件と情報交換会の様子をお届けする予定です。