リアクション・モード(序論)
「(どうしようもなく)熱中してしまうモノ、コト、および場所」をファースト・プレイスと定義し(ライフ・スタイルにおいて最優先する意味での「ファースト」)、論を展開してきましたが、その前は「小損を取る」シリーズでした。
そしてこのブログのタイトルは「IT業界を生き抜く健康生活」であり、最初のほう(東日本大震災の直後)はダイレクトにエンジニアの健康について論じていました。
フィジカルな意味での健康、およびマインドの健康について
小損を取る理論もファースト・プレイス論も、結局健康論を抽象化していったにすぎず、どちらも「IT業界を生き抜く健康生活」のために必要なものです。
というか抽象化しすぎて日本のオトナ全員の健康生活に直結する話です(笑)
あ、そういえば健康の話の後はオシャレについて何回か書いていましたね... これもエンジニアの健康「的」生活に直結するものですね。
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エンジニア含めたビジネスマンは家庭よりも仕事よりも大切な、ファースト・プレイスを持つべきであり、結果的にはそれにより家庭も円満になり仕事も順調になる、というのが、あまりにざっくりすらすらと書きすぎてしまった感はありますが(笑)私の持論です。
多くのケースではそれは「趣味」「プライベートの息抜き」から始まります。つまり仕事や家庭がまずファースト/セカンドとしてあり、この段階ではまだ「サード・プレイス」にすぎません。この段階におけるファースト/セカンドを円滑にまわしていくため、だけの目的でサード・プレイスがある。
このマインド・セットはけっこう「昭和的」であると思っていたのですが、それはぜんぜん間違っていることに気付きました。おそらく正しい表現は「SNS前夜」だと思います。昭和どころか、21世紀の最初の10年ぐらいまでこのマインド・セットは有効でした。
いや、「有効」ではないな... 20世紀の終わりの時点ですでに有効でなくなりつつあったのですが、このマインド・セットはあまりに「洗脳」が強固だったために、SNS登場前夜までいっこうに崩壊する気配はありませんでした。
私もふつうに、まだ子供も小さかったですし、しっかり仕事して暖かい家庭をつくり、そして維持して、たまには家族で旅行にいければいいなとか、週末は自分の時間(趣味)を持てたらいいなとか、ガッチガチにそういう「セット」で脳みそはFIXされていました。
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ところで昭和の時代にも21世紀初頭にも「ファースト・プレイス」的なものを持ち、そのことを大々的に喧伝する方はいらっしゃいましたが、そういう方は当然、時代の空気に反しているのでバッシングされていました。
いや、あるいは今もそれは変わっていないのかもしれませんが、今の時代はファースト・プレイスに生きる方々が昔よりもずっとうまく潜行して生きているように思います。
21世紀初頭までのファースト・プレイス論および実践は、まだ洗練されていなかったのでした。それがバッシングされたもっとも大きな要因です。
簡単にいってしまえば家庭はなおざりにして仕事もてきとうにやって、義務を果たさずに何かに熱中してる方々が、どうだ俺(アタシ)ってすごいだろう、自由人だろぅ?という自己宣伝をしていたわけです。
自称「アソび人」として。
もちろん全員がそうではなかったですが、そういった方々のうちの多くはまんまと家庭は崩壊し仕事はダメになり... そして以前バッシングを受けた勢力に「ほおれみたことか!いろんなことを我慢してヒッシに中流を生きている俺(アタシ)たちのほうが正しいんだよ!」と再バッシングを受け、その「中流がいちばん」理論の綻びはみえているのにもかかわらず、一瞬揺さぶられはするものの崩壊するまでには至りませんでした。
いつか書くかもしれませんがこの「我慢して」「ヒッシに」がいちばんダメダメなのです...これからの時代
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自分が何かモノ、コト、あるいは場所に熱中することにより家庭が崩壊し仕事がダメになっていくのであればそれはファースト・プレイスではない。何回か書いていますがファースト・プレイスに没入することにより自然と、少しずつ仕事と家庭の生産性が上がり、仕事と家庭にも良い影響を与える(与えあう)。それが私の考える、SNS以降のファースト・プレイスの定義です。
で話戻すと、SNS前夜の(というか今でもそうなのですが)仕事や家庭がファースト/セカンドで趣味がサード、というスタティックなライフ・スタイルの定義は、もはや行き詰まりました。
