『天気晴朗ナレド 波高シ』の海をエンジニアとして、泳ぎ切るためのコラム

どうして歴史を勉強するの?

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学生の頃は、表題の疑問についてあまり考えなかったと思う。

だいたい、トラブっているプロジェクトと同じで、渦中の中に身を置いている場合、細かなことに一生懸命で解決すべき根本的な問題が見えていないものです。

国語は、母国語の文法や表現力を豊かにするための素地作りだ

英語は、海外でグローバルに活躍する為の可能性をより強くするため

数学は、理論立てて考え、答えに到達する思考ロジックを鍛えるため

社会は、世界を知り見分を広めるため

ここまでは、異論ありませんが、世界史と日本史は何のためになるのか?

故人の歴史を学び、個人の行動や事件から学んでより良い選択肢を選ぶ力をつけるため?

え?世界史、日本史といわれる歴史って、単に記憶鍛錬教科になってませんか?

人間は、同じ過ちを繰り返し、「過去に学ぶ」姿勢を見る機会は中々ありません。

もっと、工夫した問題、例えば、どういった因果関係にあったのか等、通説を検証できるような問題が増えると面白くためになるのではないかと。

話は変わりますが、今の受験体制は、良い面もあるとおもいますが、反面、いかに効率よく正解を導き出すチカラが問われる事に特化し過ぎているため、「難問は飛ばして、簡単な問題から処理する」という受験テクニックが常套手段で受験生の思考プロセスに本能的に染み付いてしまい、結果、受験エリートが中央の役人になって、中央官庁では、全員で難しい問題は、とりあえず先送り、先送りしてしまうなんてこと、無いでしょうね(笑

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