「行き詰まりつつあります」ではありません。そんな生易しい状況ではありません。
これは「いわゆる高度成長期から連綿と続いた日本の終身雇用形態が崩壊しつつあり~」みたいな紋切り型の論説と同じ位相で語られるべきものです。
つまり、連動しているのですね。
日本の会社組織のありかた、ビジネスのありかたが転換期を迎えているのは、ふつうに働いていらっしゃる方ならけっこう皮膚感覚で感じていると思いますが、ビジネスマンのライフ・スタイルも転換点を迎えているのです。
私の持論では、個々のビジネスマンがライフ・スタイルを「転換」していけば会社組織が変わっていきます。つまり組織が変わるのを待っていてはダメなんです。自分たちが変わらないと。
ビジネスマンがライフ・スタイルを転換するための具体的手法としてこの「ファースト・プレイス」論を提案します。
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さてさて、やっと今回の投稿のタイトルであるリアクション・モードについて。
序論長い...(汗
これからの時代のオトナに求められるのは「熱中」だと思ってるんですね。ということは言い方を変えるとこれまでのオトナにはまったく不足していたということです。
少なくともSNS以前のオトナは「熱中」に対しけっこう斜に構えているように見えました。そして、何かに熱中してると思いきやそれは世の中的に「善」にカテゴライズされない類のモノ、コト、場所が多かった。
あるいは、善でも悪でもなくても、なんだか独善的なもの、独りよがりな趣味に熱中している人が多いようにも見えました。
それらの具体例を挙げることはできるのですが、生々しすぎるので控えておきます(苦笑)
熱中によって自分の仕事や家庭に悪影響を及ぼしてはなりません。好影響「しか」与えてはなりません。
ですので、熱中する対象はある程度取捨選択する必要はあります。
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そういう善きものに熱中することに、かつてのオトナたちは若干批判的だったんですよ、間違いなく。
そしてサイアクだったのは、いいオトナが明らかに善き事でないことに熱中するとき、それ(子供の頃ダメだと言われできなかったことに熱中すること)こそが「オトナ」であるという、当時のオトナの男性にとって非常に都合のよい理論が横行し、というか、かつてのこの国を動かせるぐらいの社会階層にいたオトナの男性がうま~く自分らに都合の良い風評を流布してそれに対して庶民がバッチリ洗脳されていたがために、多くのオトナ男性が善き事でないことに熱中しても世間は目をつぶり、正しい意味でのファースト・プレイス論が広がっていくことはまったく!なかった。
そして代わりに一般のオトナ女性が相当割りを食っており、女性がその風潮を批判することはなかなか難しかった。というか女性すらもうまく洗脳されていたといっても過言ではない。
なぜ世の中全体が目をつむっていたか? なぜならそれは経済活動の一環だったから。経済が成長する前提の世の中だったからこそ、そういうことが横行していたのです。
そのあたりを我々、つまり現代をリアルに生きているオトナが、変えていかないといけない。
なぜなら、今は経済が成長する前提の世の中じゃないから。
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熱中するとは、やりたいことをやるということです。
もっというと衝動を優先するということです。
なのですが、今のビジネスマンのマインド・セットで衝動を優先してしまうとどうなるか?
おそらく会社にいかなくなるでしょう(笑)
会社にいかなくなるということは仕事にも穴を開けますし家庭にも迷惑をかけてしまいます。ダイレクトに。
ですので、ビジネスマンが「善事」に熱中するためには劇的にマインドセットを変えていかなければならない。
衝動を優先していくとなぜか自分の周りの物事がうまくまわっていくようにする。それはつまり自分の人生を自分でコントロールすることに他ならない。
コントロールを「取り戻す」のです。
という意味ではけっこう...いやかなりハードル高いわけです(苦笑)。
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そのためにどうしたらよいか?といったことを少しずつ書いていって、らせん階段を上っていくように高みに到達できればよいかなと思っています。
そのためにどうしたらよいか?を紐解いていく上でおそらくもっとも重要なキーワードが「リアクション・モード」ということなのです。
ご清聴ありがとうございました。(違うかw)